ビターシガレットブルース
R15的直接描写はないです。
ただ、スレた会話の内容のためタグ付けしています。
ガンガン脳髄に食い込んでくる音がうるさい。
ドンドンと我が物顔で子宮を突いてくる音がうるさい。
ここでそんなことを言ったら、いつだったか、見るからにメンドくさそうなロン毛の男が「突かれんのスキでしょ」とかクソムカつくニヤけた顔で返してきたから股間を9cmヒールで蹴り飛ばしてやったっけ。
読モだか何だかって言ってたから顔は勘弁してやったのに、それにしちゃ酷い顔して呻いてた。
は、何が読モだよ、お前の顔なんか知らないっつの。
「あっれ、エミじゃーん!超久しぶりじゃねー!」
「うっせ」
結構しっかりはっきり言ったはずなのに、あたしを見つけたマリカは全くメゲずに、きゃらきゃら笑ながらカウンター隣に収まった。
イヤなこと思い出したばっかで、イライラした気持ちをコロナごと一口で臓腑に追いやる。
「何飲んでんのー?あ、まーたコロナ!あはは、マジウケんだけどー!」
は?
今の何がウケたの?
あんたの脳味噌、間違いなくウジ湧いてっから早く病院行けよバカ。
皆が皆カクテル飲んでると思うなよバカ。
「ねーねー、この間渋谷のクラブで引っ掛けた奴、どーだった?」
「ここも渋谷だけど」
「違くてー。あっちのほら、すぐ裏がラブホの方のとこー!」
「あー……何で」
あんたが知ってんだよ。
そこにいなかったと思ったんだけど。
ようやくちらと向けた視線はさも愉快そうに細められたそれとかち合って、そして、ギリ、と睨まれた。
「あれ、あたしの彼氏」
瞬間、グラスの中身をブチまけられた。
「……一人でスクリュードライバーなんか飲んでんなよ」
巻いた髪はぺしゃんこになってアルコール浸り、滴る滴がポタポタとサテンのワンピに染みを作る。
ぺろりと舐めればレディ・キラーと名高い酒の味がして思わずそう口走った。
「うるさいんだよ!あんたさ、いい気になってんじゃね?あのさー、もう来ないでよ。人の男寝取って何が楽しいわけ?マジ信じらんない」
信じらんないのはあんたもだよって、言えばよかったのに、言わなかった。
「出てってよ、消えて」
たいして広くもないフロアはまだまだ酔っ払い共で大騒ぎで、あたしとマリカのこんな程度の騒ぎなんてそれこそたいしたことはなくて。
いや、実際見てる奴なんかはそれなりにはいたけど、あたしからしたならそうでもないって程度のことで。
だけどやっぱ、あんたもだよって言わなかった。
「じゃ、ね」
飲みかけのコロナをその辺の奴に押しつけて、ドブネズミみたいな格好で暗い階段を上がる。
安っぽいドアを開けて、9cmヒールで蹴飛ばして閉めたなら、びっくりするくらいに外は別世界だった。
脳髄に無粋に食い込んでくる音も勝手に子宮を突いてくる音もなく、ただ、遠くに近くに聞こえるクラクションと行き交う人の笑い声、夏の雨の匂いと真夜中の都内の喧騒。
そこに、頭からアルコールの匂いを飛ばしたバカまるだしのあたしが、ぽつんと独りいるだけだ。
いかにも「モメました」みたいな無様なカッコを見て、他人はどう思うんだろう。
やっぱ、バカだなとかビッチなんだろうなとか、そんなふうに思うんだろうか。
一応バッグにハンドタオルはあるものの拭う気にもならず、セッターとマッチだけを取り出して道端のチェーンに腰掛けた。
「あれ、映見さん」
煙草を咥えたところで掛けられた声に聞き覚えがありすぎて、シカトを決め込みマッチを擦った。
ボ、と一瞬燃え上がるそれが、マッチ売りの少女を思い出させる。
あの子は確かにミジメだったかもしれないけど、あたしよりはよっぽどミジメなんかじゃない。
心がキレイな子がミジメだったはずなんかない。
「……すげえ矛盾してる」
「何がですか?」
「うるさい、あんたに言ったんじゃない」
いつの間にか隣の植木の淵に腰掛けたらしい奴が口を挟んできたけど、一刀両断してやった。
てか、何でいるわけ?
「もう2時なんだけど」
「ああ、そうですよね。いやー俺、さっきまでコンビニバイトだったんですよ」
「聞いてない」
「ピンチヒッターで本当は10時までだったんですけど、12時までになっちゃって」
「聞いてない」
「で、夜勤の奴がようやく来たのが1時過ぎで」
「だから、」
「あ、何で結局こんな時間までいたかっていうとですね」
「聞いてな」
「俺の休憩中、映見さんと麻里香さんが煙草買いに来たって聞いたからです」
「……」
……だから、何なの。
何だっつうのよ。
あたしとマリカが煙草買いに行ったのだってたまたまで、べつに一緒に行ったわけじゃないし。
よく行くクラブの近くにたまたまあのコンビニがあっただけで、あんたが働いてるなんて知らなかったし。
何なの、何だってのよ。
もやもやと昇る煙が目に染みる。
何なの、何なんだよあんた。
「ハンカチありますけど」
「ハンカチかよ」
「田舎のお母さんが送ってくれたんです」
……そんなの。
「……いらない」
使えない。
そんなのは、使う資格のある奴しか使っちゃだめだし、持つのだってだめなんだ。
死んでも言わないけど。
たぶんこいつは、あたしがハンドタオルを持ってることを知ってる。
何も言わないけど、頭からアルコールかぶってることだって知ってるだろうし、まあ、それは見ればすぐわかる。
匂いがすごいんだから。
でも、言わないんだ。
ミジメになってるってわかってて、でも、敢えて言わないんだ。
俯きながら目が乾くのを待って、煙を吸い込んで、ようやく顔をあげた。
「……勝手にそんな見ないでくれる」
真っ直ぐな目とぶつかって、何とも言えない気持ちになった。
スレてない奴特有の、ひたすらに相手を射抜くような、そんな目。
上からでも下からでもない視線は汚れなんか知らないみたいで、ずっと見られてると、あたしの汚い部分を丸裸にされてるような錯覚さえさせる。
「映見さん」
「……何」
「麻里香さんの彼氏と寝たんですか?」
は?
「何で……」
「言ったじゃないですか。麻里香さんも煙草買いに来たって。だから待ってたんだって」
「は……あはは、何、全部知ってて笑いに来たってわけ?」
バカだ、バカみたい。
バカはあたしだ。
全部全部騙されて、結局笑い者になる。
わかってたのに、一体何を期待したっていうんだろう。
睨みつけるように視線を返せば、真っ直ぐ曇りなんてなかったそれは、ほんの少しだけ翳ったように見えた。
「寝たんですか?」
「わかってるから来たんでしょ」
「……」
黙るなよ、ふざけんな。
「で、あたしが酒ぶっ掛けられんのも予想済みだったって?は、お陰でワンピも髪もひどいザマだよ。見れて満足?」
ふざけんな、ふざけんなよ。
これ以上あたしをミジメにさせんなよ。
せっかく大人な対応であそこを出て来たのに、よりによってあんたみたいな奴に当たらせんなよ。
ジジ、と煙草の火元が小さく鳴って、半分以上を燃やした灰が崩れるように地面に落ちた。
「……爪、せっかくキレイなのに燃えちゃいますよ」
ふっと節ばった指がセッターを取り上げ、いつの間に持っていたのか携帯灰皿にそれを押し込む。
一連の場違いな動作に、何だかバカらしくなって脱力した。
「あんた煙草吸うっけ?」
「吸わないですよ」
「じゃあ何でそんなもん持ってんの。ポイ捨て禁止ボランティアでもやってんの」
「映見さん限定で」
「あはは」
何それ、ウケる。
ボランティアならちゃんと平等にやれよ。
「あ、でも銘柄は詳しいです。きっと映見さんより詳しいですよ」
「当たり前じゃん。それで商売してんでしょ」
「よく売れるのはやっぱりマイルドセブン系ですね」
「女だとバージニアとか?」
「マルボロメンソールなんかも人気ありますよ」
「へえ、あたしは赤のがスキだけどな」
「映見さんはいっつもセブンスターじゃないですか」
……すごい、よく知ってる。
ああ、さっき見たのか。
「女の子でセブンスターって、なかなかいないんですよ。ハードボイルドですよね」
「初めて言われた。ハードボイルドって……あはは、何よそれ」
おかしくなってまた笑えば、ぶつかった目はまた真っ直ぐなものに戻っていた。
ヘンな奴。
「言ったじゃないですか。いっつも見てるんですよ」
「……ほんと、ヘンな奴」
「赤江将生です」
「は?」
「赤に江戸川の江、将来が生まれるで“赤江将生”」
そういえば、しょっちゅうここで会うには会うけど、名前なんて知らなかったなと思った。
赤江将生──こいつの名前。
「覚えとく」
「本当ですか!?」
「は?覚えとけってことじゃないの?」
「あ、いや、まあ……そう、なんでしょうけど」
「何それ、あんた本当ヘン」
弱気かと思えば急に強気で、でも結局弱気で終いには尻窄み。
「あんた……ああ、将生だっけ。将生とここで会うの、何回目だっけ」
気がつけば結構頻繁に会ってたような気がする。
何でいたのか知らないけど、きっとバイトの帰り道かなんかだろう。
今日みたいにピンチヒッターで、たまたま時間が重なって……まあ、あたしの場合はたいてい今回みたいな寝取った寝取られたっつうバカみたいなモメごとでクラブを出て来たような日ばっかだけど。
アルコール塗れのドブネズミスタイルなんてザラで、スクリュードライバーなだけだいぶマシだ。
カシスウーロンだったときなんか、シミがひどくてそっちに泣きそうだった。
カシスなんか人にぶちまけるなよ。
……あたしが言えた義理じゃないのはよくわかってるけど。
「5回目です」
思考に耽った数秒後、将生はそう答えた。
「よく覚えてるね。そんなにタイミング合ったなんて不思議」
「……まあ、それでいいです」
「何よ、他に何かあるわけ?」
「いや、いいんです」
「ヘンなの。てか、何であたしの名前知ってんの?」
ふと思い当たって尋ねた。
自分から名乗ったことのない名前を将生はやたらとキレイに発音する。
まるで、漢字まで知ってるようにだ。
「水道料金、払いに来たでしょう」
「水道料金……」
一人暮らしだから払いもする。
振込変更がメンドくさくて、コンビニ払いをしていて……行くのはだいたいが今日煙草を買ったところ。
「……ストーカー?」
「違いますよ。たまたま名前を見ただけです。梶原映見さん、ですよね。フルネーム。木編に尾の梶に原っぱの原、映えて見えるで“梶原映見”さん」
「久々にちゃんと呼ばれた」
「え?」
「名前、ちゃんと呼ばれた」
ベッドだけの男はみんながみんな“エミ”。
カタカナだろうが漢字だろうが関係ないと言えばそれまでだけど、響きが軽い。
だからきっと奴らからしたならあたしは“エミ”で、あたしにとっても相手が……例えば“武”でも“タケシ”だし“源次郎”でも“ゲンジロー”だ。
ゲンジローはいなかったけど。
“エミ”が悪いわけじゃない。
ただ、あたしの本当の名前じゃないだけ。
「ねえ」
「はい?」
「マリカも知ってるの?」
あいつ、いっつもあたしにくっついててさ。
何つうか、こう……あたし、あいつと結構いたはずなんだけど、何にも知らなかったなあって思って。
彼氏と寝といて何言ってんだって感じだけどさ。
いいわけみたいに一気に喋って、微妙に恥ずかしくなってきた。
何でこんなことこいつに言ってるんだ。
また力が抜ける。
「あんたといると……こんなんばっかな気がする」
「会ったときからですよ」
「うるさい。知ってんの、知らないの?」
ちらりと見やれば、何でか将生はニコニコしてた……ヤな感じ。
「児島麻里香さんです。児童の児に普通の島で“児島”、麻の里が香るで“麻里香”」
バカにするでもなくゆっくりと、穏やかにそう説明してくれた将生に、また、恥ずかしくなって、誤魔化すように煙草を取り出した。
「知らなかったんですよね」
「……何が、名前のこと?」
「わかってるくせに。知らなかったこと、わかってますよ」
「……何のことだか」
本当は、何を言いたいかなんて、充分わかってはいたけど、知らないフリをした。
咥えた煙草に火を点ける。
煙が目に染みて、また、少しだけ視界が滲んだ。
「……苦い」
「タールが高いからですよ」
小さく笑った将生を睨んで思うのは、今の気分はHip-HopでもJ-POPでもハウスでもグランジロックでもなく、将生みたいな沁み入るブルースかもしれないということ。
苦い煙草と沁み入るブルース、二つを手にして、渋谷で見た夜明けは、なかなか悪くなかった。
「あはは、まだ流石に外で徹夜は冷えますね」
「イヤミ?」
「違います。気づけなくてすみませんでした」
「……いや、大丈夫」
いつもなら軽く滑るように出て来るセリフは、何となく、将生には言えなかっただなんて──それこそ言えなかった。
ああクソ、やっぱり何だか苦い。
本当は中編くらいで考えていたけど、書かなかったのでUPしたお話。