第三十八話
改造人間達が瓦礫をかき分けて出来た道を発見し、佐条姉弟は走行を停止した。彼らにはこの道がどのように作られたかなど分かるはずもないが、この大惨事の中心にいるのが静馬達であると思うと、あきらは何となく察しがついた。
「姉ちゃん、ここももうすぐ火が回ってくる。煙もすごいし、いい加減、アイツもここにはいないんじゃないか?」
火災において、最も恐ろしいのは火そのものではなく、一酸化炭素等の有毒ガスによる中毒である。それを正しく理解しているからこそ、佐条陽介は姉のあきらにここからの脱出を薦めた。
「いくらアイツでもこんなところに長くいられるはず無いって。オレ達も早いとこ逃げないと、死んじまったら意味がない」
改造人間のことを知らない陽介ではあるが、この発言は実に的を射ている。肉体のほとんどが機械である改造人間ではあるが、核となる素体、つまり中枢神経をはじめとする、いわゆる『生の部分』に酸素の供給は必要不可欠である。どれだけ強力な義体を用いようと、生命維持に外部からの供給は欠かすことはできないの。生身の人間より少ない供給で動けるという利点はあれど、長時間低酸素の状況に置かれでもすれば窒息死はまぬがれられない運命にあるのだ。
佐条姉弟が知るはずもないが、桐谷静馬及び橘花音両名の生命維持は男に連れて行かれた時点で非常に危険なところまで来ていた。火事場とはいえ比較的安全な場所にいた佐条姉弟が想像するよりも、遥かに過酷な環境で静間達は格闘していたのである。
これもまたあきら達が知らないことであるが、桐谷静馬が佐条家を出てすぐに橘花音のもとへたどり着けたのは、その時点で既に町から火の手が上がっていたからである。
町の惨状に花音の気配を感じた静馬は自ら炎渦巻く町に飛び込んでいったのだ。
逆に、静馬より数分遅れただけのあきら達が未だに静馬に合流できない理由は、単純に自転車より静馬が速かったからだけではなく、躊躇いなく火災の只中への最短距離を突っ切れたか否かにある。
勿論、静馬が第六感にも近い驚異的な感覚に導かれていたことや、あきら達が野次馬の波を避けるのに手間取ったことなどが理由に挙げられるが、佐条あきらはこの現状に焦燥を募らせていた。
焦燥が思考する余裕を奪い、あきらに決断を迫る。
すぐにでも駆けつけなければ。
今の静馬を一人にするわけにはいかない。
「逃げない……この道の先に、静馬はいる。急いで迎えに行かなくちゃ、あいつは本当に死ぬかもしれない」
先走る想いが、佐条あきらの歩を進めた。
「姉ちゃん!」
自転車にまたがる弟が、あきらの腕を掴んで引き戻そうとする。振り払おうとするあきらの抵抗は、しかし腕をしっかりと掴んだ陽介には効果が無かった。
「どうしてそこまでしてアイツを……いや、もう事情は聞かない。聞いたところでこんな状況を巻き起こすような事柄を理解できるハズがない。けどさ、オレは姉ちゃんに危ない目にあって欲しくないんだよ! もう十分探したじゃないか、これ以上はもう無理だ!」
振り向こうとしないあきらに、陽介はさらに叫ぶ。炎の音にかき消されないように、強く。
「今ならまだここから逃げられる! 冷静に、現実を見てくれ! この火事じゃあ、もうアイツを探すなんて無理だ! そもそもここにアイツがいるのか? オレに事情は分からないけど、消防士でもないのにこんな中に突っ込んで行くなんて考えられない! 妙な気迫に脅されてここまで来ちゃっといてアレだけどさ、さっきから姉ちゃんおかしいよ……!」
まくしたてて、軽くむせる陽介。そんな彼の最後の発言に、あきらは感情を爆発させて振り向いた。
「おかしい? ああおかしいよ! この数日、幽霊屋敷だの改造人間だの財団だの! 静馬も大概おかしいよ、むしろ異常だよ! でも、だからって放っておくわけにはいかないじゃない!」
聞き慣れない単語を叫んで激昂するあきらの気迫に不安を感じて、陽介はさらに姉の腕を握る力を強めた。
「熱で頭でもやられたのかよ! ワケわかんないことばっかり言うなよな馬鹿ねーちゃん! そんなことを言う人を、なおさらこんなところに置いてなんて行けるかよ!」
ぐいと引っ張られて、あきらは強情に突っ張っていた足を地面から離して仰向けに転倒した。自転車にまたがったままで引っ張った陽介も、そのまま釣られて自転車ごと転倒する。仲良く地べたに転がった格好となるが、ここは中心部から大きく離れているとはいえ火事の真只中。熱された地面の思わぬ熱さに、たまらず二人は飛び起きた。
「あっつぅ…。って、おい! こら待て!」
打ち付けた肘をさする陽介の油断をついて、あきらが足早に駆け出した。
「この瓦礫を無理矢理掻き分けたような道は、改造人間がここを通った証拠! この先に、静馬はいる…ッ!」
待て、と叫ぶより先に、陽介は自転車を起こしていた。発言内容はしっちゃかめっちゃかであるものの、姉の言葉には真に迫る何かを陽介は感じた。納得は出来ないが、結局は姉に押し切られるのか、と陽介は溜息をついて小さく呟いた。
「置いてくワケにもいかねーしな…。わーったよ、OK。電波系の姉を持つと苦労するな、クソ」
ぼやき終えると、陽介は立たせた自転車を立ち漕ぎしてあきらを追いかける。
自前の足で走る姉に追いつくのは造作も無いことだが、追いついてもあきらを静止する手段を陽介は思いつけなかった。
「姉ちゃん、これだけ言ってもまだ家に帰るつもりは」
「無い」
「強情を張りやがって…。まぁでも、この先は比較的被害が少ないから、そうそう危なくはないけどな。これがもし本当にアイツの通った道だって言うんなら、……まぁアイツも死に急ぎじゃなかったってことか」
進む先に煙が立ち上っていないことを視認して、安心した様子でいる陽介を一瞥して、あきらは小さく、しかし陽介に聞こえるように言葉を紡いだ。
「ここまでありがとう、陽介……。でも、あたしについて来たら、最悪あんたは死ぬかもしれない」
聞こえないふりをして、陽介は尚もあきらと並走する。現実味のない、馬鹿げた話なのに、あきらのその言葉の持つ生々しさが陽介の不安をさらに掻き立てた。
「安全なところに出たら、あんただけでも家に帰って。あんたを巻き込んで死なせたとあっちゃ、父さんと母さんに申し訳ないもの」
最後は消え入りそうに小さな声で、あきらは祈るように言った。
ぎり、と歯を鳴らし、陽介はペダルを漕ぐ足に一層の力を込める。並走をやめてあきらの前に出ると、陽介は車体を横向きにして急ブレーキをかけてあきらの眼前に立ちはだかった。
「危ないじゃない! そこをどいてよ、陽介!」
「俺だって、姉ちゃんを置いてのこのこ一人だけで帰ったりしたら父さんや母さんに合わせる顔がない」
「ッ……。お願いだから通して、行かせてよ……!」
「二ケツしてった方が速いだろ? 早く乗れよ」
ぽかんとした様子で立ち尽くすあきらへ、陽介は後ろに乗るように顎で促す。その顔は、覚悟を決めた男の顔だった。
「姉ちゃんはオレが守る。そんでもって姉ちゃんの用事も済ませて、二人で生きて帰るんだ。何がそんなに危ないのかオレには分からねえけど、……姉ちゃんは、オレが守ってやるよ」
切羽詰って追い詰められた表情のあきらだったが、陽介のその頼もしい言葉に、思わず柔らかな笑みを見せた。
「ありがとう……陽介」
何度も、何度も礼を繰り返し、あきらは陽介の背にその身を預けた。荷台に尻を乗せて、二人乗りの格好となる。乗り心地はお世辞にも良くは無いが、一回り大きく成長した年下の運転手の背中は、存外に心地よかった。
「飛ばすぜ」
「よろしく」
瓦礫の間を縫って、改造人間達の切り開いた道を自転車は奔走する。体力的には二人共そう余裕は無いが、並々ならぬ精神力がその細い体を支えていた。




