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灰色男と恋わずらい  作者: 榊原啓悠
逃走と追走
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第十二話

 月の明かりが僅かに差し込む森の木々の影の中、呼吸を整えつつ、身体のどこかに破損箇所がないかどうか確かめる。蒼い月光が照らすぬかるんだ大地の上には、這いずり回った痕跡がありありと残されている。人間のように血や胃液を吐き散らしはしなくとも、如何ともしがたいダメージがその身に刻まれていた。

 完璧に捉えたかに見えた蹴りを、想像をはるかに超えた超反応で躱され、挙句に手痛い逆襲を受けた静馬は、誇張詐称一切ぬきで数メートルもの距離を吹き飛ばされていた。

 背中から地面に叩きつけられ、そこから虫けらのように這って敵との距離をさらにとる。否、静馬にとって先程の少女の姿をとったあの改造人間は『敵』では無く、こちらの命を刈り取る『搾取者』になりつつあった。あいつには立ち向かうだけ無意味だ。そもそもこちらに、あいつを殺すことで生じるメリットなど存在しない。ただこの場をやり過ごせばそれでいい。方針を心の中で反芻し、静馬は痛みをこらえて立ち上がった。

 

眼前には、薄く笑みを浮かべた少女が立ちはだかっている。可憐な少女の姿こそしているが、外見からは想像もつかない残忍な方法で地下の科学者達を皆殺しにし、今もなお命を刈り取ろうとこちらの様子を伺っていた。

「……いい加減、しつこいぜ。せっかく綺麗な顔をしてるんだから、もっとお淑やかに振る舞えないものかね」

「嫌よ、まだまだ夜はこれからなのに。もっと楽しみましょう?」

 静馬はこの可憐な殺人狂と対峙するにあたって、如何にして逃走を図るかという一点においてのみ思考を働かせていた。これまでの経験則に基づく彼の策は――

「だから、その握りしめている泥でまた目潰しをしようなんて無粋な真似はやめてくれない? 楽しまなきゃお互い損じゃない」

 ――あっさり看破されていた。


「二度も同じ手は食わない、か…」

 ぐちゃり、と粘度の高い音を立てて泥をすぐ脇の木の幹になすりつける。真っ向から対峙しようものなら即効でひねり潰されるのは目に見えている。静馬は次なる策を練るべく、会話による時間稼ぎを試みることにした。

「それにしても、可愛い顔してえらくエグいんだな、君は。……まさかとは思うけど、生身の人間じゃないよな?」

「時間稼ぎ……? まぁいいけど。確かにあの地下室で脳をこの体に移植されたわ。勝手にね。」

 敢えて策に乗ろうという自身に満ちた受け答えに内心恐々としつつも、静馬は会話を続けることにした。

「でもどう? その身体。僕は随分若返っちゃって少しだけ戸惑ってるよ。生身の頃よりだいぶ美形になってたからそれも驚いたね。」

「へぇ、あなたの今の身体は、元々のそれとは見た目が違うってこと?」

「ああ。その口ぶりだと君の身体は」

「人間の頃の肉体をそっくりそのまま再現してあるわ」

 やはり、この少女の義体は密かに造られた特別製らしい。そうなってくると森のどこかにいる西島から弱点を聞き出す、という道は絶たれてしまう。しかし逆に言えば量産されている自分の義体と違って換えが効かないということでもある。静馬は事態を前向きに捉えることで自らを鼓舞し、再び戦闘態勢にはいった。

「やっと遊んでくれる気になった? じゃあ始めよっか」

「どれだけ考えても逃げられる気がしないんでね。諦めて君と遊ぶことにするよ。かもーん」

 気の抜けた静馬の合図とともに、少女は躍りかかる。格闘技の心得は無いものの、それなりに身を守る術に長けており、何より人を殺した経験が静馬の動きから躊躇いや迷いを消し去っていた。本来ならば、人殺しなどという経験はむしろ己に恐怖を植え付け、躊躇いを持つようになるべきなのに、と密かに自嘲することは、

もちろん無い。


 しかし良心の呵責からくる躊躇いと、それがもたらすはずのタイムラグが無いのは少女も同じである。初動の速さにおいてはほぼ互角。しかし圧倒的速度と破壊力で攻めたてる少女になすすべもなく、僅か三秒程で静馬は再び殴り飛ばされた。ところが、こと防御に関しては幼い頃から父の暴力に耐えてきた静馬に一日の長がある。ダメージを最小限にして受け流し、先程吹き飛ばされた時とはうって変わってスムーズな受身をとってみせた。

「この体で動くのにもだいぶ慣れてきたかな」

「じゃぁ次はもっと楽しめると期待していいかしら」

「それはどうかなぁ」

 大丈夫。この義体、思っていたより結構頑丈にできてる。

不敵な笑みを一瞬だけ浮かべ、その後すぐに普段の仏頂面に戻った。

「笑ってたほうが素敵よ?」

「あいにくと自分の顔じゃないんだ。生身の頃ならまだしも、今のこの顔を褒められても嬉しくないな。大体君の言うことだって本当かどうか分かったものじゃない。本当のところ、生身の頃は汚い中年オヤジだったんじゃないか?」

「ひっどーい。私は今も昔も変わらず麻倉香織よ?」

「麻倉、か。ああ、僕も名乗ったほうがいいのかな」

「じゃあ本名を聞かせてくれない?」

 一瞬の沈黙の後、静馬は口を開いた。

「僕に勝ったら教えてやるよ。麻倉」

 つぶやき、静馬は跳んだ。


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