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灰色男と恋わずらい  作者: 榊原啓悠
幻想の裏側
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第十八話

 膝の中に仕込み針が入っていると聞いたときは軽く驚いたが、静馬は自分の性能を概ね理解した。

「……割とスペック高いんですね、僕って」

「最新型の先行量産モデルだからな。……それを遥かに凌駕する性能とは、麻倉め……」

「麻倉?」

 思わず口に出ていたことに気づいて西島ははっとしたが、ひと呼吸置いて語りだした。

「実際にあの地下で改造人間の研究、開発をしていた男だ。私はあくまで代表のようなものだからな、そういうわけの分からんテクノロジーについては門外漢なのだ」

 つまり、今まで教えられたこの義体に搭載された機能をこの男は理解している訳ではない、ということか。ため息をついて後頭部をさする静馬の表情が僅かに曇った。

「そんなことより、貴様がしなければならんことはあの忌々しい女を殺すことだ。さぁ、教えるべきことはもう全て教えた。行け!」

「いや、まだ教えてもらってないことがありますよ」

 焦る西島の顔の前にピースサインを作った右手を掲げて、静馬は淡々と言葉を紡ぎ出す。

「聞きたいことは二つあります。一つ目は、あの女の出どころ。どこの誰です、あの気狂いは」

 わなわなと震える西島の顔に血管が浮き出る。余裕が無くなった人間は醜いものだな、と静馬は過去に見た同じような表情を浮かべた顔面を思い出し、密かにえづいた。

「知らん! 貴様以外に犯罪歴のある奴などあのデータ中にはいなかった!」

「麻倉香織」

 突然耳慣れない名前を口にした静馬をはっと見やる西島は、直後にその名前にふと違和感を覚えた。

「あの女の名前です。嬉々として名乗っていましたよ」

 森での殺し合いを振り返り、麻倉と名乗った少女の顔を思い浮かべる。顔自体に見覚えは無いが、それでもどこかひっかかるものはあった。まさか、いや、あるいは。そんな思考を考慮することもせず、西島が再び怒鳴る。

「だからどうだというんだ! 女の名前が分かったからどうだというんだ! ゴタゴタ言わずにとっとと――何、麻倉?」

 我に返ったのか、西島は再び端末を取り出して操作し始めた。無論、静馬も気付いている。先程西島が口走った、改造人間の研究開発担当者の名前と、あの夜に出会った少女の名前には奇妙な一致がある。麻倉、という名前が示す意味を解明することが、この一連の事件の究明に繋がるのではないかと静馬は顎に手を当てて考える。が、それもすぐに止めた。解決したところで自分には何の利益も無く、そして何より面倒だからだった。

「たしかに麻倉香織は奴の娘で間違いない……。だがな静馬、そいつが麻倉香織であるはずは無い」

 どういうことだ、といった面持ちの静馬に、西島は続ける。

「麻倉香織は故人だ。脳も何も、とっくに火葬されて無くなっている。この世に存在しないんだよ。その女の言ったことは、全てデタラメだ」

 麻倉香織は存在しない。であれば、もしかして。

「すみません、『素体』の一覧を見せてくれますか?」

「何ぃ? 勝手に触らせるわけには――」

 

心臓が凍りつく。


汗が一気に吹き出る。


西島は、目前に佇む少年の姿をした『ナニか』の発する尋常では無い殺気に、名状し難い恐怖を覚えた。殺される。このヒトではない『ナニか』に。それは確かな実感として西島にのしかかる。生きようとする意志が、死にたくないという魂の叫びが、目の前の『ナニか』に素直に従うことを促した。

 

思いのほか素直に差し出された端末を操作し、名前を探す。目の前で震える西島のことはどうだっていい。今は名前を探すことが重要だ。上から順に名前を確認していく。頭ではどうでもいいと思っているはずなのに、静馬は己の中に芽生えた感情を抑えることができずにいた。


「…あった」


 静馬の世界からあらゆる色が失われた。

 端末に穴を開けんばかりにその名前を凝視する。

 

先程まで部屋を支配していた緩やかな空気は姿を消し、静馬を中心にして息が詰まるような緊迫感が支配していく。

静馬の顔に張り付いていた作り物めいた表情が消え去り、西島を更なる恐怖に陥れる。

「ど、どうした桐谷」

 返事は無い。



 しばらくして、再び笑顔の仮面を顔に貼り付けた静馬は、端末を西島に返した。

「すみません。ちょっと、びっくりしただけです」

 僅かな光も存在を許されないほどに暗く、濁った目を細めて、静馬はベッドに腰を下ろした。

 西島もまた、緊張から解放され、その場にへたりこむ。震える身体を抱きしめ、西島は生の充足を噛み締めていた。


「……疑惑が確信に変わった。それじゃ、僕はもう行きますね」

 ベッドを軋ませて、静馬は立ち上がる。フラフラとおぼつかない足取りで静馬は部屋の出口に辿り着く。瞬間、自身の側頭部に手を当てて、むき出しの状態であることに気づいた。

「ヘッドフォン、どこです」

 虚ろな目をさらに濁らせて、静馬は西島に問いかける。我に返った西島は、何やら聞き取りづらいうわごとを口走りながら、鞄の中からヘッドフォンを取り出した。

 返却されたそれ装着して、静馬は安心したように、ほう、とため息をついた。

「大切なものなのか?」

「ライナスの毛布ってやつですよ」

 小さく哂い、静馬はきびすをかえしてフローリングの床の上を歩き出す。西島も引き止めようとはしない。できることなら、もう二度と桐谷静馬とは顔を合わせたくないというのが本音だった。しかし不安は全て消化しておくべきだと結論付け、声をかけることにした。

「ま、待ってくれ、桐谷」

 ゆっくりと振り返る静馬の顔には、先程少しだけ見せた表情は影も形も無く、再び普段の仮面のような無表情が現れていた。

「さっき、聞きたいことは二つ、と言っていたな。この際だからハッキリさせておきたいのだ。二つ目の質問とは、何だ?」

 ああそのことか、と合点がいった様子で静馬は壁を撫でる。時計の秒針の音だけが、部屋に鳴り響いた。

「その頭、どうしたのかなって思っただけですよ。屋敷で見たときより随分寂しいことになってましたから」

 窓からの直射日光をもろに浴びる頭皮を慌てて覆いながら、西島はきまりが悪そうに舌打ちをした。震えが止まったのか、腰を上げて、静馬に正面から向き合い、しかしやはり目を見ないようにしながらボソボソと消えた髪の行方を話した。

「うまく聞き取れませんけど、何となく分かりました。屋敷にいた女の子に毟られたんですね。ご愁傷様です」

「わざわざ言い直すな!」

 羞恥と怒りでリンゴのように顔を真っ赤に染めて激昂する西島をまぁまぁとなだめる。だが、激昂する西島よりも、静馬の胸中は穏やかではない。渦巻く感情の波に押し潰されそうになりながらも、平静を保って作り笑いを浮かべ、怒鳴る西島から逃げるようにして廊下を出た。


 ホテルの廊下は質素な作りになっており、いかにも田舎町のビジネスホテルといった様相を呈している。風情の欠片も無い、というのが第一印象だったが、それも溢れる感情に飲み込まれていった。

 

少しだけ前かがみになって、壁に手を伝わせながらゆっくり廊下を歩いていく。薄く汚れたホテルの壁に寄りかかりながら、静馬は過去に想いを馳せる。

「また会うことになるとはなぁ……」

呟いて、静馬は目を細めた。

忘れたい過去。忘れてはならない過去。今の自分を形作るそれら全てを肯定し、抱きしめてくれたかつての恋人の笑顔を幻視する。乾いた心に潤いをもたらそうとしてくれたその人の名前を、そっと、小さく吐き出した。


 フラッシュバックに苛まれて少し過呼吸気味になった自分の呼吸を落ち着かせる。エレベーター前のベンチに腰を下ろして、静馬は虚空を見つめながら深呼吸を繰り返した。壁に掛けられた時計が、午前九時を指している。タイムリミットまでに彼女を始末できなければ、やって来る財団の刺客によって恐らくどちらも殺される。西島は焦って正常な判断力を失っていたが、落ち着いて考えれば分かる。情報の秘匿が財団の方針としては、機密漏洩を許し、みすみす改造人間を野に放った西島は重罪人だ。十中八九始末されるのは目に見えている。勿論、研究スタッフが全滅となれば、改造人間の研究開発もストップされるだろう。

 そうなってしまえば、先行量産モデルである静馬に利用価値はほとんど無くなる。残しておいても利無しと判断されれば、最悪、西島もろとも処分されるかもしれない。それを重々承知の上で、それでも静馬は死地へ赴く決意を固めていた。

「こんなバトル漫画みたいな力を手に入れたんだ。最期くらい華々しく散ってやるさ」

 未だ荒い呼吸を繰り返しながら、静馬は自分の手のひらを見る。真新しい身体。生身の頃より幾分幼い現在の自分の容姿を、静馬は密かに気に入っていた。万が一自分を知る者にあったとしても、こちらから名乗らない限りはもう誰も気付かないからだ。

「なんて、孤独――」

 しかしその孤独もすぐに終わる、と静馬は心の中で付け足した。なぜならば、静馬はこれから死にに行くからだ。これから先のことなど、考えるだけ無駄。仮に生き残ったとしても、そのまま自分に始末をつけるつもりでいた。

「これで終わりだと思うと、随分楽なもんだなぁ」

 はたから見ればのん気としか言い表せない独り言は、しかし自身の生涯に終止符を打つという悲壮な決意であった。


 到着したエレベーターから人が出てくる気配はない。静馬はベンチから立ち上がって、いそいそとエレベーターの中に入っていった。

 一階のボタンを押し、壁にもたれかかる。ひとつ大きくあくびをして、静馬は目的の階に到着するまでの間、目を閉じる。

 

瞼の裏に、かつての恋人を幻視した。


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