人望のかたち
白楼β棟地下9階。
聴取や打ち合わせ等に使用されるフリールームには8人の『使い手』が待機指示の中にいた。
『使い手縛り』から蘇生した刑事局勤務の3名、第二ラボの教育生3名、そして野神、狩野である。
室内は質素な白い壁の二十畳くらいの広さで、中央には事務用デスクが四つ田の字に付き合わせて置かれている。デスクの上には何も置かれていないが、LANケーブルが数本伸びており、繋がっていない先端が雑に並んでいた。
壁には長机が四本寄せて置かれており、コーヒーメーカーと生花が生けられた花瓶がある。
簡易給湯と洗面台が、隅に設置されていた。
使い手達は各々、空いている床に適当にパイプ椅子を開いて座っている。
入り口付近には野神と狩野が座っており、野神は重々しい石膏ギプスがその右腕を覆い、三角巾で吊られていた。
狩野は膝を付けて肩をすぼめ、両手を膝に乗せてうつむき加減に座っており、時折視線を上げてラボの先輩達をチラチラと見遣っている。
狩野の横には空いたパイプ椅子が一つあった。先程まで風見が座っていたものだった。
他の者は中央のデスクを挟み、野神と向かい合うように、その椅子が向いている。
「私が問題視したい点は、野神、お前は業務上の損失を出した訳ではないだろう、という事なんだ。」
刑事局勤務の一人が谷元警視の取った処置に対する疑問指摘を続けている。
その話し口調は穏やかであるが、納得が得られるまで譲らないという意志の固さを含んでいた。
野神が、これも落ち着いた口調で応じる。
「指摘はわかるが、規定は『疑念を抱いた』時点でエラー扱い、となっている。私自身が思う警視の不備は、そのエラー部分を私に指摘せずに唐突に処置に動いたことであり、当事者の私にエラーを認識させるやりとりは必要であったのではないか、と思っている。」
議論が落ち着いた空気の中でなされている要因の一つは、この部屋の監視システムが映像、音声、共に切られていることにあった。
これは古見原所長の図らいである。
疑念を持った者を一箇所に集め、大人しく待機させる。一見、監視下に縛っておく事が肝要な状況であるが、実際はその逆で、誰も見ていない状態にしておく事が、人の心を落ち着ける。
何も密談を企てようという事ではないし、聴かれても望むところだと思うのだが、刑事局への辞令を受けている使い手達は、古見原のこういった配慮を、さすがだ、と感じていた。
第二ラボ教育生の女性が口を開いた。
岸人に『シロ』『クロ』『パンダ』と、その光の帯の見た目からあだ名された使い手の一人である。
「そんなに甘いものでは無いのでしょう。私はまだ教育生ですが、課題をこなしている最中にエラー要素に触れると、問答無用でいきなり降級です。次の日には、え、またここからやり直し?といつも驚いています。」
同じ第二ラボの教育生が言った。
「ここの先輩方も通ってきた道だ。10年以上ラボ教育を受けてきた方もいる中で、そんな事はご承知だろう。」
刑事局勤務者の一人が答える。
「いや、ラボ教育期間の長さは規定の厳しさだけではなく、緑養の郷出身者は知っていると思うが、我々を、そもそも社会のどこに出すかが定められていない時期が長かった。国家公務員の一点狙いで教育する方針が明かされたのは数年前だからな。野神や車尾、枝連さんも、かなり早い時期に『灰色』
になっていただろう。」
谷元に対する問題指摘をしていた使い手が、腕を組んで言う。
「話が逸れたな。戻そう。我々も人間だ、間違いも起こす。しかしそのヒューマンエラーが死に直結するのであれば、過去の歴史に見る軍隊の徴兵と何ら変わらない。確かに、戦時中の兵隊の様な覚悟を求められもした。それに承認もした。だが、野神、お前の言動は、本当に敵前逃亡や命令違反に当たる様なものだったのか?具体的に、谷元警視に何を問いたのだ?」
野神は真っ直ぐな目で淡々と答える。
「喜多室巡査と南條義継の証言を、警視の指示のもと、私は捏造した。偽証となるよう書き換えた。谷元警視には、それは本当に刑事局の意向なのでしょうか、と問うた。」
「なぜ、その疑問を持ったのだ?」
「それには、ここでは話せない内容が含まれる。」
他の刑事局勤務者が口を挟む。
「この期に及んで、まだ私達に話せないことがあるの?」
野神は少し考えた。
伴瓜警視正の査問委員会の件は話せない。
「差し障りのない範囲で言おう。喜多室巡査の報告、南條の殺人未遂に関わる部分に、当捜査課内での改竄があり、それを刑事局は問題視したんだ。という事は、その改竄は刑事局の指示ではない、と考え、谷元警視に確認した。」
「なるほどな。谷元警視のカンに触った部分は、野神が課長補佐である警視を飛び越え、課長をも飛び越えた上層判断を元に疑問を持ったこと、かも知れないな。」
「今思うに、そういうことなのだろうとは思う。『攻撃結界』へ堕とされた直後は、正直なところ、私には警視の処置が全く理解出来なかったがな。」
狩野は、野神のやや後ろで、野神を見た。
野神はここに集められた使い手達を大人しく待機させておく役目を担わされている。
その野神自身が、谷元を全く理解出来なかった、と、煽るような発言をした。
…そうか、皆の憤りは自分も解る、と同意識の保持を見せてるのか。
狩野のこの洞察は、だが、少し違っていた。
野神は、自分が感じたありのままを、素直に話しただけである。
しかしこの単純さが、野神が信頼を集めている一因でもあった。
自身の意識や感情を素直に話す。だが、言えない事は言えない、と守秘の姿勢も崩さない。
これは、野神の私利私欲の無さが、そうさせている。
これに、枝連のような利他の心が伴っていたら、主任待遇を受けていたかも知れない。
「だとするなら、上層部の判断が直属の上司と食い違った時、私達は上司に従うしかない、という事ね?」
捜査第一課唯一の女性使い手刑事が、眉をひそめていった。
野神は、その女性刑事の言いたい事を察し、自分の『光の帯』をフワリと出して見せた。
それは灰色ではなく、濃紺であり、所々に白が混じっている。
「現場は一筋縄ではいかない。上司に従っていても、それが刑事局の方針に背いていたり、ラボで叩き込まれた正義感に反する場合、心に葛藤が生じる。その葛藤が膨れ上がっていくと、光の帯は灰色を保たなくなる。矛盾した事を言うようだが、刑事を続けていく中で、必ず上司判断との衝突は起こるだろう。その時は戦わなければならない。国家公安の正義を拠り所として。」
「それで、有無を言わさず削除される?結局、上司の考えを正義とするしか無いってことなのね?」
野神は、古見原の最期の言葉、そして佐海局長の物言いをよく思い返しながら、言う。
「私の光の帯の色が規定から外れたことを古見原所長はご存知だ。その上で、皆とよく状況を共有するようここに派遣された。本来ならば、規定の『灰色』から外れた私は、皆との会合の場など与えてもらえないはずだ。更に、佐海局長はこうおっしゃった。」
野神は一呼吸置いた。
姿勢は動かしていないが、その意識を後ろの狩野にも向ける。
…よく聴いていろよ、狩野君。
「今回の惨事が収拾を付けられた後、刑事局の人事は大きく変わるだろう。伴い、使い手の適正規定も改変されると考えられる。そして、使い手を統率するための規律、規定も改変される。」
野神はもう一呼吸置き、皆を見渡した。
「そして、佐海局長のお考えでは、能力者ラボは我々使い手を拘束する機関ではなく、学校のように、時折初心に立ち返る教育の故郷として機能するような機関にしたい、と。だが、国家公安の正義は揺るがない、それだけは腹の中心に据えておいて欲しい…と。」
「学校…」
「初心に帰る場…」
少しのざわめきが起きる。
これまで能力者ラボは規律に縛られた強制指導の場だった。
そぐわぬ部分は、その者個人の気質であろうとも、叩かれ、矯正されてきた。
能力者の中には、ラボに比べれば自由奔放な義務教育の公立学校というものに憧れていた者も少なくない。
国家公務員の辞令を受けた後も灰色の暗雲しか見えなかった彼らにとって、それは、一筋の光が差し込むような、野神の発言だった。
「…だからこそ、我々は今まで以上に、自分の能力が危険な凶器になり得ることをより自覚しなくてはならない、ということだろう。」
「それは、今後は野神が受けたような理不尽な処置は、もう起こらない、と受け取っていいのか?」
「それは何とも言えない。まだ人事や組織改変が決定した訳ではないからな。」
「それをおっしゃった佐海局長は、異動されるということは無いのですか?」
「それもわからない。局長は、惨事の不始末は付けなくてはならない、とおっしゃっていた。」
「まさか、左遷などと…」
野神は知っていた。
佐海が懐に辞表を忍ばせていることを。
だが、それも、自分が明かしていいことでは無い、と彼は黙っていた。
「野神、現職の維持となった時、我々に選択の余地はあるのか?刑事を辞めたい場合、辞めさせてもらえるものなのか?」
「緑養の郷、旧特殊研究班、そしてラボ、これまで敷かれてきた能力者に対する処置を見れば、野放しにはしてもらえないと思う。だが、相談させてもらえる余地はあるのではないか、と私は思いたい。」
「さっき話してくれたこれまでの経緯から、ラボ破壊の主犯は特査の蓮田班長であることが濃厚のようだが、特査はどうなるんだ?赤い魔女の処遇は?」
「そこまでは聴かされていない。」
「皆月岸人は?殺人未遂の令状は活きているはずだが。」
「ああ、現状維持、指名手配続行だ。」
第二ラボの教育生が不安げな声で言う。
「θ棟が崩落したとなると、我々の生活はどうなるのでしょう。私物の回収は諦めますが、住む部屋は用意して頂けるのでしょうか。」
それを聴いた狩野は内心思った。
…裸一貫ですっきりしたじゃないか、こんな所に根を張って生活してるからそんな心配が沸くんだ。
「どうだろうな。α棟にもβ棟にも空室はある。生活空間の心配は不要だと思うが。」
「外には…出られない、のでしょうね…」
そのすがるような表情は、野神にも痛いほどわかる。
外に自宅を持ちラボへ通う、というのは無理であったとしても、機会があるなら少しでも館外に出てみたい、と、教育生なら夢にまで見る希望だ。
「わからない。だが、組織改変がなされた後、私から進言してみよう。この4月に刑事局部署へ配属となった我々は館外に自宅を持つことを許されているからな。」
教育生の表情が、幾分か明るくなる。
「もし、各種規定の改変後に、辞職や転職が許された場合、野神はどうするんだ?」
「私は、そうだな…」
野神は左手で右手のギプスを撫でる仕草をし、こう続けた。
「警察の仕事は続けようと思うが、右手は不自由だしな…地方の駐在所勤務でも希望してみるかな。」
この時初めて、野神ははにかんだような笑顔を見せた。
あまり人間味を表に出さない野神にあり、その表情は全員を和ませた。
「お巡りさんか。似合わんな、野神。」
軽い笑いが起こる。
それも、和ませようとして繕った発言ではなく、野神は本当に思ったことを言っただけだった。
『野神と風見をよく見ておきなさい』
狩野の脳裏に佐海局長の言葉が過る。
結果的に、ヒリついた緊迫感に包まれていた空気は、野神の応対によって溶かされていった。
もちろん、ここにいる使い手達の内心には、刑事局の捜査課に対する猜疑心が拭いきれない者もいるだろう。
だが、暴動の再発はなさそうだ。
何が、野神の何が、この空気へ誘導したのだろう。
…本当に純粋な人なんだ、野神さん。
警察庁に赤い魔女が現れた時、野神は確保要員ではなかったと聞く。
もっぱら、上官の身辺警護か、精神感応による聴取を役割としていたようだ。
テレキネシスのスペックや、心理戦での精神力や論破する知識、それが使い手刑事としての強さだ、と狩野は考えていた。
人の強さとは何か。
統率力とは何か。
それは様々な形をしているようだ。
その断片を、狩野は、野神に見た気がした。




