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灰色男と恋わずらい  作者: 榊原啓悠
惨劇の序章
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プロローグ

 夕方のファーストフード店、その隅の客席に座る二人組のうちの一人、麻倉彩乃は神妙な顔つきでいた。

「どしたの、変なものでも食べた?」

おどけつつも自分の安否を気遣う友人の優しさに感謝しつつ、彩乃は吐き出すように言った。

「ねぇあきら。私、死体を見ちゃった」

 普通に暮らしていれば縁の無い死体というワードを耳にして、しかし佐条あきらは恐れより興味を抱いた。彩乃より少しだけ小柄な体をテーブルの上に乗り上げさせて、あきらは食い入るように彩乃の話を聞こうとする。噂話や都市伝説に目がないのだ。

「昨日の帰り道、ちょっとふざけて例の幽霊屋敷に入ってみたの。そしたらすごい匂いがして、奥に入っていったら……」

友人とは対照的に、弱々しい印象を与える様子で語る彩乃。彼女の口からはにわかに信じがたい言葉が紡がれているのにも関わらず、あきらは熱心に話を聞いていた。それでどうなったの?とその先を聞きたがってすらいる彼女の胸中は、純粋な好奇心に支配されていた。

「五、六人くらいの男の人の死体が積み上げられてあって、それも全部手とか足とかがなかったり折れてたりしてて、走って逃げたけど、家に帰っても安心できなくて、学校でも言い出せなくて、あきらくらいしか私の話を聞いてくれないんじゃないかって……」

たどたどしく語りながら、ついにポロポロと涙を零し始めてしまった彩乃を優しくあやしながら、「分かった分かった! もう彩乃は泣き虫だなぁ」と、あきらは笑った。

 もともとこの何もない田舎町の知る人ぞ知る数少ないホラースポットである幽霊屋敷には、多くの噂話や都市伝説が存在している。彩乃が見た積まれた死体というのはその中でもポピュラーな部類に当たり、それを目の当たりにしたことの無いあきらにとって、彩乃の体験談は実に興味深いものであった。

「まぁまぁ泣くなよ彩乃ぉ。死体が積んであるったって、ちゃんと確認したわけじゃないんでしょ? 趣味の悪い人形を誰かが置いていったとかじゃないの?」

気楽な口調で彩乃を励ますあきらだったが、内心、異常に怯える彩乃の言う死体に、少々の恐怖を覚えつつあった。怯え方が尋常では無い。これはひょっとするとひょっとするかもしれない……?

「でも、あんなにリアルな人形なんてあるの?」

べそをかきながら彩乃は上目遣いであきらへ尋ねてみる。彼女に自覚はないが、この角度の彩乃は、異性はおろか同性であってもとりこにしてしまう魅力に溢れている。思わず結婚を申込みかけ、それを飲み込んで別の提案をするのにたっぷり十秒、あきらには必要だった。

「ねぇ彩乃、昨日の夜それを見たんだよね?」

不敵に光るあきらの双眼に、彩乃は嫌な予感が止まらない、といった面持ちである。

「あ、あきらちゃん、何を…」

「これから乗り込むよ! 幽霊屋敷!」

店内の注目を一気に集めたあきらが慌てて着席するまで、三秒とかからなかった。



  ※※※※



いつから幽霊屋敷と呼ばれているのかは定かではない。しかしその古ぼけた洋風の屋敷は見る者すべてが口を揃えて幽霊屋敷と呼ぶであろう外観をしていた。その屋敷の玄関から入って右手側にある扉のしばらく先で、大きなあくびをしながら自身のこれからを、桐谷静馬きりだにしずまは思案していた。

 男達に連れられてこの地下で手術を受け、それからしばらくして目が覚めたのが数時間前のこと。眠っている間に何があったのか、静馬に改造を施した男たちは一人残らず地下室で惨殺されていた。ストックの『義体』も全て破壊され、適当に積み上げられている。静馬の胸中にあるのは、皆殺しにされた男たちへの同情では無く、眠っていた自分が同じように破壊されずに助かって良かったという安堵であった。屋敷全体に充満する男たちの死体の発する刺激臭は鼻をつくが、ここに来る前にそういう匂いはよく嗅いでいたので気にならなかった。

「さてと……帰る場所も行く所もないけど、ここにいるのはまずいよなぁ……」

男達を皆殺しにし、『義体』を残らず破壊していった『誰かさん』の餌食にはなりたくない。死体の状況から察するに、恐らく同類だろう、と静馬は考察していた。

 人形じみた自分の顔を鏡で見ながら、静馬は苦笑した。自身の記憶にある自分の顔とは似ても似つかないことに起因するその自嘲じみた笑みは、次の瞬間には消えていた。静馬にとって自分の過去は苦しみの根源でしかない。もとの自分と違って傷一つない新しい顔と体を眺めて、独り満足感に浸っていた。

 

 やがて鏡を見ることにも飽きた静馬は、ここに来た時に身につけていたヨレヨレのパーカーとジーンズ、それと大きめのヘッドフォンを身につけた。無論、側頭部を隠す以外役に立たない、古びた代物である。しかし音楽を聴く習慣の無い静馬にとって、ヘッドフォンの本来の用途など詮無いことであった。

「まずは金を稼がないとどうにも立ち行かないしな……どこかでバイトでもして働くしかないかなぁ。あーあ、めんどくさっ」

 しかしこれまでの人生の中で、静馬はまっとうに生きられた試しがない。それは本人がそういう生き方を選択したわけでもなければ、まして怠惰な生活を続けていたからではない。再び過去を想起しかけ、膝をついて息を荒げながらも、必死に過去を振り払う。本人も驚く程しゃがれた声で呻きながら静馬は這いつくばった。肉体的にも精神的にも彼に蓄積されたダメージは深刻である。

社会的には桐谷静馬という人間は既に存在しない。そして生物的にも桐谷静馬はほぼ抹殺されていると言っても過言ではない。今ここにいるこの人形じみた少年を人間という存在につなぎとめているのは、ひとえに彼の記憶にあるといえる。その記憶が、桐谷静馬という人間が、彼を苦しめていた。それを皮肉と論ずることに、少年は些かの躊躇も持たない。彼を彼たらしめている要因が、どんなことよりも彼を苦しめているのだから。


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