第七話
大広間に出た二人の前には、異様な光景が広がっていた。セミロングの髪と端正な顔立ちの少女の姿を持つ『ソレ』が、短髪の少女の首を、まるで鶏をくびり殺すように締め上げていた。
蛇に睨まれた蛙、という言葉はあれど、実際に蛇と蛙が並んでいるのを見たことは一度もなく、恐らくこれからも両者が対決する様子を目にする機会はあるまい、と静馬は考えている。しかし短髪の少女の首を絞める『ソレ』が振り返った時、静馬はまだ見ぬ蛇に睨まれた蛙の心境を味わった。半歩後ろの西島も同じ心境である。むしろ何よりも自分を優先する生き方をしてきた西島の方が恐怖をより強く感じていたことは言うまでもない。
「なぁに……、生き残りがいたの……?」
少女を床に降ろした『ソレ』は、肩まで伸びた髪を弄りながら静間達を視界の中央に捉えた。酷薄な笑みは温かみを感じさせず、見るものに『ソレ』から溢れる底知れぬ悪意への恐怖を抱かせた。
間違いなく殺される。それも酷たらしく、気の赴くままに。直感を信じて静馬は床を蹴った。改造人間特有の高い運動性を活用したその跳躍は、ヒトには不可能なスピードと飛距離で壁際まで静馬を運んだ。そこから更に跳躍し、天井に張り付く。静馬は改造された自身の肉体がもたらす強靭なパワーに感動するよりも先に、この状況を理解するべく、頭脳をフル回転させることにした。
「なんだお前は……ッ! お前のような改造人間はリストに無いぞ……ッ!」
恐怖に顔を歪ませながら、西島は絞り出すようにうめいた。改造人間開発のトップである男がその存在を知らなかった改造人間。おそらく西島の言っていた『不穏な動き』とやらは、こいつの開発のことだろう、と静馬は判断した。そして、地下の惨劇を引き起こした下手人もこいつだ。判断、というよりは確信に近い感情が静馬の中を駆け巡る。性能差は歴然、それ以前にむこうは人を殺すことに何の躊躇いも無い異常者。下手な抵抗は即、自身の死に繋がる。死への恐怖は無いが、こんな化物に殺られてたまるか。そんな子供じみてすらいる静馬の思いを一蹴するかのように、『ソレ』は先程静馬が見せたものよりも圧倒的な速度と飛距離の跳躍で静馬の眼前まで飛び込んできた。
「あなたも私に殺されたいのぉ……?」
『ソレ』は囁きながら鉄拳を振りかざす。その強烈な殴打をかわしつつ、静馬は床に降りてさらに距離をとった。コンクリートの天井から右腕を引き抜こうとしながら振り返る『ソレ』の死角に潜り込み、静馬は『ソレ』をめがけて飛び蹴りをはなつ。さらに天井の中に埋め込まれ、もともと突き刺さっていた『ソレ』の右腕は完全にコンクリートの中へ埋没した。
着地と同時に床を蹴り、静馬は走り出した。右手に西島を、左手に先程までぐったりと横たわっていた短髪の少女を抱え、一気にドアまで駆け抜ける。何事かを喚く西島を無視して、静馬はドアを蹴破った。
僅か一秒足らずではあるものの時間稼ぎを成功させ、静間達はその場からの脱出を果たした。しかしスタートに差が生じたとしても、段違いの性能差と人を二人抱えるというハンデは静間の精神に余裕を与えなかった。半ばパニックになりかけていた静馬はそのまま窓に向かって突進し、屋敷の外に転がり出る。割れた窓のガラスを踏み砕きながら静馬は森へ疾走した。後ろを振り返る暇は無い。次もうまくしのげる保証は無いのだ。ならばひたすら、逃げるしかない。そんな焦りが静馬の脳内を侵していく中、短髪の少女――佐条あきらは目を覚ました。