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灰色男と恋わずらい  作者: 榊原啓悠
所在不明のラブソング
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第四十四話

 突入から数十秒は奇襲の成功でなんとか上手く立ち回れたものの、自転車の走行で改造人間の猛攻から逃げ切るなど、とても不可能な話である。佐条姉弟の駆る自転車は、あっけなく改造人間の攻撃で潰された。

 悲鳴を上げて放り出された二人が床を転がるのと同時に、スクラップと化した自転車が無機質な音を響かせて壁に叩きつけられた。

 受身をとった陽介はすぐさま立ち上がり、咳き込む姉の手を引いて逃走を再開する。時間にして僅か三十秒ばかりだが静馬から注意を逸らすことができたのに一抹の満足感を覚えながら、同時に陽介は死を覚悟した。

 ただの回し蹴りで自転車をスクラップにして、なおかつ数メートルもの距離を滞空させるような規格外が何人も襲ってくるのである。そんな連中に袋叩きにあいながらも、それでも何人かは返り討ちにした静馬の戦闘力の高さが伺えた。

 だが、その頼みであり、救出の第一目標である桐谷静馬は今もなお力無く横たわっている。

 止めを刺そうと突進してくる改造人間が六人。対抗手段はこの手には無く、あきらも陽介も絶望に沈みかけた。

 殺される。

 悟って、陽介は立ちすくむあきらを胸に抱き寄せた。

 姉を最後まで守りきれなかった悔しさと、こんなところで果てる己の運命への怒りがないまぜになって、陽介は絶叫した。


「大丈夫」


固く閉じられた瞼だったが、不意にかけられたその優しい声に促され、佐条姉弟は恐る恐る目を開けてみる。


世界は灰色に包まれていた。


「え」


 続いて、佐条あきらも固く閉じた瞼を開けてみる。眼前に広がるのは、自分と弟の服にべっとりと付着した灰色の液体と、改造人間達の拳に四方から体を貫かれた――

「香織ぃッ!」

 ――麻倉香織によく似た顔で微笑む、少女だった。


 少女の唇が、微かな言葉を紡ぐ。

 誰にも聞こえない、本当に小さな声。

 でも、それでもあきらはその言葉を聞き届けた。

 

 改造人間達の拳が引き抜かれ、少女は崩れ落ちる。それをあきらは優しく、そっと抱きとめた。

 触れ合う肌の、そのあまりの冷たさにあきらは全てを悟った。改造人間特有の体表温度の低さでは無く、もっと観念的な冷たさを。

「かおりぃぃ……」

 もう二度とは動かない少女の遺骸を抱きしめて、あきらは泣きじゃくる。陽介も、少女の顔を見てはっとした。

「麻倉、先輩…?」

 実際に少女が誰であったのかは、二人にとって問題では無い。例え麻倉香織の似姿をとっただけの別人であるとしても、佐条姉弟に関係は無い。

 

大切な人との唐突な再会と二度目の死別が、ふたりの心を挫いた。


「結局、本来の順番通りに始末することになったか……。随分手を焼いたがもうこれまでだ。殺せ……ん?」

 感情の篭らない声で淡々と姉弟の殺害を命じる続きだが、命令の最中で妙な違和感に襲われた。

 改造人間達の数があわない、などということはない。姉弟を取り囲む改造人間は六人。残り全員だ。半数の改造人間を失ったものの、麻倉幹久の改造人間の始末に成功して、理想通りとはいかずとも、あと少しで計画は完遂されようとしている。

 なのになぜ、なぜこんなに違和感があるのか。

 都筑は改造人間達に制止するよう合図を送り、ぐるりと周りを見渡す。


妙な静けさが支配する廃ビル一階のホールに充満する『ソレ』が違和感では無く、もっと異質な『何か』であることに気付いて、都筑は凍りついた。


ゆっくりと、期待を込めて振り返る。


期待は裏切られた。


そこにいたはずの桐谷静馬は、ついさっきまでここにいたという痕跡だけを残し、その姿を消していた。


それが、都筑博嗣の見た、最後の光景。あくなき野望のままにひたすら上を見上げていた男がその最期に見たのは、薄汚れた廃屋の床だった。


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