『ある女王の記憶一黄金の血脈・幕間一』
本作は『黄金の血脈Ⅱ ベルフレア』の幕間短編です。
ベルフレア編読了後にお読みいただくことをおすすめします。
同じ時間を、もう一つの側から振り返る物語です。
「トリプルジュエル? あんたに、お母さんみたいな偉業ができるわけないでしょ! 私が今日、ティアラを取るんだから!」
「よく言えますね、抽選で選ばれた出走者が」
「なにそれ!」
「事実でしょう? 今日だって、前と同じように沈んでいく姿が想像できますわ」
「絶対、後悔させるから!」
「こちらの台詞です!」
フレアちゃんとの言い合いは、気づけば随分大きな声になっていた。
もう少し続けていたら、本当に掴み合いにでもなっていたかもしれない。
「エクラディーヌ、今はレースに集中してください」
トレーナーが間へ入り、私の腕を引いた。
反対側では、フレアちゃんのトレーナーも彼女を引き離している。それでも私たちは互いから目を逸らさず、離されながら睨み合っていた。
「エクラディーヌ。レースの指示を聞いていないことは分かっていますし、それを今は咎めません。ですが、そんな調子では走りに支障が出ます。落ち着いてください」
トレーナーには、今の私がどう見えているのだろう。
頬を赤くして声を荒らげ、今まで見たこともないほど興奮しているように映っているのかもしれない。
けれど、それは少し違う。
私はむしろ、驚くほど落ち着いていた。
胸は高鳴っている。
絶対に負けたくないとも思っている。
それなのに、心のどこかが妙に軽かった。
だって、あのフレアちゃんと本気で走れるのだから。
何も隠さず、遠慮もせず、互いに勝ちたいと言い合える。
私の、初めての友達と。
思えば、私は昔から恵まれていた。
お父さんもお母さんも優しく、幼い頃から色々な場所へ連れていってくれた。競駆場はもちろん、偉い方々が集まるパーティーや、普通なら簡単には入れない特別な場所にも何度も足を運んだ。
そこには、私と同じくらいの年頃の子供もいた。
もちろん会話もした。
けれど、友達と呼べるような子はいなかった。
誰の父親が偉いのか。
どこの家の方が豊かなのか。
何を持っているのか。
誰と知り合いなのか。
そんな話ばかりだった。
笑顔で話しているのに、言葉の中には自慢や見下すような響きが混じっている。
私はあの空気が、どうしても好きになれなかった。
だからある日、初めてお母さんにわがままを言った。
「私、行きたくないです」
最初は説得された。
少しだけだから。
きっと楽しいから。
同じ年の子もいるから。
けれど私は首を縦に振らなかった。
理由を聞かれても、うまく説明できない。
あの子たちと話したくありません。
そんな言葉を口にしたら、自分まで嫌な人間になるような気がして、黙り込んでしまった。
両親はやがて説得を諦め、私を預かってくれる場所を探してくれた。
急な話だったから、簡単には見つからなかったらしい。
それでも最後に、一つだけ受け入れてくれる場所が見つかった。
それが、風杜だった。
初めて見た風杜は、私の知っている家とはまるで違っていた。
豪華ではない。
少し古びた木造の建物で、けれど思っていた以上に広い。隣には綺麗に整えられたグラウンドがあり、見慣れない物もたくさんあった。
私はすぐに、この場所が気に入った。
お母さんが施設の方と話している間も、早く中を見て回りたくて仕方なかったのを覚えている。
やがて話を終えたお母さんは、私をぎゅっと抱きしめた。
少しの間だけ。
そう理解していても、離れていく背中を見ていると寂しかった。
その時、隣から声をかけられた。
私と目線を合わせるようにしゃがんでいたのは、アマルティアさんだった。
「エクラディーヌちゃん。少しの間だけど、よろしくね」
優しい笑顔だった。
「それとね、うちにはあなたと同い年の女の子がいるの。仲良くしてあげてほしいな」
私は頷いた。
アマルティアさんに促され、玄関をくぐる。
木の匂いがした。
床も壁も、普段暮らしている家とは違う。珍しくて辺りを見回していると、アマルティアさんが廊下の奥へ向かって大きな声を出した。
「フレアー、いる?」
少しの静寂。
すぐに、奥からぱたぱたと足音が聞こえてきた。
そして、彼女が現れた。
フレアちゃん。
私より少し小さな身体。
栗色の髪。
可愛らしい顔。
綺麗な服を着ているわけでもないし、特別な飾りを身につけているわけでもない。
それでも、妙に目を引いた。
飾らなくても、そのままで綺麗な子だった。
「ね、フレア。この子、今日から少しの間うちで預かることになったの。名前は――」
アマルティアさんが紹介しようとしたけれど、私は待ちきれなかった。
一歩前へ出る。
「わたし、エクラディーヌです。よろしくお願いします」
フレアちゃんは少し驚いたように私を見る。
それから、ほんの少し遅れて答えてくれた。
「ベルフレア。わたし、ベルフレア……です」
小さな声だった。
緊張しているのが、子供の私にも分かった。
けれど、不思議だった。
それまで会ってきた子供たちとは、まるで違った。
この子の前なら、変に格好をつけなくてもいい。
何を持っているのかも、誰の子なのかも関係なく話せる。
そんな気がした。
私は自然と笑っていた。
「ふふっ。じゃあ、フレアちゃんですね。よろしくお願いします」
本当は、ずっとこうやって誰かを呼びたかった。
堅苦しい呼び方ではなく、もっと親しみを込めた呼び方で。
以前、同じように誰かを「ちゃん」と呼んだ時には、子供っぽいと笑われたことがある。それ以来、少しだけ気にしていた。
でも、この子なら大丈夫。
そう思った。
私は右手を差し出した。
フレアちゃんは、その手をじっと見た。
すぐには握らない。
困ったように周囲を見て、アマルティアさんの顔まで確認している。
やっぱり嫌だったのかな。
ほんの少し不安になった時、フレアちゃんの小さな手が、そっと私の手に重なった。
温かかった。
外では雨が降って少し寒かったからとかそんなの関係なくその手は驚くほど温かく、優しかった。
そして、握られた手に少し力が込められる。
どうしたのだろうと思って顔を見ると、フレアちゃんは何かを決心したような顔をしていた。
頬を赤くしながら、口を開く。
「わ、私も……エクラちゃんって呼んでもいい?」
今でも覚えている。
たったそれだけのことを言うために、あの子がどれだけ勇気を出してくれたのか。
だから私は、嬉しくなった。
きっとこの子とは仲良くなれる。
一生の友達になれる。
隠し事なんてせず、言いたいことを言い合って、時には喧嘩をして、それでも最後には笑い合える。
そんな根拠のない確信を、あの時の私は本気で抱いた。
「もちろんです! 私、嬉しいです!」
気づけば、私はフレアちゃんを抱きしめていた。
突然のことで、彼女の身体が固まる。
どうすればいいのか分からなかったのだろう。
少しの間だけ迷った後、おそるおそる腕を回して、私を抱き返してくれた。
それが、嬉しかった。
私の感じたことは間違っていない。
そう思えた。
あの日から何年も経った。
手を繋いだ。
笑った。
一緒に競駆を見た。
恋の話もした。
そして今日、初めて本気で怒鳴り合った。
それでも、やっぱり思う。
フレアちゃんは私の一番大切な友達だ。
だからこそ――今日のレースは、私が勝つ。
遠慮なんてしない。
手加減もしない。
最初から最後まで、私の走りをする。
フレアちゃんがどれだけ追いかけてきても、絶対に前を譲らない。
一番先にゴールを駆け抜けるのは私だ。
トリプルジュエルへ進むのも、私。
それでも。
もし。
本当に、もしも今日負けたら。
その時のことも、私はもう決めている。
フレアちゃんが初めてGRを勝つ瞬間なのだから、誰よりも先に駆けつける。
そして、思いきり抱きしめてあげる。
あの雨の日、初めて会った時のように。
それでこう言うの。
「おめでとうございます! フレアちゃん!」
って。
『ある女王の記憶 ―黄金の血脈・幕間―』をお読みいただき、ありがとうございました。
一つの物語が終わっても、そこで全てが終わるわけではありません。
それぞれが自分の道を進み、
そしてまた、次の世代が自分だけの夢を追い始めます。
『黄金の血脈』の物語は、次へ。
次作――
『黄金の血脈Ⅲ ベルノクシア』
どうぞ、次の物語も見届けていただければ嬉しいです。




