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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
118/292

虹色の糸

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」


紅河くれかわがゲームの前半で、両膝に手を付いて必死に呼吸を整える姿を見せるのは初めてだった。

紅河に三人マークが付いていることから、桜南オフェンスはほぼ思い通りのボール運びが出来ているが、ことごとく、紅河で攻撃が止まる。

桜南7番が切り込んだチャンスボールも、ウイングから上がってくるセンタリングも、紅河が触った直後に奪われ、カットされた。

ミドルレンジからの苦し紛れのシュートは、ゴールの2メートル手前から不自然なカーブを見せ、キーパーに抑えられた。


…もう判っただろ、監督、今は俺に集めても無理だ…


それでも幾つか気付いたことはある。

桜南のシュートは、間違いなく何者かの『光の帯』に邪魔されている。

それはゴールに飛んだボール付近の雨の雫で確信した。

見えない壁が、確かに発生している。

そして、その『使い手』は、聖美陵ゴールの真裏辺りに視点を置いているようだ。

フィールドの内側から見ているのではない。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」


…多分、出場選手じゃない。ベンチか、客席か…


何もない空中でボールが跳ね返れば、聖美陵選手も審判も、その異常現象に気付くだろう、と考えたが、その使い手はなかなか狡猾だ。

ボールの勢いを殺しつつ軌道を変えて、キーパーやディフェンスに取らせるやり方を始めている。


「ハァ、ハァ…けど…ハァ…」


…それは長めのシュートに対してだけだ。


なるほど、不思議なものだ。

テレキネシスという超能力の存在を思いもしない者には、不自然なボールの変化は、風やボールの回転の影響に見えているらしい。

その証拠に…


「紅河、惜しい。構わず打てよ。」


誰も気付いていない。

超能力者が桜南シュートを阻害しているなど、夢にも思っていないようだ。

どこの誰なのかは判らない…が、そんな事はどうでもいい。


…逃げねぇぞ。絶対にゴールを奪ってやる。


壁を張りっ放しにはしていない。

その使い手は、聖美陵の選手に触れてはいけない、気付かせてはいけない、という意識はあるようだ。

それなら…


…キーパーが二人に増えただけのハナシだ。出し抜いてやる。


だが、その前に、だ。


甲本こうもと!」


両膝に手をつき、前かがみで地面に顔を向けていた紅河は、桜南6番の甲本へ、屈んだまま顔を向けた。

6番が自分に視線を向けたことを確認すると、膝から右手をダルそうに放し、親指を折り曲げて、他の4本の指を立てて見せた。

頷く桜南6番。

紅河が出したサインは、『常に自分の右後ろに居てくれ』である。

6番の甲本だけでなく、桜南フォワード陣は、皆そのサインを見ていた。


…甲本がフォーメーションを外れる。

…了解だ、紅河。

…右のバランスは俺がフォローする。

…OKです、紅河先輩。


慣れているとはいえ、紅河からのサインは、独特の緊張感が要される。

なぜなら、位置指定をした紅河は、そこへパスを出す時、絶対にその位置を見ないからだ。

出す素振りもなく、いきなりパスが来る。

散々練習してきたフォーメーション内でのフェイントパスであれば、桜南スタメンは難なくさばける。

だが、紅河自身からサインが出た時は、ケースバイケースの対応が必要になってくる。


…俺一人じゃどうにもならない。これ以上足を引っ張れるか。


紅河は、チラッとベンチの監督を睨んだ。


…腕組んで澄ました顔してやがる。


聖美陵が持つボールは、ハーフウェイラインまで運ばれて来た。

ドリブルをしているのは聖美陵11番だ。

桜南7番が詰め寄り、並走しながら当たる。

紅河は、ジリジリと、ボールが進む逆方向、聖美陵ゴール方向へ動いた。

聖美陵5番、6番、3番が紅河と数メートル離れて囲んだまま張り付いている。


…前半、残りあと4分。


時計を見る紅河は、思う。

何とか同点で前半を終えたい。

自陣ライン際の攻防で、聖美陵13番と桜南5番の競り合いから、ボールがタッチライン外へ弾き飛んだ。

ラインズマンのフラッグが聖美陵ゴール側に向いて真横に上がった。

桜南のスローインだ。


…よし!


「来い!」


桜南7番が走りながら叫ぶ。

ボールがインフィールドに投げ入れられ、桜南7番は全力のドリブルに入った。

その眼を見張る速さに、紅河マークの聖美陵選手も、刹那、意識が奪われる。

だが、桜南7番に絡まず、紅河マークを外さない。

紅河は感じた。


…聖美陵の怖さが分かってきた。それは選手同士の信頼の強さだ。


紅河は桜南7番と交差するように、7番とは逆のサイドへ走る。

紅河と並走する聖美陵5番、桜南7番と紅河の間に入るように走る聖美陵3番、紅河のやや後ろに聖美陵6番。そして、その右後方に桜南6番甲本が追走する。

桜南7番は、聖美陵2番と4番二人に阻まれ、一旦右サイドの桜南19番にパスを出した。

流れであれば、桜南19番は、ゴール前に走り込んでいる紅河にセンタリング、である。


「出せ!」


だが、紅河の声は桜南19番の左後方から聞こえた。

迫り来る聖美陵8番を見つつ、桜南19番は高めのフライパスを紅河に出した。

紅河と19番の間に聖美陵5番と3番がおり、ゴロではカットされると判断したからだ。


今まで紅河は、前へ前へと出てマークを後ろに背負うかたちだった。

従って、すぐ背後からボールを奪いに来るマークが見えないままトラップし、三人の動きを捉えるのが遅れる。

今、その逆のかたちが生まれた。

ボールを見る聖美陵5番と3番は、必然的に紅河に背中を向けている。


…後ろは一人。一人なら!


紅河は桜南19番のパスをヘディングで受けた。

そのボールは、紅河をマークする聖美陵選手のきょを突く方向へ飛ぶ。


…なに!

…む!


桜南が攻める方向とは真逆、紅河の更に右後方へ飛んだのだ。

聖美陵選手は、紅河の受けミスかと思ったくらいだった。

そして、着地と同時に、あろうことかボールとは逆の聖美陵ゴール方向へ全力疾走に入った桜南の背番号『10』は、マーク三人を置き去りにし、既に小さくなっていた。


ドシュッ!…


紅河がヘディングで後方に流したボールは、桜南6番がジャンプし、空中で身体を真横に倒し、ノートラップで聖美陵ゴール前へ蹴り上げられていた。

背中からフィールドへ倒れこむ桜南6番、甲本。


…これでどうだ、紅河!


走りながらチラリと空中のボールを振り返り、落下地点を読む紅河。


…おい甲本、ずいぶん厳しいパスだな。そりゃパスと言うより…


紅河は、ボール落下地点の数メートル手前で、クルリと身体を振り返らせた。

同時に足で地面を蹴る。

走っていた勢いが残っている。

真上には飛べない、いや、飛ばない。

それは、背面跳びに近かった。

仰向けにジャンプした紅河のその先に、聖美陵4番が回り込んでいた。

ボールと、背面ジャンプの紅河が、同時に空中を迫ってくる。

接触したらどうなるか。

冷や汗をかいたのは聖美陵4番だ。


…後から回り込んだ俺が攻撃妨害に、なるのか!?


スローモーション。

聖美陵4番には、スローモーションに感じた。

紅河は空中で更に身体を仰け反らせ、落下して来るボールに右足を合わせている。


…まさか…


接触を避けようと後退る聖美陵4番は、自分の動きすらもスローに感じる。

アドレナリンの大量分泌。

何が聖美陵4番をそこまで興奮状態にさせたか。


…まさか…


紅河の右足が、ボールに触れた瞬間が見えた。

止めなければ。

だが、動けない。


…まさか、後方からのロングパスを…


ゴール前約6メートル。

地面から約1メートルの高さ。


どうして…

どうしてそんなに正確に…

ボールの落下に合わせて飛べるんだ…

あんな長いパスを…

城下桜南高校10番、紅河淳…

一体お前は…


「何なんだあぁ!!」


ドシュウゥゥ…バシッ…パサッ!


オーバーヘッドキック。

紅河の放った背面跳びのシュートは、キーパーの手に当たり、その手を弾き、聖美陵ゴールのネットに刺さった。


ピイイィィイイ!

「ゴール!」


「痛てて…」


肩から地面に落ちた紅河は、ムクッと上半身を起こすと、打った肩をクイクイと回した。

湧きに湧くスタンド。

桜南ブラスバンド部の演奏が一際大きく鳴り響く。

バックスタンドで立ち上がる柴山。


「こいつぁ、こいつぁ、いやはや…」


柴山の隣で、翔子しょうこまでもが中腰になっている。


…キーパーっていう人が取れない事もあるんだ。正面だったのに…


スナック菓子の空き袋を丸め、缶コーヒーを飲みながら、橋石きょうせきが言う。


「どうよ、義継、お前、あれ出来る?」

「肩の骨折れて死ぬかな。」

「だろ。」

「わざわざ後ろ向きで跳ぶ意味が全く分からんが。」

「うん、その辺は俺も分からん。」


東側メインスタンド。

千恵が潤んだ目で、うわ言のように言い続ける。


「やばい、やばい、紅河さんやばい、やばい、やばい、紅河さんやばい…」


愛彩いとあはキョロキョロしている。


…巫女様がさせたべが?させたべが?


オーバーヘッドの難易度を知らない京子は、普通に喜んでいる。


「やったね、追いついたね。」


舞衣は、オーバーヘッドより、その前のプレイに食いつく。


「ヘディングした後の全力疾走、着地の時、足首がもう走る方に向いてるんだね。空中で姿勢を作りながら着地するのか…」


紅河ママは、特にどうということは無い、という顔をしている。


「たまにはビシッとしたのも蹴るのね、淳。」


光里ひかりは、うとうとしていた。


第二階層のべには、少しも表情を変えない。


まりを囮に、のう』

ぼうは、一つ気付きましたかな』

『友の信頼、かえ?』

『はい』

『我には何も変わっておらぬように見受けるがの』

『手厳しくござりますな』

『そのようなことは無い。貴殿も少しは見てはどうじゃ』


べにはチラリと従者に視線を流した。

だが、従者は眼を瞑ったまま穏やかに笑っている。


紅河は立ち上がると、聖美陵ゴールを改めて、見た。


…キーパーの手の届く範囲は、やはり防がない、か。


紅河は、実は、入らないと思っていた。

彼の狙いは、聖美陵キーパーと『光の帯』を接触させることにあった。

その後のキーパーの反応次第で、『光の帯』の使い手が聖美陵サッカー部とどういう関係にあるか、解るかもしれないと思ったのだ。

そういう意味では、紅河の狙い通りにはいかなかった。

オーバーヘッドキックは、苦し紛れだった。

ノートラップでシュートするには、あれしか無かった、が本音である。

ゴール前へ走り込みながら紅河が思ったことは、同点ゴールを取れないなら、せめて『異常な現象』を聖美陵に気付かせたい…ということだ。

諸々の理由から、なるべく威力の高いシュートを打つ必要があり、ボールの進行方向ベクトルを殺さないノートラップシュートが必要だった訳だ。


自陣へ戻る紅河に、桜南6番甲本が駆け寄ってきた。


「さすがだな、紅河。」


紅河は、あんなパスどう処理しろと言うんだ、と文句を言いたかったのだが、自分原因の失点を一つ取り返せたこともあり、抑えた。


「まぁ、あんなもんかな。」


それは、いつもの紅河と何ら変わらない言葉となった。

しかし、まだやっと同点、2対2である。

今のプレイで、紅河を中継して二段階ボールを戻して走り込む攻め方は、聖美陵にインプットされてしまっただろう。

もう簡単には通用しない。


…監督は、今のゴールで、俺にボールを集めて正解だった、と勘違いしないだろうか。


紅河の胸中は、べにの見立て通り、何ら変わっていなかった。

彼の中では、未だに聖美陵の三人マークを突破出来ていないのである。

だいたい、ボールを後ろに戻して体だけ敵陣へ走るなど、危険極まりないプレイだ。

50%以上の確率で、自陣ゴールを脅かす大きなミステイクとなる。

たまたま上手くいっただけなのだ。

自分に勝つ、と新たにした意気込みも、いざプレイの中に身を置くと、三人に囲まれ襲いかかる六本の足は、実際問題として突破出来るとは思えなくなってくる。

紅河は、必死に、投げ出すな、苛立つな、と自分に言い聞かせるのが精一杯だった。


…三人引張ってるんだ。やっぱり俺以外に打たせるのが賢い戦術だろ。


気付いていない。

紅河は、自分を乗り越えるという意味に、気付きかけたが現実というものにかき消されようとしている事に、気付いていない。


ピッピイイィィ!


聖美陵の攻撃が桜南ディフェンスにカットされ、タッチラインを割ったところで、前半終了となった。

インターバルは10分である。


べには、改めてスタジアム全体を眺めた。

守護霊の役目は、悪霊からの守護や試練の提示だけではない。

自分の弱さが敵、というところまで、せっかく辿り着いたのだ。

何かきっかけを与えてやりたい。


『ふむ』


べには、ゆっくりと左手を持ち上げた。

今までずっと眼を閉じていた従者が、片目をほんの少し、開けた。

巨大なまなこが、ヌルッと動き、そして再び眼を瞑った。


『ほどほどに』

『心得ておる』


べにの左手、その人差し指から、虹色に光る糸が伸び出す。

その虹色の糸は、城下桜南高校ベンチへ伸びていき、紅河のドリンクボトルを、コトン、と倒した。

そのボトルはベンチから転がり落ち、ベンチの後ろに立つ見学のサッカー部員の前へ転がった。

一年生が気付き、紅河のボトルを拾い、そそくさとタオルで拭く。

紅河のボトルを拾ったのは、古藤彰良ことうあきらだった。

入部の時、夏のインターハイスタメンを狙っている、と大胆な発言をした、あの古藤である。

古藤は、ベンチへ戻ってくる紅河を見つけると、両手で紅河のボトルを持ち、意を決したような表情で、紅河へ向かって行った。


『さて』

『…』


べにの虹色の光の糸は、スッと消えた。

従者は、そのワニの化物のような大きな顔から伸びる太い二本の髭の片方を、ゆらぁり、と大きく波打たせた。

べにの従者は、龍神りゅうじんである。

龍神は既に輪廻を終えており、性別は無い。

第二階層に降りたべにに対し、従者である龍神は第三階層に留まっているが、愛彩のような霊感の強い『神通力一族の子孫』にも、その姿を隠す術を持っている。

その魂の光すら、人間には見る事が出来ない存在だった。

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