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元カレは隣の席のエース  作者: naomikoryo


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8/21

第8話

あの賑やかな市民祭りの日から、数日が過ぎた。

祭りの日の出来事は、まるで真夏の夜の夢だったかのように、私と俊との関係は、また元の気まずい状態へと逆戻りしていた。

カモメくんの着ぐるみの中で見せた、彼の不器用な優しさ。

くぐもった声で私を気遣ってくれた、あの瞬間。

それらは全て、祭りの喧騒の中に溶けて消えてしまったかのようだった。


けれど、私の心の中には、あの日の出来事が、消えない小さな灯りのように、確かな温もりをもって残っていた。


そのせいだろうか。

以前よりも、彼のことを目で追ってしまう自分に、私は気づいていた。

仕事に集中する真剣な横顔。

時折、考え込むように指でこめかみを押さえる仕草。

その一つ一つが、私の心を小さく揺さぶる。

そんな自分に戸惑いながらも、私はただ、目の前の仕事に没頭することで、余計な感情から逃げようとしていた。


◆◇◆


公園の遊具修繕計画は、いよいよ大詰めを迎えていた。

明日の朝、鈴木課長と、さらにその上の部長へ提出する、最終報告書と予算案の作成。

それが、今日の私たちに課せられた、最後の仕事だった。


窓の外が、夕焼けから深い藍色へと変わっていく。

「お先に失礼しまーす」

「お疲れ様でしたー」

一人、また一人と、同僚たちが帰宅していく。

やがて、静まり返った企画課のフロアには、私と俊の二人だけが残された。

響くのは、それぞれのキーボードを叩く、リズミカルな音だけ。

重く、そして気まずい空気が、私たちの間に澱のように溜まっていく。


報告書の最終チェックのため、過去の資料が保管されているキャビネットへ向かう。

いくつかファイルをめくっていると、その中から、一枚の色褪せた写真が、はらりと床に落ちた。


拾い上げて、思わず、笑ってしまった。

それは、十数年前の市役所のイベントで撮られた集合写真だった。

そこに写っているのは、今よりもずっと若く、そしてスリムな、学生服姿の鈴木課長。


「ふふっ……」

静かなオフィスに、私の笑い声が小さく響く。

しまった、と慌てて口元を押さえた。


「……何か?」


静寂を破ったのは、意外にも、俊からの声だった。

いつもなら、私がどんな物音を立てようと、彼は一切の関心を示さないのに。

驚いて振り返ると、彼がパソコンの画面から顔を上げ、訝しげにこちらを見ていた。


「あ、いえ、すみません。これ、見てください。課長の若い頃の写真みたいで……」

私が恐る恐る写真を見せると、俊は席を立ち、私の隣にやってきた。

そして、私の手の中の写真を覗き込むと、フッ、と本当にわずかに、その口元を緩めたのが分かった。


「……この頃から、あまり変わってないんですね、課長は」

その声には、いつものような冷たさはなかった。

ほんの少しの変化。

けれど、その変化が、私の強張っていた心を、ふわりと解きほぐしていく。


「そういえば」

私は、その場の空気に背中を押されるように、口を開いた。

「高校の時も、文化祭の準備で、こうやって二人で残ったこと、ありましたよね」

「……ああ。あったな」

彼が、短く相槌を打つ。

その反応が嬉しくて、私は続けた。

「あの時、俊くんがペンキをひっくり返して、壁を真っ青にしちゃって。先生に、ものすごく怒られてましたよね」

「……お前が、後ろから急に脅かすからだろ」

「え、私のせいだったんですか?」

「それ以外に何がある」


憎まれ口のような、ぶっきらぼうなやり取り。

でも、それは歓迎会の時のような、互いを傷つけ合う棘のあるものではない。

まるで、十四年の歳月がなかったかのように、自然で、そして、懐かしい会話。


そのことが、たまらなく嬉しくて。

私は、忘れていたはずの高校時代の思い出を、次から次へと口にしていた。

くだらないことで笑い合ったこと。

テストの点数を競ったこと。

彼が、いつも私の少し前を歩いていたこと。


俊は、相変わらず口数は少なかったけれど、きちんと私の話に耳を傾け、時折、短い相槌を打ってくれた。

ただ、それだけのことが、乾いた心に水が染み渡るように、満たされていくのを感じた。


◆◇◆


「……よし、これで完成だな」

最後の修正を終え、報告書を印刷する。

その最終チェックのため、私たちは、デスクの間で、一枚の資料を二人で覗き込む形になった。


自然と、肩と肩が触れ合うくらい、距離が近づく。

彼のすぐそばにある横顔。

すっと通った鼻筋と、伏せられた長いまつ毛。

普段は意識しないようにしていた彼の存在が、今は、すぐそこにある。

心臓が、大きく音を立て始めた。


その時、彼が、ふとこちらに視線を向けた。

至近距離で、視線が、絡み合う。


彼の、黒く、吸い込まれそうな瞳。

そこに映る、驚いた顔の私。

時間が、また、止まる。


「あっ……」

私は、心臓が飛び出しそうになるのを必死で堪え、慌てて視線を資料に戻した。


「……ここの数字、間違ってる」


沈黙を破ったのは、彼の静かな声だった。

彼が、資料の一点を、指でさす。

その時。


彼の指先が、私の指先に、ほんの少しだけ、触れた。


ピリッ、とした、微かな痛みにも似た、静電気のような感覚。

触れた部分から、じわり、と熱が広がっていくのが分かった。


驚いて顔を上げると、俊も、少しだけ目を見開いて、自分の指先を見ていた。

そして、すぐに、バツが悪そうに、ふいっと視線を逸らした。

その耳が、心なしか赤く染まっているように見えたのは、きっと、気のせいだ。


残業が終わり、私たちは、二人並んで、静かな夜道を歩いていた。

会話はない。

でも、さっきまでの、あの息が詰まるような重苦しい沈黙とは、明らかに違う空気が、私たちの間に流れていた。


さっき触れた、指先の熱が、まだ、私の指に、生々しく残っている。

あれは、ただの偶然?

それとも……。



*****

ほんの少し触れた指先が、熱い。

この熱が、ただの勘違いではないと、信じてしまってもいいのだろうか。

*****

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