第三十四話
荒れる呼吸のリズムに合わせて、自転車のタイヤの駆動音が深夜の住宅街に響く。
初めての二人乗りの相手が自分の姉であることに多少の抵抗を感じたものの、陽介は自分の小さな葛藤など瑣末なことでしかないことを数百メートル先に立ち上る火柱と黒煙から既に察知していた。
中学に上がった時に買い与えられたカゴ付き自転車の荷台に姉の佐条あきらを乗せて、燃え盛る町へと急行する。
※※※※
正直に言ってしまうと、陽介は気が乗らなかった。
「あいつ、死ぬ気だ……。早く行かなきゃ。静馬が死んじゃう前に、何としても……!」
去り際の表情から決死の覚悟を読み取り、姉は酷く狼狽し、そのまま追いかけて行きそうになった。
「あ、おい待てよ姉ちゃん! 何しに行くのか知らないけどよお、今外に出るのはやべえんだって!」
「何がヤバイっていうの、追いかけなきゃあいつ、刺し違えるつもりだよ絶対……!」
冷静さを失った様子で慌てふためくあきらを何とか静止しながら、陽介は自分のスマートフォンの画面をあきらの鼻先に突き出した。
「町に住んでる友達がアップした写真だ! 見ろ、もう向こうは大火事だ! おまけに逃げる人々を無差別に襲う女もいるって話もある! うかつに動けば、死ぬのは姉ちゃんだぞ!」
佐条陽介の言葉に嘘は無い。火事場のテンションで写真をネットに公開した彼の友人もまた、この時点で既に犠牲者の仲間入りを果たしている。だがあきらは、毅然としてその忠告を突っぱねた。
「……ありがとう、陽介。でもあたしは行かなくちゃいけない。――あんたは父さんと母さんに連絡を入れて」
リビングのソファーに置いてある上着を羽織って、あきらは玄関へと歩いていこうとする。だが、それを容認する程、陽介は緩慢では無かった。
「聞いてなかったのか? 死ぬかもしれないんだぞ! 外は危険なんだ!」
「別に、町に行こうって言ってるわけじゃないでしょ。わざわざそんな猛火に飛び込むような真似はしないよ」
もちろんこれは嘘である。『無差別に市民を襲う女』の話を聞いた時点で、香織――橘花音がそこにいることは確信していた。ならばそこに行けば、静馬もまた――
「……頼むよ姉ちゃん……。訳を、訳を話してくれ……。何であいつをそこまで助けようとするんだよ……」
静止というより、すがりつくような格好であきらの肩に陽介は手を置いた。彼もまた、三日前の幽霊屋敷でのあきらと同じく、不可解な現状に怯えているのである。並外れた精神強度を持つ陽介だが、彼もまた、十四の子供なのだ。
すがる弟を無闇に引き剥がすこともできず、あきらは逡巡する。
陽介の言うようにここに残るか
置いて静馬のもとへ行くか
それとも――
「――陽介」
「え……?」
「力を、貸してくれる?」




