第6話:予兆
飛空挺ペネトラ航行中、空を切る飛空挺は蒼穹の中をなめらかに進んでいく。
ヴィンセントは窓からの景色を見下ろしながら、未だ胸のざわめきを抑えきれずにいた。
「集合」
メルの一声が、船内の静寂を破った。
隊員たちが円形の作戦卓を囲むように集まる。
卓の中央には立体投影装置が設置され、静かに青白い光を灯していた。
「…これより、裂け目〈Δ-295〉の調査任務に入る。
これはD.R.Aの現行任務の中でも第2級に分類される危険領域。気を抜かないで」
投影装置が起動すると、一筋の光を伸ばし四方に拡散し、宙に立体映像が浮かび上がった。
空中に浮かぶ歪な亀裂の映像。空そのものが裂かれたような〈裂け目Δ-295〉が映し出されていた。
「発見されたのは3日前。現在も拡大傾向にあり、観測値は不安定。地上でGyneosの出現報告はないため、子である裂け目はまだ地上には出現していないけれど、時間の問題よ。内部侵入は慎重に。調査チームは3班に分かれる。」
「了解!!」
メルは淡々と説明を続ける。
隊員たちは敬礼をし、慣れた様子で各自の役割を確認していく。
ヴィンセントは静かに聞いていたが、壁に背を預けていたオーティスが彼の疑問点を察したのか、画面に写っている「母体」と呼ばれる禍々しい裂け目へ視線を向けた。
「あれは母体の裂け目。母体はだいたい直径300m以上が基準値とされてるらしい。長い間母体の裂け目を放置していると、そこからギュネオスって異形が飛び出してきて地上に降り立つんだ。
さらに仲間を呼ぶために小規模…って言っても俺より一回りでかい裂け目を無限に作り出す。あいつらにしてみれば裂け目はワープゲートみたいなもんなんだろ。」
「ワープゲート…ですか。」
冗談のような口ぶりだったが、言葉の重さは冗談ではなかった。
D.R.Aは裂け目の探索部隊と聞いていたが、この世界には異形なるものが存在するらしい。
地上へそれが漏れ出さないため、最前線で戦うのが彼らなのだろう。
胸にまた、微かなざわめきが走った。
それは、言葉では言い表せない違和感と不安を孕んでいた。
ふと、緊張でこめかみが痙攣したところでガシッっと肩に重みが落とされる。
「安心しろって!俺たちイプシロン隊は、一級の裂け目として名高いあのΣ-117も任務完了した優秀な隊なんだぜ?2級なんてちょちょいのちょいってことだ!」
ひょうきんなこの男は出航前にもオーティスに絡んでいたラックという男性隊員だ。
その口ぶりに相応しく、襟元のボタンは外れている。
メルはヴィンセントの様子に一つ頷くと、次の映像を映し出す。
「次よ、これをみて。これは2日前に調査へ向かわせたドローンの映像。予想以上に拡大が早い。」
今度は裂け目の周囲に広がる浮遊岩と、座標情報だ。
「第2級の裂け目とはいえ油断は禁物よ。裂け目は見た目以上に不安定で予測は不可能。そして、中に何があるかは入って見てからでないと分からない。」
メルはラックに釘を刺すように軽く睨みつけると、こめかみに黒光りする正方形のチップを取り付ける。
人差し指で押し込むとチップが点滅し黒い粒子が広がり、次第にそれは収縮を終えマスク型の形状に固定された。
「裂け目の中は歪流エネルギーが広がってる。幻覚、錯乱が主な症状ね。それが原因で精神に異常をきたす〈次元航宙士〉は離職率が高い。常に人が足りてなくてね…だから、オーティスのようなオーダーに任務を同行してもらうこともあるのよ。」
振り返ればオーティスもまた、マスクを装着し腕を回し体を馴染ませていた。
「このマスクは歪流エネルギーを防ぐための歪流遮断装置。貴方にもこれをつけてもらうわ。」
「私には必要ないはずでは…」
ヴィンセントは眉をひそめたが、メルは彼の表情を隠すようにしてヴィンセントにチップを取り付けた。
「……あなたが裂け目内部で正気を保てることはD.R.A内部でもごく一部しか知らない。これは貴方の切り札になる。」
メルはそう囁くとこくりとうなづいた。
するとつぎの瞬間、
〈……キィィィィィィィィィ……〉
船体を軋ませるような、低く細い音が響いた。
「……何?」
小さく声を漏らし、警戒を強めるため隊員たちに合図を送る。
「これは…気圧が乱れてる……?いや、違う。これは……」
メルの声が艦内に響き渡った。
「バランサー再調整!!姿勢保持、急げ!!!!」
操縦室から声が飛び、機体がわずかに傾く。
隊内通信と艦内の警報音がけたたましく鳴り、報告が飛び交う。
窓の外、空の一角がひずんでいた。
まるで空間が“壊れかけている”かのように、色彩がひしゃげ、明滅している。
そこに、裂け目〈Δ-295〉があった。
巨大な“口”のように、空に穿たれた黒。
Δ-295――母体の裂け目は300m以上という基準を大きく凌駕していた。
目の前にして500mはありそうな、空を引き裂く巨大な裂け目。
その奥から、音のない“何か”がこちらを見ているような錯覚。
ヴィンセントは立ち尽くした。
──いや、錯覚ではない。
“あれ”は──確かに、こちらを見ている。
瞬間、心臓が強く跳ねた。
何かが、脳裏の奥に響いたのだ。
聞き覚えのない、けれども“知っている”ような声。
「……っ…」
額を押さえ、わずかによろける。
「ヴィンセント!?」
すぐにオーティスが駆け寄ったが、手を上げて制止する。
「……少し、眩暈がしただけです。」
そう口にしたものの、彼の手はかすかに震えていた。
裂け目は、確かに呼んでいる。
理由も、意味も、まだ分からない。
けれど、確かに“向こう側”から、何かがこちらを識っていた。
それは記憶の残滓か、それとも運命の残響か──
飛空挺は、ゆっくりと減速しながら裂け目内部へと接近していく。
緊張が、隊内の空気を硬く縛っていた。




