第7話
あの最悪の歓迎会から、一週間が過ぎた。
企画課のフロアに漂う空気は、まだどこかぎこちない。
特に、私と俊との間には、以前よりもさらに分厚く、冷たい壁ができてしまったように感じられた。
業務上の会話は、もはや単語の応酬だ。
「これ」「はい」「済み」。
彼の口から発せられる言葉は、感情というものを全て削ぎ落とされ、ただの記号と化していた。
私がいることで、彼や、彼の周りの人たちに、多大な迷惑をかけている。
その事実が、重い鉛となって私の心にのしかかった。
それでも、公園の遊具修繕計画は、二人の担当のまま、着々と進んでいた。
それは、ひとえに、俊のプロフェッショナルな仕事ぶりのおかげだった。
彼は、私情を仕事に持ち込むことを、決してしなかった。
その姿勢に救われる一方で、彼の徹底した線引きが、どうしようもなく寂しかった。
◆◇◆
そんな空気が続く中、週末がやってきた。
市が主催する、年に一度の「みなと市民祭り」。
市役所職員は、部署ごとに交代で、その運営を手伝うのが恒例となっている。
そして、なぜか。
なぜ、また、こうなるのか。
企画課のシフトの時間、私は、またしても俊と同じグループに組み込まれていた。
鈴木課長がシフト表を張り出しながら、「長谷川と黒崎さんは、二人とも仕事が早いからな! 頼んだぞ!」と、悪気なく笑っている。
その笑顔が、悪魔の微笑みに見えた。
私たちの担当は、会場の一角に設けられた子供向け広場での、風船配りと、市の公式マスコットキャラクターによるグリーティングだった。
「うわー、よりによって、カモメくんの担当かよー」
企画課の若手、佐藤くんが、げんなりとした声を上げる。
市のマスコット「みなとカモメくん」。
カモメをモチーフにした、二頭身の、なんとも言えない間の抜けたデザイン。
子供たちからの人気はそこそこだが、職員の間では「夏場のアレは地獄」と恐れられている。
「よし、じゃあ、カモメくんの中の人は、若手の佐藤! お前がやれ!」
「ええーっ! 課長、勘弁してくださいよぉ! 俺、昨日からちょっとお腹の調子が……イタタタ……」
あからさまな仮病で、佐藤くんがその場にしゃがみこむ。
その見え透いた嘘に、課長は「しょうがないやつだなあ」と頭を掻きながら、ぐるりと周りを見渡した。
そして、その視線が、ピタリ、と俊の上で止まった。
「よし、長谷川!」
嫌な予感しかしない。
「お前がやれ! 市のエースは、こういう時こそ、体を張るもんだ!」
課長の、鶴の一声。
俊は、その整った顔を、これ以上ないというくらい、心底嫌そうに歪めた。
何か言いたげに口を開きかけたが、課長の「業務命令だ!」という一言に、全ての言葉を飲み込んだようだった。
◆◇◆
数分後。
テントの裏から現れた、一羽の巨大なカモメ。
丸い体に、短い足。
間の抜けた、大きな瞳。
そのシュールな姿に、私は思わず「ぷっ」と吹き出してしまった。
その瞬間、カモメくんの大きな瞳が、じろり、とこちらを睨んだ気がした。
こうして、私とカモメくん(俊)の、奇妙な共同作業が始まった。
私はカモメくんの隣で、子供たちに風船を配る係。
最初は、動きのぎこちなかったカモメくん(俊)だったが、さすがはエースと言うべきか、すぐにコツを掴んだようだった。
「カモメくーん!」
「写真撮ってー!」
子供たちに囲まれるうちに、彼はだんだんと、その丸い体を揺らして手を振ったり、可愛らしく首を傾げたりと、完璧なファンサービスを繰り広げ始めた。
泣いている女の子を見つければ、その大きな羽でそっと頭を撫でてやり、転んだ男の子がいれば、誰よりも早く駆け寄って、その体を支えて起こしてあげる。
その姿は、普段のクールで近寄りがたい彼からは、到底想像もつかないほど、優しくて、温かかった。
私は、風船を配りながら、その様子を微笑ましく見つめていた。
そういえば、と思い出す。
高校時代、彼が、近所の子供たちにバスケを教えてあげていたこと。
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、その眼差しは、いつも優しかった。
彼は、昔から、子供が好きだったのだ。
その時だった。
一人の小さな男の子が、勢いよくカモメくん(俊)に抱きつこうとして、足をもつれさせて、大きくバランスを崩した。
「危ない!」
私が声を上げるより早く、カモメくん(俊)の大きな羽(という名の手)が、男の子の体をふわりと支えた。
そして、その勢いのまま、隣にいた私の腕を、ぐっと強く引き寄せた。
「きゃっ……」
分厚い着ぐるみの布越しに、彼の、がっしりとした腕の感触と、確かな体温が伝わってくる。
私の心臓が、ドキリ、と大きく跳ねた。
「……大丈夫か」
着ぐるみの中から、くぐもった、でも紛れもなく彼の声が聞こえた。
それは、いつもの冷たい声とは違う、心配の色がはっきりと滲んだ声だった。
「……はい。ありがとう」
顔に、カッと熱が集まるのを感じながら、私はそう答えるのが精一杯だった。
◆◇◆
短い休憩時間。
私たちは、二人きりでテントの裏へと向かった。
俊が、ぜえぜえと息を切らしながら、カモメくんの頭を外す。
流れ落ちる汗が、彼の首筋を伝っていた。
私は、何も言わずに、用意されていたスポーツドリンクのペットボトルを、彼に差し出した。
「……どうも」
俊は、素直にそれを受け取ると、一気に半分ほど飲み干した。
「ふふっ」
彼の汗だくの姿を見て、思わず笑みがこぼれる。
「……何がおかしい」
じろり、と睨まれるが、その視線にはいつものような鋭さはない。
「いえ、カモメくん、子供たちに大人気でしたねって。さすが、エースは違います」
「……うるさい」
憎まれ口を叩きながらも、その口調は、どこか照れくさそうだった。
着ぐるみという一枚のフィルターを通したことで、私たちは、ほんの少しだけ、素直になれている。
そんな不思議な感覚が、私の心を温かくした。
けれど、祭りの終わりを告げるアナウンスが、無情にも会場に響き渡る。
短い休憩は終わりだ。
祭りの喧騒の中、隣に立つカモメくん(俊)の存在が、さっきよりもずっと、ずっと近くに感じられた。
でも、分かっている。
この魔法が解ければ、また明日から、私たちは、ただの気まずい同僚に戻るのだ。
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着ぐるみ越しの、少しだけ素直になれた時間。
しかし、祭りの喧騒が終わりを告げるとき、二人はまた、ただの同僚に戻っていく。
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