第85話-それぞれの夜(ネット、バディ、レッカード)
「なぁ、さすがにあれは無ぇぜ。
ネット……」
「……いいえ、
エイジの事、マリーの事を考えれば、
あれが最善の方法なのです。叔父様。」
レッカードは、無造作に机に腰掛け、
パイプから紫の煙を吐いた。
立膝の恰好で頬に手の甲を当て、不満げな表情をしている。
品の無い叔父の恰好とは対照的に、
行儀よく椅子に腰かけたネットは、目を閉じ、
頑なな態度を取っていた。
「あれが最善じゃと?
無茶な条件で、自分の孫とダンクの忘れ形見を
くっつけることがか?」
バディは、自分の椅子に深々と腰掛け、
胸の前で腕を組み、片目だけを開いてネットの方を見ている。
言葉の端には、ネットを非難する様な調子が伺える。
――ここは、バディ・アルバトロスの工作室。
彼個人の工房であり、四方を鉄の壁に囲まれた灰色の部屋。
3人の話題は、先ほどネットがエイジに提示した
条件についてである。
「バディ、誤解の無いように言っておきますけど、
私は自分の欲望のために、
マリーとエイジを結婚させようなんて、
全く考えてはいないのよ?」
ネットは視線をバディに向け、はっきりと言いきった。
バディの言葉の裏にある刺を感じたのか、少しだけ語調が強い。
「ほう。
では、どうしてあんな条件を出したんじゃ?
冷静なお前にしては、滅茶苦茶とも言える
条件じゃないか」
バディは小さな体を少し浮かせて椅子に座りなおった。
改めてネットの話を聞こうと、身体を少しだけ前に乗り出す。
「……私は、ただ、エイジに時間をかけて
自分の道を決めてほしいと思っているのです」
「ほう? 時間をかけてじゃと?」
ネットはバディの動作が終わるのを見て、
ゆっくりと話し始めた。
「……叔父様、
叔父様はエイジと初めて会ったとき、
ダンクと勘違いして、
ダークボルトの魔法で攻撃したそうですね?」
「あぁ、そうだ。
でも、そりゃ今は関係ぇ無ぇ話しだろ?」
「いいえ、関係があります。
それで、攻撃を受けてもエイジは
無事だったのでしょう?」
「あぁ、無事だった。
死なねぇ程度には手加減したからな」
机に腰掛けるレッカードは、足を組みかえて
ネットの質問に答えた。
ネットの質問の意図を計りかねている様で、
パイプを咥えた口が、への字に曲がる。
「それが何を意味するかお解りですか?
エイジの今の強さは、少なくとも、
あの【英雄】ノーレッジと同じ強さという事ですよ。
この世界に来て、
わずか3カ月という短期間だというのに」
「……!」
ネットは意味ありげな視線で、レッカードを見る。
レッカードは、自分の魔法の威力を思い出し、
冷や水を浴びた様な胸の鼓動を感じた。
そうだった。何事も無かったために忘れていたが、
自分の魔法は、一般人の耐えられる威力ではない。
いくら手加減したとはいえ、
あの魔法は、あくまでダンクに向けて放ったもの。
英雄と呼ばれる冒険者の死なない程度は、
常人にとって確実に死をもたらす威力がある。
ネットはエイジの強さを、3人の中でもっとも実感していた。
1つは、自分の作った【ダンジョン化】の魔法を打ち破られたため、
さらに1つは、騎士団長オーヴァルの記憶を覗いたために。
だからこそ、ネットには不安がある。
「エイジは、まだ自分の強さを
実感していないのかも知れませんが、
あの強さで、討伐戦に参加すれば、
少なからず混乱が起きることでしょう。
それはエイジがノーレッジの子孫である事の如何に寄らず、
エイジ自身の問題として……」
「……そうか、考えてみりゃそうだな。
あの若さで、あのレベルは確かに異常だ。
『後ろ盾』がなきゃ、利用しようとする奴ぁは、
ごまんといる……
となりゃ、有名人だらけのパーティーも……」
「……そして、エイジの強さをもってすれば、
群を抜く活躍をするのも明らかです。
魔法が使えない事の危険は、もちろん考慮すべきですが……
おそらく世界規模の危機を救ったとして
【英雄】のジョブを得ることでしょう……」
ネットとレッカードの表情は暗い。
その様子にたまらず、バディが声を発した。
「だが、それはエイジの望むところじゃろう?
ダンクが『人間の神』ならば、
それでこそ会う事が出来る。
後ろ盾だの何だのと、
どうして単純にエイジの好きにさせてやらん?」
レッカードとネットは、
共通の何かを得たようで話を勝手に進めてしまう。
だがバディにはネット達の言わんとすることが分からなかった。
バディとて、大商人と言われるやり手だ。
多少のまわりくどさには慣れている。
しかし、ドワーフ族の気質として、
どうしても外堀から埋めていく様なエルフの話し方では、
物事の核心が明確になった気がしないのだ。
もっとも、それはネット達も知るところなので、
ネットは、バディに伝わるように簡単な質問を発した。
「では、バディ。
仮にダンクが『人間の神』であるという仮説が正しいとして、
エイジが直接会わなければならない理由はどこにありますか?
【英雄】であれば、誰でも神に会う事は出来るのです。
大規模討伐戦の戦闘の危険、
くだらない貴族の争いに巻き込まれる危険、
異世界から来た者が神と会う事で発生する未知の危険、
エイジが別れの挨拶もなしに去ってしまった時の
残される者の気持ち……
それらを考慮した上で、
エイジが【英雄】とならなければならない理由が、どこに?」
今回の大規模討伐戦でエイジが戦わずとも、
情報だけを手に入れる事は不可能ではないのだ。
それでも、参加するというのであれば、
リスクを見越した対策が必要である。
ネットが、一息に質問を喋り終えると、
バディもようやく、話の筋が見えた様に感じた。
「なるほど、
それで参加条件としての結婚か……」
権力を利用する様で気が引けるが、
ネットは魔法庁の長官で、英雄ノーレッジの
かつてのパーティメンバーである。
孫のマリーシアとエイジが結婚すれば、
親族として、公に支援をすることが出来る。
異世界から来たエイジが『後ろ盾』とするには、
これ以上の人物はいないだろう。
もちろん、そうなればネットの指示に
ある程度従う必要はあるし、
利用されそうなパーティーも解散してもらう必要がある。
だが、それはあくまでパーティと言う名目の消去であって、
友人として会う分には何も問題はない。
そして、一番の利点は、ネットがうまく立ち回ることで、
様々なリスクを回避しつつ情報を集め、
エイジが自分の進むべき道を選ぶ時間を作ることが出来ることだ。
自分の一生を決める覚悟を、
あの年の若者がそう簡単に決めるということ自体が間違いだ、
ネットはそう思っている。
神との謁見=元の世界への帰還ではない。
そうではないが、かつてのダンクの時の様に、
突然、異世界に飛ばされるというリスクはある。
参加するならば、それなりの用意を。
ネットの提示した条件の真意は、
エイジを自分の庇護のもとで支援したいというものだった。
ネットの説明に、バディはようやく真意を飲み込んだ。
しかし、結婚というのが、
単にネットとの親類関係を造るだけのもので無い事も事実である。
「じゃが、マリーちゃんの気持も大切じゃろ?
そりゃ、家長の権限もあろうが。
だからと言って、お前が勝手に決めて良い事ではないぞ。
ネット」
バディは、自らも家長であるが故、
ネットが孫の婚姻の相手についてある程度の発言権を
有している事は分かっている。
分かっているからこそ、可愛い孫には
望む相手と結ばれてほしい事も。
「マリーなら、大丈夫よ。
この手紙を見てごらんなさい。
バディ」
そう言うと、ネットは懐から1通の手紙を取りだした。
それは、人探しを依頼されたマリーシアが
定期的に報告として送っている手紙だった。
「……ふむ。
どうやら、マリーちゃんは相当エイジを
気に入っているようじゃな」
「おいバディ。
俺にも見せろ」
手紙の内容は、基本的には、天空剣を預かるエイジを
認めて上げて欲しいというものだった。
そこに、日常の出来事や、エイジのひととなり、
仲間との度の様子などが書かれている。
「確かに、珍しいな。
マリーの奴が、ここまで楽しそうなのは……」
いくつかの手紙を流し読みし、
マリーシアの師匠であるレッカードはつぶやく。
マリーシア・スローウィンは【大魔導師の子孫】であり、
性欲の少ないエルフの中で【淑女】のジョブを取得している。
……同族の中では、明らかに浮いた存在だ。
だからこそ、彼女はそれを隠すかのように貞淑に、
そして勤勉に振舞わざるを得なかった。
同じジョブを持つ嬉しさで、
思わずエイジを部屋に招いてしまったあの日までは。
「あの子が喧嘩することでさえ珍しいのに、
見てみなさい、手紙に書かれた愚痴なんて
私には惚気にしか読めないわ」
ネットは、ひらひらと手紙を振った後、
それをそっと懐に戻した。
バディは悟った。
ネットは決して孫の気持をないがしろにしてはいないと。
そして、それがわかると、
むしろ、この先、政略結婚で望まない相手と結婚するならば、
マリーシアが、今エイジと結婚してしまう事は、
1つの選択肢であるようにさえ思えた。
「……そうか。
ここまで分かれば、わしは口を出さん。
さっきは済まなかった。ネット」
バディは、ふうと深い息を吐くと、
椅子の背もたれに深々ともたれかかった。
「まぁ事情はな。
だがよ、エイジたちはお前の真意に気が付いているのか?
あの物言いだと、お前は完全に悪役だぜ?」
レッカードは、さも楽しそうに意地悪な笑みを浮かべ、
知ってか知らずか、憎まれ役となった自分の姪をからかった。
ネットはその様子をただ微笑みながら見ている。
レッカードの言う通り、今頃エイジたちは提示した条件に
悩んでいる頃だろう。
「でもね」
ネットはふいに呟く。
「あの子たちだって、愚かではないわ。
この条件は、あくまでも私が一方的に提示したモノ。
気に入らなければ、
交渉するなり抗議するなりすればいいのです。
乗り越えられない壁なら、壊して前に進めばいい。
かつての私たちが、そうしたように」
長命種の3人は、最近の様に思いだす。
かつてこの部屋で、常識外れと呼ばれる
魔石の開発を行っていた事を。
――トントン。
工作室に、ノックの音が響く。
「お婆様、お話があります。
入ってもよろしいでしょうか?」
ドアの向こうから聞こえるマリーシアの声。
レッカードとバディは、驚いた顔で顔を見合わせた。
――ほらね、
ネットは無言のままウインクでそう示すと、
あえて威厳を出してこう言った。
「入りなさい。話を聞きましょう」




