第5話
あのクレーム対応の一件から、数日が過ぎた。
公園の遊具修繕計画は、俊の驚異的なリーダーシップのもと、着実に前進していた。
現地調査、関係各所への根回し、予算案の作成。
彼は、まるで精密機械のように、膨大なタスクを冷静に、そして完璧にこなしていく。
共同で担当している以上、必然的に彼と会話する機会は増えた。
けれど、それはあくまで業務連絡に限った話。
彼の態度は、氷の壁のように硬く、冷たいままだった。
それでも、私の心には、少しずつ変化が生まれていた。
彼の仕事ぶりを間近で見るたびに、尊敬の念が深まっていく。
住民のために、自分の時間を惜しまず働くその姿は、紛れもなく本物だった。
そして、その尊敬は、いつしか別の感情へと姿を変え始めている。
そのことに気づかないふりをしながら、私はもどかしい日々を過ごしていた。
◆◇◆
金曜日の夜。
私の歓迎会が、鈴木課長の発案で、市役所近くの居酒屋で開かれることになった。
企画課のメンバーが全員参加した会は、思った以上に和やかで、私は少しだけ安堵していた。
「黒崎さん、東京ではどんな仕事してたの?」
「彼氏はいるのー?」
主役である私は、課長や先輩たちから次々にお酌をされ、矢継ぎ早に飛んでくる質問の嵐に、当たり障りのない笑顔で答えていた。
そんな喧騒の中、私の視線は、自然とテーブルの端に座る彼を探してしまう。
俊は、少し離れた席で、誰と話すでもなく、静かにビールを飲んでいた。
その姿は、賑やかな宴会の中で、彼だけが別の空間にいるかのように、どこか孤高に見えた。
会が中盤に差し掛かった頃だった。
「企画課さん、盛り上がってますねー!」
鈴が鳴るような明るい声と共に、広報課の早乙女京華さんが、数人の同僚を引き連れて現れた。
「美鈴さんの歓迎会だって聞いたから、お祝いにきちゃった」
彼女は、にこやかにそう言うと、私のグラスにビールを注いでくれる。
その完璧な立ち居振る-舞いに、同性ながら感心してしまう。
そして、京華さんは、まるでそこが自分の指定席であるかのように、ごく自然な流れで、俊の隣に腰を下ろした。
「俊くん、また一人で飲んでるの? 寂しいじゃない」
「……別に」
「あ、このお刺身、美味しいわよ。ほら、あーん」
「自分で食う」
迷惑そうな顔をしながらも、俊は京華さんを強く拒絶しようとはしない。
周囲の職員たちも「またやってるよ」「ほんと仲良いよな」と、微笑ましげにその光景を眺めている。
二人が公認のカップルであるという事実が、目の前で繰り広げられる光景によって、嫌というほど証明されていく。
私の胸の奥が、チクリと小さく痛んだ。
その時だった。
お酒がかなり進み、顔を真っ赤にした企画課のお調子者の若手職員・佐藤くんが、呂律の回らない口で、とんでもない爆弾を投下したのは。
「そういえばぁ、黒崎さんと長谷川さんってぇ、ただの同級生じゃないんスよねぇ!?」
その大声に、テーブルの注目が佐藤くんに集まる。
鈴木課長が「お、佐藤、何か知ってるのか?」と、面白そうに身を乗り出した。
「俺、高校のOBの先輩から聞いたんスよぉ! この二人、高校時代、誰もが認める“伝説のカップル”だったって話じゃないスか!」
―――シン。
それまでガヤガヤと騒がしかったテーブルが、まるで時が止まったかのように、静まり返った。
居酒屋の喧騒だけが、やけに遠くで聞こえる。
全員の視線が、私と、俊と、そして、京華さんに突き刺さるのが分かった。
顔から、サッと血の気が引いていく。
手に持っていたおしぼりを、爪が食い込むほど強く握りしめた。
隣の隣の席に座る俊は、どんな顔をしているだろう。
怖くて、見ることができない。
ただ、彼が手に持っていたグラスのビールを、ぐいっと一気に飲み干す音だけが、やけに大きく聞こえた。
そして、俊の隣に座る、京華さん。
彼女は、完璧な笑顔を顔に貼り付けたまま、ピクリとも動かない。
けれど、その大きな瞳は、全く笑っていなかった。
隣の席にいる私には、彼女の綺麗な指先が、テーブルの下で強く握りしめられているのが、はっきりと見えた。
「は、はは……! 若い頃の話だよな! なあ、長谷川!」
鈴木課長が、必死で場を収めようと空々しい笑い声を上げるが、一度凍りついた空気は、もう元には戻らなかった。
◆◇◆
歓迎会は、その後、どこか白々しい雰囲気のまま、お開きになった。
一人、夜道を歩きながら、冷たい夜風が火照った頬に心地よかった。
今日の出来事を、ぼんやりと反芻する。
「伝説のカップル」
そんな風に、周りから見られていたなんて、知らなかった。
私たちは、ただ、普通の恋人同士だったはずだ。
過去は、どれだけ分厚い蓋をして、心の奥底に沈めたつもりでも、ふとした瞬間にこうして浮かび上がってきて、私を苛む。
俊の隣で完璧に微笑んでいた、京華さんの姿が脳裏に焼き付いて離れない。
あの人の隣こそが、彼のいるべき場所なのだ。
私なんかとは、もう住む世界が違う。
そう、割り切ろうとすればするほど、胸の奥で、小さな痛みが主張を始める。
*****
過去は過去。
そう割り切ろうとすればするほど、心の奥底に沈めたはずの想いが、静かに顔を出す。
果たして、この痛みは後悔か、それとも…。
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