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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
113/292

戦意喪失

「右へ振ろう。俺とお前は中を走る。けど、基本的にお前に集める。」


紅河くれかわはそう言うと、やけに前進した位置にいる聖美陵5番、6番、3番に視線を向け、こう付け加えた。


「あの三人が当たってくる直前まで、俺は中央突破の素振りでドリブルする。」

「オーケー。」


桜南7番は両腕を後ろに回し、右手をチョキの形にした。

左右ウイング、ミッドフィルダーへのサインである。

右へ振るから19番と6番の二人は走れ、中に返ったボールを打つのは7番の俺だ、を意味する。

センタサークル内で、桜南7番がボールを軽く前へ蹴り出し、それを紅河が拾い、ドリブルに入った。

聖美陵5番と6番が一直線に紅河へ突っ込んで来る。

そのやや後方から、聖美陵3番も紅河へ向かっていた。


…来た。


紅河は身体を左サイドに向け、左足を軸にして踏み込んだ。

右足が後ろにフワッと上がる。

桜南ウイングは、右も左も同じ深度で走り込んでいる。

聖美陵選手のほとんどが、左に振ってくる、と警戒の動きを示した。

紅河の右足が振り抜かれる。


…!


だが、ボールは右足のアウトサイドで蹴られ、右に山なりのパスが飛んだ。

聖美陵は虚をつかれた。

この紅河の一挙動には大した効果は無いが、これが積み重なると、相手ディフェンス陣の膝や足首に見えない疲労が溜まってくる。

一見、ただのフェイントプレイの様だが、あからさまに左に振るモーションで右に正確にパスを出すというのは、そう簡単なものではない。

ボールは桜南19番の前に上手く転がった。


…相変わらず正確なパスだ、紅河先輩。


しかも拾いやすいバウンドで、桜南19番は足を止めることなくドリブルに入った。

紅河は味方7番と距離を取りつつ、小走りで中央を聖美陵ゴールへ向かう。

マーク三人を7番に絡めない為だ。


バックスタンドでは柴山しばやまが、身を乗り出して顎を撫でている。


「ほお、見せるなぁ、桜南10番、紅河君。聖美陵はゴールをどう守る。」


柴山の言葉に、翔子しょうこが顔を上げた。


…ゴール守る、くれかわ、ゴール守る、くれかわ…


痛いとか、怖いとか、そういうのじゃない。

殺すわけじゃない。


…くれかわ、くれかわ…


白いユニフォームのボールを、入れさせないだけ。

だって、おじさんが楽しそうだから。


翔子は、桜南がキープしているボールの行方を目で追いかけ始めた。

桜南19番が、ゴールラインに近い深いところまでボールを運び、後ろに付いていた桜南6番へパスを出した。

桜南6番はノートラップでセンタリングする。

聖美陵ゴール前へ上がったボールは、桜南7番との競り合いの末、聖美陵4番がヘディングでカットし、逆側の桜南側から見た左サイドへ転がった。


バシャッ…ボゥン…


そのこぼれ球に桜南11番と聖美陵8番がほぼ同時に足を出し、雨の水しぶきとともにタッチラインの方へ上がった。

そこへフリーの桜南8番が走り、ボールを拾う。

紅河に三人付けている聖美陵は、やはり人数で守備が手薄なのは否めない状況だった。

桜南8番は数メートル中へドリブルで切り込むと、当たりに来た聖美陵2番には挑まず、かかとでコツンとバックパスを出した。

桜南8番の背後から、桜南7番が猛然と走り込んでいる。

桜南7番のフルスイングのドライブが唸った。

斜めに落ちるように変化するシュートである。

メインスタンド東側がワッと歓声を上げる。


ゴンッ!


だが、惜しくもゴールバーに当たり、斜め後ろへ高く跳ね飛ぶボール。

ゴールラインを割ったボールは、聖美陵のゴールキックとなる。


…ちっ、決めてれば流れを引き戻せたのに。


桜南7番は、紅河が三人も引き付けている状況下で、外してはならないシュートを外してしまった、と自分を責めつつ、紅河をチラリと見た。

紅河は右手を口に当て、何やら聖美陵ゴールを見つめている。

と、突然、桜南7番の方へ顔を向けると、走り寄って来た。


「すまない。決めてれば…」

「いや、低く打ってもキーパーか4番に止められてたろ。良いコースだった。惜しい。」

「雨で少しボールが重くなってるんじゃないかと思って…」

「気にすんなって。ガンガン打とう。それよりも…」

「ん。」

「俺がゴール前の詰めに入ったら、向こうの三人も付いてくるし、やっぱ邪魔だよな。」

「いや、んー…紅河がゴール前にいてくれりゃ、そりゃ確実性が上がるけど、んー、ゴール前に人壁ができちまうと打ち込めなくなるな。」

「だよな…」


桜南7番は視線を落とし、少し考えると、言った。


「いや、好きに動いてくれ。良く考えたら、うちの主砲であるお前が、何でこそこそ後方に引いてなきゃならないんだ?」

「主砲はお前だろ。あんなドライブ、俺には打てない。」

「おい、紅河、そりゃ嫌味か。」


桜南7番はバンッと紅河の背中を叩き、笑いながら離れて行った。

紅河は、シュートボールの周辺の雨や水しぶきに着目していたが、今のシュートは遠くてよく見えなかったのだった。


…『光の帯』なら、周囲の雨水が不自然な空中停止をするはずだ。


透明のガラスに雨水が当たるような、そんな現象が起こるのではないか、と紅河は考えていた。

更に、その不自然な雨水の範囲から、どのくらいの範囲に『光の帯』を張るのか見えるのではないか、とも考えていた。

ゴール間近にいないと、それが見えない。


第三階層で、べにがニヤッと笑った。


『ほんにぼうは、おかしいの』


従者が、穏やかに言う。


『おかしい、でございまするか』

『そうであろう。明白なる不正に、腹をた立てるでも無し。あろうことか、真っ向から出し抜こうと考えておるわ』

『そのようでございまするな』

『足の緩む五月雨さみだれを味方につけようとは、坊らしいわ』

『そうでございまするな』


バックスタンドで、義継よしつぐが組んでいた足を組み替えた。


…またやりやがった。なんだろうねぇ。


栂井翔子の赤紫の『光の帯』は、今の桜南7番のシュートに対しても現れた。

ただ、今回は本当にゴール枠に当たったのだが…


「キョウ。」

「あん?」

白楼はくろうに、狩野かのう栂井とがいって、いたろ。」

「なんだよ急に。」

「兄貴、この二人の事、何か言ってなかったか?」

「別に。治信はるのぶサンは後から来たから、よく知らないんじゃないか。」

「いや、刑事局の局長から使い手に関する相当な情報を引き出したらしいんだが、僕には話してくれないんでね。」

「お前に話さない事を、治信サンが俺に話してくれるかよ。」

「キョウは兄貴のお気に入りだからなぁ。」

「んなことねぇよ。」

「第三ラボってのが、例の『能力者結界』も届く、危なっかしい使い手の監禁ラボらしいんだが、そこにいたのが狩野と栂井ってことは、この二人は今、どうなってんのかねぇ。」

「ああ、房生ふさおちゃんから聞いたよ。『能力者結界』って透明のウネウネした帯にうじゃうじゃ囲まれるんだってな。」

「本体はもともと被験者だった使い手らしい。ひどい話さ。」

「らしいな。」

「刑事局がマークする使い手の中に、脱走者ってのがいる。」

「ああ、仔駒雅弓こごままゆみとかだろ。」

「あの子は死亡とされていてマーク外だったが、そうだな、雅弓ちゃんと同じリストに名を連ねる使い手だ。」

「それがどうかしたのか。」

「第三ラボの危ない二人も含め、脱走者を、刑事局はどう対処してるのか、キョウは知らないか?」

「知らない。俺が知ってるのは、危険とされる使い手達を事実上抑えつけていた遠熊とおくま古見原こみはらが死んで、『能力者結界』も壊滅、今、刑事局は使い手の暴走対策を野神のがみさん中心に再構築している、ってことくらいだな。」

「野神、か。」


…栂井はおそらく脱走…や、待てよ、隣におっさんが座ってたな。警察関係者か?


テレパシーを仕掛ければ早い。

だが、栂井に自分が『白の使い手』だと知られ、それは厄介だ。


「んー、何なんだろうねぇ…」

「何が。」

「でかいウンコ。」

「その容姿でその発言は面白くてムカつくからやめろ。」


栂井がここにいる理由、聖美陵ゴールを守る理由、いくら考えてもさっぱり判らない。


「聖美陵に身内でもいるのかねぇ。」

「誰が。」

「ウンコが。」

「お前、帰れ。『能力者結界』に監禁されて頭がおかしくなってるよ。寝てろ。一ヶ月くらい起きるな。」

「それもいいねぇ。」


せめて、栂井の隣の男が何者なのか知りたい、と義継は思った。

警察関係者なら、もう完全に放っておく。

使い手なら、栂井の『赤紫』も見えているはずであり、グルか、或いは脱走者の一人か。


…あれが暴れ出したら、僕が止めるしか、無いんだろうな。


痛い思いをするのはもう懲り懲りだ…と義継はため息をついた。


聖美陵のゴールキックは聖美陵9番を目掛けて放たれた。

桜南ディフェンダーは自陣深いところにおり、聖美陵9番との競り合いに走ったのは紅河だった。

9番に加え、5番、6番、3番の四人を相手に立ち回る紅河。

最初にボールに触れたのは紅河のヘディングだった。


…くっ、なんてジャンプ力だ。


聖美陵9番は舌を巻いた。

着地からのダッシュも紅河が最も速かったが、ジャンプしなかった聖美陵5番が、こぼれ球をキープした。


…ちっ!


ボールに思うように触れない紅河のストレスもかなり溜まっていた。

ラフプレイは抑えろ、イエロー二枚はまずい、と必死に冷静になろうとするが、筋肉が、心臓が、細胞が、ボールを奪えと紅河を掻き立てる。

サッカーでのボールの奪い合いは、肩同士で押し合い、腰の重さで勝負する場面が多々起こる。

だが、これも相手を倒す事が目的の様な悪質なショルダーチャージは反則が取られる。

審判の姿が、紅河の視界にチラつく。

聖美陵5番からボールを奪う事に成功した紅河だったが、聖美陵6番のスライディング気味のスチールを交わした瞬間…聖美陵9番がボールをさらっていった。


…ちくしょう!


聖美陵9番は、桜南を一人抜き、二人抜き、センターバックの桜南14番とスウィーパー2番を視界に捉えると、左へ走っていた聖美陵8番へ長いパスを出し、桜南ゴール前へ走り込んだ。

そこへ聖美陵11番と聖美陵10番も加勢、聖美陵10が聖美陵8番の後ろから叫んだ。


「来い!」


桜南右バックスに捕まりかけていた聖美陵8番が、聖美陵10番へパスを出す。

聖美陵10番はノートラップで、桜南ゴール前に山なりのボールを上げた。

聖美陵9番、11番、そして桜南2番、14番、二対二の競り合いとなる。

ボールは聖美陵9番が胸でトラップ、地面に落とさず、腿で一度リフティングすると、振り向きざまにシュートを打とうとした…が、至近距離に桜南2番がおり、足が振り抜けない。

ボールを地面に落とし、聖美陵9番は爪先でチョンと聖美陵11番の前へ転がした。

ゴール前3メートル。

聖美陵11番は、ボールに覆いかぶさる様に突っ込んできた桜南キーパーを見て、シュートが出来ないと判断し、ゴールに背を向けてボールと桜南キーパーとの間に身体を入れた。


ドシッ


接触する桜南キーパーと聖美陵11番。

一瞬の隙を突いて、桜南2番がサイドカットへとボールを蹴り上げた。


バシッ!


だが、そのカットボールは中へ入ってきた聖美陵8番の腹部に当たり、ルーズボールとなって桜南ゴール前をボテボテと転がる。

すかさず桜南14番が逆サイドへカットしようと足を振り上げた時…聖美陵7番が全速力で突っ込んで来た。

ゴールの左隅、スチール製のゴール枠と桜南14番の間は1メートルと空いていない。

だが、聖美陵7番は全力疾走を止めなかった。


「うおおああぁあ!」


桜南14番に体当たりしたらファウルである。

聖美陵7番は桜南14番をやや交わす様に、ボール目掛けて突っ込んだ。


ゴンッ!…


鈍い音がし、聖美陵7番は、桜南ゴール枠に頭をまともにぶつけ、そのまま背中から倒れた。

ラインズマンと主審が駆け寄る。

ボールは…コロコロと桜南ゴールの中を転がっていた。

聖美陵7番は、頭から血を流し、気を失っている。


ピイイイィィイ!


「ゴール!」

「担架を!」


西側メインスタンドはしばらく静まり返っていたが、徐々に7番の選手に贈られる拍手が沸き起こっていった。

その拍手は、東側メインスタンドからもパラパラと起こった。

前半32分、城下桜南高校は逆転を許し、1対2となった。

聖美陵学園は7番の交代要員として13番をフィールドへ送る。

センターサークルへ戻されたボールを足で止めた紅河は、自分がトラップしたボールが奪われたことから、またしても自責の念にかられ始めていた。


…ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!


落ち着け、と自分に言い聞かせる。

聖美陵は強いのだ、甘く見るな、と言い聞かせる。

7番の執念にやられたのだ、あのハングリーさを見習え、と言い聞かせる。

だが、様々な心のシコリが、弱い紅河淳の頭をもたげさせる。


…いいじゃないか。適当に、そこそこに、負けたら負けたで。

…光の帯?俺にはもともと見えない。そんなものに勝つ必要無い。


「ボールを奪えない、パスも受けられない…俺に何しろって言うんだ。誰もエースだなんて名乗った覚えは無い。」


それは誰にも聞こえない呟きだった。

べにと従者以外には、誰にも。

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