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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
120/292

それでも前へ

城下桜南高校対聖美陵学園、後半戦は桜南ボールで開始となる。

センターサークルに立つ桜南7番は、例によって両手を後ろに回し、サインを出す。

そのすぐ横で桜南10番紅河は、両手で前髪をグワッとかき上げて大きく一呼吸すると、ダラリと両手を下ろした。


「紅河、自然芝にこの雨だ。ゴロはかなり球足が鈍る。空中戦を増やすぞ。」

「ほいよ。」


紅河は前半戦の小競り合いを思い返していた。

自分がボールを奪われるパターンはトラップ直後の初動に多かった。

自分は相手にどう見えているか。

パスを受ける直前にドリブルコースやパスを折り返す先を見る…

そして、ボールに触れた瞬間、進行方向とは違う方へ身体の向きや視線を流し、フェイントを一つ入れる。

相手の3番はフェイント方向を抑えに回り、5番はその裏、自分が実際に出ようとする方向を抑えている。

一瞬でも躊躇すると6番が後ろから足を出してくる。

三人とも背後に背負っている場合、トラップ直後ボールが地面に触れた瞬間、見えない死角から足が出て来て弾かれる。

弾かれたスチールボールは別の相手が回り込んで持っていかれる。

と、言うことは…


…まず、進行コースを右、左、前、と三つに分けて考えれば、どこか一本はクリアーな進路が見えるはず。

…三人が背後にいる時は、次のアクションはノートラップパスを基本として考える、か。


秒単位のせめぎ合いの中で、そうそう上手くいくものではないが、自分で攻撃が止まる現状をなんとか打破しなければならない。


ポン…


開始ホイッスル直後、桜南7番が紅河の前にボールを軽く転がし、そのまま前へ走り出した。

紅河は走る7番を見ながら数歩のドリブルをし、向かってくる聖美陵6番と5番をチラリ、チラリと見た後、ボールを右足と左足で前後に挟み込み、右足のかかとを使って真上にポーンと上げた。

そして、真上に上がったボールを残し、紅河自身も前へと走る。

聖美陵6番と5番は、ボールを拾うか紅河を追うか、刹那の戸惑いを見せた。

上がったボールの真下には、後半から参戦の桜南12番が走り込んでいる。


須崎すざきと紅河の間あたりに落とせ、か。


桜南12番へ聖美陵9番が向かっていたが、桜南の7番須崎と左右の11番、19番が既に走っている動きが陽動となり、紅河の『置き去りパス』への対処が一歩遅れる。

桜南12番は悠々と胸でトラップし、落ち着いた挙動で7番須崎と10番紅河の間辺りに高いパスを上げた。

ボールの落下地点に近い聖美陵3番は、紅河の動きを見つつ、インターセプトへと構える。

そこへ詰め寄る桜南7番須崎と10番紅河。

紅河は聖美陵6番と5番を引き連れている。


…ガッ


先に落下地点へ到達した桜南7番須崎が、聖美陵3番と肩を押し合いながらポジション争いに入る。

空中のボールを見る聖美陵3番は、額に汗が滲むのを感じた。


…桜南7番、小さいくせになんて腰が重いんだ。


だが、飛べば勝てる…そう考えて聖美陵3番が腰を落とした直後、フッと桜南7番の重さが消えた。

ボールは目の前に迫っている。

構わずジャンプし、胸でボールを受ける聖美陵3番。


…よし。


このまま味方の右ウイングへパスを出そうとした瞬間、自分とボールの間に青い『10』という数字が突然現れた。


「な!…」


そして直後、ボールと共にその『10』は左方向へと消えた。


…く、紅河…


聖美陵3番が振り向いた先で、紅河が聖美陵6番と5番二人を相手に、小刻みにボールを操りながら切り込む隙を探していた。


…7番は!?


桜南7番は、聖美陵4番の前を塞ぐようにポジションを取っている。

と、その背後で、聖美陵4番の右手が人差し指を立てた。


…了解だ。


聖美陵4番が自陣ゴールを背にして走り出した。


「む!」


気付いた桜南7番須崎が、4番を追うように戻り始める。


「紅河!トラップだ!前へ出すなよ!」


聖美陵4番はオフサイドラインを持ち上げに掛かっていた。

紅河は前後左右に器用にボールを操りながら、バックパスか、自ら切り込むか、敵味方の選手の位置を必死に追いかけている。


…それくらい見えてるよ、須崎。


ボールをキープする紅河に、聖美陵3番も迫る。

紅河の視線が聖美陵3番に向く。

その一瞬を、聖美陵5番は見逃さなかった。


ポンッ…


ボールは聖美陵5番に弾かれ、そのルーズボールは聖美陵6番の前に転がる。


…させるか!


紅河は振り向きざまに地面を蹴り、聖美陵6番へ向おうとした。


ズシャッ…


紅河の蹴り足は、水分を含んだ自然芝に取られ、ほんの数ミリ、滑った。

届くはずだった足が空を切り、ボールは聖美陵6番に持っていかれる。


…逃がしてたまるか!


それでも追いすがる紅河。

だが、ボールは聖美陵6番から聖美陵13番へパスされた。


…くっ…


またしても…またしても自分が奪われた。

7番須崎との連携は完璧だった。

思惑通り、自分にボールが来た。

それなのに、それなのに…


向こうがオフサイドトラップを仕掛ける前に、須崎に出せば良かったのか。

それとも、単身で切り込む技術が足りないのか。

三人がかりの敵。

それも、ディフェンスに定評のある聖美陵だ。

後方にはパスを出せる味方もいた。

判断ミスか。

三人に囲まれ、どんな判断が正しいと言うのか。


…ちくしょう…


頭でシミュレートした通りには、やはり事は運ばない。

紅河は、目に入った雨水を手で拭いつつ、ハーフウェイラインまで戻った。


落ち着け。

切り替えろ。

味方のディフェンスを信じろ。

またボールはここに来る。

次こそ突破するんだ。

次こそ…

どうやって?

どうやって…

さっきのプレイを思い起こせ。

何がまずかった?

3番にトラップさせたボールをスチール。

ゴール前に運ぼうとドリブルした。

5番と6番に張り付かれている。

3番も来た。

3番を見た瞬間、スチールされた。

敵の一人を見ただけで…

無視したところで同じだ。

それこそ、無視した3番に取られる。

背後には味方のミッドフィルダーもいた。

3番が近付いて来るのが判り切っているなら、スチール直後に追いかけてくると想定し、見ない、か。

いや、背後でも右から回り込まれるか左からかで、対処は変わる。

見ずに交わす、は無理がある。

では、どうすれば…

3番を見ずに…

いや、3番を…

ん、3番?


紅河は、あることに気付いた。

ある、一つの事実に。


…試してみるか。


紅河は顔の雨水をユニフォームの襟の部分でグイッと拭うと、再び両手で前髪をオールバックのように撫で上げて、聖美陵のマーク三人を睨み、腰を落とした。

左手は膝に当て、右手はダラリと下げている。

その紅河の屈んだ背から、汗や雨水が、熱い体温を受けて、ゆらゆらと蒸気を立ち昇らせている。

聖美陵のマーク三人は、鋭い眼光でボールを待つその紅河の姿に、言い知れぬ威圧感を感じた。


自陣深く戻っていた桜南7番須崎が、後ろ向きの小走りで、ハーフウェイラインまで上がって来た。


「来るぜ、紅河。」

「たりめーだ。後半からバックスの要、田所たどころが入ってんだ。入れられました、は許さねぇよ。」

「だな。」

「で、須崎。」

「ん?」


紅河は須崎に何やら耳打ちした。


「んー…ま、いいや、やってみ。しくじるなよ。」

「そういう言い方は点を取ってからしろよ、無得点の主砲君。」

「うるせーよ。」


ドウン!…


桜南4番、センターバック田所のインフィールドカットが飛んできた。

やや左に流れているが、充分に拾えるボールである。

右に走る7番須崎、中央を走る10番紅河。

カットボールは桜南11番が受け、聖美陵8番を交わし、左ラインギリギリをドリブルで運ぶ。

ポジション的には桜南左を潰すのは聖美陵6番の仕事だが、彼は紅河に張り付いている。

こういう場面で、三人マークの偏りは裏目に出る。


…紅河、水を吸ってちと重いぞ。


バシュ!


難なくセンタリングを上げる桜南11番。

その落下地点、ゴール前に紅河、そのやや後方に桜南7番須崎。

紅河の前に聖美陵5番、紅河とゴールの間に聖美陵3番、紅河と肩を並べて聖美陵6番が付く。

ゴール左よりに聖美陵キーパー、その後ろに聖美陵4番、桜南7番須崎の横に聖美陵2番が守る。

紅河と肩を押し合う聖美陵6番は、紅河の腰の軽さを、不審に思った。


…いつも力士みたいに重い紅河が、何だこの軽さは。


腰が軽いということは、ボールを競り合うのではなく、動こうとしているという事だ。

という事は、シュートは7番か…?

聖美陵6番は、チラッと桜南7番を見やる。

一人マークが付いている。

任せるか、と聖美陵6番は考え、紅河との競り合いに集中する。

ボールが落下して来る。

ここはゴール前だ。

中途半端なカットは命取りになる。

競り合っている以上、ノートラップカットは難しい。

確実にキープ、そして即カット、だ。

聖美陵6番は、紅河と肩を合わせたまま、ジャンプし、胸で一度トラップした。


…ん!


紅河は、肩を押し合っていた桜南10番は、軽いどころか、感触が、否、存在が、消えた。


ズシャアァ!


聖美陵6番の目の前に、水しぶきと、一瞬消えた桜南10番が、同時に現れた。

それは、ジャンプした聖美陵6番には、あたかも地面から突き出てきたかのように見えた。

胸に当たったボールが、膝下に落ちるはずのボールが、現れた桜南10番の胸に張り付いたのが見える。

ボールを胸に押し当てたまま、桜南10番と水しぶきは、聖美陵ゴール方向へ流れて行く。

その桜南10番の横顔が、鋭い眼光が軌跡を残して尾を引き、流れて行く。


…な…なに…


聖美陵6番の背筋が、いや、全身が、凍りつく。


紅河が気付いた事実。

先ほどボールを奪われた後に気付いた、事実。

7番須崎に耳打ちしたこと。

それは、ゴール前で敵にトラップさせ、そのボールを奪いゴールへ押し込む、であった。

あの時、聖美陵3番のトラップしたボールは、思惑通りスチール出来た。

紅河自身がトラップするから、三人の誰かに奪われるのだ。

もし、三人マークの誰かがボールをトラップすれば、他の二人は奪いに動かない。

味方のキープしたボールを奪うことはしない。

となれば、その瞬間は、ボールを受けた者以外の二人の動きが止まる。


…それを奪えばいい!


胸でボールを押し込みに行く紅河に、聖美陵キーパーが横っ飛びに両手を伸ばす。

キーパーの手の位置を見た紅河は、片足でブレーキを掛けつつ、胸にあるボールを足元へと、身体を伝わせて落として行く。

更に、キーパーと接触しないよう、ボールだけを聖美陵ゴールのネットへ蹴り込む…動作をした瞬間、紅河の足に何かが引っかかった。


「うっ…」


何かにつまづき、前のめりに倒れこむ紅河。

飛んで来たキーパーより早く、紅河の身体は聖美陵ゴール内へ突っ込んだ。


ドシャ!


ゴール内で紅河が倒れこんだのと、キーパーが横倒れに地面へ落ちたのと、ほぼ同時だった。

ボールは…ゴールには入らず、キーパーの手にキャッチされていた。

すぐ様振り返った紅河は、見た。

地面から30cmくらいの範囲を、空中を伝い流れ落ちる雨を。

あたかも、ガラスの板でも置いてあるかのように、つつつ、と不自然に流れ落ちる、雨の雫を。


…『光の帯』か!


ノーゴール。

桜南10番は、惜しいところで、ボールを残して地面に足を取られ、つまづいた。

そう映った。

誰の目にも、そう映った。


「大丈夫か、紅河!」


駆け寄る桜南7番、須崎。

立ち上がる紅河。


…そうだ。忘れてはいけない敵がもう一人いた。


「大丈夫だ。」


紅河は、今しがた『光の帯』があったであろうゴールラインの辺りを踏みつけて通った。

だが、既に、何の感触も、そこには無かった。


…悔しいが、今回は俺の負けだ。だが、まだだ。今の俺は、それでも前へ出るしか無いからな。


バックスタンド席。

柴山しばやまは興奮気味に身を乗り出している。


「危なかったな、聖美陵は。なんとも恐ろしい選手が出てきたもんだ。紅河君、か。」


その横で、翔子しょうこは、内心で狼狽えていた。


…転ばす気なんて無かった。

…見えるのに、何で?急に出したから?


翔子は、ゴールに迫った紅河を、三次元クレヤボヤンスで、間近で見ていた。

その真剣な表情、必死な様は、少なからず翔子にも伝わっていた。

翔子にとって、紅河は嫌なヤツだ。

理解出来ない強さで翔子の邪魔をした、不可解な男だ。

柴山が楽しいだろうと思ってやった聖美陵ゴールの守りは、翔子にとって、いつしか紅河との戦いのようになっていた。

だが、殺し合いでは無い。

ボールが入れられてしまうか、防げるか。

紅河を転ばせようとか、怪我をさせようとか、そんな事は少しも考えていなかった。


…くれかわ、痛かったかな。


翔子の心に、後ろめたさのような感情が、生まれ始めていた。


柴山と翔子の席から2ブロックほど離れた席に、橋石きょうせき義継よしつぐがいる。

橋石が、冷めたトーンでボソッと言った。


「やーい、転んでやんの。」


義継は腕を組んでいる。


「やり過ぎだねぇ。」

「やり過ぎ?熱くなり過ぎってことか?」

「怪我させちゃあ、まずいなぁ。」

「あれくらい、サッカーならしょっちゅうあるだろ。」

「度がすぎると、僕も出しちゃうぞ。」

「は?」


義継はそれ以上何も言わず、缶コーヒーのプルトップをカチッと倒し、コクッと一口飲んだ。


東側メインスタンド。

紅河を転ばせた赤紫の『光の帯』を目にした京子は、ガタッと音を立てて席から立ち上がった。


「もう許せない…」


愛彩いとあが、京子の腕を掴み、首を左右に振った。


「今、試合に手出ししたら駄目。」

「だって…」

「紅河さん、気付いてる。」

「え?」

「と思う。」

「でも…」

「信じよ。」

「でも…」

「スポーツ選手の神聖な場所。終わるまで待と。」

「でも…」

「紅河さんの気持ち、考えて。」

「…」


京子は、席に座りなおした。


…許せない。私、絶対に許さない。


京子は、『赤紫』の使い手を探す手立てを考え始めていた。

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