表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
119/292

弱き者の叱咤

聖美陵学園ベンチ。

試合前半が終了し、戻って来た出場選手達の為にベンチが開けられ、簡易テントの横から吹き込む雨を防ぐように下級生が傘の位置を整える。

座る者もいれば、立ったままの選手もおり、マネージャー達から手渡されたドリンクボトルの蓋を外し、皆、浴びるように喉へ流し込んだ。

監督から、倒れた7番の意識が戻ったことが告げられ、選手達はタオルで汗や雨を拭いながらホッと胸を撫で下ろす。

乱れていた呼吸が整ってきた選手達を見渡し、監督は4番へ言葉を投げた。


紅河くれかわ君は、どうだ?」


4番の脳裏に、止められなかったオーバーヘッドシュートが、まるで記録した動画のようにありありと再現される。


「去年よりも、全てが正確です。なんて言うか、荒削りさが無くなったのに、大人しくなくなったと言うか、精密で獰猛どうもう、っていう感じです。」

「精密で、獰猛か。」


聖美陵の監督はチラッと城下桜南ベンチに目をやった。

精密で獰猛。

人間の身体能力は、総合的に見て16歳から20歳くらいの間にピークが来る。

高校生から大学生、上手く鍛え上げられた肉体が驚くべきパフォーマンスを発揮する年代。

だが、スポーツは脳で行うものだ。

経験則や判断力、そして精神力が、この黄金の年代には伴っていないことが多い。

桜南10番紅河が、精密で獰猛であるならば、攻めるところは精神だ。

苛立たせ、集中力を奪う。


「紅河君への三人マークを続ける。少々ラフプレイ気味になってもいい。」


5番、6番、3番、そして4番が頷く。

ラフプレイ気味でもいいなどとは、客観的に見れば、監督の言葉としては失格かも知れない。

だが、後が無いのだ。

県から全国へ出られるのは2校のみ。

この準決勝で敗退したら、夏はこれで終わってしまうのだ。


「その為には、向こうの3-3陣形、6人オフェンスを死ぬ気で止めろ。右の19番と左の8番はマークを甘くしてもいい。7番と11番は徹底マークだ。」


替えの乾いたユニフォームを着ながら、ディフェンス陣は各々、監督を見て頷いた。


城下桜南ベンチ。

ユニフォームの上を脱ぎながら戻ってきた紅河のもとへマネージャーが走り寄る。

濡れたユニフォームを、マネージャーの顔すら見ず無言で手渡し、タオルを受け取ると、紅河はそのままドカッとベンチに座った。

そこへ、ドリンクボトルを持った一年生の古藤ことうが歩み寄る。


「お疲れっす。」


差し出されたボトルを受け取ると、


「悪りぃ。」


と言い、蓋を外して口から溢れさせながら流し込む紅河。

細身の筋肉質の上半身を、溢れたドリンクが流れ落ちる。


「普通っすね。」


古藤がボソッと呟いた。

この時初めて紅河は、ボトルを持ってきたのが古藤だと気付いた。

チラリと睨むような視線を古藤に向ける。


「あ?」


古藤も解っている。

精神的に疲弊しているであろう紅河の胸中を。

後半を残すインターバルの今、出場選手を怒らせるような発言は、してはならない事を。

それでも古藤は、ゴクッと唾を飲み込み、こう続けた。


「三人にマークされて、抑えられて、振り切れない、それ、普通の選手っすよね。」


横で聞き付けていた二年生が、古藤の腕をグイッと引っ張った。


「お前、何を、邪魔だ!」


その二年生は紅河に頭を下げると、古藤を連れてベンチの後ろ側へ下がって行った。

紅河は空のボトルを置くと、タオルを顔に押し当てた。

ふと、顎の鈍い痛みに気付く。白楼はくろうで負った怪我だ。

顎に触ってみる。押すと、まだ少し痛む。


普通、だと?

ああ、俺は普通だよ。

普通の何が悪い。

何が言いたいんだ。

うちのスタメンなら三人マークくらい振り切れ、と言いたいのか。

やってみろよ。

それならお前がやって見せろよ。

出来もしないくせに。


腹が立つ。

古藤の顔が、声が、意味もなく紅河を苛立たせる。


そういう目で見るお前らが、うっとおしいんだよ。

俺をイラつかせないでくれ。

俺を、イラつかせる…

イラつかせる?

この苛立ちは、何だ?

どうすれば消える…

俺って、こんなに怒りっぽかったか?

古藤がムカつく、のか?

いや、違う。

古藤の言葉、俺を特別視する見方が、か。

そんなヤツ、古藤だけじゃ無いだろ。


「…つしくん…」


他にも、いくらでもいるだろ。

それとも俺は、褒めて欲しいのか?

三人相手によくやっている、とでも…


「…あつし君。」

「…え?」


呼ばれた事に気付き、顔を上げると、マネージャーが顔を寄せていた。

彼女は同じ三年で、丁度二年前の夏の大会の時に入部してきた。

口数の多いよくしゃべる女子で、紅河だけでなく、スタメン全員に、何が良かっただの悪かっただの、無遠慮にペラペラと言って回るマネージャーだ。

彼女は紅河の手から濡れたタオルを取ると、替わりに乾いたタオルを握らせ、替えのユニフォームを差し出した。

いつもヘラヘラと笑っているのに、今日は心なしか神妙な表情をしている。


「あ、ああ、ども。」


紅河は乾いたユニフォームを受け取り、それを着る。


…どうせ、オーバーヘッド凄かった、とか、ありきたりな事を…


だが、マネージャーは珍しく何も言わない。

何か言いたそうに紅河を見ていたが、コクっと一回頷くと、黙って紅河を離れて行った。

いささか拍子抜けだ。

今は何を言われてもうっとおしいのだが、何も言われないというのも物足りない感じがするな、と紅河は思った。

彼はふと顔を上げ、スタメンや控え選手、マネージャー達を見渡す。


…あ。


紅河は、自分は今、周りに気を使わせている、という空気を感じた。

見えなくなっている。

周りが、そして、自分が。

周りを見る、というのは、視線を向けることではない。

周りは何を感じて、何を思って、それに自分はどう干渉しているのか、を感じ取ることだ。

古藤は?

無神経に、気を使わない発言をしたのか?…


…いや、違う。


古藤も、古藤こそ、気を使ったのだ。

自分に対し、他の誰もが言えないような事を、ともすれば先輩に殴られかねないような事を…

それも、戦っている最中のエースに、苦言を呈したのだ。


「紅河先輩、スパイクは替えますか?そのままいきますか?」


一年生のマネージャーが緊張の面持ちで、紅河のシューズケースを両手で抱え、声を掛けてきた。

真新しいサッカーソックスも持っている。


「ソックスだけ替える。スパイクはこのままで。」


少々水分を吸っているが、一番馴染んでいるスパイクの方がいいと考えた紅河は、ソックスだけを受け取る。

そして、そのマネージャーの顔を見た。


「あ、えっと…」


…やべ、名前分かんねぇ、誰だっけこの子。


「は、はい。」

「やっぱ、あ、いいや、ども。」

「い、いいえ…」


その一年生のマネージャーは大きく頭を下げると、紅河のシューズケースと濡れたソックスを抱えてそそくさと離れて行った。

紅河は、やっぱ全国へ行きたいよな、と聞こうとして、やめたのだった。

改めて周りを見回す。

当たり前だ。

聞くまでもない。

皆、全国大会へ行きたいのだ。

ふと、二年生に囲まれてブンブンと頭を下げ続けている古藤の姿が視界に入った。


「ぷっ、くく…」


思わず吹き出す紅河。

フィールドでは、小競り合いの中にあっては、当然個人技の能力差がモノを言う。

そこでは、やはり、独りなのだ。

誰が何と言おうと、独りだ。

そして、サッカーは、独りでは出来ない、成り立たない球技だ。


古藤、気付いたよ。

俺は、自分を普通以上の選手だと思っているんだ。

だから、言われて、腹が立った。

それは過信か、自惚れか、はたまた事実か。

でも、そういうのは…


「…どうでもいい事だ。自分が決める事じゃない。」


悔いの残らないように、全力を出せばいい、それだけのことだった。

たった、それだけのことだった。


湖洲香こずかさん。俺は出来ることを精一杯やった。今日は、自分の戦いに力を集中したい。


紅河から、古藤への腹立たしさ、自分への苛立ちが、キレイさっぱりと消え去っていた。


『つまらんの』


第二階層のべには、紅河の思考を読みながら呟いた。


『何が、でございまするかな』

ぼうは辿り着くのが早いわ。もっと悩まぬか』

『再び蹴鞠けまりが始まれば、それが揺るぎなき心得となり得たか、わかるのでは』

『弱き者の叱咤、坊を悩ませると踏んでおったものを』

『はてさて』


城下桜南高校は、選手を二名入れ替えた。

紅河のオーバーヘッドシュートのアシストをした6番甲本を下げ、12番を投入、そしてセンターバックの二年生14番を下げ、三年の4番を出す。


「良いプレイをすると下げられちまうんだよな、うちは。」

「でもほら、そうすると相手は、何で6番下げたんだ、12番はもっと凄いのか、って驚くわよ。」


甲本と三年マネージャーの他愛ない会話を背に、フィールドへ戻る桜南選手達。

試合再開1分前、紅河も小走りで、雨の中をフィールドへ向かう。

監督からは、紅河へボールを集めるという戦術に変更なし、という指示が出されていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


柴山しばやま生花店。

十数メートル離れた路地の角に停まる覆面パトカーの助手席で、押塚おしづかは腕を組んでいる。

喜多室きたむろの透視で得られた手掛かりは、切花きりばなの仕入れスパンから推測すると卸売センターに向かった可能性があること、栂井翔子とがいしょうこの服が残されていることから服を買いに行った可能性があること、開かれて折られた新聞のページから釣り、競馬、高校サッカー、高校バスケに関連する場所へ向かった可能性があることだった。

庭先の物置には、釣り竿とゴルフクラブが数本入っている。

ガレージに、柴山生花店のライトバンは無い。


…花の仕入れ、服、釣り、競馬、サッカー、バスケ、か。


「喜多室。」

「はい。」

「趣味に関する雑誌やビデオの類は、部屋には無いんだな?」

「はい、部屋にはありません。ただ、物置には渓流釣りの雑誌とサッカーの雑誌が、紐で縛られ積まれています。」

「渓流釣り、サッカー…」


押塚は眉間にしわを寄せ、唸った。


…物置に押し込まれているってことは、そいつは古い趣味だな。

…新聞スポーツ欄、サッカーやバスケは今、高校全校大会の予選の時期か。


「花の卸売センター、その道中のホームセンターや衣類専門店、こいつを当たる。車出せ。」

「了解。」


細かく付けられている家計簿からギャンブルは無い。

高校球技の地区予選など、わざわざ見に行かないだろう。

腰が悪いのなら、ゴルフも無い。

店舗に並ぶ切花は、所々に空いたバケツがあり、これはいわゆる欠品なのだろう。

そう考えた押塚は、車が必要な出先なら生花の仕入れが最も可能性が高いと見ていた。

だが、何か引っ掛かる。

都内への出張販売に出られない状況で、鮮度の重要な花の仕入れを行うだろうか。

なぜ、栂井翔子を着替えさせたのか。


…花を運ばせる為に、汚れてもいい服を貸した、のか。


柴山は栂井と何かしらの会話を交わし、連れ帰った。

柴山の人物像としては、世話好きな心優しい男、といったところか。

花言葉に詳しい。

来客と良いコミュニケーションが取れる人柄。

社交的。

釣り、競馬、高校球技。

物置には釣り竿とゴルフクラブ。

それはホコリを被り、最近使われた形跡が無い。

渓流釣りの雑誌とサッカー雑誌。

紐で縛られて物置、という事はもう読まれない雑誌。

だが、すぐ捨てる気にはなれず、物置に押し込んだ。


「んんむ…」


唸りつつ、押塚は携帯電話を取り出した。


「…押塚だ。今日な、高校サッカーと高校バスケ、地区予選な、どの学校がどこで試合してるか、ちと情報をこっちに送れ。それとな、県内に渓流釣りの社会人同好会みたいなのが無いか、これも調べてくれ。頼んだぞ。」


県警への電話を切ると、押塚はタバコに火を点けた。

喜多室が言う。


「そう言えば、紅河君の私立城下桜南高校は、今日決勝だか準決勝だか、でしたね。」

「ん。まさか、栂井翔子がひょこひょことサッカー観戦もなかろう。」

「そう、ですね。」


二人の乗る覆面パトカーは国道へ出ると、柴山のノートにあった切花卸売センターへ向かった。

雨は強まっており、ワイパーの届かないフロントガラスの隅に、丸い水滴が幾つも震えては流れ、震えては流れ、と単調に踊っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ