第三十三話
自動冷却が終わり、活動を再開すると、少女は自身にまとわりつく橘花音の記憶を振り払うべく適当な壁に体当たりをした。
容易く砕け散ったコンクリート片を踏み砕きながら奥に進むと、怯えた様子でこちらを見つめる幼い兄妹がいた。周囲を見回し、どうやら民家の壁を突き破ったらしいことを確認して、子供達に手を伸ばした。
「……え……?」
伸ばしたこの手で、何をしようとしていたのか。
殺す、だなんて、そんな酷いこと、できるはずが
血に濡れた手を見て、橘花音は驚愕した。そしてそれと同時に、取り戻した自我を再び失いそうになるような激しいノイズが脳内を駆け抜ける。
「あ……ぐ……い、今たす、け…」
怯える子供達を火の手から助け出さなければ。そう強く念じて花音はギリギリのところで踏ん張ろうとする。
荒れ狂うノイズが思考を真っ赤に染めてしまうその前にこの子達を、たす たすけなければ
たすけなくちゃ はやくしないと
もえて しまう
そのまえに
はやく はやく はやく
「ころさないと」
鮮血に濡れる少女に、既に橘花音の自我は介在していない。封殺された彼女の良心から差し出された救いの手は、いとも容易く子供達を八つ裂きにした。
少女を突き動かす衝動は再びその爆発を再開した。
殺人衝動。
それが麻倉幹久によって植えつけられた、この可憐な少女の姿の改造人間を動かす衝動の正体。
素体となった橘花音を上書きして麻倉香織を蘇らせることとは別に、麻倉幹久には目的が存在していた。
『最強の改造人間を制御下に置くことで、財団の中で優位に立つこと。』
手帳に記すこともしなかった、秘めたる野望。それが叶えられることこそ無かったが、その狂気は今、ひとつの町を滅ぼそうとしている。
自らに忠実な理想の娘の再構築と、財団内部のパワーバランスをもひっくり返すことができる圧倒的な力。支配欲に溺れた幹久の狂気の完成形、それがこの少女である。
最強の武力を追求した結果、殺人衝動に至った理由は、いかなる人格を上書きしようとも、ヒトを殺めることへの罪悪感と嫌悪感を払拭することができなかった点にある。
過去に行った数々の実験の末、麻倉幹久は遂に殺人衝動を人工的に人間に植え付けることに成功する。そこで、これまでずっと我慢をしていた娘に手を出したのだ。
結果は成功。衝動に耐え切れなくなった香織は、そのまま同級生の男子生徒を殺害。だが、思いもしない事態が発生した。
搬送された精神病院で、自らの殺人衝動に耐え切れず、自殺をはかってしまう。これから改造人間として自らに忠実な下僕とするつもりだった娘の訃報に、幹久は一度は絶望する。だが、彼はすぐに思考を切り替えた。
改造人間にする前にそんな衝動を植えつけられたら、もたないに決まっている。今回は我慢が足りなかった。と。
麻倉幹久が改造手術を行うより先に殺人衝動を植え付けたのは、ただ単に我慢ができなかったからである。
自分の思う通りに娘が苦しみ、殺人という凶行にはしるのを一日も早く見たい、というのが幹久を突き動かす全てであった。
この男の歪んだ支配欲の矛先に何故、双子の妹である彩乃が選ばれなかったのか。
理由は単純明快にして、悪逆非道。麻倉彩乃は既に幹久の奴隷だったからである。そしてそれは、幹久の妻にして彩乃の母親である麻倉遠子も合意の上での話であった。
本人も手帳に記すことを躊躇った、麻倉幹久の醜悪な欲望の正体は、あまりにも醜く、えげつない。
本懐は遂げられなかったものの、その欲望は形を変えて町を焼き、人々を殺戮している。狂気の権化となった少女を止める術など、既に存在しないのだ。
「うーわ、派手にやるなあ。あちこち燃えてるじゃん。おイタもここらにしとかないとダメだぞ? なあ、花音」
ただ一人を、例外として。




