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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
111/292

脳波と能力特化

「すんませんした。」


足を蹴ってしまった聖美陵3番へ不機嫌そうな顔で頭を下げる紅河くれかわを、主審は横目でジロリと見ると、左手でボールを持ち、右手でフリーキック位置を指し示し、聖美陵3番へ言った。


「大丈夫ですか?」

「はい、いけます。」


そう答えた聖美陵3番はボールを受け取り、フィールドに置いた。

少々長めではあるが、直接ゴールを狙える距離である。

城下桜南は、フォワードの10番紅河、19番を残し、左右のバックスを聖美陵9番と11番に付かせると、自陣ゴールとキックポイントの間に人壁を作った。

同じくフォワードの桜南11番は壁に入らず、フリーになっている聖美陵選手の挙動を追っている。

このこぼれ球カットやインターセプトは紅河の役目であるが、今も敵二人にベッタリと張り付かれている為、11番が担った。

紅河は、チラリと聖美陵ゴールの方を見る。

やや後方に聖美陵4番が一人残り、ディフェンダーはハーフウェーライン辺りまで上がってきていた。

その敵選手の配置よりも、先ほど味方の7番が打ったシュートボールの挙動が気になる。


…ゴール枠は試合前に確認した通り、スチール製だ。


ボールが跳ね返る音が聞こえなかったのはなぜか。


パシッ


紅河は、左手の平を右手の拳で軽く叩いた。

硬いもの同士が衝突すると、衝突物の緩衝が弱く、運動エネルギーは高く鋭い音となって空気を伝わる。

片方がサッカーボールのように柔らかい物の場合、サッカーボールが凹んで緩衝し、音は鈍く伝わる。

それでもスチール製の枠は、鈍いなりに音をはっきりと発する。

サッカーボールの方は運動エネルギーを吸収する量が多く、周囲の空気振動は弱まり、音はしているが、間近にいなければ聞こえないだろう。

桜南7番のシュートは鋭かった。

煽られる程の風が吹いていたら、その風速は凄まじいものになる。

ボールと接触しても空気を振動させない何か。

そして、目には見えない物。

紅河には、思い当たるものが一つあった。


…光の帯。


可能性は限りなく低い。

だが、0では無い。

聖美陵選手の誰か、或いは観客の誰か、か。

しかし、この仮定にも疑問がある。


…『光の帯』とボールが接触したら、ボールは真下へポトリと落ちるはずだ。


防御意識で三次元に放たれた『光の帯』は、受けた運動エネルギーを全て吸収する。

跳ね返らないのだ。


…跳ね返すつもりで『光の帯』を当てたとしたら。


どうなるのだろう。

音は出るのか。

普通に考えれば、打撃目的の『光の帯』であれば、接触した瞬間に『光の帯』も振動し、音が出るはずだ。


「ん…」


いや、『光の帯』は質量が0だ。

厚みが無い。


…そうか、三次元での打撃でも、『光の帯』自体は空気を振動させないんだ。


紅河は、発煙筒の煙の中を進む『光の帯』を思い出していた。

空気中の煙に不自然な断面が走るが、煙自体は揺れず、乱れなかった。

校庭で土煙の中に現れた深越ふかごし先生の『光の帯』も、『光の帯』が押しのけた土煙の動きが見えただけであって、空気中に振動を起こしたわけでは無い。

その証拠に、紅河はふくらはぎが切られた時、風圧の様なものを感じなかった。

傷口の神経がヒヤッと反応し、見たら、もう切れていたのだ。


フリーキックのホイッスルが鳴り、聖美陵3番が蹴り上げる。

紅河は自陣ゴールの方へ向き直った。


…改めて考えてみると怖いな。自分の真横をすり抜けても、生温い感触があるだけで、風圧が全く来ないんだからな。


聖美陵3番の蹴り上げたボールは人壁を越え、山なりに桜南ゴール右寄りに落下していった。

聖美陵は9番と8番が、桜南は2番と3番が落下地点に走り込んでいる。


…あれならキャプテンが抑える。


紅河は、カットボールが飛んで来ると予測し、ゆっくりとフィールド中央へ寄り始めた。

左右どちらにボールが飛んできても拾えるようにである。

聖美陵5番と6番が紅河の前後を挟み、付いてくる。


…問題は、本当にゴールを邪魔しているのが『光の帯』なのか、ということだ。


紅河の意識は、既に敵ゴール前でのシュートイメージに入っていた。


…見えない『光の帯』を出し抜くには…


その使い手からは、こちらのシュートがどう見えているか、が肝要となってくる。

まさか、ゴール一面に『光のかべ』を張り巡らせている訳でもないだろう。

そんな事をしたら、キーパーを邪魔する事になる。

もし、仮に、敵キーパーも承知の上で、使い手が『壁』を張っているとしたなら…


…俺の先制得点の時、あそこまで悔しがらないだろう。


敵の聖美陵キーパーは、正々堂々と純粋にゴールを守っている。

それは間違いない。

使い手は、それを知らないキーパーの邪魔はしないよう『光の帯』を使っているはずだ。


『ほお、ぼうめ、勘がいいの』


第三階層から従者と共に現世うつつよを眺めているべにに、紅河の思考が手に取るように入ってくる。


『だがのう、光る霊帯れいたいじょうは、そこまで蹴鞠けまりを知らぬようじゃぞよ、ほっほほ』


桜南ゴール前。

最初に落下ボールに触れたのは桜南2番であった。

額にボールを当てて落とし、辛くもキープ、出せる方向を素早く探す。

出来ればインフィールドに蹴り出し味方の攻撃に繋げたいが、詰め寄る聖美陵オフェンスも必死である。


…サイドカットが精一杯か!?


桜南2番の、その一瞬の迷いが、隙となった。

聖美陵7番が爪先でボールを引っ掛け、引き寄せる。


…しまった!


そして聖美陵7番は右足のアウトサイドで真横にボールを流した。

そこへ走り込んでいた聖美陵11番が、鋭いシュートを低めに打つ。

距離は5mも無い。


バシッ!


間一髪、桜南キーパーが弾丸のようなシュートボールを、横っ飛びにパンチングで弾いた。

回転の付いたボールは弧を描き、ゴールラインの後方へ飛んで行った。


ピイィ!


コーナーキックである。

聖美陵のチャンスが続く。

センターサークルの辺りで足を止めていた紅河は、味方の11番に苛立った。


…ディフェンスがこぼしたボールはお前が浚う役目だろ。9番に引っ張り回されやがって!


他者を責める、他責という負のスパイラル。

苛立つ今の紅河は、11番が仕事をこなしていたなら、おそらく他の味方を内心で責め立てただろう。

実際は、11番は仕事をしていた。

9番マークを外していたら、もっと悪い事態が起きていたかも知れない。


コーナーキックは聖美陵9番が打つようだ。

聖美陵ディフェンシブミッドフィルダーの3番が桜南ゴール前を離れ、紅河のマークに戻ってきた。

再び三人にマークされる紅河。

紅河は聖美陵の三人に、嫌味の一つでも言おうかと思った。


…俺一人に三人もひっ付けて、勝負を捨てたのか?

…サッカーってのはボールを追うスポーツなんだけどな。

…三人で一人をマークなんて、指示されても俺なら断るけどな。

…君達、サッカー知ってるのか?


皮肉はいくらでも頭に浮かぶ。

だが、さすがに紅河は黙っていた。

嫌味とは、相手も良く解っているからこそ効く、何の創造性も無いハラスメントだ。

そこまで自分を落ちぶれさせてどうするか。


べには、穏やかな目で、紅河の思考を覗き、眺めている。


『人を責める、それは螺旋らせん。自らを責めると同じこと』


べにの横で、従者が微笑む。


『坊は何度めの輪廻でしたかな』

『ん』


べにもまた、微笑んだ。


コーナーキックプレイを眺める紅河の胸中には、また黒い靄が立ち込め始めていた。

湖洲香こずかを残し、のうのうとサッカーなどをしている自分。

それは、ゴールを『光の帯』が阻害しているのでは、という推測から、ふと蘇ってきてしまった自己嫌悪だった。

床や壁が滅茶苦茶に崩れ、セメントが流し込まれていた崩落現場。

そこに、サイコスリープ状態で取り残された湖洲香。

涙目で見上げる湖洲香の顔が浮かんでくる。

ニコッと笑う湖洲香の顔が浮かんでくる。

液状セメントに下半身を取られた自分を、その手を決して放そうとしなかった湖洲香の必死な顔が浮かんでくる。

この両腕で抱き上げていた、湖洲香の身体の重さ、温かさが蘇ってくる。


…湖洲香さん。


プレイへの集中力を欠いた紅河の、焦点の定まらない視線の先で、聖美陵9番が右手を上げた。

コーナーにボールをセットし、そこに立つ彼の右手は、拳が握られており、そして小指が一本立てられた。

聖美陵内のサインであろう。


…駄目だ、集中するんだ。


紅河は目を固く閉じ、頭をブンブン振ると、腰を落とし、カットボールに備える。

短い助走の後、聖美陵9番がコーナーキックを打ち放った。


シュッ…ザシュッ!


ピイイィィィ!


「ゴール!」


紅河は腰を落としたまま、呆然と自陣ゴールを眺めていた。

聖美陵9番の放ったコーナーキックは、鋭く弧を描き、桜南ゴールに直接突き刺さった。

前半20分、得点は1対1となる。

湧きに湧く西側メインスタンド。

聖美陵コールが、ズンズンと紅河の腹に響いてくる。

これまでの紅河であれば、たかが試合がふりだしに戻っただけ、どうということは無い、と表情一つ変えなかっただろう。

だが…


…俺のミスから…失点…


ポツ…ポツ…


紅河の腕に、頬に、小さな雫が当たり始めた。

雨だ。

自陣に戻っていく聖美陵の紅河マーク三人。

センターサークルに立つ紅河の足元に、戻されたボールが転がって来る。

それは、立ち竦む紅河の足に当たり、コロコロと転がり、止まった。

ゆっくりと上を見上げる紅河の目に、針のように落ちてくる雨の軌跡が、無数に見える。


紅河を眺める第三階層のべには、相変わらず、穏やかに微笑んでいた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


午前10時20分過ぎ。

白楼α棟内の病室に移されていた雅弓まゆみ風見かざみの元へ、治信はるのぶが現れた。

昨夜から赤羽根あかばねと三時間交代で二人の様子を見ており、そろそろまた交代の時間となっていた。

風見が、コーヒーカップを持ち、椅子に腰掛けている。


「お、風見さん。お目覚めですか。」

「お早うございます、南條なんじょうさん。」

「雅弓ちゃんは…まだのようですね。」


赤羽根が応える。


「デルタ波が出ているので、まだ眠りが深いわ。ただ、ベータ波も出ているので、ちょっと心配と言えば心配。」

「ベータ波と言うと、脳が緊張状態にある、でしたか?」

「普通、深い睡眠中は出ないのよ。デルタ波と同時に出るというのは、相当に複雑な情報処理を脳が行っている、とも言えるわね。」


風見が付け加える。


「私は一時間ほど前に目が覚めたのですが、雅弓、時々、寝ながら『光の帯』を出しているんです。」


それを聞いた治信は、湖洲香の幼少時の痛ましい事故を思い出した。

添い寝していた母親の心臓を潰してしまった事故である。


「それは、我々は危険ではないのですか?」

「おそらく大丈夫です。雅弓の『光の帯』は、第二階層と第三階層を行ったり来たりしていて、この物理世界には現れないみたいです。」

「だが、もし突然この第一階層に現れたら、そこにあった物は…」


赤羽根が言う。


「コズカの場合、睡眠中に、物に触ろうとするテレキネシス傾向とも言うべき出現の仕方をするのだけれど、その時のコズカの脳波はマユミと明らかに違っていて、ガンマ波とシータ波が同時に出るのよ。」

「ガンマ波?寝ているのに、ガンマ波が出るのか?」

「そう、コズカの場合は、緊張状態どころか興奮状態ね。三次元に『光の帯』を出現させるのは、起きている時でも精神力を要するから、特殊な脳活動をしていることは推測出来るのだけれど、睡眠中の無意識なテレキネシスはまだ未解明…という点では、マユミも100%安全、とは言い切れないけれどね。」

「ガンマ波が出ないうちは、雅弓ちゃんは寝ながら周囲の物を壊す事はない、と?」

「そう思って間違いないわ。」

「それは、湖洲香さんのテレキネシススペックが高いという事と関係あるものなのかな。」


赤羽根は少し考え、前髪をゆっくりとかき上げながら言った。


「かも、知れない。マユミのクレヤボヤンススペックの高さも、関係ありそうね。」


治信は椅子に座り、腕を組んだ。

同じ『光の帯』の使い手であっても、それを操作する脳の部位が、或いは脳の使い方が違い、訓練や経験によって成長する能力の種類が違う、ということだろうか。

と言う事は、能力者達が持つテレパシー、クレヤボヤンス、テレキネシスは基本スペックに過ぎず、それらは訓練によって更に強力な能力に成長する…のだろうか。

そして、一部の能力が異常発達した場合、それは肉体にリスクをもたらしたりしないのだろうか。

義継よしつぐは、最初はテレパシーしか使えなかった。

視野、というものを意識した時、クレヤボヤンスに気付いた。

そして、難解な景色や真っ白な空間しか視えなかったところから、具体的な物質を視ようとして、『光の帯』を三次元空間に出現させられることに気付いた。

それは同時に、テレキネシスの発現でもあった。

小林京子は今、テレパシーと高次元クレヤボヤンスしか使えないという。

房生舞衣ふさおまいは、テレキネシスは使えるものの、テレパシーを避け、クレヤボヤンスには意識が向かないようだ。

読み取ろうとする意識、視ようとする意志、触ろうとする願望…好奇心がどこに向いているか、に依存するとも言えそうだ。


だが、治信は思う。

…能力開発など、当人の幸せだとは、どうしても思えない。


雅弓に『霊視』を試みさせたことは、果たして、我々のエゴではなかったのか。

そこに、湖洲香を探したいという雅弓の意志も強く介在したが、教えなければ、知らせなければ、雅弓はその能力に到達しなかったのではないか。


…雅弓ちゃんに、肉体死後の幽体離脱と『光の帯』としての機能性について、もうこれ以上聴いてはいけないのではないか?


湖洲香の捜索、追跡には、もっと他の方法を検討するべきかも知れない。

雅弓の寝顔を遠目で見ながら、治信は、右手の中指をこめかみに当てた。

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