第一話
「もうここまで来ちゃったんだから、腹くくりなさいよ!」
「だ、だってぇ〜……」
スレンダーなその身を翻し、巧みに枝を避けつつ佐条あきらは麻倉彩乃をおともに幽霊屋敷へと向かっていた。既に日は落ち、とっぷりと夜の帳があたりを包み込んでいる。
必死になってこちらを追ってくる彩乃をちらりと見やると、あきらは嫉妬と劣情を抱かずにはいられなかった。ショートヘアで幼い顔立ち、そして高校一年にしては発育が遅く、中学生以下に間違えられることもあきらは少なくない。そんな悩みを抱える彼女の数メートル後方から追ってくる友人は、セミロングの黒髪に、まるで人形のように整った顔、そして走ると揺れる豊満な肉体という女性的な要素を兼ね備えている。ある事情さえ無ければ、男共が放っておくはずがないのだ。
その事情というのが、少々厄介なのだが。
「どうしたのあきらちゃん、そんなに私をジロジロ見て」
訝しげに問うその仕草ですら、あきらにとってたまらないモノだったが、再び喉元までこみ上げた結婚の申し出を飲み込み、「別に、なんでもないし」とそっけなく答えて事なきを得た。
やがて森を抜け、あきらと彩乃は屋敷の佇む丘のふもとまでやって来た。ここまで駆け足だったこともあり、ひとまずあきらたちは休憩をすることにした。学生鞄に入ったペットボトルのミネラルウォーターを互いに回し飲みしている途中、ふとあきらは今まで引っかかっていた疑問について彩乃に問いかけることにした。
「彩乃さぁ、昨日の夜もここに来たんだったよねぇ?」
「そうだけど?」
「ふざけて来たって言ってたけど、あんたってちょっとテンションが上がってはしゃいだくらいでこんな所に一人で来れるほどチャレンジャーだったっけ?」
ギク、という効果音はまさにこの時のために用意されたのだとあきらに思わせる程に、指摘された瞬間の彩乃は硬直した。ジト目と表現されるであろう目つきで彩乃を見やるあきらを前にして、とうとう被告人は観念することにした。
「…実は昨日は、写真を撮りに来てたの」
写真? とあきらは首をかしげた。彩乃はますます恥ずかしそうに俯きながら草を弄りだした。
「それでね、あきらちゃん、都市伝説とかオカルトとか好きでしょ?だからその噂の死体を写真に撮ろうと……」
ブチブチと草を抜きながら彩乃はたどたどしく白状した。
「でも……でもまさか本当に死体があるなんて思わなくって……怖くって……携帯も……落としちゃって……」
「あぁよしよしありがとうね」
ボロ泣きする彩乃を抱きしめながらあやすあきら。人に見られたら恥ずかしいことこの上ないが、自分には素直に接してくれる彩乃を、まるで娘をあやす母親のようにあきらは撫でていた。怖いのも我慢して写真を撮ろうとしてくれたことを素直に嬉しく思い、ますますあきらは彩乃を離したくなくなっていく。女の子同士だけど、これぐらいはいいよね、と、声にならない声で、そっとあきらは呟いた。
やがて彩乃が落ち着くと、今度は逆にあきらの方が気恥ずかしくなっていた。それを察してか、あるいは単に安心しただけか、彩乃は小さく微笑んで、「いつもありがとうね、あきらちゃん」と、あきらの手を握りながら囁いた。紅い顔を隠すこともできず、あきらはばつが悪くなってしまった。無論、すこぶる上機嫌ではあるのだが。
あきらから離れ、自分の学生鞄をまさぐる彩乃の探し物は、僅か三秒程で見つかった。シンプルな作りながらも、可愛らいい見た目の手鏡を取り出して、彩乃は再び笑顔を浮かべた。
「ねーあきらちゃん、髪の毛枝まみれだよ? ほら鏡」
鏡を手渡され、半拍遅れてあきらは礼を言ったあと、自分の髪に絡まった大量の木の枝を撤去することに没頭し出した。額が少し見える程度のショートヘアではあるものの、あきらの髪はクセが少なからずあり、対照的な黒いストレートヘアーの彩乃の髪を羨ましそうにあきらは盗み見た。こうして落ち着いて眺めてみると、月明かりのせいか普段より少しだけ儚げな印象を、言い様の無い不安と共にあきらは感じた。あまりに儚すぎて、今にもどこかへ行ってしまいそうな、そんな不安を。
やがて月は雲に隠れ、辺りはさらに暗くなっていく。ここに来る途中、近所のホームセンターで懐中電灯を購入していたあきらは、おどけて顎の下から自分の顔を照らした。
「がー、おーばーけーだーぞー」
「あははっ、あきらちゃん可愛い」
余裕の笑みで返してくる彩乃にあきらは悔しがるよりも恥ずかしくなっていた。いくらなんでも少し幼稚すぎたか。しかし照れ笑いをしながら、可愛いと言われたことを密かにあきらは喜んた。
夜の暗闇の中で談笑する少女たちは、どんなランプよりも辺りを明るく照らしていた。
月は雲に隠れたままで周囲は明るくなることはなく、次に月が出たら休憩を切り上げようと示し合わせていた彩乃とあきらは、その場をなかなか離れられずにいた。流れる雲を眺めながら、あきらは唐突に切り出した。
「ねぇ彩乃、あの幽霊屋敷、いろいろ噂があるのは知ってるよね?」
「うん。あきらちゃんがいろいろ教えてくれたし。」
視線を中空からあきらに移しながら、彩乃は問いかけに応えた。
「急に今思い出したんだけど、こういう都市伝説もあそこにはあるの」
どんな、彩乃が目で問いかけると同時に、あきらは深く息を吸い込み、瞼を閉じる。次に目を開いた時、あきらは不敵な表情を浮かべていた。あきらが都市伝説を語る前には、必ずするクセであることを、彩乃は知っていた。
「これはあまり信憑性のない話なんだけど、あの屋敷は第二次大戦直前にドイツからやって来た科学者の一団が建てたものらしいの。そこではある身の毛もよだつような恐るべき研究が行われていたんだけど、なんだと思う?」
静かに、厳かに、あきらは語り続ける。普段活発な彼女からは想像できない異様な迫力を、彩乃は感じていた。
「人体改造よ。戦場に送る兵士の中には十分な訓練を受けていないような若手も多かったらしくって、戦力の補強として計画されていたんだって。それでその研究は終戦を迎えてもひっそりと続いてて、今でもその研究の犠牲になった霊魂が……」
そこまでで話をやめ、あきらは懐中電灯を予告もなしに消す。
「いやー怖いー! あきらちゃんのバカァー!」
といった調子で大騒ぎをする彩乃の反応を見たいがために凝った演出をしたあきらの目論見は、見事に達成された。誤算があるとすれば、そのあとしばらく彩乃が口をきいてくれなかったことくらいか。まぁいいもの見られたしよかったよかったと、彩乃に平謝りをしながらあきらは微笑んでいた。そして彩乃もまた、あきらに見えぬように、うっすらと唇を歪ませる。人形のようなその顔に人間特有の悪意をほんの少し、滲ませながら。
やがて月はその顔を見せ始め、周囲に明かりが戻っていく。月光に照らされる丘は暗い緑色をたたえ、その上に佇む古びた西洋風の館は怪しくその姿を晒していた。幽霊屋敷。なるほどこれ以上にふさわしい呼び名はあるまい、とあきらは納得する。恐怖がなかったわけでは無い。むしろ彼女は彩乃の携帯電話を回収したらすぐに引き上げるつもりだった。しかしそれでも、あきらには自分も都市伝説のひとつやふたつ、この目で見てみたいという欲があったのだ。己の恐怖を超えるその欲求に身を委ね、あきらは斜め後ろに彩乃を引き連れ、丘を登り始めた。早く引き返したい自分と、これから都市伝説の真相を確かめてやるという自分が混在し、明らかに様子が変わってきていたのだろう、彩乃はあきらの顔を覗きこもうとした。
「大丈夫…!…なぁにこんなのへっちゃらよ」
歩幅を早めた彩乃の挙動を察知し、あきらはニッと歯を見せて不敵に笑った、はずだったのだが、とっさの作り笑いは上手くいかず、むしろ恐怖に怯えているような印象を彩乃に与えてしまっていた。
「やっぱり帰ろうか……? 携帯はまた明日、明るいうちに取りに来るから……」
「冗談! ここで引き下がるもんかよ!」
彩乃が言い終わるか言い終わらないかというタイミングで、あきらは彩乃に食ってかかった。
結果として彩乃の心配は、萎えかけたあきらの闘志を再び燃え上がらせたのだ。先程までよりも歩調を早め、あきらは館へと歩を進める。彩乃は頼もしそうに、そして嬉しそうに、あきらに合わせて先程までのように斜め後ろへ控えつつ丘を登りだした。
「彩乃に炊きつけられるなんて、私も焼きが回ったかなぁ」
彩乃に聞こえないようにそっと呟きながら、あきらはこれまでを振り返っていた。