第四十五話
原型も残さず破壊された都筑の遺体の上に、少年は立っている。張り付いた天井を蹴って飛来した少年の姿をした邪悪の化身は、その虚ろな眼差しを、あきらが抱く少女の遺骸に向けていた。
微笑みかける彼女の笑顔の記憶が自分のもので無いとしても、それでも彼にとってはかけがえの無いモノであった。
二度とさめない眠りについた彼女が最後に守ったのは、彼女の中にあるもう一人の少女が大切にしていたヒトだった。
「結局、最後の最後に、きみは偽物の僕じゃなくて、偽物の記憶を選び取ったってことか」
主を失い、指揮系統の崩れた改造人間達が陣形を崩してじりじりと後退していく。
「でも、きみならそうするだろうってことは分かってたよ。きみは優しい、優しすぎる人だったから、危ない目にあっているあきら達を助けようとしたんだよね。……最期の瞬間に立ち会えなかったのは、きみから逃げ出した僕への罰、なのかもしれないな」
幽鬼の如き足取りで、桐谷静馬の模造品であるソレは、麻倉香織の模造品だった少女の姿の遺骸へと近づいていく。
「僕は桐谷静馬の偽物だ。けど僕の中の、桐谷静馬としての記憶が、心が、きみをずっと求めていた」
流れるはずが無い、渇いた心の雫が、静馬の頬を伝う。
動かない右腕の代わりに、左腕を突き出す。
失われた感情が、ほんの少しだけ息を吹き返して、
「花音……きみを、きみを……愛してる」
静馬に言葉を紡がせた。
そして、優しく切ない時間は、終わりを告げる。
深く腰を落とし、全身に殺意と悪意を漲らせて、静馬は残る六人の改造人間達に突進した。
その圧倒的な加速度は改造人間の反応速度を遥かに凌駕した。真っ先に襲いかかられた仲間が灰色の人工血液を撒き散らしながら崩れ落ちるのを視認して初めて、改造人間達は眼前の敵の恐ろしさを改めて思い知る。皮肉にも、都筑に記憶と感情を奪われた彼らが再び人間らしい感情を取り戻すことができるチャンスは、命を奪われる刹那の恐怖にしか存在しないのである。
だが、静馬に彼らを救済しようという情など、わずかばかりも存在しないことは火を見るより明らかなのは言うまでもない。
「ず、あぁああ!」
正確かつ冷酷無比な静馬の鋭い蹴りや殴打は、数で勝るはずの改造人間を瞬く間に追い込んでいき、やがて掴みかかった一人を静馬は渾身の頭突きで床に沈めた。
その傍らでしゃがみこんでいる、精神を完膚無きまでに挫かれた佐条姉弟も、静馬の獅子奮迅の働きをただ傍観するだけではない。なけなしの気合を込めて、お互いに支え合いながらじりじりとその場から後退する。せめて、静馬の邪魔にはならぬようにと、少女の遺骸も一緒に。
「うぉあぁああぁ―ッ!」
襲いかかる前方の敵を逆に殴りつけ、そのまま肘を後方から接近する一人に打ち込む。肘打ちで生まれた左側の死角からすかさず足払いをかけられるも、それを跳躍で回避。さらにそこからの落下に任せて踵落としをお見舞いし、中空へ追撃を敢行した一人を叩き潰す。
「がッ――」
だが落下の際に生まれた静馬の一瞬を突いて、数秒前に頭突きを食らって顔面の崩壊した改造人間が、静馬を羽交い絞めにした。これは片腕が動かない静馬にとって大きなディスアドバンテージであると言える。
残る三人の改造人間が巡ってきたチャンスを察知し、一斉攻撃を加えるのに、一秒とかからなかった。
拳の一撃一撃に命を削られ
蹴りの一つ一つに身体は悲鳴を上げる
既に活動限界を訴える痛覚は全身に行き渡り
痛みが他の全ての感覚を塗りつぶしていく
それでも歯を食いしばり
拘束から脱しようと動かぬ腕にまで力を籠め
こみ上げる不快感も嘔吐感もかなぐり捨てて
尚足掻き、吠える
それは正に、まごうこと無き狂気そのものである。
その狂気の中に隠された哀しみや寂しさを受け止めてくれた女は既に存在せず、そもそも彼は女が愛した男の模造品に過ぎない。
それでも諦めきれないのは
彼が妄執から生まれた悪意の権化だからなのか
それとも―
「ううウぅうアあぁぁアアぁああッ!!!」
絶叫とともに静馬は拘束から脱出した。
右腕の肩から先を、置き去りにして。
灰色の人工血液が迸り、警告代わりの痛覚が脳を焼き焦がす。赤く塗りつぶされた思考と視覚、その先に自身を取り囲む敵を補足し、渾身の回し蹴りで一掃した。
電流のように火花を散らして脳内を迸る痛覚と喪失感を嗚咽と共に噛み殺し、蹴り倒された改造人間達の一人ずつに馬乗りになって頭部を砕いていく。
もはや全身が灰色に染まり、肩口の断面からはとめどなく人工血液が滝となって流れ落ちる。断面から覗く、動物のそれとは明らかに形質の異なる人工筋繊維、及び人工骨組織が、静馬をより一層、人間以外の何かであることを強調していた。
「しず、ま……」
こうなる前に止めたかった。そんな感情を挟む余地は既にこの惨状には残されていないことなど、しかしあきらは、悲しすぎるほどに理解していた。




