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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
114/292

紅河の敵

東側メインスタンド。

無言で紅河くれかわを見続けている舞衣まいは、制服のネクタイを緩め、シャツのボタンを2つ外すと、パンフレットでパタパタと自分を仰いだ。

紅河ママの透明ポリ袋のおかげで制服がびしょ濡れになる事は無くなったのだが、少し蒸れる。

京子が、両手を拳状に丸めて組んだまま、心配そうな顔を舞衣に向けた。


「舞衣さん、あんなの、三人も四人も、紅河さん一人に、反則じゃないの?」


舞衣はフィールドに視線を向けたまま答える。


「いいのよ。十人全員で紅河さんを囲んでも反則じゃない。」

「え、だって、それじゃ、いじめてるみたい…」

「こっちも十人でしょ。紅河さんに人数を付ければ付けるほど、聖美陵も他が苦しくなるのよ。」

「紅河さんがボール持てば勝てそうなのに…」

「だから人数割いて抑えてるの、聖美陵は。」

「そっか、でも…」


京子もフィールドを見た。

紅河の肩は下がり、ややうつむいたまま、センターサークルでボールに片足を乗せている。

京子が組んだ拳をギュッと握りしめた。


…頑張って、負けないで、紅河さん。


舞衣は、京子とは違った視点で紅河を凝視している。


…二人じゃ足りない。三人マークを外せない。個人技、フェイク、動体視力、判断力。他校にとって、紅河さんは本当に恐ろしいプレイヤーなんだ。


「おしっこ。」

「はいはい。ちょっと光里ひかりとトイレ行ってくるわね。」


そう言うと紅河ママは立ち上がった。

立ち上がり際に、チラリとフィールドの紅河を見る。


あつし、今までは落ち込む事すら無かった。その落ち込み様、仲間やチームを想い始めた証拠ね。


第三階層から眺めるべには、一層目を細めた。


『投げ出したのかえ、ぼう

『凹んでおりますな』

『見ものじゃな』

『はい』

『坊のおもしろおかしきところは、投げ出した折から、事を成す一歩が始まるところじゃの』

『下層守護霊が、何やらやらかしておるのでしょうか』

『否、それは我がさせぬ。試練なら捨て置く。助太刀などしようものなら、我が止めるわ』

『坊お一人の力、ですかな』

『ん。もう少し近付くかの』

『ほどほどに』

『手は出さぬと申しておろう』


べには、遂に第二階層まで降りた。

使い手の『光の帯』が属する高次元、第二階層。


「ひ、や…」


メインスタンドの愛彩いとあは、思わず変な声を出してしまった。

目の前に浮遊する眩い光の中から、白衣びゃくえに朱色の袴を着た、人が現れたのだ。

髪は黒く、腰の辺りまである長さで、それは重力に逆らうように、末広がりにゆらゆらと波打っている。

愛彩は舞衣達を見た。

驚いた様子も無い。

見えていないのだ。

と、唐突に、耳元で声がした。


悪虫あくむしの嬢よ』


後ろを振り向こうとした愛彩は、驚きの余り、すんでのところで席から転げ落ちるところだった。

愛彩の顔のすぐ横に、切れ長の目をした眉の無い女性の顔が、愛彩を覗き込んでいた。


「は、な、は、い…」


ガタガタと震える愛彩の頭から、透明ポリ袋がスルッと滑り落ちる。

愛彩は、その女性の顔を横目で見ながら、金縛りにあったように身動きが取れなかった。


『我が見えておろう。御忍びじゃ。他言は無用ぞ』


ガクガクと小刻みに頷く愛彩。


『名乗っておこう。我はべにと申す。そう、察しの通り、坊のお守り役じゃ』


…紅河さんの…守護霊…


『ではの』


そう言うと、べにと名乗った女性の顔は、スウッと消えた。

愛彩が視線をフィールドに戻すと、紅河の頭上に現れた巫女装束の人の姿が無い。

だが、気配は消えていない。

どこへ行ったのか。

キョロキョロと見渡す愛彩は、三たび驚く。


ガタッ!


今度は、席から思わず立ちかけて、ふくらはぎをシートにぶつけてしまった。


「痛っ…」


京子と千恵ちえが同時に愛彩を見る。


「どうしたの。」

「なに驚いてるの。」


愛彩の視線は、紅河ママの座席の直ぐ横の通路を見ている。

京子と千恵は通路を見る。

何も無い。

通路を挟んで向こう側に続く座席には、城下桜南高校の生徒達や選手の家族が、相変わらず座っているだけである。

だが、愛彩に見えているものは…紅河ママの座席のすぐ横に立つ、巫女の姿だった。

その身体はほんのりと光り、白い靄を纏っている。

身長は160cm位だろうか、長い黒髪がゆらゆらと揺れている。

雨は、その身体を透過していた。


「あ、で、や…」

「なに慌ててるの。」


愛彩は座席に座り直し、京子の耳元に口を近付けた。

キラキラで視て、と言おうとし、直ぐに思いとどまった。


『他言は無用ぞ』


「な、何でもね。」

「落ちたよ、はい。」


京子は透明のポリ袋を拾い、愛彩に手渡した。

愛彩は、通路の巫女、べにの方へ視線を向けた。

いない。


…あれ。


フィールドの方へ向き直ると、メインスタンド最前列の前に立つ、べにの後ろ姿があった。


…瞬間移動?


愛彩は、自分の心臓の激しい鼓動にやっと気付いた。

部活でダッシュを数本繰り返した直後の様に、割れんばかりにドッドッドッ…と心臓が鳴っている。

呼吸を整える愛彩。

初めてだ。

霊と、こんなにもはっきりと会話をしてしまった。

霊の声を聞くことはあるが、早口でボソボソとしており、何を言っているのかほとんど判らない。

以前、学校で、紅河の足元にまとわりつく丸い光の正体を見たことがあった。

犬のアルプスの霊である。

その時、それこそ百体を優に超える数の、紅河の守護霊が見えたが、その中に巫女の姿は無かった。

見えたり、見えなかったり、今の巫女のように実在する体としてはっきり見えたり、その違いは何なのだろうか。

霊の存在が、その属性別に、別次元のそれぞれの階層に在るという事を知らない愛彩は、不思議でならなかった。

べにという巫女の霊は、しっぽ系や牙系という親密さや敵意という感覚を超えた存在のように、愛彩には感じた。

全てを悟っている神のような霊、そんな印象を受けた。


フィールドでは、プレイ再開の直前に、城下桜南高校の監督がベンチを立ち、叫んでいる。


「フォワード!」


桜南11番、10番紅河、19番、6番、7番、8番が一斉に監督の方を見る。

監督は右手で拳を掲げ、親指と小指を立てた。

紅河が眉をひそめる。


…マジか?


それは、センターフォワードにボールを集めろ、のサインであった。

センターフォワードとは、10番、紅河のことである。


…こっちの身にもなってみろ。他人事みたいに。


内心毒付く紅河に、桜南7番が言った。


「今度は俺がドリブルで切り込んでみよう。紅河はオフサイドギリギリに居てもいいし、俺の後ろにいてもいい。出せそうなら出すぞ。」

「三人マークが外れない。」

「蹴散らせ。」

「簡単に言うな。」

「俺は、監督の指示だから言ってるんじゃない。本気のお前を知ってるから言ってるんだ。」

「今だって、本気だ。」

「それも判ってる。けど、もう一段、トップギア、紅河が隠してるのも知ってる。」

「ねぇよ、そんなの。」

「無いんじゃない。まだぬるいからギアが上がり切ってないんだ。」

「ぬるい?」

「ああ、今の紅河は、ぬるい。」

「聖美陵の特に5番、あいつの当たりは半端ねぇぞ、それに…」

「だろうな。俺はな、中学の時、全日本に通用する天才センターフォワードと言われてたんだ。」

「…」

「この高校で紅河と対決して、返上したよ、天才センターフォワードの名をな。」

「…」

「見せてくれよ。天才の上をいくストライカーの仕事を。」


桜南7番はそう言うと、紅河の左腕を拳でチョンと触った。


「背番号10、取られたの、今も悔しいんだ、俺。」


紅河の心中に、自分の存在意義が巡り出す。

サッカーは気晴らし、遊びだ。

勝てば面白いし、少しは熱くなれる。

それが主観、自分本位の視点だ。

では、自分は、どうして、そこそこに、適当に、と考えるのか。

努力とか、苦しんでまでやりたくないからだ。

自分でも、器用な方だとは思う。

血の滲むような努力など、した事は無い。

する気も無い。

だが、試合での得点アベレージは桜南サッカー部アタッカー陣の中でダントツの一位。

期待とか、憧れとか、重苦しいものが他者から向けられる。

脳震盪を起こしてまで1点をもぎ取った聖美陵の7番。

彼は、あれで満足なのだろうか。

試合を楽しんでいるのか。

楽しむ?

楽しむって、何だ?

充実感を得る。

自分のために。

俺は、俺にとって、充実感とは何だ。

周りからチヤホヤされたいとか、名を売りたいとか、そんな事はカケラも思わない。

ボールのやり取り、小さな攻防、それに勝つから楽しい、充実感がある。


…ん?


そうか。

俺は、聖美陵の三人マークに…負けているんだ。

負けてるから、楽しくない。

充実感が遠のき、放り出して、適当に終わらせようと考える。


…俺は、本当に闘ったことが、無いのかも知れない。


結果的に勝てたから、楽しいと錯覚する。

負けそうだと見ると、手を引く。

逃げる。

負ける闘いは放棄する。

錯覚の充実感。

なんだそれ。

俺はやはり空っぽか。

ムカつく。

イライラする。

偽りの充実感に、馬鹿みたいに満足してきた自分に…


「ムカつく。」

「え、俺のことか?」

「いや…」


…紅河淳、自分自身に、ムカついて仕様が無ぇんだ!


「退場になったら、後はよろしくな。」


紅河の言葉に、7番は、少しは抑えろ、と言おうとして、やめた。

そして、こう返した。


「おう。紅河が引っ込んだら、エースは俺のものだ。」


二人は声を圧し殺して、笑った。

その笑いは、紅河自身に、今までとは少し違った熱意をもたらした。

出来るかどうか判らない。

自信など無い。

だが…


…ムカつく自分を、蹴散らす!


トイレから戻ってきた紅河ママは、センターサークルの紅河の様子が変わっていることに気付いた。


…何を話しているのか知らないけど、あの7番の子は、また淳に何かくれたのね。


「ほんと、淳の一番の長所は、単純なところね。」

「どれ?あつし、どれ、どこ、ねぇ、あつしは?どれ?」

「白の10番よ。自分でも探してみなさい、光里。」

「10番?」

「そうよ。淳兄ちゃんは、今、戦っているのよ。」


…おそらく、自分と、ね。


京子は両手を合わせて握り込んだまま、紅河を見続ける。


…頑張って。誰にも優しくて強い紅河さんが、負けるはずない。頑張って。


舞衣は、分析の視点を拡げていた。


…もし相手に紅河さんみたいな選手がいたら、フェイクに引っ掛からない、迂闊に動かない冷静さや見定めが必要だ。


千恵は片手で頬杖を付いている。


…紅河さんて、彼女いるのかな。どんな人かな。


愛彩は、気配を残してまた姿を消したべにをしばらく探していたが、それをやめた。


…守護霊、紅河さんに何かすべが?


愛彩は、守護霊の紅河への影響が気になっていた。


バックスタンド。

柴山しばやまはサッカー雑誌をめくりながら、出場しいているスタメンの名前を見ていた。


「背番号7番は、攻めの司令塔が付けることが多いが、聖美陵は大丈夫かな。」


翔子が柴山の横顔を見る。


「7番?」

「うん。今、怪我で退場した聖美陵の選手だよ。全体的に見て、負けているとは言え、押してるのは桜南の方だ。7番が抜けて苦しくなるんじゃないかなぁ、聖美陵は。」


それを聞いて翔子は、フィールドを見た。

また、白いユニフォームの紅河がボールを持って始まるようだ。


どうせ見えてる。

紅河には自分のキラキラが見えてる。

だって、掴まれたから。

見えなきゃ掴めない。

さっきも、ボールが入らない様にした時、ずっと見てた。

見えてる。

見てる。


翔子は、ボールが聖美陵ゴールに近付くと、聖美陵ゴールの中に視点を持って行き、シュートコースを視ていた。

シューターが蹴る瞬間まで、どこに飛んでくるのか、翔子にはまだよく判らないのだが、蹴った後でも『光の帯』なら充分間に合う。

それほど赤紫の『光の帯』のテレキネシスは速い。

ゴール全体を塞いでしまえ、とも思ったが、赤いユニフォームのキーパーが動き回っていたり、時々他の選手もゴールに入って来たりするので、それは出来ない。

赤いユニフォームの選手を殺してしまったら大変だ。

殺してはいけない、という観念。

それは、深越ふかごしとの戦闘後から気付いた、栂井翔子の大きな成長だった。


…キラキラが見えてる紅河が蹴る時、一番ちゃんとやらなきゃ。


翔子も、ある意味闘志とも言える感情を燃やし始めていた。


第二階層から見るべには思う。

自分の苛立ちの根源を乗り越えようとする坊、それは良い傾向だ。

自らの弱さを『敵』と定めたこと、それ自体が、魂の鍛練に大きく関わる。

だが、事は蹴鞠けまりの最中、勝ち点が重要なことに変わりはないだろう。


…栂井の嬢は己が光る霊帯を、坊には見えていると誤解しておるぞえ。さて、成り行きはどう転ぶものか。


雨足は若干強くなり、風も少し出て来ていた。

プレイ再開のホイッスルと同時に、紅河の蹴り出したボールを、桜南随一の俊足を誇る7番がドリブルを開始した。

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