第四話
『改造人間』というものになってみないかと持ちかけられたのは、まだ冬の寒さの残るある日の午後だった。決まった職や住まいを持たず、転々と流れるような日々をおくっていた静馬にとって、手術を受けてくれれば安定した職を提供するという背広の男の提案は魅力的に感じられた。もちろん静馬はそんなものを信用していなかったし、『改造人間』というものになりたいとも思わなかった。しかし、自分はいつ死んでもいい、と思って生きている静馬はこれをあっさりと承諾する。どんなに堕ちようとも構わない、そんな自虐が彼の奥底に横たわっていた。
いくつかの線路をまたぎ、到着したのは古ぼけた洋館だった。そこの地下に改造手術を行うための施設は用意されていた。既に周りは似たような顔の男達に囲まれており、おそらくこの男たちが『改造人間』なのだろうな、と静馬は察した。これで死ぬならそれまでだし、死なずに『改造人間』になったのなら、そのまま今までのように緩やかで退廃的な生活を送るのだろう、と静馬はどこか他人事のように考えていた。
改造と言っても生身の肉体に機械をインプラントするのではなく、中枢神経をはじめとする人間を構成する上で必要不可欠なモノだけを取り出し、人間に似せて作られた『義体』に移植するというもので、『義体』も中に入る脳や内蔵等に合わせて一体一体調整する必要があるという、量産にはあまり向かない方式をとっていた。そしてそれにかかるコストや時間に見合う性能を持つ『改造人間』の制作のために、彼らは多くの経験値を必要としていた。もちろん静馬はそういう事情を知って協力したわけではないが、結果として彼らが歴史の表舞台に立つための手助けをしていたのだ。善悪を抜きにすれば、静馬が進んで人の役に立った数少ないケースのひとつといえる。もちろん、静馬にとって彼らの研究の成否など、すこぶるどうでも良いものだったのは、言うまでもない。
手術に成功し、外見は美少年、腕力は重機並みという『改造人間』となった静馬だが、義体とシンクロするために薬品の投与を受け、一ヶ月程眠りにつくことになった。
その後別室に移されたことが結果的に静馬の命を救う結果となる。静馬に使われたものと同タイプの義体の残骸を足で横によけながら、まるで自分を足蹴にしているようだな、と静馬はくつくつと嗤う。何に対して彼は嗤ったのか、答えられる者は、この世のどこにもいないだろう。嗤う本人でさえ、自身に芽生えた感情を持て余しているのだから。
やって来る絶望にいちいち感動していては自分がもたない。かつて桐谷静間はそう結論づけ、心を廃し、感情を廃し、あらゆる物事への関心を殺した。殺しきれるようになるまでしばらくかかったが、そうなってしまってからも、ありとあらゆる苦しみが静馬を切り刻んだ。もはやヒトでさえなくなった今この時でさえ、自分は過去に苦しめられている。いっそ頭の中も全て改造してくれればと、静馬は窓から月を仰いだ。
空に輝く月は穏やかに夜を照らす。人工の体と腐り果てた心を抱えたその男が、何を想うのか。あなたは独りじゃない、と誰かが言った言葉をそっと胸にしまいこんで、静馬は月光をその身に浴びながらその場を後にした。足取りは軽く、しかしこれからの新しい生活に期待も不安も無いまま
「頭が空っぽだと軽くていいね。僕ほど楽に生きてる奴なんていないんじゃないかなぁ」誰に聞かせるでもなく、独り呟いた。
精密機械が大量に置かれた地下室と違い、建てられた当時からほとんど手を加えられていない朽ちかけた屋敷と、その中に横たわるボロボロの絨毯やカーテンを見やりながら、まるで幽鬼の類のように静馬は玄関を探す。ここに連れてこられた際に目隠しをされていた為、彼は広い屋敷の中を彷徨わざるを得なかったのだ。迷路のように入り組んだ屋敷の間取りを、少しづつ頭に入れながら静馬は歩く。ここにいるわけにはいかなかったが、今すぐに立ち去らなければならない理由も無い。静馬はこの廃墟をうろつくことを楽しんですらいた。
実年齢より若々しいその見た目に反して、静馬は自分が子供の頃に流行っていた古い曲を口ずさみだした。以前のものとは違う自分の歌声に少々のためらいと新鮮さを抱きながら静馬は歌う。あまり気を張らなくても大丈夫、生きてるだけでまる儲け。その曲のそんな歌詞を、静馬は気に入っていた。
架空の観客に向けて静馬は歌う。下手ではないが何の感情もこもらないその歌声に、かつていっしょにカラオケの個室に入った恋人に「へたくそ」と笑われたことを静馬はなんとなく思い出した。
「てーんてーんてんてんてーん……いえい」
妄想の中のファン達に手を振り、静馬は野外ライブを打ち切った。
余韻に浸りながら、角を左折する。薄汚れた壁を撫ぜながら歩いていた静馬だが、角を曲がりきったところでその歩みを止めた。