11人対12人
「始まったね。」
「なんかドキドキする。」
「紅河さん、10番だよ。」
「10番。」
「10番。」
「うん。」
「どれ、あつし、どれ?ねぇ、どれ?」
「白いユニフォームに青いパンツの方よ。背番号は10番。ほらあそこ、真ん中辺にいるわ。」
メインスタンド東側。
クラス別に固まるなどの指定が無かった為、舞衣、京子、千恵、愛彩は四人並んで座り、その横に光里と紅河ママが座った。
最前列には、城下桜南高校の応援部と新聞部が陣取り、三台のビデオカメラをフィールドに向けている。
中段席にはブラスバンド部が並び、流行り曲を演奏していた。
バックスタンドは人が疎らで、前の方の列に人が固まっている。
橋石と義継はガラガラの中段席にいた。
「なぁ、キョウ。」
「ん?」
「これしか人が入らないのに、こんなでかいスタジアムでやる必要あるのかねぇ。」
「うん。サッカースタジアムってのは、どの地域もほとんどが赤字運営らしい。少しでも金を落としてもらえるよう、集客が見込めなくても使って欲しいのさ、スタジアムとしてはね。」
「ふぅん。」
「まぁ、サッカーファンからすれば、地区予選とは言え、高校インターハイはそこそこのイベントだからな。」
「サッカーなんて、何が面白いのかちっともわからん。」
「紅河を見てりゃ、少しは判るかもな。」
「そうかねぇ。」
上下とも赤を基調としたユニフォームの聖美陵学園。
センターサークル内の11番がホイッスルと同時にボールを軽く前方へ蹴り出し、9番がそれを右のウイングバックである7番へ蹴り出そうとした時…左右から城下桜南の19番と11番が突っ込んで来た。
聖美陵9番は一瞬足を止めた。
味方の7番に桜南の8番が張り付いたからである。
彼は桜南19番を交わしつつボールをキープする。
左を見るが、これも桜南の6番に張り付かれていた。
…正面突破してやる。
「持ち過ぎるな!」
聖美陵11番の声が横から飛び込んでくる。
「マーク外れるようにもっと動け!」
聖美陵9番のキープ力は高く、桜南の左右ウイングに囲まれつつも、巧みに交わす。
桜南7番が、右サイドへ走っていくのが見える。
…ボランチが運び屋か。させるかよ!
正面には紅河がいるはずだ。
…ぶち抜いてやる。
「ん?」
いない。
桜南10番、紅河淳の姿が無い。
…左サイドに走ったのか?馬鹿め、楽になった。
ボールを持つ聖美陵9番が桜南の19番と11番を置き去りにし、ドリブルに入る瞬間…
ズザッ!
背後からスライディングを受け、ちょんと弾かれたボールがボテボテと前へ転がった。
「な…」
聖美陵9番が首を後ろに向けると、既にスライディングから立ち上がりかけている紅河がいた。
慌てて身体でブロックしながらボールを追う聖美陵9番。
だが、その背中には接触の感覚も、息遣いすらも来ない。
フワッ…
目の前に白い突風が、右から左へ、閃光のように走った。
その白い突風は、青い『10』という数字の残像を残し、ボールと共に、聖美陵から見た左サイドへ駆け抜けて行った。
「く…」
…紅河!
なぜ、そんなに速くスライディングから立てるのだ。
立ち上がった途端に全力疾走で回り込むなど、人間業ではない。
「クロス!」
聖美陵9番の右後方で、桜南7番が叫んだ。
紅河が高めのパスを桜南7番へ蹴り出し、そのまま逆サイドへ走って行く。
「オフサイド気をつけろ!」
紅河が叫ぶ。
桜南7番がボールをトラップ、フィールドを横切るようにドリブルして行く。
走り込んで来た桜南11番とフィールド中央辺りで7番とスイッチ、桜南11番はそのまま、紅河が走っていった方へドリブルする。
聖美陵のミッドフィルダーが二人、ボールを持つ桜南11番に当たる。
桜南11番は捕まる前に、逆サイドの7番へボールを返した。
右へ左へと翻弄される聖美陵。
だが、それを、聖美陵のセンターバックである4番が、冷静に見ていた。
昨年の大会にもスタメン出場していた二年、当時24番のディフェンダーである。
バックスタンド西側で食い入るように見ていた柴山は、身を乗り出し、顎を撫でた。
「ほお、桜南10番、こいつは確かに只者じゃないな。大した瞬発力だ。」
「ぶっ、ごほっ、げほっ…」
柴山の隣で、栂井翔子が突然咳き込んだ。
「ん、どうした?」
「けほっ…しゅわってして、こほっ…」
どうやら、いちごソーダでむせたらしい。
「ありゃ、炭酸は苦手かい?」
「たんさん?」
「飲んだこと、無いのかい?」
「しゅわって、初めて。」
「そうか、苦手だったら別のを買ってくるといい。」
「平気。」
柴山は翔子の背中をさすった。
「無理せんでいいよ。」
翔子は、両手で持っている大きな透明のカップを持ち上げ、赤いいちごソーダを透かして見た。
小さな泡が無数に立ち上り、四角い氷がまるで赤い宝石のようだ。
…きれい。
再び、ストローに口をつける。
ジュッ…ゴクッ。
「しゅわ!」
「大丈夫か?」
「きれいで美味しい。いひひ。」
「そうかそうか。」
翔子の前に座っていた女子高生が、首筋を触りキョロキョロしている。
「雨?」
その隣に座っていた女子高生が、白いセーラー服に赤い斑点が着いているのを見た。
「なんか赤いよ。雨降ってないし。」
「ええ?」
女子高生は後ろをジロッと見た。
「あれじゃないの?」
「ジジイとガキかよ。」
「落ちねーよこれ。」
「冗談じゃねーし。」
小声で話している女子高生の会話に、柴山も翔子も気付かなかった。
柴山は観戦に没頭する。
「お、さすがだな、聖美陵の4番。」
桜南7番がドリブルで切り込んで行ったボールを、聖美陵4番がサイドカットした。
ボールは高く上がり、タッチラインを割る、と思われた。
だが、ライン際まで走っていた桜南10番、紅河が、ジャンプ一番、このカットボールを胸でトラップし、ラインぎりぎりを敵陣ゴールラインまで運ぶ。
身を乗り出す柴山。
「お、お、お!」
「しゅわ。いひひ。」
紅河は、桜南側から見た左奥のコーナーアークから、左足でセンタリングを蹴り上げる…仕草を見せたが、その左足のバックスイングは振り抜かれず、ちょんとボールを浮かせて切り返した。
聖美陵右バックが抜かれる。
ゴール前には桜南7番と19番が走り込んでいた。
桜南11番は、紅河のやや後方でバックスを一人引き付けている。
聖美陵4番が叫ぶ。
「7番オーケー!19番チェック付けぇ!」
紅河が爪先でボールを浮かせた。
聖美陵4番は、桜南7番の前に張り付きながら、他の桜南選手の動きを素早く見渡す。
…紅河、上げてくるつもりだな。
聖美陵4番は空中戦で競り勝てるよう腰を落としてジャンプに備える。
だが、紅河は蹴り上げるモーションを取りつつも、身体をボールより前に出した。
…!
聖美陵4番の背筋に悪寒が走る。
…やられた!
「キーパー!右だぁ!!」
紅河は自分の背後で、ボールに右足のかかとをチョコンと当てた。
ボールは低く弧を描いて、ゴール右隅にボテッと落ち、そのままゴールネットへ転がっていった。
桜南7番と19番の動きを注視し、ゴールの中央で守っていた聖美陵キーパーは、自然芝をむしり取って投げ捨て、悔しがる。
ピイイィィイイ!
「ゴール!」
城下桜南の先制ゴールに、場内がワッと湧く。
…そうだ。あの紅河を、あんな中まで入れたらいけなかった。俺のミスだ。
聖美陵4番は、背中をバンバン叩かれながら戻っていく桜南10番を見つめながら、奥歯をギュッと噛んだ。
スタンド席で柴山は、思わず中腰になっていた。
腰に鈍い痛みが過ぎり、慌てて座り直す。
「こいつぁ…悔しいな、聖美陵。」
翔子がストローから口を離した。
「せいびりょう?」
「ああ、赤いユニフォームの方だよ。」
「悔しいの?」
「そりゃ悔しいさ、あんな入れられ方をされたらなぁ。4番は競り合いすらさせてもらえなかった。」
「どうしたら楽しいの?」
「ん?うん、あの、赤い方が守っているゴールにボールが入ると、点を取られるんだよ。」
「ボールが入らないと、いいの?」
「そうさ。必死に守っているんだよ。」
翔子は再びストローをくわえ、聖美陵ゴールを見た。
赤いユニフォームの選手が数人、何やら言い合っている。
ボールはセンターサークルへ戻され、再び選手達は配置に戻り始めた。
…入らないと、おじさん、楽しいのか。
翔子は、ふわりと、赤紫の『光の帯』を出した。
メインスタンド東側は、拍手と喝采の中、一際激しく応援部の声が響いている。
千恵が興奮気味につぶやく。
「こりゃ小林さんじゃなくても惚れるわ。紅河さんカッコ良い…」
「え、別に惚れてない…」
「かぐさでえ。参ったァ、紅河さんかっこえ。」
「どれ?あつし、どれ?」
「あんな弱っちいのでも入るとゴールなのねぇ。地味だけど、1点は1点ね。」
だが、舞衣は一人、無口になっていた。
…凄い。あの脚力は何?崩した姿勢から全力で走れるなんて、それが出来たら誰も苦労しない…
震えが来る程、紅河のプレイは、舞衣にとって衝撃的だった。
あんなの、無理にやったら、肉離れを起こしかねない。
ジャンプ後の着地からですら、無理したら足首を痛める。
男だから?
男の筋肉って、そんなにしなやかで柔らかいの?
どんなトレーニングをしたら、それが出来るの?
…まだだ。私は、まだまだ鍛えなきゃならない。甘いんだ、私。
そして、据わった目で口を開いた。
「千恵、愛彩。」
「え。」
「なに?」
「サッカー部の筋トレ、明日聴きに行こうね。」
「え?」
「なすて?」
「どうしても、よ。」
「筋トレはどの部も同じじゃないかな、腹筋、背筋、腕立て、スクワット。」
「だったらストレッチよ。聴きにいくのよ。」
低いトーンで話す舞衣に、千恵と愛彩は目を合わせた。
「だって、うちの高校、女子バスは全国経験無いじゃない。」
「え、うん。」
「ん。」
「行くんだよ、私達の代で、全国。」
「それとサッカー部の筋トレと、どう関係あるの?」
「言いてごと判った。紅河さんの瞬発力だべ。」
舞衣はフィールドを見つめたまま、頷いた。
千恵が言う。
「それなら、サッカー部全員が紅河さん並みなら、だけど、どっちかって言うと…」
そして、千恵は紅河ママを見た。
愛彩も紅河ママを見る。
舞衣は千恵と愛彩を見て、ハッとして紅河ママを見た。
京子もキョロキョロした後、紅河ママを見る。
「え、なにかしら。」
舞衣、千恵、愛彩の三人が口を揃えて言った。
「紅河淳の作り方を!是非!」
京子だけが置いてきぼりを食ったように、目をキョロキョロさせていた。
ゲーム開始5分足らずで1得点を挙げた城下桜南高校は、再開の聖美陵ボールも、再び紅河のインターセプトで奪い、開始10分、聖美陵ゴールを脅かす攻めを見せる。
ゲームは一方的な桜南ペースに見えた。
聖美陵は、紅河のシュートチャンスを徹底的に塞ぐ作戦に出ていた。
1点取られた直後、聖美陵ディフェンダー陣で交わされた会話は、サッカーにおけるゲームメイキングのセオリーを覆すような内容だった。
「いいか、ディフェンシブミッドの二人は、もうポジションを捨てよう。10番に絡み付け。右にいようが、左にいようが、だ。」
「向こうのオフェンスは六人だぞ。マークするヤツがフリーになる。」
「構わない。フリーのヤツにボールがいったらバックスの右と左に任せるんだ。それから、センターミッドも10番に張り付く。」
「ボール運びはどうするんだ。」
「それは10番を潰してからの話だ。素人臭いと言われようが、ボールを持っていてもいなくても、あの紅河に常に三人付く。」
「おい、ボールを持たない紅河に三人?それこそ桜南の思うツボじゃないのか?」
「あいつがボールを持つと、どこにパスが行くのか、それともシュートなのか、予測が付かない。紅河を見ていたが、視線が向いている方にはまずボールを出さない。紅河にボールを持たせない事、これを最優先にしてみよう。」
「お前がそう言うなら、やってみるか。」
「ゴール前の混戦は俺が何とかする。オフサイド狙える時は一気に上がるぞ。」
だが、紅河に三人取られた聖美陵は、桜南19番、11番、7番、8番、6番に、良いように掻き回された。
右サイドからの桜南6番のセンタリングを、7番がノートラップシュートする。
聖美陵4番の掛けたプレッシャーが、桜南7番の姿勢をやや崩したが、ボールは聖美陵ゴールの左上の隅へ一直線に飛び込んだ。
「!」
だが、ゴールバーに当たったのか、フィールドへ跳ね返るボール。
胸を撫で下ろし、体勢を立て直すキーパー。
「ん?」
フィールド内でただ一人、今のボールの挙動に疑問を持った選手がいた。
桜南10番、紅河である。
…跳ね返る音、聞こえなかったな。
角度的には、確かにゴールバーに当たったかに見えた。
ペナルティエリア内を転がるボールは、聖美陵ディフェンダーによってサイドカットされ、タッチラインを割った。
紅河は三人に阻まれ、ボールを押し込むことがなかなか出来ない。
それどころか、インターセプト後、紅河は一度もボールを触れていない。
…なんなんだ、邪魔くせぇな、こいつら。
紅河の疑問。
ボールに何が起こったか。
それに気付いた者が、スタンド席に三人いた。
…あ、赤紫の『光の帯』!
京子、愛彩、そして義継である。
この時、舞衣には、翔子の放った『赤紫』が見えていなかった。
義継が、無言で、静かに席から立ち上がった。
「どうした、義継。」
「うん。トイレ行ってくるわ。」
義継は、後ろで束ねていた黒く染めた長髪の、髪ゴムをスルッと抜き取った。
その解けた髪が、湿気を伴った生温い風に、わずかになびく。
遠くで、雷が鳴った。




