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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
108/292

キックオフ

「6番ゲートだったっけ。」


サッカースタジアムの東入場口で、千恵ちえは辺りを見回しながら、同じ城下桜南高校の生徒が流れて行く方向を指差した。

愛彩いとあが千恵に駆け寄る。


「ん。舞衣さんさっき電話しでだし待つろ。」

「あ、紅河くれかわママかな。」

「んだの。」


舞衣と京子は入場口のやや後方にいた。


「大丈夫だって。」

「え、でも、生徒手帳見せなさいって言われたらどうしよう。なんか、皆んな出して通ってるよ。」

「忘れたって言えばいいよ。制服着てるんだし。なんなら警察手帳出してやんなさいよ、湖洲香こずかさんの。」

「えええ、ダメだよそんなの、持ってきてないし…」

「なら、紅河さんの愛人一号です!って言えばいけるわよ。胸張って。」

「ちょっと、ふざけないで…」

「二万人入れるスタジアムだし、一人くらい平気だって、ほら!」


舞衣は京子の腕を引いて、千恵と愛彩の方へ歩いて行った。


「紅河ママ、待ち合わせ?」

「うん。東入場口って言ってたから、ちょっと待とう。」

「あまけ、晴れねな。」

「うん、試合中に来そうだね。」

「そしたら中止とか、なるの?」

「サッカーは土砂降りでもやるらしいよ。」

「傘さしてやるの?」

「ささない。」

「ささね。」

「ささない。」

「うあ、大変そう…」

「傘持ってやる方が大変。」

「大変。」

「大変。」

「京子、サッカー知らなさ過ぎ。紅河さんの愛人の自覚ある?」

「ある?」

「ある?」

「ちがうもん、そんなんじゃ、別に、そんな、う…」

「雪でもやる。」

「よほどのことが無い限り、中止はしないよね、サッカー。」

「へぇ、そうなんだ。じゃ、カッパ着て…」

「着ない。」

「着ね。」

「着ない。」

「風邪ひいちゃいそう…」

「ひかな…ひく人もいるかも。」

「いるかも。」

「汗で濡えはんでおなず。」

「ええ、ちゃんと着ないと…」

「スリップ姿で書道パフォーマンスするよりマシ。」

「えあ、あ、や、そんな昔のこと…」

「なにそれ?」

「なに?」

「市立第七中学校の伝説よ。」

「あや、やめて、その話…」


四人が話し込んでいるところへ、幼い女の子が駆け寄ってきた。


「いた!こんにちわ!」


小さなバッグと水筒をたすきのように十字に両肩から下げ、ニコニコしながら四人を見上げている。

紅河光里くれかわひかりだった。


「おお、光里ちゃん、こんにちは。」

「こんにちは。初めまして。」

「こんにちは。」

「こんにちは。初めまして。」


光里の後を追うように、紅河ママが現れた。


「小林さん、房生ふさおさん、こんにちは。そちらのお二人は初めてね。」

鈴原すずはらです。初めまして。」

悪虫あくむしです。」

「あら、アクムシ?悪い虫って書くのかしら?」

「はい…」


愛彩は少し顔をうつむかせた。

また、気味の悪い名字だ、と思われただろう、と彼女は思った。

だが、紅河ママの反応は普通の人と少し違った。


「悪虫様は確か青森だわね、そうでしょ。」

「はい、青森だ、です、けど、悪虫、様?」

「ちゃんと残っているのね、神通力の家系。」

「え…」

「悪虫の『悪』は『強い』という意味ね。『虫』は『エキスパート』。勉強の虫、とか、仕事の虫、とかの語源ね。強き力の者、それが悪虫の意味。悪虫さん、きっと人より勘が優れているでしょう?」

「強き、力の者…」


自分の名字にそのような意味があったとは、愛彩自身、初耳であった。


「八戸市にあった地名の悪虫が先、と言われているけれど、それは違っていて、神通力を持つ陰陽道信仰の一族に悪虫という名が与えられて、その一族が拠点とした土地が悪虫と名付けられた、という説があるわね。」


…紅河ママ、超詳しい。

…紅河ママ、何者?

…紅河ママ、恐るべし。


京子、舞衣、千恵は尊敬の眼差しで聞いている。

愛彩は伏せていた目を上げた。


「あ、ありがんどごす、帰ったら聞いでみます。」

「うふふ。うちの旦那の『紅河』という家系も、神道系だけれど、神通力の一族だったらしいわ。お仲間かも知れないわね。あ、敵対かな?でも、昔の敵は今日の友、あつしと仲良くしてやってね。」

「あ、こ、こちらこそ。」


京子が口早に聴いた。


「あの、神道って、紅河さん、あ、淳さん、何か力持ってるんですか?」


紅河ママは笑いながら答えた。


「ふふふ、私の農民の血が完全に薄めちゃったわね。淳はボーッとしてて何も出来ないでくの坊よ、ほほほほ。」

「そ、そんなこと、あ、淳さんには助けてもらいました。」

「え、何かしたの、あの子。」

「えっと、学校に詐欺師が来て、舞衣さんも一緒だったんですけど、追い払ってくれました。」

「ほー、臆病なあの子が。」

「淳さんは臆病じゃありません。すごく頼りになって、何でもどんどん出来て、怖いことでも自分から、困っていると助けてくれる人です。」

「そう。そんな風に言ってもらって嬉しいわ。小林さんも仲良くしてあげてね、淳と。」

「こ、こ、こ、こち、こちら…こそ…」


舞衣が思い出したように言った。


「あ、紅河さん、昨日、おにぎり、ありがとうございました!」


京子もハッとして頭を下げる。


「あ、ありがとうございました。」


紅河ママは、自分の足元に光里を引き寄せて、笑った。


「お礼は光里に言って下さいな。この子が握ったのよ。」

「ぎゅうぎゅうした。」


舞衣と京子は腰を屈めて光里に頭を下げる。


「光里ちゃん、どうもありがとうございました。すっごく美味しくてびっくりだったよ。」

「光里ちゃん、どうもありがとう。美味しかった。」


光里は全身から力を抜くようにクニャッと体を曲げて笑うと、紅河ママを見上げた。

舞衣が聴く。


「お塩の加減が絶妙で、あの、どんなお塩使ってるんですか?」

「あ、ああ、上手くいったのね。お塩はスーパーで売っている普通の食卓塩よ。」

「え、そうなの!?」

「うん。塩加減はね、怪我の功名と言うか…お塩を振ったのも光里なのよ。」

「どえええええ、光里ちゃんが、あの絶妙な、ど、え、や、あの、教えて下さい!光里先生!」


光里は両腕を紅河ママに掴まれながら、ニヤニヤしながらクニャクニャと腰を振っている。


「ほら、光里、教えてって、房生さんが。」

「えー、だって。」

「量ったの?それとも塩を入れてから炊き込み?」

「んーと、ねー…」


舞衣は小さなメモ帳とボールペンを取り出した。

目が真剣である。


「蓋取れちゃった、お塩。」

「へ?…」


蓋?

取れた?


「どういう、ことでしょうか、光里先生。」

「どさってなって、入れすぎちゃった。」

「え?」


紅河ママが笑いながら補足した。


「ふふふふ、食卓塩の小瓶の内蓋が外れて、お塩入れすぎちゃったのよ。それでね、良くかき混ぜた後、お塩を振ってないご飯をまた足したの。」

「はぁ、なるほど。」

「ポイントがあるとしたらここなんだけれど、お塩のご飯と後から足したまっさらなご飯、これはざっと混ぜる。あまり良くかき混ぜない。そうするとね、お塩の濃いご飯と、塩気のないご飯が疎らになるわね。」

「はい。」

「このお塩のムラが口の中で混ざった時、美味しく感じたのだと思うわ。だから、お塩の分量とか、正確には判らないの。おさらいするとね…」

「はい。」

「まず、少し濃いめの塩加減のご飯を、良くかき混ぜる。均等に塩分が行き渡るように。そこに、お塩を振っていないご飯を足して、軽く混ぜる。まぁ、ある意味、一手間掛かっているわね。ふふふ。」

「なるほど、そうでしたか…今日、帰ったら試します!」

「ふふふ。お料理好きなの、房生さん。」

「はい。ハンバーグが自信あります。」

「あらまぁ、じゃあ、今度うちに来て、光里にハンバーグ教えてもらえる?」

「はい!喜んで!」

「よかったわね、光里。」

「はんばーぐぅ、にゅるにゅる、じゅうじゅう、はんばーぐぅ。」

「私、おにぎりが上手くいったら、光里流おにぎりと名付けさせて頂きます!」

「どさっ、ぎゅうぎゅう、どさっ、ぎゅうぎゅう。」

「うふふふ。」


紅河ママは、クニャクニャと踊る光里から舞衣に視線を向け、驚いた。

舞衣の瞳から大粒の涙が溢れているのである。


「あら、房生さん、どうしたの?」

「え?」


舞衣には涙を流していた自覚がなかった。

瞬きをした時に頬が濡れ、ハッと気付いた。


「あ、あれ…」


皆、ハンカチを出して涙を拭いている舞衣を黙って見守っている。

光里もクニャクニャ踊りをやめ、舞衣を見上げた。


「あれ、別に、あれ、悲しくもないのに、はは、なにこれ…ちょっと、あの、お母さんとご飯の支度、思い出して、変なの、勝手に涙が…」


紅河ママは察した。

房生宅へ電話した時、お祖母様が出られた。

と言うことは、おそらく、母親を亡くしているのだろう。

悲しいとか羨ましいとかではなく、母娘のやり取り、その独特な空気感、料理をする母の凄さや優しさ、その温かい人肌の記憶が、舞衣の涙腺を緩めたのだろう。


「房生さん、お目目が大きいから、ホコリでも入ったかしら?うふふ。」

「う、うん、そうかな、ははは…」

「機会があったら、私と光里も、房生さんのお宅にお邪魔しようかしら。」

「え、あ、はい、いつでも、どうぞ。」

「その時は、皆さんも、ね。」

「はい。」

「はい。」

「はい。」

「はんばーぐぅ、にゅるにゅるじゅうじゅう、はんばーぐぅ。」


六人は東入場口を通り、城下桜南高校関係者席となっている6番ゲートの東側メインスタンドへ向かった。


全国高校サッカー夏のインターハイ地区予選準決勝、城下桜南高校対聖美陵学園、キックオフ15分前。

西入場口でチケットを購入した柴山しばやま翔子しょうこは、バックスタンドの14番ゲートを目指していた。

柴山は小脇にサッカー雑誌と男性用ハンディバッグを抱えている。


「あまり人は多くないな。これなら前の方も空いているかな。」


柴山の言葉とは裏腹に、こういったスポーツ施設に来たことが無かった翔子は、人の多さに驚いていた。

バックスタンドは参戦校の関係者は少なく、一般入場者ばかりである。

警備員の目を盗んでメインスタンドにいた橋石きょうせき義継よしつぐも、バックスタンドへ移動していた。

場内売店のジュース販売コーナーで、翔子がふと足を止める。

赤、黄色、緑、オレンジ、様々な色のジュースの写真が、翔子の目を引いた。


「ん、喉乾いたかい、何か飲むかい?」


翔子は黙って、メニューの写真を見上げている。


「遠慮するなよ、ショウコちゃん。」


翔子は黙ったまま、売店に近寄り、いちごソーダを指差した。


…赤くてきれい。


「はいよ。」


柴山は財布を取り出し、いちごソーダと、自分はノンアルコールビールを購入した。

その背後を、橋石と義継が通り過ぎる。

だが、お互いに、気付かなかった。

どちらかが高次元クレヤボヤンスを発動していれば、或いは気付いたかも知れないが、義継はこんな所に白楼ラボの教育生がいるなどとは露ほども考えていないし、翔子も赤紫の『光の帯』を全く出していなかった。

売店を通り過ぎた橋石と義継は、17番ゲートを入っていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


キックオフ3分前。

両校の選手は配置に着き、前半に西側を自陣とする聖美陵のキックオフとなる。

試合は40分ハーフ、前後半合わせて80分。


聖美陵の選手二人がセンターサークルに入る。

背番号は11番と9番。

9番の選手が、紅河の記憶に残る去年の二年生の一人、19番だった左ウイング、おそらくエースストライカーである。

この9番のデータは利き足が右となっているが、左足のコントロールも右に匹敵し、シュート角度に死角がない。

聖美陵は2-3-2-3の布陣を敷いており、この9番はツートップの左、左のライン際からセンタリングしてくるのはウイングバックの8番の仕事となっている。


聖美陵の9番と11番は、ボールを前にし、敵である城下桜南の選手の配置を見渡した。


「やはり3-3-3-1できてるな。」

「ああ、桜南の得意シフトだ。」

「ディフェンス四人、オフェンス六人、ミッドがどう動くかにもよるが…舐められたもんだな。守備四人で止めようとはな。」

「一番後ろの2番、スウィーパーはしつこいぞ。甘く見ない方が良い。」

「わかってる。」


二人は左右に目をやる。

センターサークルぎりぎりの所に、城下桜南の左翼と右翼が腰を低くして構えている。

聖美陵の11番がつぶやく。


「桜南の開幕プレッシャーだ。右も左も、いきなり馬鹿みたいに突っ込んでくるぞ。要注意だ。」


9番は、だがそれには答えなかった。

彼は真っ直ぐ前を見据えていた。

その視線の先には…センターサークルよりやや後ろに引き、足を肩幅程度に開き、両腕を組み、顔をやや下に向けて目をつぶっている選手がいた。

サッカーパンツには『10』が刺繍されている。


…桜南10番…紅河淳!


180cmの身長は、高校サッカー選手の中にあっては、さほど大きいという程でも無い。

平均よりやや高めか、という程度である。

だが、その佇まいの、なんという威圧感か。

聖美陵の9番には、腕を組んで立っているだけの紅河が、巨大な壁に見えた。


キックオフ30秒前。

紅河がゆっくりと顔を上げ、組んでいた腕をダラリと落とし、そして前を見据え、腰を落とした。

聖美陵の9番と11番は、紅河の開いた目が、まるで自分だけを睨みつけているような錯覚を覚えた。

9番は、思わず一歩、後退ってしまった。


…くっ!


気圧されるな。

紅河がなんだ。

城下桜南がなんだ。


…俺は聖美陵のエースだ!


午前10:00丁度、キックオフのホイッスルが高らかに響いた。

※スリップ姿で書道パフォーマンス……『ちょっと雨降る文化祭』参照

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