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灰色男と恋わずらい  作者: 榊原啓悠
所在不明のラブソング
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最終話

 窓から差し込む月光が、灰色の惨状を照らし出す。床に容赦無く撒き散らされた人工血液のヌルヌルとした感触を靴底越しに感じながら、静馬はあきら達の方へ歩み寄る。そして腰の抜けた陽介にゆらりと手を差し伸べた。

「立てるか」

 返事も返せず、怯えた様子でおずおずと陽介は差し出された手を握り返し、何とか立ち上がる。中学生にはそぐわないタフな精神の持ち主である陽介だが、さすがに心を折られていた。そのことに気付いているあきらもまた、弟を巻き込んでしまった己の弱さとこの数日感の陰惨な事件の数々で弱りきっている。

 桐谷静馬となったこの少年もまた、背負わされた記憶という呪いと、それにまつわるあらゆる出来事によって蝕まれている。

「病んでいる。何もかも、どうしようもなく」

 誰にも聞こえない声で、静馬は呟いた。


 少女達はおぼつかない足取りで廃屋を後にする。

 それを引き止めようともせず、静馬はただ去って行く背中を見送ることしかできない。

 さようなら、と声をかけることもせず、ただぼんやりと姉弟を見送る。気の利いた言葉など、持ち合わせているはずも無いのだから。

 そうして佐条姉弟が去ってからしばらくして、静馬はやっと振り返った。

 眼前に広がるは、灰色の地獄。

 その中心に横たわる少女の亡骸にそっと触れてみる。

 冷たく、柔らかな感触。そこに命の残り香を感じて、静馬は小さく息をついた。

「このままには、しておけないから」

 その身を更に灰色の血に染めて、静馬は少女を抱き上げる。少女の遺骸は、改造人間となった静馬にはあまりにも軽い。加減を誤れば取り落としてしまいそうな感覚に襲われながら、ゆっくりと出口に向かっていった。


 廃ビルから一歩出てみれば、眼下には焼ける町が広がっていた。立ち上る煙は空を覆い隠し、揺らめく炎は二人をゆらゆらと赤く照らしている。

 この灼熱地獄を作り出したのが、背中の少女であることを静馬は未だに信じきれずにいた。

 何人殺したのだろうか。

 何人傷つけたのだろうか。

 醒めない眠りについた背中の少女。その少女の犯した罪はあまりに重い。少女の死は断罪だったのか、それとも救済だったのか。

「どうなんだろうなぁ。僕には難しくって、分からないよ」

 片腕を失ったことで変化した重心にふらつきながら、静馬は少女を背負ってその場を後にした。

「……ふーん、ふふふーん、ふーんふふふふーん」

 気の抜けた声で、静馬は鼻歌を口ずさむ。

 二人でカラオケに行った時のことを思い出し、自嘲気味に静馬は笑う。思えば、あれからもう何年になるのだろうか。もうあの店のポイントカードは使えないだろうな。

 そんな呟きでさえ声になっていないことに気付いた時、静馬はいつの間にか地に倒れ伏していた。背にした少女は相変わらず背負われたままなのに、どうして倒れたのかな、と思案していると、ふと、ここが見晴らしのいい丘であることに気が付いた。

 なるほどこれは絶景だ。静馬にそう思わせるに十分な見晴らしがその丘にはあった。背中の少女にも景色を見せようと何とか立ち上がろうとして


「------」


静馬は初めて自分の触覚が失われていることを自覚した。

 これではいけない。取り敢えずそこで一休みしようかな。

 声にならない声で独り言を呟きながら、静馬は傍らの木の幹に少女ともどもたれかかった。

 お互い寄り添うように眠る二人は、全身が人工血液で灰色に汚れていることを除けば、本当に仲睦まじい恋人同士のようでもある。

 今度こそ、今度こそ誰にも邪魔されない、二人だけの世界がここにある。

 そう思うだけで、静馬の欠けた心は幸せで満ちていった。

 次に目覚めた時にはまた独りきりであるとしても、今この瞬間の幸せを噛み締めていたい。

 そんなささやかな祈りに呼応するかのように、優しい風が二人にそよぐ。

 



頬をなでるそよ風が静馬に自身の涙を自覚させることは無い。それを感じるはずの触覚が、死んでいるのだから。


 そして灰色の改造人間は夢を見た。

 叶えられなかった、二人の愛の夢を。


最後まで読んでくださって、ありがとうこざいます。

この小説は、椿屋四重奏というグループの『恋わずらい』という曲を題材にしてあります。もし興味をお持ちでしたら、そちらも是非視聴してみてください。

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