第十九話
「う〜ん……なかなか似合うのがないなぁ」
昨日襲いかかってきた財団の刺客たちの骸の上で、香織は憂鬱そうに洋服を吟味していた。無論、買ってきた物ではない。足元に転がる改造人間達が身に付けていた物である。
気に入るものが見つからなかったのか、やがて香織は手にとっていたジャンパーを後ろに放り投げた。光が薄く差し込む廃工場の中で、哀れな改造人間たちはその無残な骸を晒している。それを悠々と踏みつけながら香織は、三日前に森で入手したヨレヨレのパーカーを掛けてある壁に歩いて行った。
手に取って、感触を確かめる。しかしそれだけでは足りないのか、今度は匂いまで嗅ぎだした。麻倉香織の心の中には、このパーカーの持ち主のこと以外の何かなど、介在する余地もないのだ。
うくく、と笑いながら、うっとりとした表情でパーカーに頬ずりをする。この少女が森から出てきた後、改造人間を含めて二十人以上を殺害しているなどと、誰が想像できるだろうか。
「早く、君に会いたいなぁ……。そしたら今度こそ君を捕まえて、名前を聞くんだ」
恍惚の表情を浮かべながら、パーカーに向かって語りかける香織であるが、しかしその身には先日まで着用されていたブレザーは無く、下着しか纏っていない。ブレザーの泥汚れが落ちなかった為である。
機械の体とはにわかには信じ難い美しくも艶かしい曲線美を誇る少女のその肢体は、しかし片手で軽自動車を軽々投げ飛ばす程の凄まじい力を秘めている。最初こそその力を使いこなすことができなかったが、森での戦闘と、ここでの大立ち回りを通じて徐々にモノにしていた。
「よいしょっと」
一声かけて、香織はパーカーを羽織った。下着の上にパーカー一枚だけという、なんとも扇情的な格好だが、香織自身は割と気に入っていた。
打ち捨てられていた割れた姿見で自分の姿を見て、おかしいところが無いかチェックする。生身の頃から変わらない自分の容姿に満足気な表情を浮かべるものの、どこか違和感を捨てきれずにいた。
何かが、違う
そんな形容し難いもやもやとした違和感が、先程まで高揚していた香織の心に影を落とす。何も違わない、何も変わらないはず。なのに、何故。
だがそんな違和感も、全て性格が変わったからだと香織は決め付けて、すぐにさっきまでの明るい調子を取り戻す。
我慢しないこと。それが、改造された後の香織の信条になっていた。きっかけは本人にもはっきり分かってはいないが、生身の頃に抑圧されていたあらゆる感情を発散するようにすることにしたのだ。そして今の香織には、それを叶えるに十分すぎるほどの力がある。ここに、人類史上類を見ない、最強最悪のシリアルキラーが誕生したのである。
触れるものを皆壊し尽くす、狂気の刃。そんな凶刃の鞘となるのは、果たして彼女の親友か、はたまた想い人である少年か、あるいは――
「はぁ…何だかお腹すいたなあ。こんな体になってもご飯食べたくなるなんて、変なの」
やや低いトーンの声で呟いて、香織は自身の腹をさする。生身のまま残された脳をはじめとするいくつかの器官を維持するため、改造人間は人間ほどでは無いにしろ栄養の摂取が必要である。勿論そのような情報を知り得ない香織は、ただの空腹と認識していた。
「何か食べに行こうかなぁ…。あ、でもお金無かったっけ。……なんでこいつら財布も持ってなかったのかな、使えねー」
悪態をついて、手近に転がっている改造人間の頭部を一発蹴り飛ばした。隙間から差す太陽光の様子から、時刻は昼間と推測する。空腹を満たすために強盗を働く、というのも少々間抜けな気もしたが、背に腹は代えられないと結論づけて、香織は軋む戸を開けて外へ出て行った。
「うおっまぶしっ」
数時間ぶりに浴びる日光にさらされて、香織は一瞬よろめいた。瞼の裏からでも分かる春の日差しを忌々しく思いながら、香織は少し大きめなフードを被った。大きく開いたチャックを閉じて、まるで裸の上からパーカーを羽織ったような格好になる。
「何食べよっかなー、お寿司とかいいかも」
廃工場が立ち並ぶかつての工業地帯の中を歩き出して数十分、やがて周囲の色合いが灰色から緑色に変わっていくことに気づいて顔を上げると、香織はいつの間にか公園と思しき場所に出ていた。改造される前慣れ親しんだはずの町並みだというのに、香織は道に迷いつつあった。
「おっかしーなー……。確かこっちに……あれ、ダメだ思い出せない」
改造された時に記憶が飛んだのか、と顎に手をあてて考えていると、後方から下品な声が聞こえてきた。
「あっれー平日の昼間っからそんな格好でナニうろうろしてんのー?」
「良かったら俺らと遊ばない?」
「ていうかそんな格好でうろつくとか、何キミ誘ってんの?」
ゲハゲハと下劣な笑い声をあげて、派手な格好の男達が歩み寄ってくる。香織は生理的な嫌悪感を抱くと同時に、いい獲物が見つかった、と舌なめずりをした。
「へぇ、近くで見るとチョー可愛いじゃん、なになにもしかしてAV女優さん? 今撮影中だったりするの?」
「ブヒャヒャヒャ! 野外プレイってか?」
「俺らも混ぜてよー」
五人組の男達が舐めまわすような目で香織を見る。そのうちの一人が我慢できなくなったのか、香織の体に触れようと手を伸ばした。男が伸ばした手でそのまま香織の胸を鷲掴みにしようとする直前、その脇でヘラヘラと笑う仲間の一人だけが、目前の少女から放たれる強烈な殺気に気が付いていた。
瞬間、伸ばされた腕を香織はまるで小枝のようにへし折った。悲痛な悲鳴を上げて男が尻餅をつくと、香織は容赦なく男の喉を蹴り潰し、そのまま頭部と胴体を分離させた。
サッカーボールのように蹴り飛ばされた仲間の頭を目で追いつつも、男達は何が起こったのか分からずにいた。
横を向いたままの男のうちの一人の側頭部に深々と指を突き刺す。直後、後方に控えていた男が一人逃げ出すが、それをめがけて指に刺さった仲間を投げつけた。
投げつけられた男が短い悲鳴を上げて仲間の死骸の下敷きになる。まだグループの中では下っ端であろうその男は、その臆病な性質故に、ただ一人、自分たちが声をかけた相手がどれだけ恐ろしいかを正確に判断できていたのだ。
残る二人は半ばパニックになりながらも、懐に隠し持っていたバタフライナイフを取り出して斬りかかる。
「二対一でぇ!」
「卑怯とは言わせねぇぞ!」
野太い声を上げながら男達が振り下ろすナイフが香織の体に殺到しようというその刹那、男達はこれまでの人生を一瞬のうちに振り返っていた。
「え、これって走馬灯じゅァ」
言い終わらないうちに、男の腹部を香織の鉄拳が貫通する。血糊がつかないように素早く引き抜いて、香織はもう一人の男が突き立てたナイフを払った。否、正確には、表皮に軽く傷を付けたナイフを払い除けたのである。ろくに手入れもされていないナイフの刃が、特殊細胞によって編まれた人工筋繊維に傷をつけることなど、かなうはずもない。
「ば、化物ぉ!」
顔面蒼白で後退りをする男は、獲物が地に落ちた時点で、目前の少女と自分の間にある圧倒的な差を感じていた。仲間内から狂犬と恐れらていたその男は、自分の強さに絶対の自信を持っていた。しかし、目の前に佇む少女の規格外な強さを前にして、完全に萎縮し、膝をついて頭を垂れていた。
「た……助け」
必死の命乞いを言い終わらないうちに、香織は差し出された頭を踏み砕く。狂犬の最期は、あまりに惨めに締めくくられた。
最後の生き残りである男が覆い被さるかつての仲間を押しのけて這いつくばると、そこには血の海が広がっていた。その上で佇む少女を視界の中心に捉え、男は恐怖のあまり、悲鳴をあげることすらはばかられ、ただただ涙を流した。
泣きじゃくる男に一切の憐憫の情も抱かず、少女は男に一歩、また一歩と歩み寄っていく。
「きゃ……母さん」
最期に愛しい人に助けを求め、男は少女に歩くついでに首を踏み潰され、息絶えた。
春の穏やかな日差しの中、返り血から漂う匂いに顔をしかめながら、少女は公園を散策する。殺した男のポケットから取り出した財布をパーカーのポケットの中に入れようとして、ポケットに血が溜まっていることに気が付き、さらにしかめっ面になる。
「あーもう最悪ぅ……どっかでシャワー浴びたい…」
ふと見やると、水道の蛇口を発見する。香織は周囲に人がいないことを確認して、パーカーを脱いで水洗いを始めた。下着だけで屋外にいるという状況を、香織は存外、楽しんですらいた。以前より開放的になったこともあるが、何より自由を満喫したかったからである。
やがて血糊を洗い終わり、軽く絞ると、今度は自分の体の汚れが目につくようになった。
「あー……、気づかなかったけど私こんな汚かったんだ……」
再度周囲を確認して、香織はついに下着も脱いで、水道水で身体を洗い始めた。
「うあぁ惨めだー! シャワー浴びたーい!」
軽くべそをかきながら身体を洗う香織だが、その百メートル程離れたところで野ざらしにされている死骸のことなど、既に少女の中では忘却の彼方へと消え去っていた。
穏やかな風に揺られて、湿った髪が踊る。洗ったパーカーは着たまま自然乾燥させることにして、香織は日当たりのいいベンチに腰を下ろしていた。口ずさむ歌は、先程までの残虐な好意を微塵も感じさせない優しさに満ちている。適当に摘んだ野花を髪にさして歌うその姿は、さながら天使のそれであった。
雲一つなく、空は澄み渡っている。同じ空の下のどこかに、パーカーの持ち主である少年がいるかと思うと、香織は溢れる笑顔を止められずにいた。火照る顔を両手で包んで足をばたつかせながら、瞼の裏に少年を幻視する。
生身の頃、とうとうすることがなかった恋を、機械の身体になって初めて味わう。そんなめぐり合わせを運命と感じて、香織はより一層、いてもたってもいられなくなっていった。
勢いよくベンチから跳ね起きて、歌を口ずさみながら駆け回る。小さな口から紡がれるそのメロディは、かつて妹の彩乃が好んでいたグループの楽曲であった。




