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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
112/292

葛藤の赤紫

サッカースタジアム東側メインスタンド。

相手チームのゴール直後はその勢いに乗せない様、城下桜南ブラスバンド部は演奏を止める。

相手校の9番、その目の覚める様なスーパープレイ。片や、エースがイエローカードを食らった自チーム。

不安を掻き立てるようなざわめきの中、応援部の声だけが響き続けている。

舞衣まい達四人が黙り込む中、誰にともなく、紅河ママが落ち着いた声で言った。


「城下桜南高校のサッカー部は、どうして強いのか解る?」


千恵ちえが答える。


「整った環境で、毎日遅くまで練習してるし、攻め方が研究されてて、紅河さんの個人技も凄いし…」

「そうね。でも、それだけで、何度も続けて全国優勝出来るものかしら。」

「全国は、うん、凄く大変なことです。」

「皆んな、小林さん以外はバスケットボール、やってるんでしょ?」


四人が、紅河ママの方を見た。

紅河ママは、水筒のカップを両手で持つ光里ひかりの口元をハンカチで拭きながら、言った。


「今日はね、多分、とても参考になる試合だと思うわよ。あつしがね、何か心配事を抱えてるの、私にもよく分かる。それは監督の先生も、2番のキャプテンの子も、承知の上だと思うわ。」


四人は真剣な目で、黙って聴いている。


「球技で勝ち続けるって、どんな強さが必要なのか、サッカーは11人、バスケットは5人でやるわよね。わがままで身勝手な淳が際立ってしまう試合こそ、城下桜南サッカー部の強さが見えてくるのよ。この高校のサッカー部はね…」

「どれ?あつし、どれ、どこ、あつし。」


キョロキョロする光里に、紅河ママはセンターサークルに佇む桜南10番を指差した。


「…駄目な選手ほど、切り捨てずに、前に出すの。」


舞衣が、ブルッと震えた。

愛彩いとあの全身に鳥肌が立つ。

千恵の背筋を、痺れが駆け抜けた。

京子の黒い瞳が、クルッと艶めく。


「針のむしろに立たされた、前に出された選手に、何かが力を与える。それを見るといいわ。」


…紅河ママの名言きた…


そして、紅河ママは、バッグから透明の大きなポリ袋を数枚取り出した。


「はい、これ。頭に掛けて見るといいわよ。降ってきたからね。傘は後ろの人の邪魔になるから駄目よ。」


…準備良過ぎ…絶対ただの主婦じゃない…


四人の目は、神様でも見るような目になっていた。


バックスタンド。

柴山しばやまは興奮気味に、サッカー雑誌を開いている。


「こいつは面白くなってきたな。コーナーを直接決める高校生か。名前は…」


翔子しょうこはチラリと横目で柴山を見た。


…おじさん楽しそう。


赤い花をくれたおじさん。

眠くなって、起きたら温かい布団だった。

こんな感じ、お父さんに抱っこされた時みたい。

朝の訓示斉唱も、トイレ掃除も無い。

眠いのに起こされたりもしない。

正義とは、正義のための、正義による…ちっとも面白くない。

ちょっと疲れただけで、キラキラで縛る古見原こみはら先生も、もう死んだ。

キラキラの訓練も、警察の勉強も無い。

なんだか夢みたい。

赤い花は、見捨てられた花。

それでも頑張ってる花。

赤い花をくれたおじさん。

赤い花を元気にしたおじさん。

赤いしゅわしゅわジュースを買ってくれたおじさん。

おじさんもずっと楽しいといいね。


「おお、あった。聖美陵学園の9番、藤嶋ふじしま君か。それと?…」


パラパラとページをめくる柴山。

風が無く、柴山と翔子の座るバックスタンド席には屋根があり、まだ雨は吹き込んでいない。


「…城下桜南高校の10番は、ん、コウガ君、かな?」


紅河という名字にひらがなのルビが振られているが、老眼鏡越しでもボヤけるほど小さい。

四文字のひらがなに見える。


「はて…ショウコちゃん、すまんな、これ、ひらがな、見えるかい?」


翔子が覗き込む。


「くれかわあつし。」

「クレカワ、か、変わった名だな。だが、この紅河くれかわ君、間違いなく超高校級プレイヤーだ。」


…あれ。


翔子の脳裏に、『くれかわ』という言葉が引っかかった。

誰かの思考に出てきた名前。

誰だろう。

昨日はラボで、多くの思考に触れた。

複雑怪奇な人の思考の渦。

くれかわ。

くれかわ…


…あ。


女の、高校の先生。

一月くらい前から同じ第三ラボに出入りしていた女の人。

腕を切り落としてしまった先生。

痛みと恐怖の先生。

あの先生の思考に、『くれかわ君』が出てきた。

それと、コズカ。

赤い魔女。

コズカの思考にもあった。

エヅレの思考にも出てきた気がする。


翔子は気にも止めていなかったが、確かに『くれかわ君』という名が、昨日の出来事に関わっていた様だった。


「おじさん。」

「ん?」

「くれかわって、どの人?」

「ほら、ここに写真が載っているよ。今フィールドにいる、白いユニフォームの10番の選手だ。」


写真を見た翔子は、驚いた。

改めて、フィールドに立つ紅河を、彼女は見た。

遠い。

翔子は三次元クレヤボヤンスを発動した。

ゆらりと赤紫の『光の帯』が現れ、翔子の視界が、桜南10番の選手にズームアップしていく。

改めて、翔子の背筋に悪寒のような感覚が走った。

なぜなら、その男は…


…私のキラキラを手で掴んだ、あいつだ。


翔子が、黄色の使い手を殺そうとし、白楼θ棟の崩落で出来た薄暗い空間の中を伸ばした赤紫の『光の帯』を、こともあろうか生身の素手で掴んだ男。

それどころか、黄色の使い手を下へ叩き落とそうとして追いかけた『赤紫』を、脚で蹴り、空中を飛び上がった男。

その直後、翔子の『赤紫』は黄色を叩き落とせず、空を切った。


…あの時、黄色を叩く前だったから、気持ちを入れる前だった。


紅河の脚が、革靴が、翔子の赤紫の『光の帯』に触れた時、翔子の打撃意識はまだ弱かった。

彼女は、紅河が脚で蹴るなどとは思わなかった。

それが判っていたら…


…黄色も、くれかわも、二人とも殺せたのに。


翔子の意識に、殺人欲がジワジワと蘇ってくる。

殺せば、自分は偉くなれるのだ。

しかし、殺される者の痛みと恐怖が、重なってくる。


殺せば、大人になり、生き延びる。

でも、殺された人は?

痛いし、怖い。

でも、でも、殺さなければ、私が殺される。

え、誰に?

お父さんは、自分で死んだ。

会社に殺された、とお母さんは言っていた。

これから身体ばかり大きくなって、殺される大人になんかなりたくない。

殺さないと…

でも殺された人は…

あれ、わからない…

楽しく生きたいのに…

幸せも、知りたいのに…

あれ…

あれ…

私…

私は…


「どうした、ショウコちゃん。寒いのかい、震えて。」

「ひ、や、ひゃ、あ、う、うんと…だいじょぶ…」


おじさん。

ねぇ、おじさん。

助けて、おじさん。

言おう。

私は人を殺した。

お姉ちゃんを殺した。

古見原先生を殺した。

遠熊とおくま先生を殺した。

エヅレを殺した。

コズカを殺そうとした。

黄色を殺そうとした。

高校の先生を殺そうとした。

おじさん。

助けて。

私、私…


言えない。

言えなかった。

優しい柴山には、話してはいけない事なのだ、と、心の声が翔子に訴える。


『忍びの子孫、栂井とがいの嬢。もしや、その血に古き記憶が染み付いておるのか』


第三階層から眺めるべにが、翔子の葛藤に意識を向けた。

殺しが常。

殺さねば、殺される。

殺しが、その身の安泰を作る。

それが忍び。


『忍びの輪廻にあるとて、忌わしき記憶は消えるが自然であろうが』

べに様』

『ん』

『栂井の嬢、現世うつつよでの修業は、忍びのごうの浄化にあるのでは』

『なんと。そのような高尚かつ険しき試練を、あの嬢が』

『こればかりは、我等には計りかねまするが、迷いの意が余りにも重すぎまする』

『確かに、重いのう…』


べには、翔子の守護霊をチラリと見た。


『ふん。笑うておるわ』


守護霊の与える試練は、現世を生きる当人には残酷なものも多い。

人はそれを、宗教や哲学という思想で、悟ろうとし、和らげようとしてきた。

それは回り道に過ぎないのか、真理に触れているのか…

そもそも人は、どこに到達するべきものなのか。

それは、未だ輪廻の中にあるべにも、知り得ていない。

霊は輪廻を終えると、性別を失くすと言われている。

べには、女性という性別を、まだ持っている段階にいた。


「見つけた。」


赤紫の『光の帯』が揺れる少し後方の席で、義継よしつぐがつぶやいた。

彼は席を立ち、おもむろにバックスタンドの席段を降りて行く。

そして最前列まで降りると、人を探す素振りで客席を見渡した。


…栂井翔子。ストライクかよ。


なぜ栂井がここにいるのか。

なぜ聖美陵ゴールを守るようなマネをしているのか。


…高次元で視られたら僕も正体が知られるが、その時はその時だ。


義継はそのまま人を探す様に最前列の通路を、橋石きょうせきが座っている方へ歩き過ぎて行った。

翔子も、ラボで遭遇した時と容姿の全く違う義継に、気付くことはなかった。


…ま、放っておこう。僕は警察でも正義の味方でも無い。


義継が気になったことは、栂井本人よりも、そのすぐ前列に座っている女子高生だった。

時折、栂井とその横の老人を睨みつけるように、後ろに視線を流している。

着ているセーラー服を見て一発で判った。

義継と同じ土蔵西高校の生徒だ。


…余計なちょっかい出すと、血の雨が降るぞ。


橋石がスナック菓子をサクサクと音を立てて食べながら、戻ってきた義継の方を見た。


「遅かったな。」

「うん。ウンコ。」

「髪止めをさっそうと解いて、ウンコか。」

「まあね。」

「お前のウンコってさ、大抵、何かやらかして来てるよな。」

「うん。デカかった。」

「気が向いたら話せよ。」


うるさい様な、うるさく無いような、橋石の詮索。

こいつのお節介焼きは一生治らないな、と、義継は軽く笑った。


…さぁて、紅河クン。敵はあの栂井翔子だ。つくづく君は…


「…使い手を引き寄せるねぇ。」

「え?」

「なんでもない。その菓子、くれ。」

「ほいよ。」


雨は、まだ本降りではなかったが、小雨というには、多少水量が多い。

センタサークルの中で、うつむきながらボールをセットする紅河の元へ、桜南7番が駆け寄ってきた。

7番と紅河が、桜南のスターターとなる。

うつむいたまま、紅河が言った。


「ごめん。」

「何が。」

「俺のラフプレーが失点を…」

「おいおい、あれがラフプレイ?冗談だろ。もっと暴れろよ、紅河!これからだぜ!」


紅河は顔を上げた。

いつもの屈託無いチームメイトの顔が、そこにあった。

責めていないのか。

自陣でイエローカードを食らったフォワードを、責めないのか。


「どうする紅河、左右を走らせて一気に振るか?」

「お前、決めてくれよ。」

「俺は紅河に聴いてんだよ。このターンで確実に1点もぎ取るんだ。お前の判断が欲しい。」

「いや、俺には三人マークが付くし…」

「天下の紅河淳が何言ってんだよ。」


7番は笑った。

そして、こう付け加えた。


「後半はレッドカード貰って見せてくれ。但し、試合終了直前な。」


紅河の表情に、少し明るさが戻ってきた。

それは姿勢にも現れ、心なしか背筋が伸び、試合開始時に聖美陵9番が感じた紅河の威圧感が、再び沸騰を始めた湯の泡のように、フツフツと滲み出てきていた。


東側メインスタンドで、紅河ママがほくそ笑んだ。


房生ふさおさん、小林さん、見て。あれが城下桜南高校の強さの秘密の一つよ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


喜多室きたむろの運転する覆面パトカーは、長閑かな田畑の中を通り抜け、疎らな民家の中にある店に到着した。

柴山生花店、と書かれている。

県警から返ってきた情報により、押塚おしづかは、そのまま柴山生花店に向かうよう、行き先を変えた。


「クローズ、ですね。」


喜多室の言葉には答えず、押塚は助手席から店舗の外観を見渡した。

押塚の鋭い目が、しばし、右に左に動いていた。


「家宅捜査令状の無いところでアレだが、喜多室、まず、中に家主とマルタイが居るかどうか、見れるか?」

「はい。」


喜多室は、高次元クレヤボヤンスを発動した。

明滅する『赤紫』は、無い。

また、非能力者の『魂の光』も、見当たらない。


「誰もいません。」

「ふん。中の様子、三次元の透視というやつ、出来るか?」

「はい。何を探しますか?」

「うん。何を見ればいいと思う?」

「そうですね…まず、不自然な損壊と、血痕などでしょうか。」

「それから。」

「マルタイの痕跡ですから…一人暮らしのはずなので、洗われたコップの数、座布団や椅子の動き、などでしょうか。」

「50点だな。」

「はぁ、後は何を。」

「どこへ出掛けたのか。カレンダーに印が無いか、新聞や雑誌は開かれていないか、その開いたページには何が載っているか、洗濯物の中にあの水色のラボ衣が無いか、花の配達表のようものは無いか、同じく仕入れ表は無いか、亡くなられた奥様の命日などが記されているものは無いか。」

「は!」


喜多室は薄緑の『光の帯』を柴山生花店内に侵入させ、その先端を三次元に出した。


「損壊は、無い、ですね…血痕や、争った形跡もありません…一階は台所と風呂、そして店舗…あ、食器が、茶碗などが二組、洗いカゴに伏せられています。まだ濡れている。マルタイと確定は出来ませんが、今朝、ここには二名、人がいた証拠ですね。」

「そうかい。柴山の自室になる部屋はあるか?」

「それは二階です。揺り椅子やテレビなどがあり、丸められた布団が隅に寄せられています。」

「その部屋、さっき言ったポイントを調べろ。」

「は!」


喜多室は柴山の部屋を捜索しながら、思った。


…本当に二名の痕跡があった。警部はなぜここだと当たりを付けたのだろう。


そして、栂井翔子がここに来た、という決定的な証拠を見つけた。


「警部、柴山の部屋と思われる、その隣の部屋に、白楼ラボの教育生服があります。」

「やはりな。引き続き、柴山とマルタイの出先を示すものを探してみろ。」

「了解です。」


長年のカンか。

それとも論理的な推理か。

喜多室は、限られた状況証拠から辿り着く、押塚のその速さに、彼を過小評価するような目で見てしまっていた自分を恥じた。

栂井翔子は近い。

喜多室は、神経を研ぎ澄ませて、透視を続けた。

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