葛藤の赤紫
サッカースタジアム東側メインスタンド。
相手チームのゴール直後はその勢いに乗せない様、城下桜南ブラスバンド部は演奏を止める。
相手校の9番、その目の覚める様なスーパープレイ。片や、エースがイエローカードを食らった自チーム。
不安を掻き立てるようなざわめきの中、応援部の声だけが響き続けている。
舞衣達四人が黙り込む中、誰にともなく、紅河ママが落ち着いた声で言った。
「城下桜南高校のサッカー部は、どうして強いのか解る?」
千恵が答える。
「整った環境で、毎日遅くまで練習してるし、攻め方が研究されてて、紅河さんの個人技も凄いし…」
「そうね。でも、それだけで、何度も続けて全国優勝出来るものかしら。」
「全国は、うん、凄く大変なことです。」
「皆んな、小林さん以外はバスケットボール、やってるんでしょ?」
四人が、紅河ママの方を見た。
紅河ママは、水筒のカップを両手で持つ光里の口元をハンカチで拭きながら、言った。
「今日はね、多分、とても参考になる試合だと思うわよ。淳がね、何か心配事を抱えてるの、私にもよく分かる。それは監督の先生も、2番のキャプテンの子も、承知の上だと思うわ。」
四人は真剣な目で、黙って聴いている。
「球技で勝ち続けるって、どんな強さが必要なのか、サッカーは11人、バスケットは5人でやるわよね。わがままで身勝手な淳が際立ってしまう試合こそ、城下桜南サッカー部の強さが見えてくるのよ。この高校のサッカー部はね…」
「どれ?あつし、どれ、どこ、あつし。」
キョロキョロする光里に、紅河ママはセンターサークルに佇む桜南10番を指差した。
「…駄目な選手ほど、切り捨てずに、前に出すの。」
舞衣が、ブルッと震えた。
愛彩の全身に鳥肌が立つ。
千恵の背筋を、痺れが駆け抜けた。
京子の黒い瞳が、クルッと艶めく。
「針のむしろに立たされた、前に出された選手に、何かが力を与える。それを見るといいわ。」
…紅河ママの名言きた…
そして、紅河ママは、バッグから透明の大きなポリ袋を数枚取り出した。
「はい、これ。頭に掛けて見るといいわよ。降ってきたからね。傘は後ろの人の邪魔になるから駄目よ。」
…準備良過ぎ…絶対ただの主婦じゃない…
四人の目は、神様でも見るような目になっていた。
バックスタンド。
柴山は興奮気味に、サッカー雑誌を開いている。
「こいつは面白くなってきたな。コーナーを直接決める高校生か。名前は…」
翔子はチラリと横目で柴山を見た。
…おじさん楽しそう。
赤い花をくれたおじさん。
眠くなって、起きたら温かい布団だった。
こんな感じ、お父さんに抱っこされた時みたい。
朝の訓示斉唱も、トイレ掃除も無い。
眠いのに起こされたりもしない。
正義とは、正義のための、正義による…ちっとも面白くない。
ちょっと疲れただけで、キラキラで縛る古見原先生も、もう死んだ。
キラキラの訓練も、警察の勉強も無い。
なんだか夢みたい。
赤い花は、見捨てられた花。
それでも頑張ってる花。
赤い花をくれたおじさん。
赤い花を元気にしたおじさん。
赤いしゅわしゅわジュースを買ってくれたおじさん。
おじさんもずっと楽しいといいね。
「おお、あった。聖美陵学園の9番、藤嶋君か。それと?…」
パラパラとページをめくる柴山。
風が無く、柴山と翔子の座るバックスタンド席には屋根があり、まだ雨は吹き込んでいない。
「…城下桜南高校の10番は、ん、コウガ君、かな?」
紅河という名字にひらがなのルビが振られているが、老眼鏡越しでもボヤけるほど小さい。
四文字のひらがなに見える。
「はて…ショウコちゃん、すまんな、これ、ひらがな、見えるかい?」
翔子が覗き込む。
「くれかわあつし。」
「クレカワ、か、変わった名だな。だが、この紅河君、間違いなく超高校級プレイヤーだ。」
…あれ。
翔子の脳裏に、『くれかわ』という言葉が引っかかった。
誰かの思考に出てきた名前。
誰だろう。
昨日はラボで、多くの思考に触れた。
複雑怪奇な人の思考の渦。
くれかわ。
くれかわ…
…あ。
女の、高校の先生。
一月くらい前から同じ第三ラボに出入りしていた女の人。
腕を切り落としてしまった先生。
痛みと恐怖の先生。
あの先生の思考に、『くれかわ君』が出てきた。
それと、コズカ。
赤い魔女。
コズカの思考にもあった。
エヅレの思考にも出てきた気がする。
翔子は気にも止めていなかったが、確かに『くれかわ君』という名が、昨日の出来事に関わっていた様だった。
「おじさん。」
「ん?」
「くれかわって、どの人?」
「ほら、ここに写真が載っているよ。今フィールドにいる、白いユニフォームの10番の選手だ。」
写真を見た翔子は、驚いた。
改めて、フィールドに立つ紅河を、彼女は見た。
遠い。
翔子は三次元クレヤボヤンスを発動した。
ゆらりと赤紫の『光の帯』が現れ、翔子の視界が、桜南10番の選手にズームアップしていく。
改めて、翔子の背筋に悪寒のような感覚が走った。
なぜなら、その男は…
…私のキラキラを手で掴んだ、あいつだ。
翔子が、黄色の使い手を殺そうとし、白楼θ棟の崩落で出来た薄暗い空間の中を伸ばした赤紫の『光の帯』を、こともあろうか生身の素手で掴んだ男。
それどころか、黄色の使い手を下へ叩き落とそうとして追いかけた『赤紫』を、脚で蹴り、空中を飛び上がった男。
その直後、翔子の『赤紫』は黄色を叩き落とせず、空を切った。
…あの時、黄色を叩く前だったから、気持ちを入れる前だった。
紅河の脚が、革靴が、翔子の赤紫の『光の帯』に触れた時、翔子の打撃意識はまだ弱かった。
彼女は、紅河が脚で蹴るなどとは思わなかった。
それが判っていたら…
…黄色も、くれかわも、二人とも殺せたのに。
翔子の意識に、殺人欲がジワジワと蘇ってくる。
殺せば、自分は偉くなれるのだ。
しかし、殺される者の痛みと恐怖が、重なってくる。
殺せば、大人になり、生き延びる。
でも、殺された人は?
痛いし、怖い。
でも、でも、殺さなければ、私が殺される。
え、誰に?
お父さんは、自分で死んだ。
会社に殺された、とお母さんは言っていた。
これから身体ばかり大きくなって、殺される大人になんかなりたくない。
殺さないと…
でも殺された人は…
あれ、わからない…
楽しく生きたいのに…
幸せも、知りたいのに…
あれ…
あれ…
私…
私は…
「どうした、ショウコちゃん。寒いのかい、震えて。」
「ひ、や、ひゃ、あ、う、うんと…だいじょぶ…」
おじさん。
ねぇ、おじさん。
助けて、おじさん。
言おう。
私は人を殺した。
お姉ちゃんを殺した。
古見原先生を殺した。
遠熊先生を殺した。
エヅレを殺した。
コズカを殺そうとした。
黄色を殺そうとした。
高校の先生を殺そうとした。
おじさん。
助けて。
私、私…
言えない。
言えなかった。
優しい柴山には、話してはいけない事なのだ、と、心の声が翔子に訴える。
『忍びの子孫、栂井の嬢。もしや、その血に古き記憶が染み付いておるのか』
第三階層から眺める紅が、翔子の葛藤に意識を向けた。
殺しが常。
殺さねば、殺される。
殺しが、その身の安泰を作る。
それが忍び。
『忍びの輪廻にあるとて、忌わしき記憶は消えるが自然であろうが』
『紅様』
『ん』
『栂井の嬢、現世での修業は、忍びの業の浄化にあるのでは』
『なんと。そのような高尚かつ険しき試練を、あの嬢が』
『こればかりは、我等には計りかねまするが、迷いの意が余りにも重すぎまする』
『確かに、重いのう…』
紅は、翔子の守護霊をチラリと見た。
『ふん。笑うておるわ』
守護霊の与える試練は、現世を生きる当人には残酷なものも多い。
人はそれを、宗教や哲学という思想で、悟ろうとし、和らげようとしてきた。
それは回り道に過ぎないのか、真理に触れているのか…
そもそも人は、どこに到達するべきものなのか。
それは、未だ輪廻の中にある紅も、知り得ていない。
霊は輪廻を終えると、性別を失くすと言われている。
紅は、女性という性別を、まだ持っている段階にいた。
「見つけた。」
赤紫の『光の帯』が揺れる少し後方の席で、義継がつぶやいた。
彼は席を立ち、おもむろにバックスタンドの席段を降りて行く。
そして最前列まで降りると、人を探す素振りで客席を見渡した。
…栂井翔子。ストライクかよ。
なぜ栂井がここにいるのか。
なぜ聖美陵ゴールを守るようなマネをしているのか。
…高次元で視られたら僕も正体が知られるが、その時はその時だ。
義継はそのまま人を探す様に最前列の通路を、橋石が座っている方へ歩き過ぎて行った。
翔子も、ラボで遭遇した時と容姿の全く違う義継に、気付くことはなかった。
…ま、放っておこう。僕は警察でも正義の味方でも無い。
義継が気になったことは、栂井本人よりも、そのすぐ前列に座っている女子高生だった。
時折、栂井とその横の老人を睨みつけるように、後ろに視線を流している。
着ているセーラー服を見て一発で判った。
義継と同じ土蔵西高校の生徒だ。
…余計なちょっかい出すと、血の雨が降るぞ。
橋石がスナック菓子をサクサクと音を立てて食べながら、戻ってきた義継の方を見た。
「遅かったな。」
「うん。ウンコ。」
「髪止めをさっそうと解いて、ウンコか。」
「まあね。」
「お前のウンコってさ、大抵、何かやらかして来てるよな。」
「うん。デカかった。」
「気が向いたら話せよ。」
うるさい様な、うるさく無いような、橋石の詮索。
こいつのお節介焼きは一生治らないな、と、義継は軽く笑った。
…さぁて、紅河クン。敵はあの栂井翔子だ。つくづく君は…
「…使い手を引き寄せるねぇ。」
「え?」
「なんでもない。その菓子、くれ。」
「ほいよ。」
雨は、まだ本降りではなかったが、小雨というには、多少水量が多い。
センタサークルの中で、うつむきながらボールをセットする紅河の元へ、桜南7番が駆け寄ってきた。
7番と紅河が、桜南のスターターとなる。
うつむいたまま、紅河が言った。
「ごめん。」
「何が。」
「俺のラフプレーが失点を…」
「おいおい、あれがラフプレイ?冗談だろ。もっと暴れろよ、紅河!これからだぜ!」
紅河は顔を上げた。
いつもの屈託無いチームメイトの顔が、そこにあった。
責めていないのか。
自陣でイエローカードを食らったフォワードを、責めないのか。
「どうする紅河、左右を走らせて一気に振るか?」
「お前、決めてくれよ。」
「俺は紅河に聴いてんだよ。このターンで確実に1点もぎ取るんだ。お前の判断が欲しい。」
「いや、俺には三人マークが付くし…」
「天下の紅河淳が何言ってんだよ。」
7番は笑った。
そして、こう付け加えた。
「後半はレッドカード貰って見せてくれ。但し、試合終了直前な。」
紅河の表情に、少し明るさが戻ってきた。
それは姿勢にも現れ、心なしか背筋が伸び、試合開始時に聖美陵9番が感じた紅河の威圧感が、再び沸騰を始めた湯の泡のように、フツフツと滲み出てきていた。
東側メインスタンドで、紅河ママがほくそ笑んだ。
…房生さん、小林さん、見て。あれが城下桜南高校の強さの秘密の一つよ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
喜多室の運転する覆面パトカーは、長閑かな田畑の中を通り抜け、疎らな民家の中にある店に到着した。
柴山生花店、と書かれている。
県警から返ってきた情報により、押塚は、そのまま柴山生花店に向かうよう、行き先を変えた。
「クローズ、ですね。」
喜多室の言葉には答えず、押塚は助手席から店舗の外観を見渡した。
押塚の鋭い目が、しばし、右に左に動いていた。
「家宅捜査令状の無いところでアレだが、喜多室、まず、中に家主とマルタイが居るかどうか、見れるか?」
「はい。」
喜多室は、高次元クレヤボヤンスを発動した。
明滅する『赤紫』は、無い。
また、非能力者の『魂の光』も、見当たらない。
「誰もいません。」
「ふん。中の様子、三次元の透視というやつ、出来るか?」
「はい。何を探しますか?」
「うん。何を見ればいいと思う?」
「そうですね…まず、不自然な損壊と、血痕などでしょうか。」
「それから。」
「マルタイの痕跡ですから…一人暮らしのはずなので、洗われたコップの数、座布団や椅子の動き、などでしょうか。」
「50点だな。」
「はぁ、後は何を。」
「どこへ出掛けたのか。カレンダーに印が無いか、新聞や雑誌は開かれていないか、その開いたページには何が載っているか、洗濯物の中にあの水色のラボ衣が無いか、花の配達表のようものは無いか、同じく仕入れ表は無いか、亡くなられた奥様の命日などが記されているものは無いか。」
「は!」
喜多室は薄緑の『光の帯』を柴山生花店内に侵入させ、その先端を三次元に出した。
「損壊は、無い、ですね…血痕や、争った形跡もありません…一階は台所と風呂、そして店舗…あ、食器が、茶碗などが二組、洗いカゴに伏せられています。まだ濡れている。マルタイと確定は出来ませんが、今朝、ここには二名、人がいた証拠ですね。」
「そうかい。柴山の自室になる部屋はあるか?」
「それは二階です。揺り椅子やテレビなどがあり、丸められた布団が隅に寄せられています。」
「その部屋、さっき言ったポイントを調べろ。」
「は!」
喜多室は柴山の部屋を捜索しながら、思った。
…本当に二名の痕跡があった。警部はなぜここだと当たりを付けたのだろう。
そして、栂井翔子がここに来た、という決定的な証拠を見つけた。
「警部、柴山の部屋と思われる、その隣の部屋に、白楼ラボの教育生服があります。」
「やはりな。引き続き、柴山とマルタイの出先を示すものを探してみろ。」
「了解です。」
長年のカンか。
それとも論理的な推理か。
喜多室は、限られた状況証拠から辿り着く、押塚のその速さに、彼を過小評価するような目で見てしまっていた自分を恥じた。
栂井翔子は近い。
喜多室は、神経を研ぎ澄ませて、透視を続けた。




