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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
109/292

11人対12人

「始まったね。」

「なんかドキドキする。」

「紅河さん、10番だよ。」

「10番。」

「10番。」

「うん。」

「どれ、あつし、どれ?ねぇ、どれ?」

「白いユニフォームに青いパンツの方よ。背番号は10番。ほらあそこ、真ん中辺にいるわ。」


メインスタンド東側。

クラス別に固まるなどの指定が無かった為、舞衣まい、京子、千恵、愛彩いとあは四人並んで座り、その横に光里ひかりと紅河ママが座った。

最前列には、城下桜南高校の応援部と新聞部が陣取り、三台のビデオカメラをフィールドに向けている。

中段席にはブラスバンド部が並び、流行り曲を演奏していた。


バックスタンドは人が疎らで、前の方の列に人が固まっている。

橋石きょうせき義継よしつぐはガラガラの中段席にいた。


「なぁ、キョウ。」

「ん?」

「これしか人が入らないのに、こんなでかいスタジアムでやる必要あるのかねぇ。」

「うん。サッカースタジアムってのは、どの地域もほとんどが赤字運営らしい。少しでも金を落としてもらえるよう、集客が見込めなくても使って欲しいのさ、スタジアムとしてはね。」

「ふぅん。」

「まぁ、サッカーファンからすれば、地区予選とは言え、高校インターハイはそこそこのイベントだからな。」

「サッカーなんて、何が面白いのかちっともわからん。」

「紅河を見てりゃ、少しは判るかもな。」

「そうかねぇ。」


上下とも赤を基調としたユニフォームの聖美陵学園。

センターサークル内の11番がホイッスルと同時にボールを軽く前方へ蹴り出し、9番がそれを右のウイングバックである7番へ蹴り出そうとした時…左右から城下桜南の19番と11番が突っ込んで来た。

聖美陵9番は一瞬足を止めた。

味方の7番に桜南の8番が張り付いたからである。

彼は桜南19番を交わしつつボールをキープする。

左を見るが、これも桜南の6番に張り付かれていた。


…正面突破してやる。


「持ち過ぎるな!」


聖美陵11番の声が横から飛び込んでくる。


「マーク外れるようにもっと動け!」


聖美陵9番のキープ力は高く、桜南の左右ウイングに囲まれつつも、巧みに交わす。

桜南7番が、右サイドへ走っていくのが見える。


…ボランチが運び屋か。させるかよ!


正面には紅河がいるはずだ。


…ぶち抜いてやる。


「ん?」


いない。

桜南10番、紅河淳の姿が無い。


…左サイドに走ったのか?馬鹿め、楽になった。


ボールを持つ聖美陵9番が桜南の19番と11番を置き去りにし、ドリブルに入る瞬間…


ズザッ!


背後からスライディングを受け、ちょんと弾かれたボールがボテボテと前へ転がった。


「な…」


聖美陵9番が首を後ろに向けると、既にスライディングから立ち上がりかけている紅河がいた。

慌てて身体でブロックしながらボールを追う聖美陵9番。

だが、その背中には接触の感覚も、息遣いすらも来ない。


フワッ…


目の前に白い突風が、右から左へ、閃光のように走った。

その白い突風は、青い『10』という数字の残像を残し、ボールと共に、聖美陵から見た左サイドへ駆け抜けて行った。


「く…」


…紅河!


なぜ、そんなに速くスライディングから立てるのだ。

立ち上がった途端に全力疾走で回り込むなど、人間業ではない。


「クロス!」


聖美陵9番の右後方で、桜南7番が叫んだ。

紅河が高めのパスを桜南7番へ蹴り出し、そのまま逆サイドへ走って行く。


「オフサイド気をつけろ!」


紅河が叫ぶ。

桜南7番がボールをトラップ、フィールドを横切るようにドリブルして行く。

走り込んで来た桜南11番とフィールド中央辺りで7番とスイッチ、桜南11番はそのまま、紅河が走っていった方へドリブルする。

聖美陵のミッドフィルダーが二人、ボールを持つ桜南11番に当たる。

桜南11番は捕まる前に、逆サイドの7番へボールを返した。

右へ左へと翻弄される聖美陵。

だが、それを、聖美陵のセンターバックである4番が、冷静に見ていた。

昨年の大会にもスタメン出場していた二年、当時24番のディフェンダーである。


バックスタンド西側で食い入るように見ていた柴山しばやまは、身を乗り出し、顎を撫でた。


「ほお、桜南10番、こいつは確かに只者じゃないな。大した瞬発力だ。」

「ぶっ、ごほっ、げほっ…」


柴山の隣で、栂井翔子とがいしょうこが突然咳き込んだ。


「ん、どうした?」

「けほっ…しゅわってして、こほっ…」


どうやら、いちごソーダでむせたらしい。


「ありゃ、炭酸は苦手かい?」

「たんさん?」

「飲んだこと、無いのかい?」

「しゅわって、初めて。」

「そうか、苦手だったら別のを買ってくるといい。」

「平気。」


柴山は翔子の背中をさすった。


「無理せんでいいよ。」


翔子は、両手で持っている大きな透明のカップを持ち上げ、赤いいちごソーダを透かして見た。

小さな泡が無数に立ち上り、四角い氷がまるで赤い宝石のようだ。


…きれい。


再び、ストローに口をつける。


ジュッ…ゴクッ。


「しゅわ!」

「大丈夫か?」

「きれいで美味しい。いひひ。」

「そうかそうか。」


翔子の前に座っていた女子高生が、首筋を触りキョロキョロしている。


「雨?」


その隣に座っていた女子高生が、白いセーラー服に赤い斑点が着いているのを見た。


「なんか赤いよ。雨降ってないし。」

「ええ?」


女子高生は後ろをジロッと見た。


「あれじゃないの?」

「ジジイとガキかよ。」

「落ちねーよこれ。」

「冗談じゃねーし。」


小声で話している女子高生の会話に、柴山も翔子も気付かなかった。

柴山は観戦に没頭する。


「お、さすがだな、聖美陵の4番。」


桜南7番がドリブルで切り込んで行ったボールを、聖美陵4番がサイドカットした。

ボールは高く上がり、タッチラインを割る、と思われた。

だが、ライン際まで走っていた桜南10番、紅河が、ジャンプ一番、このカットボールを胸でトラップし、ラインぎりぎりを敵陣ゴールラインまで運ぶ。

身を乗り出す柴山。


「お、お、お!」

「しゅわ。いひひ。」


紅河は、桜南側から見た左奥のコーナーアークから、左足でセンタリングを蹴り上げる…仕草を見せたが、その左足のバックスイングは振り抜かれず、ちょんとボールを浮かせて切り返した。

聖美陵右バックが抜かれる。

ゴール前には桜南7番と19番が走り込んでいた。

桜南11番は、紅河のやや後方でバックスを一人引き付けている。

聖美陵4番が叫ぶ。


「7番オーケー!19番チェック付けぇ!」


紅河が爪先でボールを浮かせた。

聖美陵4番は、桜南7番の前に張り付きながら、他の桜南選手の動きを素早く見渡す。


…紅河、上げてくるつもりだな。


聖美陵4番は空中戦で競り勝てるよう腰を落としてジャンプに備える。

だが、紅河は蹴り上げるモーションを取りつつも、身体をボールより前に出した。


…!


聖美陵4番の背筋に悪寒が走る。


…やられた!

「キーパー!右だぁ!!」


紅河は自分の背後で、ボールに右足のかかとをチョコンと当てた。

ボールは低く弧を描いて、ゴール右隅にボテッと落ち、そのままゴールネットへ転がっていった。

桜南7番と19番の動きを注視し、ゴールの中央で守っていた聖美陵キーパーは、自然芝をむしり取って投げ捨て、悔しがる。


ピイイィィイイ!


「ゴール!」


城下桜南の先制ゴールに、場内がワッと湧く。


…そうだ。あの紅河を、あんな中まで入れたらいけなかった。俺のミスだ。


聖美陵4番は、背中をバンバン叩かれながら戻っていく桜南10番を見つめながら、奥歯をギュッと噛んだ。


スタンド席で柴山は、思わず中腰になっていた。

腰に鈍い痛みが過ぎり、慌てて座り直す。


「こいつぁ…悔しいな、聖美陵。」


翔子がストローから口を離した。


「せいびりょう?」

「ああ、赤いユニフォームの方だよ。」

「悔しいの?」

「そりゃ悔しいさ、あんな入れられ方をされたらなぁ。4番は競り合いすらさせてもらえなかった。」

「どうしたら楽しいの?」

「ん?うん、あの、赤い方が守っているゴールにボールが入ると、点を取られるんだよ。」

「ボールが入らないと、いいの?」

「そうさ。必死に守っているんだよ。」


翔子は再びストローをくわえ、聖美陵ゴールを見た。

赤いユニフォームの選手が数人、何やら言い合っている。

ボールはセンターサークルへ戻され、再び選手達は配置に戻り始めた。


…入らないと、おじさん、楽しいのか。


翔子は、ふわりと、赤紫の『光の帯』を出した。


メインスタンド東側は、拍手と喝采の中、一際激しく応援部の声が響いている。

千恵が興奮気味につぶやく。


「こりゃ小林さんじゃなくても惚れるわ。紅河さんカッコ良い…」

「え、別に惚れてない…」

「かぐさでえ。参ったァ、紅河さんかっこえ。」

「どれ?あつし、どれ?」

「あんな弱っちいのでも入るとゴールなのねぇ。地味だけど、1点は1点ね。」


だが、舞衣は一人、無口になっていた。


…凄い。あの脚力は何?崩した姿勢から全力で走れるなんて、それが出来たら誰も苦労しない…


震えが来る程、紅河のプレイは、舞衣にとって衝撃的だった。

あんなの、無理にやったら、肉離れを起こしかねない。

ジャンプ後の着地からですら、無理したら足首を痛める。

男だから?

男の筋肉って、そんなにしなやかで柔らかいの?

どんなトレーニングをしたら、それが出来るの?


…まだだ。私は、まだまだ鍛えなきゃならない。甘いんだ、私。


そして、据わった目で口を開いた。


「千恵、愛彩。」

「え。」

「なに?」

「サッカー部の筋トレ、明日聴きに行こうね。」

「え?」

「なすて?」

「どうしても、よ。」

「筋トレはどの部も同じじゃないかな、腹筋、背筋、腕立て、スクワット。」

「だったらストレッチよ。聴きにいくのよ。」


低いトーンで話す舞衣に、千恵と愛彩は目を合わせた。


「だって、うちの高校、女子バスは全国経験無いじゃない。」

「え、うん。」

「ん。」

「行くんだよ、私達の代で、全国。」

「それとサッカー部の筋トレと、どう関係あるの?」

「言いてごと判った。紅河さんの瞬発力だべ。」


舞衣はフィールドを見つめたまま、頷いた。

千恵が言う。


「それなら、サッカー部全員が紅河さん並みなら、だけど、どっちかって言うと…」


そして、千恵は紅河ママを見た。

愛彩も紅河ママを見る。

舞衣は千恵と愛彩を見て、ハッとして紅河ママを見た。

京子もキョロキョロした後、紅河ママを見る。


「え、なにかしら。」


舞衣、千恵、愛彩の三人が口を揃えて言った。


「紅河淳の作り方を!是非!」


京子だけが置いてきぼりを食ったように、目をキョロキョロさせていた。


ゲーム開始5分足らずで1得点を挙げた城下桜南高校は、再開の聖美陵ボールも、再び紅河のインターセプトで奪い、開始10分、聖美陵ゴールを脅かす攻めを見せる。

ゲームは一方的な桜南ペースに見えた。


聖美陵は、紅河のシュートチャンスを徹底的に塞ぐ作戦に出ていた。

1点取られた直後、聖美陵ディフェンダー陣で交わされた会話は、サッカーにおけるゲームメイキングのセオリーを覆すような内容だった。


「いいか、ディフェンシブミッドの二人は、もうポジションを捨てよう。10番に絡み付け。右にいようが、左にいようが、だ。」

「向こうのオフェンスは六人だぞ。マークするヤツがフリーになる。」

「構わない。フリーのヤツにボールがいったらバックスの右と左に任せるんだ。それから、センターミッドも10番に張り付く。」

「ボール運びはどうするんだ。」

「それは10番を潰してからの話だ。素人臭いと言われようが、ボールを持っていてもいなくても、あの紅河に常に三人付く。」

「おい、ボールを持たない紅河に三人?それこそ桜南の思うツボじゃないのか?」

「あいつがボールを持つと、どこにパスが行くのか、それともシュートなのか、予測が付かない。紅河を見ていたが、視線が向いている方にはまずボールを出さない。紅河にボールを持たせない事、これを最優先にしてみよう。」

「お前がそう言うなら、やってみるか。」

「ゴール前の混戦は俺が何とかする。オフサイド狙える時は一気に上がるぞ。」


だが、紅河に三人取られた聖美陵は、桜南19番、11番、7番、8番、6番に、良いように掻き回された。

右サイドからの桜南6番のセンタリングを、7番がノートラップシュートする。

聖美陵4番の掛けたプレッシャーが、桜南7番の姿勢をやや崩したが、ボールは聖美陵ゴールの左上の隅へ一直線に飛び込んだ。


「!」


だが、ゴールバーに当たったのか、フィールドへ跳ね返るボール。

胸を撫で下ろし、体勢を立て直すキーパー。


「ん?」


フィールド内でただ一人、今のボールの挙動に疑問を持った選手がいた。

桜南10番、紅河である。


…跳ね返る音、聞こえなかったな。


角度的には、確かにゴールバーに当たったかに見えた。

ペナルティエリア内を転がるボールは、聖美陵ディフェンダーによってサイドカットされ、タッチラインを割った。

紅河は三人に阻まれ、ボールを押し込むことがなかなか出来ない。

それどころか、インターセプト後、紅河は一度もボールを触れていない。


…なんなんだ、邪魔くせぇな、こいつら。


紅河の疑問。

ボールに何が起こったか。

それに気付いた者が、スタンド席に三人いた。


…あ、赤紫の『光の帯』!


京子、愛彩、そして義継である。

この時、舞衣には、翔子の放った『赤紫』が見えていなかった。

義継が、無言で、静かに席から立ち上がった。


「どうした、義継。」

「うん。トイレ行ってくるわ。」


義継は、後ろで束ねていた黒く染めた長髪の、髪ゴムをスルッと抜き取った。

その解けた髪が、湿気を伴った生温い風に、わずかになびく。

遠くで、雷が鳴った。

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