第十七話
仮病を使ったのはいつぶりだろうか。平日の午前中だというのに、女子高生、佐条あきらは自宅のベッドの上で膝を抱えていた。昨晩の出来事を何度も夢だと否定しても、体に残されたいくつかの掠り傷は、三日前に森で起きたことが全て現実であると訴えかけてくる。週明けの月曜日、とても学校に行く勇気は無い。
「……香織」
いつから入れ替わっていたのか定かではない。しかし死んだはずの麻倉香織はあの夜、確かに現実に存在していたのだ。妹の麻倉彩乃になりすまして。生きていたとは思えない。確かに火葬されたはずだった。なのに、何故。
あの夜、西島と名乗る男と共に同い年程の少年を森から担ぎ出し、途中から二人と別れて一人帰路についた。両親から帰りが遅いと叱られたが、それも全く気にならない程の恐怖に取り憑かれていた。死んだと思っていた親友がいきなり蘇って、その親友にもう一人の親友を殺したと告げられ、挙句自分まで殺されかけた。
「まともじゃない。まるでアニメじゃないの……」
常識を無視した冗談のような香織の動きは、あきらに蜘蛛のそれを想起させた。西島は改造人間と言っていたが、どういう意味だろうか。なんにせよ、あきらは殺されかけた恐怖に支配されていた。あの馬鹿げた運動神経ならば、二階に位置するこの部屋の窓に跳びついて侵入することなど容易いだろう。今この瞬間にでも窓ガラスを突き破って飛び込んでくるのではないかと想像してしまい、窓はおろか、カーテンすらも開けることができない。
しかしこんな時でも食欲は襲ってくる。食べても全て吐き出してしまうというのに。
「……お腹すいたな」
森から帰ってきてすぐ部屋に閉じこもってから、両親も心配して部屋の前まで食事を運んできてくれたり、何があったのかと話しかけてきてはいたが、そんなことで立ち直れるはずも無い。面倒くさい奴だと思われているのだろうな、とあきらは自嘲気味に俯く。実際、中学二年の弟に面倒くさいと昨日言われた。その後すぐにドロップキックをぶちかまして卒倒させたのも記憶に新しい。
両親は仕事で遅くなるという。憔悴しきった娘を置いて仕事に行くとはどういう了見だ、と声を大に抗議することは、しかし今のあきらにはできなかった。だが、立て続けに襲い来る理不尽に対する怒りは、確実にあきらの腹の底に蓄積している。パジャマの袖を握り締め、恐怖と怒りをないまぜにして、中空に吠える。
「もう! 意味が! 分かんないんだよコンチクショー!」
意識がくるりと反転する。恐怖がなりを潜め、怒りがメラメラと燃え上がる。
「こんな所で腐っててもなんにも変わりゃしないわ! あのバカに一発かましてやるんだから!」
ベッドから飛び降りてパジャマを脱ぎ捨てる。衝動に突き動かされて、タンスから適当に掴み取った服に袖を通す。洗面台で盛大に顔面に冷水をぶちまけて、鏡を睨む。何時間も泣き続けたせいで腫れた目蓋も、熟睡することができなかったせいでできた目の下のクマも、全部気に入らない。
香織が生きてた?
だったら一発かましてから抱きしめて祝ってやる。
その香織に彩乃が殺された?
死体をこの目で見るまで納得できない。
香織は改造人間?
なんだって構うもんか。
爆発し続ける衝動に身をゆだね、玄関に早歩きで到着する。だん、と床を踏みしめて、顔を叩く。怖くない。怖いはずがない。どんなに変わっても相手は麻倉香織、私の親友だ――!
ぎゅるる、とお腹が鳴る。
「あ、お腹すいてたんだっけ」
あきらはそそくさと台所へ戻っていった。




