第6話
シルクのナイトガウンを羽織り、私は自宅のドレッサーの前でゆっくりとメイクを落としていく。
コットンに染み込ませたリムーバーでマスカラを拭うたびに、今日の歓迎会での出来事が、不快な後味と共によみがえってくる。
◆◇◆
『伝説のカップル』
あの、お調子者の若手職員が叫んだ言葉。
それが今も、耳の奥で嫌らしく反響している。
あの瞬間の、凍りついた空気。
好奇と憐憫が入り混じった、同僚たちの視線。
そして何より、私の隣で完璧な笑顔を貼り付けたまま、その実、屈辱に震えていた、自分自身の惨めさ。
私の名前は、早乙女京華。
この街では名の知れた市議会議員の娘として生まれ、望むものは、これまで何でも手に入れてきた。
美貌、学歴、そして、周囲からの羨望。
私の人生は、常に完璧でなければならなかった。
長谷川俊は、その完璧な人生を完成させるための、最後の、そして最高のピースになるはずだった。
地元では名士として知られる長谷川家の長男。
市役所内での、誰もが認める将来性。
そして、誰にもなびかない、あのクールな佇まい。
彼を私のものにすることこそが、私がこの退屈な市役所に勤め続ける、唯一の理由。
それは、燃えるような恋心とは少し違う。
もっと計算高くて、冷たい、渇望にも似た独占欲。
最高のトロフィーを手に入れるための、緻密なゲーム。
親同士が進めている縁談を最大限に利用し、市役所内で「お似合いのカップル」というイメージを定着させる。
彼の好みをリサーチし、さりげない差し入れを欠かさず、彼の母親にも取り入って、外堀を完璧に埋めてきた。
全ては順調だった。
この私の計画に、あの女が現れるまでは。
◆◇◆
黒崎美鈴。
初めてその女を見た時、私は正直、全く相手にしていなかった。
流行遅れの地味なスーツ、自信なさげな佇まい、そして、東京でのキャリアに挫折して帰ってきたという、「負け犬」の経歴。
私とは、住む世界が違う。
脅威に感じる価値すらない、と。
けれど、今日の歓迎会で、私は自分の認識が甘かったことを思い知らされた。
あの言葉が放たれた瞬間の、俊の動揺。
表情こそ変えなかったけれど、彼の瞳が一瞬だけ、確かに揺らいだのを、私は見逃さなかった。
グラスを呷る喉の動きが、彼の焦りを雄弁に物語っていた。
間違いない。
俊は、まだこの女を引きずっている。
その事実が、私の完璧なプライドを、鋭いガラスの破片のようにひどく傷つけた。
十四年も前に、自分から振った男を、今になって……?
しかも、その理由は「他に好きな人ができたから」ですって?
なんて、身勝手で、浅はかな女。
許せない。
最近の俊の様子を思い返す。
思い返せば、予兆はあった。
黒崎美鈴が来てから、俊が時々、無意識に隣のデスクに視線をやっていること。
私が話しかけても、どこか上の空の時があること。
公園のクレーム対応の件で、二人が一緒に仕事をしているのも、ずっと気に入らなかった。
私の完璧な計画に、不確定要素が入り込んだ。
このままでは、全てが狂ってしまう。
そうなる前に、手を打たなければ。
私は、コットンをゴミ箱に捨てると、鏡に映る自分を真っ直ぐに見つめた。
嫉妬と怒りで、美しくあるべき私の顔が、醜く歪んでいるように見えた。
黒崎美鈴に、分からせてあげる必要がある。
俊が誰のもので、彼女がどれだけ場違いな存在なのかを。
できれば、彼女自身の口から「身を引きます」と言わせるのが、最も美しい勝ち方でしょうね。
そのためには、まず、彼女の弱みを握らなければ。
東京で何があったのか。
なぜ、今になってこの街に帰ってきたのか。
徹底的に調べて、二度と俊の前に立てないようにしてあげる。
私は、スマホを手に取ると、ある人物にメッセージを送った。
東京で、少しだけ裏の仕事も手伝ってくれる、大学時代の後輩。
『ちょっと、調べてもらいたい人がいるの』
送信ボタンを押した指先が、冷たく、そして確かな熱を帯びていた。
俊くんは、私のもの。
誰にも渡さない。
あの女のような、過去の亡霊なんかに、絶対に。
*****
あの女さえいなければ…
京華の胸に宿った黒い感情が、やがて三人の関係を大きく揺るがすことになる。
*****




