桜色揺れて
「ねぇ、聴こえた?」
「ああ、聴こえました…雅弓さん、」
「え。」
「霊というものは、気の利いた嘘を、言ったりするものなのでしょうか…」
佐海は頬を伝う涙を拭いもせず、雅弓に濡れた瞳を向けた。
「嘘はつかないよ。思ったことそのまんま。」
「ほお…霊視を身に付けたばかりで、なぜ判るのです?」
「テレパシーと同じだから。」
「なるほど…」
枝連は本心から誇りと感謝を抱いて、この世を去ったのか。
遠熊所長を介した刑事局の教育カリキュラムは、枝連に何を与えただろう。
「良い魂に沢山出逢えた、と言っていましたね…」
「言ってたね。」
…私が感謝したいくらいだ、枝連君。ラボの使い手達は良い魂を持っているのだね、有り難う、教えてくれて…
「私も、主任の言葉を聴きたかった…」
風見が、伏せ目がちにつぶやいた。
「あのね、はくろうで指名は納豆が出来て…」
「後で局長に伺うわ、ありがとう、雅弓。」
「うん、わかった。」
しばし遠い目をしていた佐海は、口元を拭う仕草をしながら瞬きをし、姿勢を起こした。
「捜索の結果としては、若邑君は幽体、肉体、共に崩落現場には見当たらない、ということでしょうか。」
聴かれた雅弓は、視線を落とした。
「うん、視えない、コズカ、どこにも。」
「そうですか…遺体が見つからないという事は、希望があるということでしょう。この捜索はここまでにしたいと思います。」
「生きてるかな、コズカ…」
肩を落とす雅弓の右手を握る赤羽根が、不意に両目を閉じ、上体を屈めて左手で顔を覆った。
治信が声を掛ける。
「どうした、伊織さん。」
「あ、ええ、ちょっと目眩が…」
赤羽根は身を隠した病院で言っていた。
もう二度と湖洲香には会えない気がする、覚悟はしている、と。
「テレポートしたにしても、行方不明だった皆月岸人の様に、私達の与り知らぬ何処か、もしかしたら次元の違う空間へでも行ってしまうのでは、って…いえ、ごめんなさい、変なこと言いましたね、私…」
佐海も、治信も、赤羽根がどれだけ湖洲香を大切に想っていたかを知っている。
そして、湖洲香自身が、まるで死に場所を探しているかのような危うさを抱いていたことも、知っていた。
二人には、赤羽根に掛ける言葉が見つけられなかった。
もし仮にテレポーテーションを行っていたのなら、何も連絡を寄越さないというのは考え難かった。
なぜなら、湖洲香の目的であった義継が、まだこの白楼に居るからだ。
「でもさー、どこかで寝てるのかも。起きたら帰ってくるよ、多分。」
雅弓が言った。
赤羽根は手を額に当てたまま、視線を雅弓に向けた。
「どうして、そう思うの?」
「だってさ、分数のかけ算、教わってる途中だもん、コズカに。漢字も宿題されて、日本の地図も、何県とか覚えなさいって途中だし、コズカ結構厳しいから、私をいじめに帰ってくるよ、どうして出来ないのかしら!信じられませんわ!って。」
赤羽根は額の左手をパタリと落とした。
そして、笑った。
「そうね。あの子が雅弓を放っていくわけないわね。」
「うん。でも勉強なら帰ってこなくていいけど。」
「ぷっ…ふふふ。」
「あ。」
赤羽根を見ていた雅弓の目が、突然遠い視線になった。
「ん?」
赤羽根は、雅弓の瞳を覗き込んだ。
「誰か…」
「え?」
「呼んでる…」
「ええ?」
赤羽根は雅弓の心電図モニターに目をやった。
風見が身構え、自身の『光の帯』に意識を戻す。
佐海が問う。
「誰か、わかるのですか?」
「いろんな声…桜…色…」
全員が息を飲んだ。
雅弓に聴こえているもの、視えているもの、雅弓の言葉を、待つ。
先に風見が状況を口にした。
「雅弓の『光の帯』は下方へ向かっています。B15でしょうか…追尾します。」
雅弓がうわごとの様につぶやいた。
「桜色の光、私のこと、かな…」
それは、これまでも、B13やB14にも点在していた淡い光の群れだった。
『桜の色…』
『桜の光だ…』
『淡いピンク色、綺麗だ…』
『こっちへおいで』
『一緒に話そう』
『黄色い娘がくれた桜の景色…』
『美しい景色』
『桜の色』
『桜の子』
『おいで』
『おいでよ』
「桜の子だって。一緒に話そうって。」
雅弓の言葉に、佐海は危険な匂いを感じ取った。
「雅弓さん、若邑君では無いのであれば、もう戻って下さい。ここには浮遊霊が多く棲むと聞いています。無用な詮索はやめておきましょう。」
「みんな、エヅレと同じオレンジと白の光。冷たい感じしない。」
「戻りなさい、と言っています。」
「ちょっとだけ見てくる。」
「では、若邑君がいるかどうかだけ確認して下さい。確認が済んだら戻りなさい。」
「うん、わかった。」
雅弓の「うん、わかった」は、どこかか細い声であった。
佐海に過ぎった一抹の不安が強くなる。
「風見巡査、雅弓さんの監視を確実に。」
「は。」
三次元空間では既にセメントに埋まってしまったB15で、オレンジ色の輪郭を持つ大小の白い光が、フワフワと揺れながら、雅弓を呼ぶ。
『おいで、桜の子』
『あんた達、誰?』
『美しい景色をもらったんだ』
『けしき?』
『同僚と話したくて仕方がなかった』
『どうりょう?』
『でも、手を伸ばしても話せなかった』
『手を?』
『最期に桜をもらったんだよ』
『誰に?』
『黄色い娘が見せてくれた』
『黄色い?』
『話したかった』
『何を?』
『起こされて、眠らされて、また起こされて…』
『え?』
『話したかっただけなんだ』
『話せたの?』
『でも、黄色い娘のおかげ』
『え?』
『赤紫の娘のおかげ』
『え、赤紫?』
『肉体を離れるきっかけをくれた』
『はなれる?』
『起こされたり、眠らされたり…』
『もっと寝たいの?』
『桜と穏やかな気持ちをくれたんだ』
『え、なに、なに言ってるの』
雅弓は方々から来る思念に応じようと薄ピンクの『光の帯』を枝別れさせ、それぞれの光に伸ばしていった。
「心拍、血圧、共に低下。風見さん、雅弓は出し過ぎていませんか?」
深刻な表情で言う赤羽根に、風見は視えている状態を伝える。
「ご存知でしょうが、面積や体積では測れません。雅弓は一本の帯を分岐させたようです。これには精神力を使います。抑えるように伝えましょう。」
『雅弓』
『あ、サヤ』
『若邑さんを探すのよ。余計なことはせず、光の帯を元のように束ねなさい』
『だって、いっぺんにいろいろ言ってくるから』
『相手にしなくていいわ。若邑さんはいるの?』
『聞いてみる』
『雅弓の身体が悲鳴をあげているわ。無理は駄目よ』
『平気』
雅弓は分岐させた『光の帯』で精神感応も複数に分散させていった。
『コズカ探してるの。赤い光の人』
『赤?』
『赤?』
『赤…』
『赤…』
『そう言えば…』
『え、知ってるの?』
『紅…』
『朱色の…』
『光の巫女…』
『紅の巫女…』
『巫女』
『巫女』
『みこ?』
『少年を護る巫女』
『眩しい光の巫女』
『彼は違う、と言った』
『朱色の袴』
『白い小袖』
『少年は違う、触るな、と言った』
『光の巫女』
『紅の巫女』
『え?え?コズカじゃないの?』
『だから手を伸ばさなかった』
『同僚と話したかった』
『人の魂は色が変わる』
『色だけではわからない』
『でも眠らされる』
『でも起こされる』
『つらかった』
『寂しかった』
『さみしかったの?…』
『桜の子が来てくれた』
『黄色い娘がくれた』
『一緒に話そう』
『桜の子』
『桜の子』
『桜の子』
『ミコじゃなくて、コズカ知らない?赤いの』
『見てごらん』
『見てごらん』
『これが桜』
『桜の子』
『美しい桜』
『え、うわあ…』
白い光が、一斉にビジョンを描く。
満開の桜並木。
ヒラヒラと舞い散る花弁。
雅弓は、白い光達の満足気な思念に包まれ、その温かい風景と穏やかな思念に、刹那、浸った。
ピー!…
「雅弓!」
雅弓の心電図の波形が直線に変わった。
赤羽根は雅弓の首筋に左手を当て、口元に耳を近付ける。
「し、心肺停止!呼吸してない!雅弓!雅弓!」
佐海が、治信が蒼ざめる。
風見が叫ぶ。
「雅弓の『光の帯』、肉体から離脱!幽体が離脱しています !」
佐海が椅子から立ち上がり、風見に駆け寄って彼女の肩を掴んだ。
「オーブリカバリーオペレーションだ。出来なくてもやれ。」
「は、はい…」
風見はクリーム色の『光の帯』をグワッと拡げると、雅弓の肉体と、高次元空間に在る薄ピンクの『光の帯』を包み込んだ。
ジ…ジジ…
クリーム色の『光の帯』と薄ピンクの『光の帯』は接触する度に透過し、風見の脳に軽い痺れを起こさせる。
…外側を、雅弓の外側に拡げる!
雅弓を必死に囲い続ける風見。
赤羽根は完全に冷たくなった雅弓の右手を握り続ける。
雅弓の仮死状態の肉体は、半目を開けたまま、赤羽根の胸に抱かれている。
…ガイアの意識
…ガイアの意識って何よ
…戻って雅弓、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ…
風見は、遠熊の文献にある『意識の集合体』を、その存在を全身全霊を掛けて探した。
…ガイア、意識体、ガイア、意識体、意識の集合体、ガイア、意識体…
…戻れ、戻れ、雅弓、戻れ、戻って、雅弓、戻れ、戻れ、戻れ…
『きれいだね』
『優しい気持ちで行ける』
『皆で行くんだ』
『美しい桜のように』
『桜の子も行こう』
『穏やかなところへ』
『一緒に行こう』
『温かいところへ』
『いや、君は来てはいけない』
『え』
誰が言ったの?
来てはいけない?
あれ。
同じだ。
お父さんも言ってた。
エヅレも言ってた。
誰。
誰が言ったの?
『ピンク、仔駒雅弓さんだね。来てはいけない。もう戻るんだ。風見が呼んでいる』
『え、誰?』
『誰でもいいさ』
…みじゅん…
…ざみじゅんさ…
…しんかんの…
…りはなさせ…
…風見巡査…
「え、あ、え、何、誰!?」
風見に、雅弓とは違う別のテレパシーが聴こえてくる。
断片的に聴こえていた掠れたようなその思念が、徐々にはっきりしてくる。
『精神感応を切り離させるんだ、風見巡査』
…ああ、この思念は…
「車尾さん !」
蒼ざめていた佐海が視線を上げた。
『私は自ら幽体離脱して野神を助けた。使い手縛りからも自力で戻った。引っ張る者から精神を切り離すよう、仔駒に伝えるんだ』
『え、あ、車尾さん、あなたが伝えて、私、もう、どうしたらいいか…』
『判らないのか?肉体を持つ者が呼び掛けないと駄目だ。君なら出来る』
『雅弓を包んでいます。でも、戻れ、と呼び掛けても反応がなくて…』
『個の精神はもともと巨大な意識体から分離したものだ。仔駒は今、その意識体に帰ろうとしている魂に引っ張られている。その魂との精神の繋がりを絶たせるのだ』
『意識体?それが何なのか判らないのです…』
『弱気になるな、君らしくもない。オーブリカバリーが、なぜ対象の光の帯を包み込むのか』
『なぜ、と言われても…』
『それは、分断させるのだ、意識体から…ぶった斬ってやるのさ !やってやれ、レディースのリーダー!』
『ぶった斬る…』
隙間なく雅弓の『光の帯』を包み込んでも、透過してはみ出し、雅弓は霊との対話をやめない。
ぶった斬る?
個へ、切り離す。
風見の意識に、まず形作られたのは、個の精神、個の意識のイメージ。
そして、それが集合体と一部が融合してしまったイメージ。
集合体。
突然、風見の意識に、拡散する宇宙のような高速の放射線が飛び込んで来た。
…これ、これは、これなのね…
『離れろって言ってんだマユミ!いつまでもチマチマやってんじゃないよ!このクソガキが!』
『え、サヤ…』
それは一雫の水滴のようだった。
ピンク色の水滴。
それが、風見の意識の中で、宇宙空間から一滴、跳ね飛んだ。
ピチャ…
「あ。」
雅弓の肉体が声を出した。
「雅弓!」
赤羽根が、グッタリとしていた蒼白の雅弓の頬を左手で掴んだ。
心電図の波形が、突然波を打ち始める。
雅弓の、赤羽根を掴んでいる右手が、ピクリと動いた。
「雅弓!すぐに『光の帯』を消しなさい!今すぐに!」
「え…」
「え、じゃない!消しなさい!」
「怖いよ、イオリ…」
「私が怖いのはいつもの事でしょう!」
ガタン!
風見が椅子から転げるように、床に倒れこんだ。
呼吸を乱し、目を閉じて、ささやくように、風見は言った。
「ハァ、ハァ、見えました、ガイアの意識…駄目、だ、眠い…ハァ、ハァ、戻ったのね、クソガキ…」
そして、仰向けのまま、全身から力が抜けたようにダラリと腕を倒すと、寝息を立て始めた。
風見の心電図を見る赤羽根。
「…サイコスリープね。後で細かく診ます。」
赤羽根の右手は、徐々に戻ってくる雅弓の体温を感じていた。
「あのね、コズカのこと聴いたら、くれないのみこ、だって。それでね、黄色い子が、桜が見えて、みんな優しかったから、一緒に、そしたら、サヤが怒ってて、ガキって言われて、オバンのくせに、不良オバン…」
「相変わらず何言ってるか判らないわね、あんた。」
「でもね、サヤ、優しいから怒ってくれたって、すぐわかったんだ…」
「そう。」
「コズカね、いなかった。体も無い。ここにはいない…」
「そう。」
「だからね、今度は…」
そう言い掛けて、雅弓も寝息を立て始めた。




