第11話
源田さんの協力が得られたことで、止まっていた歯車が、ゆっくりと、しかし確実に回り始めた。
あれだけ非協力的だった商店街の雰囲気が、少しずつ変わり始めたのだ。
私たちは、商店街の組合会合に正式なメンバーとして参加を認められ、具体的な活性化案を提案していくことになった。
夜遅くまで、二人きりで企画書を作成する日も増えた。
隣のデスクで、パソコンに向かう彼の真剣な横顔。
時折、意見を交わす中で、彼の考えの深さや、この街への熱い想いに触れる。
そのたびに、私の心は、どうしようもなく、彼に惹きつけられていった。
それは、心地よく、満たされた時間だった。
けれど同時に、彼の隣に立つ、あの完璧な女性の姿を思い出し、罪悪感にも似た痛みが、胸を締め付けた。
この心地よさに、溺れてはいけない。
そう、自分に言い聞かせながら。
◆◇◆
「これ、どうでしょうか」
数日後。
私は、練りに練った企画書を、俊と、そして商店街の若手店主たちの前に広げた。
「題して、『#みなと再発見 隠れた逸品を探せ!スタンプラリー』です」
東京での経験を活かし、私が提案したのは、SNSと連動させた、体験型のイベントだった。
各店舗が、自慢の「隠れた逸品」をエントリーし、参加者は、それを巡りながらスタンプを集める。
集めたスタンプの数に応じて、商店街で使える商品券が当たる、という仕組みだ。
「ほう、面白そうじゃないか」
源田さんが、腕を組んで唸る。
若手の店主たちからも、「スマホを使うなら、若い人も来てくれるかも」「うちの裏メニュー、出しちゃおうかな」と、好意的な声が上がった。
プロジェクトは、いよいよ具体的な実行段階へと進む。
その手応えに、私は久しぶりに、仕事への情熱と興奮を感じていた。
このイベントを成功させるには、市の広報媒体を最大限に活用した、大々的な告知が不可欠だった。
私たちは、早速、完成した企画書を手に、広報課へと向かった。
「まあ、素晴らしい案ね!」
企画書に目を通した早乙女京華さんは、満面の笑みで私たちを迎えてくれた。
「商店街の皆さんも、やる気になってるなんて、すごいじゃない! もちろん、広報課として、全力で協力させてもらうわ」
彼女の力強い言葉に、私は心の底から安堵した。
よかった。彼女も、この街を良くしたいという想いは、同じなんだ。
◆◇◆
けれど、その安堵は、長くは続かなかった。
約束とは裏腹に、広報課からの協力は、一向に進まなかったのだ。
「ごめんなさい、今、議会関連の案件で立て込んでて、少し後でもいいかしら?」
「ああ、その件は担当の者が今日、終日外出しておりまして……」
広報課に足を運ぶたびに、何かと理由をつけられ、私たちの企画はことごとく後回しにされた。
市のウェブサイトに掲載された告知記事は、トップページの隅の方に小さな文字でたった数行載っているだけ。
市の公式SNSでの発信も、他の多くの行政情報に埋もれてしまい、全くと言っていいほど拡散されていなかった。
イベント開催日は刻一刻と迫ってくる。
このままでは十分な告知ができず、参加者が集まらないままイベントは失敗に終わってしまう。
「あの、京華さん。先日お願いした、広報誌の特集記事の件ですが……」
焦る私は、何度も広報課に足を運んだ。
しかし、京華さんはデスクに積まれた書類の山から顔も上げずに、申し訳なさそうな声で言うだけだった。
「本当にごめんなさい、美鈴さん。今手が離せなくて。また後でこちらから連絡するわね」
その完璧な笑顔と、丁寧な物腰。
しかし、その裏側に見えない壁のようなものを感じる。
歓迎会で見せた、あの凍りついたような瞳が脳裏をよぎった。
まさか。
これは、ただ忙しいだけじゃない。
意図的に、私たちのプロジェクトを妨害している……?
そんなありえないはずの疑念が、黒い靄のように私の心に広がり始めていた。
「どうしよう、俊くん。このままじゃ……」
その夜、また二人きりになったオフィスで、私は焦りと不安を彼に打ち明けた。
「広報課の協力が、まったく得られないんです。このままじゃイベントが……」
しかし、返ってきたのはあまりに冷静な言葉だった。
「催促するしかないだろう。俺からも明日の朝、広報課長に直接話しておく」
「でも、そういう簡単なことじゃなくて! 京華さん、なんだか私たちのこと避けてるみたいで……」
「感情的になっても問題は解決しない」
ピシャリ、と彼は言い放った。
「早乙女さんが協力できないなら、代わりの手段を考えろ。それが俺たちの仕事だ。もっと効率的な方法を考えろ」
その冷たい言葉に、私はカッとなった。
「効率、効率って……! 人の心が絡む問題が、そんなに簡単に割り切れるわけないじゃない!」
「……!」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
俊は驚いたように私を見ると、すぐにふいっと顔をそむけた。
その横顔は、またあの氷の壁で覆われていた。
フロアに重い沈黙が落ちる。
味方だと思っていた。
同じ目標に向かう同志だと思っていた。
それなのに、彼にまで突き放されてしまった。
私は誰にも相談できないまま、一人暗いオフィスで頭を抱えるしかなかった。
京華さんからの見えない敵意。
そして、俊との間に生まれてしまった、小さなしかし深い亀裂。
ようやく掴みかけたと思った光が、また、遠ざかっていく。
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見えない敵意が、美鈴の心を追い詰めていく。
果たして彼女は、この逆境を乗り越えることができるのか。
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