紅(べに)
聖美陵ゴールに伸びていた赤紫の『光の帯』は、既に消えていた。
プレイは城下桜南のスローインに移っている。
…観客席から伸びていたように見えたが。
義継は、人の疎らなバックスタンド席を横切るように歩きながら、赤紫の『光の帯』の根元、本体を探した。
…確か、白楼の所長二人を殺害したのが『赤紫』だと、兄貴は言っていた。
ラボのフロアで見かけた、あの不気味な少女だろうか。
色が同じだからと言って、同一人物とは限らない。
そもそも、ラボの教育生がこんな所にいる訳がない。
聖美陵ファンの悪戯なら見過ごそう、と義継は考えていた。
義継にとって、桜南が勝とうが負けようが、どうでもいいことであり、このような人出のある場所で自分が能力者であることを曝すことは避けたかった。
…この辺、だったか。
義継は『赤紫』の本体の居場所に当たりをつけ、後方の空いている席に腰を下ろした。
東側メインスタンドでは、京子が口を押さえて狼狽えていた。
舞衣に顔を近づけ、ささやく。
「今の、見た?」
「え、うちのシュート?惜しかったね。」
「えと、ボール跳ね返したの、あれって…」
「え?ゴールの枠に当たったんでしょ。」
「んと、かも知れないけど、『光の帯』が…」
「ええ?」
「見えなかった?」
「『光の帯』?誰の?」
「えっと、誰かな、湖洲香さんに捕まった子に似てた。」
「えええ?あのぎゃあぎゃあ泣いてた子?」
「うん。」
「どこにいるの?」
舞衣が辺りを見回す。
「わからないけど、相手のゴールのとこに、伸びて…」
「え、今?」
「7番の人が外した時。」
「うそぉ、見えなかったよ。」
「え、あれ、え、でも…」
愛彩が、京子の膝をトントンと叩き、手招きの仕草をした。
愛彩はそのまま席を立ち、「トイレ」と言うと、通路へのゲートへ歩いて行った。
京子は慌ててそれを追った。
「わも見た、小豆色のキラキラ。」
「やっぱり…」
「スポーツ勝負に超能力使うの、きまげる。」
「だよね、もしかしたら…」
人を殺した子かも知れない、と言おうとして、京子は言葉に詰まった。
恐ろしい非日常を、確証もなく愛彩に話すのは良くない。
「…悪戯なら、誰か、係りの人とかに言った方がいいかな。」
「んー、信じねともる。どすもなね、かな…」
「でも、あんなの、ずるいよね。」
「ん、きまげる。」
「あの、あのさ、愛彩さん、あんまり何回も見えたら、紅河さんにだけでも、言おっか。」
「試合中に会える?」
「うん、でも、私、テレパシー出来るから。」
「んー…」
愛彩は愛彩なりに、試合に臨む選手の気持ちを真剣に考えた。
もし、紅河が、試合中に京子から『超能力者がゴールを邪魔している』とテレパシーを受けたら…
紅河は、おそらくどうする事も出来ない。
審判に話しても、信じてもらえる訳がない。
無駄に苛立つだけではないだろうか。
「あんつか様子見よ、な、小林さん。」
「うん、でも…うん、紅河さん頑張ってるのに、心配掛けたくないね。」
「ん。他にも、あんか気になる事あっで。」
「え、他にも?」
「小林さんだはんで言うけど、紅河さん、あめに白い靄さ掛かる。」
「白いもや?」
「守護霊さ見る時、そん霊さ纏う靄に似てる。」
「え、でも、守護霊って、いつも居るんでしょ、その人のところに。」
「そっが、わ、守護霊、そん人の近くにいねとめね。なのに、遠くの紅河さんの見えて、何かなって。」
「しっぽ系?」
「わがんね。」
「いつもよく見るの?」
「あめに。滅多にね。」
「そっか…」
「小林さん、紅河さんに何か見える?」
「んと、どきどきはする。」
「それ恋。」
「こ、わ、えと、じゃなくて、頑張って欲しいなって…」
「戻ろ。小豆色のキラキラどすもなね。勝つべ、紅河さん。」
「うん…」
愛彩はスタンド席に戻りながら、紅河の周囲を時折漂う『白い靄』について考えていた。
人を前にして意識を霊に集中すると、初めてその人の守護霊がぼんやりと見えてくる。
その守護霊が纏っている霧の様なものが、紅河に見える白い靄だ。
常に見えている訳ではなく、紅河に三人マークが付き、ボールに触れなくなってから、時折、フワッと掛かっては、消える。
遠くにいる人物にその靄が見える時、その人に何が起こっているのか、愛彩には判らない。
一つ気付くことがあるとすれば、紅河本人がかなり苛立っている様だ、ということくらいだった。
桜南選手のスローインによって投げ込まれたボールは、桜南11番が拾い中央へ向かってドリブル、だが聖美陵バックスに阻まれ、桜南19番へパスされる。
桜南6番が右サイドへ走り込みながら、ボールを要求した。
聖美陵の三人を引きずりながら中央へ走り込んでいた紅河が、聖美陵4番の動きを見て叫んだ。
「出すな!トラップだ!」
だが、桜南19番は右サイドへ蹴り出してしまった。
ピイィィ!
「オフサイド!」
主審の声と共に、メインスタンド西側が湧く。
前へ出過ぎた桜南6番を残し、聖美陵ディフェンス陣は防衛ラインを上げていた。
聖美陵のオフサイドトラップが決まった。
聖美陵のフリーキックである。
…良く見て出せよ、何やってんだ!
紅河のイライラが更に募る。
聖美陵によるフリーキックのボールを、紅河と桜南7番がカットに走る。
だが、ボールは紅河のマークに付いていた聖美陵3番がキープ、紅河と桜南7番が二人で当たるも、五人固まった混戦となり、ボールは聖美陵9番へパスされた。
桜南陣に攻め入られ、フォワードの紅河は足を止める。
だが、聖美陵の三人マークは外れず、紅河を囲んでいる。
…ちっ、わらわらと、いつになったら離れるんだ、こいつら。
中央へ向かってドリブルする聖美陵9番、迎え討つ桜南14番と2番。
左に走る聖美陵11番、それを追う桜南3番。
右に走る聖美陵7番、それを追う桜南5番。
桜南のディフェンス四人に対し、聖美陵10番と8番も走り込み、5対4の形を作る。
桜南7番が、聖美陵10番をマークする為に、その後を追う。
ボールを持つ聖美陵9番は、自陣ゴール前に張り付く桜南2番の位置を見て、オフサイドは無いと考えた。
桜南14番を交わし、右へ走り込んでいる聖美陵7番へ高めのパスを出す。
聖美陵7番と桜南5番は上空を見据えて、落下地点でポジション争いの押し合いに入った。
桜南スウィーパー2番が、14番へ叫ぶ。
「ゴール前頼む!9番チェック抜くな!」
パスを出してゴール前へ走り込んでいた聖美陵9番が叫んだ。
「2番行ったぞ!」
パスボールのトラップは聖美陵7番が制した。
だが、ライン際ですぐ様センタリングしようとした聖美陵7番が、桜南5番を交わした瞬間、その背後から現れた桜南2番のスライディングカットを食らう。
「ちっ!」
ボールがタッチラインを割り、聖美陵スローインとなった。
聖美陵7番がボールを入れる。
桜南2番が立ち上がり、ゴール前に戻りかけた時、紅河が叫んだ。
「9番フリーにするなぁ!!」
聖美陵9番をチェックすべき桜南14番は、ゴール前にいた。
スローインボールが聖美陵9番に通る。
桜南7番が聖美陵10番のマークを外し、聖美陵9番に当たる。
苛立ちが頂点に達していた紅河は、オフェンストップでありながら、自陣の防衛エリアへ走り込んでいた。
紅河をマークする聖美陵三人も、それを追う。
聖美陵9番は、難なく桜南7番を抜いた。
そこに桜南14番が突っ込む。
だが、聖美陵9番は、爪先で持ち上げたボールを、膝で更に高く上げ、自らもジャンプし、桜南14番を交わし、抜いた。
聖美陵9番は素早く左右を見る。
左の聖美陵11番、右の聖美陵7番、共に桜南ディフェンダーのマークが外れていない。
そこへ、桜南10番、紅河が走り込んで来た。
紅河は、マークの外れた聖美陵10番を上手く阻むよう回り込んでいる。
聖美陵9番の心臓が、一際激しく脈打つ。
…紅河!こんな所まで!
聖美陵8番にパスを出すと読んだ紅河は、背後の聖美陵10番への意識を切り、聖美陵8番へのパスコースを塞ぐよう足を出した。
だが、パスを読まれた、と一瞬で見極めた聖美陵9番は、蹴りかけた足をボールに乗せてクッと止め、紅河マークで着いてきていた聖美陵5番にスイッチした。
目の前でスイッチされた紅河は、視界にある聖美陵の『5』の背番号が持つボールに向けて、その股下に、強引に左足を滑り込ませた。
その紅河の左足は…同じく紅河をマークしていた聖美陵3番の足を蹴ってしまった。
転げるように倒れる聖美陵3番。
ピイイイィィイ!
審判が紅河に対し、イエローカードを掲げた。
「な!…待てよ!!」
紅河が思わず口走る。
イエローカードとは、スポーツマンシップに反する反紳士的行為に提示されるもので、二枚目のイエローカードでは退場となる警告である。
「ボールに向かって足を出した!そこへ3番の方から突っ込んで来たんだ!」
だが、審判はイエローカードを掲げたまま首を左右に振り、ホイッスルを口から放すと、言った。
「この様な混戦状態の中で、背後からのスライディングは危険行為だ。君ならそのくらいよく知っているだろう。」
「混戦て…」
「淳!やめろ!」
桜南2番、キャプテンが駆け寄りながら、紅河をたしなめた。
「審判の言う通りだ。今のはお前が悪い。」
「だったらもっとチェック厳しくいけよ!何でフォワードの俺がこんな所まで戻ってんだよ!!」
「淳…落ち着け、お前らしくもない。」
紅河は過去、審判に意見する事はもちろん、チームメイトに言い返す事すらほとんど無かった。
それどころか、去年までの紅河は、試合に勝つ気があるのか?と言いたくなる程、全てのプレイに冷めた所のある選手だった。
確かに個人技量は群を抜けて高く、紅河のシュートが数々の試合を決めてきたと言っても過言では無いのだが、そのプレイには情熱というものが感じられず、天才が適当に遊んでいる、といったニュアンスさえ感じられた程であった。
それ故に、審判に食ってかかる紅河の姿は、キャプテンの彼にとって嬉しくもある。
だが、同時に、冷静さを欠いた紅河を初めて目にし、一抹の不安も過るのだった。
キャプテンは紅河に歩み寄り、耳打ちする。
「淳、お前の主張も分かる。けど、審判に逆らったらイエローが重なるぞ。お前を退場させる訳にはいかない。」
いつもの紅河であれば、ここで無言になり、引き下がる。
だが、返ってきた紅河の言葉は、キャプテンを落胆させた。
「俺がいなくたって勝てるだろ。」
エースストライカーが外れる、外れない、の問題では無い。
キャプテンを落胆させたのは、紅河の投げやりな態度だった。
こんなに余裕の無い紅河を見るのは、初めてだ。
いっその事、ここで一時交代させて、後半でまた紅河に出てもらうか、とまで、キャプテンは考えた。
東側メインスタンド。
舞衣は両の掌を合わせ、口元に当てて、真剣に紅河と審判を見ている。
愛彩は右手で両目を覆った。
千恵は両手を頭に乗せ、うあー、と小さく呟いた。
京子は両手で口を覆った。
紅河ママがため息をつく。
「ほんと、淳は小さいのよねぇ、ああいう所。」
その横で光里は、水筒を開け、カップになるその蓋にこぼさない様にジュースを注ぐことに夢中だった。
バックスタンドでは、義継が『赤紫』に注意を払いつつも、ニヤニヤしていた。
「けけけ、やっちまえ紅河クン、乱闘になれ。」
義継が腰を下ろした席から数段前となる席で、柴山が腕を組んでいる。
「桜南10番の気持ちも分かるがな。あれだけ三人に張り付かれちゃあ、ストレス爆発寸前だろうなぁ。」
「しゅわ。いししし。」
スタジアムの上空、という表現は正しくないが、現世である三次元空間、すなわち第一階層、それと重なり存在する、更に何層も上の高次元空間。
第三階層に入門を果たした雅弓の『光の帯』ですら知覚出来ない階層で、スタジアムの様子を眺める者がいた。
『ほほほほほほ、まだまだよのう、坊は』
『あんなものでしょう、現世の子供なぞ』
『子供なものか。坊はもう十八ぞえ。蹴鞠ごときで心を乱しおって』
坊、とは、紅河淳のことである。
『蹴鞠と言えど、坊には一大事なのでございましょうぞ』
『一大事はよい。我が申すは心の弱さじゃ』
『紅様、お助けになるので?』
『そうやすやすと現世に手など出せぬわ。先刻、ついぞ余計なことをしてしもうたばかりじゃてなぁ』
『眠れる民の手、でございましたか』
『ほうよの、あの者達が霊帯にて坊の血肉を触ろうとしよった。思わず叱りつけてしもうた。触るな、との』
『現世の理を外れた悪さでございましたなあ』
『いつの時代にも居る。光る霊帯を操る、理の外の者がの』
『あそこにも居りますな。蹴鞠を邪魔した嬢が』
『ふむ。…栂井、はて?…』
紅様、と呼ばれる、白衣に朱色の袴姿の女性は、栂井という姓に覚えがなく、刹那、首を傾けたが、万の意識と繋がるその耳が、情報を得ることに成功した。
『ほお、栂井、忍びの子孫じゃな』
『子をもうけない忍びが?これは異なことでございますな』
『血肉の縁は理の外。現世では異なことが溢れておる』
『はてさて、坊はいかに』
『おもろうなってきよった。我は少し降りるぞよ』
『紅様、我々は守護霊にござりまする。程々になされませよ』
『手は出さぬゆえ、ほほほほほほ』
紅という名の巫女と、その従者が、高次元の中を高階層から降りてくる。
降りてくる、というのは、物理的に下降して来るのでは無く、現世である第一階層の物理法則に合わせて属性を近付けていくことである。
それは、より第一階層に近い属性存在となれば、守護対象の『坊』の思考や取り巻く状況が理解し易いからだ。
第三階層まで降りて来た時、その姿は…眩い光となって、メインスタンドの愛彩の目に映った。
「ふあ、何あれ…」
…また変な光っこ見んだ…
その光は、紅河に纏わりついていた白い靄が立ち登り、クルクルと竜巻の様に渦を巻いた、その中心から現れた。
そして、それはサッカーフィールドの上に浮いているような、すぐ目の前にあるような、距離感の掴めないものだった。
まだ愛彩には、巫女の姿どころか、人の輪郭さえ見えていない。
フィールドでは、紅河のファウルによる聖美陵のフリーキックが、桜南ゴールから十数メートル地点で打ち出されようとしていた。




