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AionioS  作者: 無日
第五章:水鏡の記憶

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第44話:疼く痕

 僕たちはさまざまな任務をこなし、バディとしての呼吸もずいぶん合ってきた。


 バディの入れ替えを検討する時期になっても、僕はオーティスとのバディを組むことはやめなかった。

 正直、力仕事を任せられるのは楽だったし、カルロス長官からも「お前たちをバディにして正解だった」とお墨付きをもらったからと言うのもある。


 そして、僕達は仕事上の付き合いだけでなく、休日にジムで身体を動かしたりご飯を食べにいったりもした。


 始めはバディとしての友好関係を深める理由だったけど、今では友達のような関係性になっていた。


「……くっ、あと……10回……っ」


 ベンチの軋む音が、一定のリズムで鳴る。

 持ち上げるたびに腕が震え、鉄の冷たさが掌に食い込んでくる。


「ストップ。フォーム崩れてますよ先輩。背筋は伸ばして──」


「わ、わかってるよ……ッ!」


 天井の照明が汗に反射して滲む。


 案の定、全敗。


 体力も筋力もオーダー機関でほとんど抜かされたことのない身長も、完全に彼のほうが上。


 僕の見栄なんて、あっさりへし折られる。


「先輩、もう無理しないでください。水属性のNovactorなのに、脱水で倒れたら笑えませんよ」


「はあ…まったく、ほんと遠慮のない後輩だ……半年前はあんなに初々しくてかわいかったのに」


 シャワー室に入ると、温水が一気に汗を流していく。

 熱気で曇った鏡の向こうに、自分の少し情けない顔がぼんやりと浮かんでいた。


 私服に着替え、ジムの扉を押し開ける。

 外の空気はまだ熱を残していて、肌にまとわりつくようだった。


 すると、待ってましたとばかりにあの黄色い声が飛んできた。


「あれ? なんでここが分かったの? 今日はお休みなのに」


「行きますよ」


 ズルズルと襟を掴まれた僕は、情けなく近くの駐車場まで引きずられていく羽目になる。

 夕方の人混みはまだ多く、行き交う人々の体温が空気をさらに重くしていた。


 人混みをかき分けて進む彼の右手が、女性の気配に触れるたび空中でおどおどと泳ぐ。


 もしかして。


「……ふうん。さては、君──女性が苦手だね?」


「え……、そんなことないですよ…たぶん」


 視線が泳ぎ、どこを見ているのか彷徨っている。


 図星とみた。


 次の言葉を引き出すように、彼のホバーバークに腰を預ける。

 まるで、白状しないと乗せてあげないというように。


「君って自分の事を全然話してくれないじゃないか。僕はたくさん話してるのにさ。すごく寂しいよ」


「たくさんって……ほとんどルイスさんのことじゃないですか」


 じっと見つめていると、やがて彼はため息をつき、僕の隣にくる。


 遠くで走る車の音が、途切れ途切れに聞こえる。


 しばらくの沈黙ののち、彼は小さく口を開いた。


「…子供の時からです。俺が施設にいた話はしましたよね。女性が苦手になった理由とそこへ行くことになったきっかけは同じなんです」


「……そうか。なにがあったか、聞いてもいい?」


 彼は少しだけ視線を落としたまま、言葉を選ぶように息を吐いた。


「三人家族でした。でも、ある時に父が病で亡くなって、俺と母の二人で暮らすようになったんです。それから、だんだん母の様子が不安定になっていって、あんなに笑顔の素敵な人だったのに、俺を見る目が辛そうに変わっていった」


「話しかけても答えてくれなくて、小さい頭で母が喜びそうなことをして見せた。道端で育った花を渡したり、テストの点数なら100点を目指して。それでもだめなら、ブランケットをかけてあげて寄り添った」


 言葉の端がわずかに掠れる。


「それでも、だめだった」


 彼は首を摩りながら言葉を濁す。


 それだけで、彼の痛ましい苦しさが伝わってきた。


 夕焼けが駐車場のコンクリートに長く影を落とし、彼の片側の瞳を濁らせる。


「今でも、あの時どうすればよかったのか分からないんです。どうしたら母をまた笑顔にすることができたのか。毎朝考えるんです」


「だから、いつも早起きなのか」


 ぽつりと呟いたあと、言葉を続けかけて──一度だけ飲み込む。

 軽口みたいに聞くのは違う。


 けれど、触れずに流すのも、もっと違う気がした。


「……君のお母さんは」


 少しだけ声を落とす。


「今、どうしてるか……聞いても大丈夫かい?」


 選ぶように言ったつもりだったけど、それでも踏み込んでいる自覚はあった。


 彼は一瞬だけ目を伏せて、それから静かに首を横に振る。


「クララが俺を引き取ってくれることが分かった後、あのアパートに戻ったんです。でも、もう母さんは出て行ったあとで……」


 淡々としている。

 感情と理屈を切り離しすぎているような。


「……でも、もう探すつもりはありません。きっと、今頃幸せなはずですから」


 僕は何も言わず、彼の肩を撫でた。


 指先に伝わる体温は、思っていたよりもずっと高い。


 ずっと一人で考えてきたんだろう。

 どうすればよかったのか。

 何が足りなかったのか。

 答えなんて出ない問いを、何度も何度も。


 胸の奥が、少しだけ重くなる。


 でも──ここで僕が何かを断言するのは違う。


 この痛みは、僕の言葉で片付けていいものじゃない。


 どこか暗い表情をするときがあるのは、彼の心の奥に沈んだものが理由なんだ。

 無償の愛ではなく、敵意を向けられてしまった彼の心の傷は僕の想像するより深いんだろう。


 いつも平然とした顔をしておいて、傷だらけじゃないか。


 でも、僕にはその傷を癒してやれる力はない。

 今できることは先輩として彼を導くこと。

 それだけしかできない。


 それでも確信できる。


 彼はきっと、優しいオーダーになる。


 心の痛みを知っている人は他人(ひと)にも優しくできるから。


「ふうん、君のことだから、子供の頃は近所のガキ大将でもやってたんじゃない?」


「はは…そう見えます? 俺、あんまり近所の人とは顔合わせてなかったですよ。友達もそこまで多くなかったし」


「え? その体格で?」


 少し身を引いて、ギョッとして見せた。

 彼の緊張を和らげてあげたくて。


「俺を何だと思ってるんですか…急に伸びたんですよ、15歳くらいから。成長痛のせいで夜は眠れない日もあったくらいで……ばあちゃんやTEMIS(テミス)がマッサージしてくれてた」


 彼は腕を摩りながら懐かしそうに口角を緩ませる。


 すると、彼のお腹の音がぐるると鳴った。


 さっきまでの空気が、少しだけほどける。


「じゃあ、いつもの定食屋に行こうか。君、あそこ好きだもんね」


「あ…!今日こそ奢らせてください!」


「いーよ、こう言うのはベテランの先輩に任せとくもんさ。僕の方が稼いでるし、代わりに僕の惚気話を聞いてくれればいい」


「……また、受付のルイスさんの話ですか? そういう話なら俺は専門外ですよ。アミルさんに話してください」


「僕と彼を一緒にしないでよ。僕は一途に人を愛するんだ! えー、でね? 最近彼と一緒にディナーに行ったんだけどね…」


 歩き出しながら、僕はいつもの調子で話し始める。

 オーティスは、その突然切り替えられる話題に慣れた様子で、苦笑しながら隣を歩いていた。


 それでも、その日の彼は珍しく最後まで、ちゃんと話を聞いてくれた。



 ──そして、すべてが決定的に変わったあの日がやってくる。



 カルロス長官が小さな祝いの席を設けてくれた日。

 作戦部の面々には少し背伸びな、百花町の洒落たレストラン。

 

 磨き上げられたガラス窓の向こうでは、衛星を反射する空中トンネルと夜の街が淡く光を滲ませている。

 卓上のランプが柔らかく揺れ、グラスの中がゆっくりと揺れていた。


 久々に大勢で囲むテーブルには、穏やかであたたかい時間が流れていた。

 任務の話も、くだらない冗談も、どこか緊張の抜けた声で交わされる。


 食後、店を出ると、ひやりとした夜気が頬を撫でた。

 吐いた息は白く、街灯の下でゆっくりとほどけていく。


 それでも、他愛ない話は途切れなかった。


 オーティスは満腹な様子でバイクを押しながら大きく息をつき、ジョシュは店内との温度差で曇った銀縁眼鏡を外して丁寧に拭っている。

 ダニエルはというと、寒さに肩をすくめるでもなく、ただ前を向いて歩いていた。


 その横顔は静かで、けれどどこか張りつめている。


 そんな彼らを少し後ろから眺めながら、僕は白い息を吐いた。

 かじかんだ指先を擦り合わせていると、不意に隣から伸びてきた手がそれを包み込む。

 指先に触れた瞬間、じんわりとした体温が広がった。


「ニコラス、俺も来てよかったんですか。今日はオーダーの祝いだと聞いていたのに」


「なにいってるのさ。受付の仕事もオーダー機関に必要な立派な役職だよ。僕達の大切な仲間さ」


 ルイスは目を丸くしたあと、すぐに柔らかく目を細めた。


 その視線のまま、僕の髪に触れてくれる。

 指先がゆっくりと梳くたびに、冷えていた頭皮に微かな温もりが残る。


 本当は、彼と同じ時間を過ごしたかったからって理由が大きいんだけどね。

 大切な仲間と言うのは嘘ではないけど、きっと、この気持ちも彼には筒抜けなんだろう。


 自然と、彼の腕が腰に回された。


 引き寄せられる距離。

 その近さが、もう当たり前になっていることに、今さら気づく。


「ニコラス。早く家に帰ろう。荷物の整理がまだ残っている」


 普段は崩さない敬語が、少しだけ緩んでいる。


 酒に弱いわけじゃない。

 きっと今日は、後輩たちの話に付き合って、いつもより飲むペースが早かったんだろう。


「うん。早く帰ろうか」


 そう答えた瞬間、ほんの少しだけ彼の腕に力がこもる。


 そのまま歩き出そうとしたところで──


 前方から、やけに騒がしい声が飛んできた。


「俺はお前と違って筋肉が付きにくいんだよ! ダニエルも言ってやってよ! なあ?」


「……騒がしい。お前、調子乗って酒飲みすぎだぞ」


「ニコラス先輩もそう思うでしょ!? バディなんだから、オーティスの無神経さも教育し直してくださいよ!」


「無神経じゃないだろ!? 今はオペレーターだとしても、いつか現場に行く可能性があるなら──」


 言い合いながら歩く二人の後ろで、ダニエルが一瞬だけこちらを振り返る。


 ほんの一瞬だけ、視線が合う。

 何か言いたげに揺れたそれは、すぐに逸らされた。


「まずはその細腕をどうにかしたほうがいいと──」


「そういうとこだよ! そう言うところがデリカシーないって言ってるんだよ!」


 ジョシュが眼鏡を押し上げながら、ため息混じりにオーティスの肩を小突く。


 そのやり取りに、思わず笑いがこぼれた。


 平和で、穏やかで、いつも通りの光景。


 ──そのときだった。


≪ピピッ─ッ!≫


『オーダー機関への通報を確認。天穹街(てんきゅうがい)にて未確認の異音あり。通報者の証言によると「叫び声のようなものが聞こえる」とのこと。現場から近いオーダーは至急向かってください』


 通信機の音声と同時に、視界にホログラムが展開される。


 浮かび上がったマップに打たれたピン。


 そのエリアは、以前に配達で一度だけ足を踏み入れたことのある高級住宅地だった。


「……叫び声? 暴力沙汰か?」


 低く唸るように言葉を落としたオーティスが、ホバーバイクのシートをまたぐ。


「先輩! 行きますよ!」


 僕もすぐさま後部座席に乗った。


 腰に回されていたルイスの腕が、名残惜しそうに離れる。


「行ってくるね皆!」


 振り返ると、ルイスはいつもの穏やかな表情に戻っていた。


 けれど、その奥にほんのわずかな不安が滲んでいる。


「ニコラス…いつも言っているが、気を付けてください。任務先では何が起こるか分からない」


「もちろんさ。僕は今まで、犯罪Novactorも地上のギュネオスでも、どんな任務でも解決してきたんだから。今回も大丈夫さ。ルイは安心して家で待ってて? すぐ帰ってくるから」


 彼の不安を打ち消すように得意な笑顔を向けると、視線を前に戻す。


 エンジンが低く唸り、車体が浮かび上がる。

 夜の空気を裂くように、バイクが加速した。


 オレンジ色の街灯が、一直線に流れていく。

 背後で、小さくなっていく仲間たちの気配。


 その中に、最後までこちらを見ていた視線がひとつあったことに、僕は気付いていた。


 ただ一つ、胸の奥に引っかかるものだけを残したまま。




✧✧✧




 夜の風を切り裂くように、ホバーバイクが走る。


 通報があったのは天穹街の高級住宅地──その奥にある投資家・ヒースの別荘を指していた。


 静まり返った街路は整然と整備され、左右に並ぶ並木は闇の中で淡く照らされていた。

 夜でも美しさを失わぬよう手入れされた枝葉は、まるでこの地の品格を守る番人のようだ。


 やがて、ひときわ大きな門が現れた。

 黒鉄で作られたその扉の両脇には、女型の石像が涙を流すように俯いている。


「……不気味な演出だね」


 僕はヘルメットを脱いでバイクのシートに置き、歩を進めながらそう呟いた。

 オーティスもすぐにバイクを端に停めて、隣に並ぶ。


「この邸宅、前々から苦情が絶えなかったんだ。他のオーダーもパトロールに来てるけど、通報があるってことは、また突き返されたってことだろうね」


「……あの住宅地からこの別荘まで、かなり距離がありますよ。それでも叫び声が聞こえたって、一体どれだけ大きな声だったんだ」


「まあ、とにかく聞いてみないと分からないよ。通報されたからにはオーダーは確認する義務があるからね」


 門のベルを鳴らす。


 1回、2回──3回目で返事が返ってくる。


「……はい」


 低く、乾いた声だった。

 想像よりも年を重ねた声だ。


「オーダー機関の者です。近隣住民からの通報で伺いました。叫び声が聞こえたとのことで、念のため状況を確認させていただけますか?」


 門の監視カメラがジジッと鳴る。


 数秒の後──鉄の門が音を立てて開いた。


「行こうか、バディ」


「了解」


 言葉と同時に、互いの手が自然と持ち上がる。


 打ち合わせたわけでもない。

 視線を合わせたわけでもない。


 それでも、タイミングはぴたりと揃い、乾いた音を立てて弾けた。


 僕の中のエネルギーが、彼の中へと移動していく。

 弾かれた感触の残滓が、指先に残る。


 それはもう、言葉よりも早く伝わる合図だった。


 オーティスの目の色が、わずかに変わる。


「行きましょう!」


 短く言い残し、彼が大きく一歩前に出る。


 その背中を見ながら、僕もゆっくりと息を整えた。


 ――空気が、重いような気がする。


 僕はわずかに眉を寄せた。


 けれど──


「まあ、いつも通りだよね」


 そう呟いて、一歩踏み出した。


 その先に待つことが、何かなんて知らずに。

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