眠れる牙
城下桜南高校、放課後の校庭。
各種運動部の設備が充実している高校で、サッカーのフィールドも専用として独立設置されている。
ちょうどサッカーフィールドの周りを通りかかったランニング中の女子バスケ部。
その中にいた悪虫愛彩は、不思議なものを見た。
練習中のサッカー部員の一人、その足元に、フワリ、フワリ、と動き回る白い光。
「あ、あのでったらだ三年生。」
白い光は、その部員…紅河淳の足を追い掛けるように動いていたため、愛彩は初め、紅河が足に懐中電灯でも付けているのかと思った。
しかし、よく見ると何も付いていない。
紅河がボールを高く蹴り上げると、その光はボールに向かって飛び上がり、そのままスイッと空中に消えた。
「なんだぁ…?」
ランニングの列から遅れた愛彩に、二年の高島が、
「アクちゃーん、彼氏に見惚れない!早く来なさい!」
と叫んだ。
「はいぃ!」
と返事すると、愛彩はランニングの列を慌てて追いかけた。
部活終了後、気になった愛彩は、舞衣と千恵を連れ、サッカーフィールドを訪れた。
一年はもう上がっていたが、二年と三年はゴール前で、オフェンス3人対ディフェンス4人のハーフコートシミュレーションを繰り返していた。
「あ、いるね、あのデカい先輩。」
「うん。」
「強いわけだね、サッカー。こんな遅くまで。」
紅河はオフェンス側だ。
ボールを前後左右に細かく操り、ディフェンスを交わすその鮮やかさは、見ていて飽きない。
三人はしばらくフェンス越しに練習を見ていた。
「あ、出だ。」
愛彩がふいに言った。
千恵が聴く。
「え、何が?」
愛彩はジッと目を凝らし、紅河を指差して言った。
「ほら、光っこ、足元。」
千恵と舞衣は紅河を見たが、光などどこにも見えない。
愛彩がつぶやく。
「何かに似てんだけどぉ…」
記憶を探っていた愛彩は、思い出した。
「ああ、山で見だ…」
青森に住んでいた頃、山道の途中で見かけた、フワフワ揺れる楕円形の光。
愛彩が母に話すと、それはキツネやタヌキのような獣の霊かも知れない、と聞かされた。
その光は、少し恐い感じがしたのを思い出した。
「それ、牙剥いて吠えてる系?」
「んー、どっちか言えば。」
「やだ…。」
「あのデカい先輩のも、牙系?」
「んー…」
愛彩はしばらく紅河を見続けていたが、首を傾けて言った。
「…んー、恐いよな、恐ぐねよな、じゃわめがねし、しゃっこくね。」
「じゃわ?」
「めがね?」
「恐いよな気もすっけど、寒気さね。しゃっこくね。」
「寒気がしないのかぁ。」
「ふぅん、なんだろうね。」
「しっぽ系にも見える。」
「そっかぁ。」
三人の間では、『寒気のする恐い霊』は『牙系』、『恐くない温かい霊』は『しっぽ系』という表現が定着していた。
練習を終えたサッカー部員が、スパイクをジャカジャカと鳴らしながら部室に戻っていく。
舞衣が、紅河を見つけ、声を掛けた。
「昼寝の先輩!」
「あ?」
呼ばれて振り向いた紅河は、舞衣を見て思った。
…お、アイドル並みの可愛さだな。
「なんか用か?」
「名前、なんて言うんですか?」
「くれかわ。」
「クレカワ先輩、京子から聞きました。詐欺師を追い払ってくれて、ありがとうございました。」
「京子?ああ、あの子か。いや、別に。」
「あの、ですね、」
舞衣はチラッと愛彩を見て、言った。
「先輩、キツネに取り憑かれてるかもですよ。」
「キツネ?」
「ああー、舞衣さん…」
愛彩は、イタズラに見えたものの話をしたら駄目だ、と言おうとした。
「なんてね、愛彩、見てあげてよ。」
舞衣は愛彩に手招きした。
「どおも。」
愛彩は軽く頭を下げると、紅河の首の辺りをジッと見た。
視線の高さが丁度その辺になることもあるが、首から胸の辺りをジッと見ていると、その人に憑いている霊が、その人の背後や周辺に見えてくるのだった。
…この人も沢山いるな、守護霊。
何人もの人影が重なり合い、見えては消え、消えては見える。
愛彩は『白い光』の主を探した。
「クレカワ先輩。」
「ん?」
「もしかして、犬っこ、飼ってました?大きい犬っこ。」
「ああ、飼ってたな。」
「狼みだいな?」
「狼じゃないけど、シベリアンハスキー。」
「ああ〜。」
愛彩は何か一人で納得している。
「なんで?」
「遊びに来るみたい。時々。」
「へ?」
「犬っこ、名前は?」
「アルプス。」
「アルプスちゃん、今日も遊びに来てだ。」
そう言って、愛彩はニコッと笑った。
「他の人には牙系、クレカワ先輩にはしっぽ系。」
「はい?」
…意味判らん。
舞衣が補足するように言った。
「えっと、多分ね、サッカーの練習中に、クレカワ先輩の周りを、遊びに来たアルプスちゃんの霊が走り回ってたんだと思います。」
「え、そうなのか?」
「うん、愛彩は本当に見えるみたいです。ね、愛彩。」
「うん。」
紅河は自分の足元をキョロキョロと見た。
何も見えない。
「しっぽ系、って、なんだ?」
千恵が答える。
「恐い霊と、温かい霊とあるみたいで、牙を剥いて吠えてる犬みたいな感じのする霊と、しっぽを振ってる人懐っこい犬みたいな感じのと。だから、牙系と、しっぽ系。」
「ああ、人懐っこい霊ってことか。」
「はい。」
愛彩が、ボソッと言った。
「また変なこと言っでしまって、信じなくてもいいので。」
紅河は、愛彩の方を見て、
「いや、信じるよ。」
と言うと、穏やかな表情を見せ、部室へ歩いて行った。
紅河の不機嫌そうな顔が、突然和らぎ、三人はキュンとしてしまった。
「ちゃむ。」
「ん?」
「結構かっこいいよね。」
「うん。」
「ギャップ萌え、ずるいよね。」
「うん。」
「なんか、あんまり恐い人じゃないね。」
「千恵。」
「うん。」
「さては惚れたな?」
「いいえ。」
舞衣はクルッと千恵の方を向くと、
「うそぉー!」
と言いながら千恵の脇腹をくすぐった。
「ひあっ、ちょ、やめ、やめ…」
千恵はよろけながら逃げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
県警、特査の事務室。
「ひとまず、若邑以外にも『光の帯』が見えるという証言が取れたので、南土蔵駅コンビニ強盗事件の監視カメラ導線分断は『光の帯』を用いて行われた、という仮説を報告書に盛り込む。」
蓮田班長の説明に対し、赤羽根が聴いた。
「証言者、どうします?南條義継という固有名詞は使わない、との約束ですよね。」
「任意の第三者、としておく。」
「いや、だって、内容が内容ですよ。それで通りますかね?」
「まぁ、追求はあるだろうが、個人の人権と守秘義務もまた然り、だ。本人が守秘を主張している以上どうにもならない、と突っぱねるのみ、だ。」
特査は、若邑湖洲香の証言と、南條義継の証言、及び若邑を被験体として行われた検証実験の結果から、『光の帯』の性質を以下の通り仮定した。
1.存在基本
・『光の帯』は、霊体の一部である。
・『光の帯』は、霊体が肉体の外へ流出した部分を主に指すものである。
・ここで言う霊体は、霊体が肉体を伴わない場合、主に高次元空間に存在している。
・肉体から外へ流出した霊体の一部である『光の帯』もまた、基本的に高次元空間に存在している。
・『光の帯』は、質量、熱量、運動量、全て計測不能であり、0と認識する。
2.視認可否
・『光の帯』は、肉体で視認することは出来ない。
・『光の帯』は、その霊体を持つ本人には、知覚することが出来る。
・『光の帯』を意図的に放出できる者を、『能力者』と呼称する。
・『能力者』は、第三者の『光の帯』をも、知覚することが出来る。
・『光の帯』は、高次元空間と三次元空間に、同時に存在することが可能である。
・『光の帯』は、三次元空間に存在している時も、肉体では視認することは出来ない。
3.外観
・透明であるが、あたかも光を屈折させているかのように、水面のような揺らめきを以って、『能力者』は知覚する。
・先端は丸く、細長い帯状であるが、その幅は『能力者』の意思で自在に変化する。
・帯状であるが、厚さが0であり、正確には帯とは特定出来ない。
・厚さが0であり、『能力者』の知覚を以ってしても、真横から見ると、何も見えない状態となる。
・赤色、または白色に、斑点状の明滅が見られる。
・斑点状の明滅の色は、『能力者』の体調、精神状態により、その濃淡が変化する。
・『能力者』により、個別の色であると推定される。(サンプル不足により断定不能)
4.精神感応
・『光の帯』は、対象者の脳から0mm〜400mm程度の距離に位置した時、シナプスの微電流を読み取り、瞬時に発信者の脳に再現させることにより、思考を共有することが出来る。
・『光の帯』は、上記と同理論により、逆に、発信者の思考を対象者の脳に再現することが出来る。
5.念動力
・『光の帯』は、三次元空間に存在する時、他の物体と物理接触することが出来る。
・『光の帯』の耐荷重は、現段階では未知数であり、2.5tの乗用車を持ち上げることが計測されている。
・『光の帯』により発生する運動エネルギーは、現段階では未知数である。※物理測定が妥当かどうかも検討中である。
・『光の帯』は、高次元空間にのみ存在している時、三次元空間の物体と物理接触することが出来ない。
・『光の帯』は、高次元空間にのみ存在している時、三次元空間の同座標上にある物体と無接触で重なって存在するが、そのまま三次元空間へ出現させると、同座標上にある物体は、『光の帯』が触れた部分で分断される。
・『光の帯』は、三次元空間へ出現させると、同座標上に存在する物体を必ず分断する。(分断せずに三次元空間に出現することは不可能である)
・『光の帯』による分断は、物理的な切断ではなく、空間的な分断である。
・『光の帯』は、その一部を高次元空間のみに、別の一部を三次元空間に、出現させることが出来る。
6.千里眼
・『光の帯』は、その表面が向いている三次元空間の情景を、映像として知覚出来る。
・『光の帯』は、高次元空間の情景も知覚できるが、その情景が難解であり、現在、映像再現には至っていない。
・『能力者』は、『光の帯』の表面が向いている全ての情景を知覚できるが、『能力者』の情報処理能力に帰属し、知覚した全てを認知できるとは限らない。
・『光の帯』に表裏があるとした場合、『能力者』は表側の情景と裏側の情景を同時に知覚できるが、その認知度合いは『能力者』の情報処理能力に帰属する。
7.射程範囲
・『光の帯』の射程範囲は、現在、『能力者』を中心とする半径4km以内まで放出可能と測定されている。
8.放出リスク
・『光の帯』を放出すると、その放出量(質量0で放出量という表現は妥当ではないが)により、多ければ多いほど『能力者』の心拍数及び血圧の低下が計測されている。
・『光の帯』の放出時間が長いほど、『能力者』に眠気が生じ、長時間の睡眠が必要となる。
・肉体から霊体を『光の帯』として放出し切った場合、つまり肉体から霊体が完全に抜け出た場合、肉体は仮死状態になると推測される。
9.その他
・『精神感応』『念動力』『千里眼』のスペックは『能力者』により個体差があり、また、そのスペック存在を自覚していない場合、機能しない場合がある。
・『光の帯』の機能は、訓練によって上達する。
・『光の帯』は、『非能力者』=放出出来ない者が、稀に皮膚の温度変化として感知することがある。
「穴だらけだが、今書けることはこんなところだな。」
「そうです、ね…。」
蓮田班長が取りまとめた『光の帯』の性質データに、赤羽根も承認のデータ印を入力すると、ある懸念について考えた。
ある懸念とは、捜査一課が特査管轄外の件で南條義継を確保しないだろうか、というものだ。
南土蔵駅前コンビニ強盗事件、また、先日の乗用車切断事件、どちらも、間違いなく義継が重要参考人として上がる。
そのこと自体は、義継が真犯人でないのであれば、冤罪からの救出援護はいくらでもさせてもらうのだが、問題は…
「義継君がしょっ引かれたら、コズカがキレるわね、きっと…。」
サイキック湖洲香をキレさせる訳にはいかない。
誰にも抑えようがないからだ…。
「あの子が本気になったら、どんな独房からでもあっさり抜け出てくるわ。」
赤羽根は、先手を打って押塚警部に釘を刺しておかなければ、と考えていた。
※シベリアンハスキーのアルプス…『少年の静かな一歩』参照