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元カレは隣の席のエース  作者: naomikoryo


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第10話

公園の遊具修繕計画が一段落し、私と俊との間に流れる空気は、また元の静かなものに戻っていた。

けれど、その静けさの質は、以前とは明らかに違っていた。

針が突き刺さるような、息の詰まる気まずさではない。

お互いの存在を、ただ静かに意識しているような、少しだけもどかしい空気。


残業の夜に触れた指先の熱。

祭りの日に見たカモメくんの着ぐるみの中の、不器用な優しさ。

それらの記憶が、私の心の中で消えない灯りのように、じんわりと熱を放ち続けていた。


◆◇◆


そんな、微妙な関係が続いていたある日の午後。

企画課の定例会議でその話は、議題に上がった。


「駅前商店街のシャッター街化問題についてです」


市の長年の懸案事項。

これまで幾度となく活性化案が検討されては、商店街側の根強い反対や予算の都合で頓挫してきた、非常に難しい案件だった。


鈴木課長が、熱弁をふるう。

「今年こそ、この問題に本格的に取り組むべきです! このままでは湊市の玄関口が、ゴーストタウンになってしまう!」


その熱意に押され、会議に参加していた部長も「うむ、確かに……」と腕を組む。

そして課長は、ここぞとばかりにとんでもない爆弾を投下した。


「つきましてはこのプロジェクトの担当として、我が課のエースである長谷川と、そして東京で商業施設の開発にも関わっていた経験を持つ黒崎さんを、中心メンバーとして推薦します!」


その瞬間、会議室がどよめいた。

「え、私が、ですか!?」

私は思わず素っ頓狂な声を上げた。

東京での経験は、私にとって挫折と後悔の記憶だ。

できればあまり触れられたくない過去だった。


「おお、それは面白い人選だな。黒崎さん、君の東京での経験を、ぜひこの街のために活かしてくれんか」

部長からの、期待のこもった、真っ直ぐな眼差し。

課長の「頼んだぞ!」という力強い視線。

ここで「できません」と言えるような雰囲気では到底なかった。


ちらり、と俊の横顔を盗み見る。

彼は驚くでもなく嫌がるでもなく、ただ静かに前を見据えていた。

その横顔からは、この難題にどう立ち向かうかすでに思考を巡らせているような、プロフェッショナルとしての緊張感が伝わってくる。

やがて彼は何も言わずに、こくりと静かに頷いた。


こうして市の最重要プロジェクトとも言えるチームに、私と俊が中心メンバーとしてアサインされることが、半ば強制的に決定してしまった。


プロジェクトは案の定、開始早々から暗礁に乗り上げた。


「活性化? どうせまた口だけで、何も変わりゃしないんだろ」

「市役所の人間なんて、信用できるか。さんざん煮え湯を飲まされてきたんだ」


駅前商店街の組合会合に出向いても、店主たちの反応は冷たくそして頑なだった。

特に組合長でありこの商店街で百年続く和菓子屋『源氏堂』の店主・源田さんは、一番の頑固者で、私たちと目を合わせようとさえしてくれない。


俊は、過去の膨大なデータ分析や他市の成功事例のリサーチといった彼が得意とする論理的なアプローチで、店主たちを説得しようと試みた。

しかし、彼らの心は固く閉ざされたままだった。


「……だめだ。これじゃ前に進めない」

私は、東京での経験を思い出していた。

どんなに立派な計画書も、そこに住む人の心を動かせなければただの紙切れだ。

街を作るのはデータじゃない。

人なのだ。


「私、少しやり方を変えてみてもいいですか」

「……好きにすればいい」


◆◇◆


その日から、私は足が棒になるまで商店街を一軒一軒歩いて回った。

最初は、ほとんどの店で門前払いされた。

けれど私は諦めなかった。

毎日毎日店に通い、商品を買い、そして店主たちの話にただひたすら耳を傾けた。

店の歴史、商品のこだわり、そしてこの商店街への愛憎入り混じった想い。


俊は、そんな私のやり方を「非効率だ」と口では言った。

けれど、私が夜遅くまで店主たちのために作った現状分析の資料作りを彼が何も言わずに手伝ってくれていることを、私は知っていた。


「ここのデータ、古い。新しいのに差し替えておいた」

「このグラフ、見にくい。作り直せ」


ぶっきらぼうな言葉と共に彼がそっと差し出してくれる修正案は、いつも的確で私の資料を何倍も説得力のあるものに変えてくれた。


◆◇◆


そして、その日はやってきた。

プロジェクト始動から二週間。

私はいつものように、一番の難関である源田さんの店『源氏堂』の前に立っていた。


「また来たのか。いい加減にしろ! もう来るなと言ったはずだ!」

店の奥から出てきた源田さんが、私を追い払おうと怒鳴り声を上げる。

いつもならここで「また来ます」と引き下がっていた。

でも今日は。


「嫌です!」


私は自分でも驚くほど大きな声で言い返していた。


「私はこの商店街が、好きなんです! 子供の頃、父に連れられて源田さんのお店のいちご大福を食べるのが、何よりの楽しみでした! あの頃の人で溢れかえっていた活気のある商店街を、もう一度取り戻したいんです! そのために、私は東京からこの街に帰ってきたんです!」


そうだ。

私は逃げてきたんじゃない。

この街が好きだから帰ってきたんだ。

初めて胸を張って、そう叫ぶことができた。


私の言葉にあれだけ頑なだった源田さんの表情が、わずかに揺らいだ。

彼はしばらく黙って私を見つめた後、ふいっと顔をそむけて小さな声でこう言った。


「……そこまで言うなら話だけは聞いてやる。次の会合に、お前たちの席も用意しといてやる」


その言葉が、どれだけ重い意味を持つか。

私は込み上げてくる涙を必死で堪えた。


店の角を曲がったところで、壁に寄りかかってそのやり取りを静かに見守っていた人影に気づき、私は息をのんだ。


「……俊、くん」


彼は何も言わずに、ただ私を見ていた。

その瞳に、いつものような冷たさはなかった。


プロジェクトがようやく、大きな一歩を踏み出した。

一つの目標に向かう中で、私と彼の間にこれまでにない「同志」としての一体感が、確かに生まれていた。



*****

同じ目標に向かう中で、確かに縮まった彼との距離。

しかし、大きな壁がすぐそこに迫っていることを、美鈴はまだ知らない。

*****

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