第41話:刻を映す瞳
任命式から3年が経つ頃には、僕の生活はすっかり様変わりしていた。
中央区の任務に慣れ、現場の空気にも溶け込み、いつの間にか名前を覚えられることも増えていた。
──いつからだろう、人前で名前を呼ばれるようになったのは。
「きゃー! ニック様よ!!」
「こっち向いてー! 写真撮らせて〜!」
思わず足を止める。
セキュリティゲート前には人だかりができていて、端末やカメラがいくつも掲げられていた。
どうやら今日も来ているらしい。
僕は小さく息を吐いて、それからいつものように手を軽く上げてみせた。
笑顔を向けると、すぐに歓声が返ってくる。
フラッシュがいくつも瞬いて、目の前が一瞬だけ白く染まった。
「ニック様ー!」
「水鏡の騎士さまよ!!」
そんな呼び声が重なって聞こえてくる。
最初にそれを聞いたときは冗談だと思った。
誰が言い出したのかは知らないが、“水鏡の騎士”なんて呼び名までついてしまっている。
自分ではただ任務をこなしているだけなのに、いつの間にかそんな扱いになっていた。
この髪が珍しいからだろうか。それとも母に似たこの顔のせいなのか。
理由はよく分からないが、とにかくファンは多かった。
ファンクラブまでできていると聞いたときは、さすがに笑ってしまったくらいだ。
問題は、受付までその余波が届くことだった。
建物の中に入ると、案の定、カウンターの向こうからため息が聞こえてくる。
「……またか」
受付主任の彼が心底呆れた顔でこちらを見ている。
整えられた淡い茶髪と同じ色の瞳。
瞳には少し赤が混ざり、オーダー機関本部の受付としては必要以上の緊張感を落とす。
きっちりとした制服の襟元を指で直しながら、ルイスはカウンターの下に手を伸ばした。
「ニコラス、またファンレターです。ゲート前で立ち止まられるのは、他のオーダーにも、通報に来た市民にも迷惑になる。追い払うか別の場所に移動させてください」
淡々とそう言って、引きずり出された箱はかなりの大きさ。
中には色とりどりの封筒がぎっしり詰まっている。
持ち上げた瞬間、バランスを崩していくつか床に散らばった。
淡いピンクの封筒、青いリボンのついたカード、香水の匂いがほのかに漂う手紙。
「この間Voxloopにも、アカウントを作ってまで注意喚起したんだけど……困ったなあ」
「俺に嘘は通用しない。困っていないのは分かる」
ぴしゃりと言い返される。
「これは嘘とは違うよ。 "謙遜"って言うのさ。好意を寄せられて悪い気はしないよ」
僕はしゃがみ込み、散らばった手紙を拾い集め、封筒の文字を目で追いながら箱に戻していく。
「君も、僕と同じくらいまでとは言わないけど、ほんの少しでも笑顔を振りまけばいいのに」
何気なくそう言いながら、頬杖をつく。
彼の表情を伺うが、仮面を被ったみたいに崩れない。
「今日こそ、ディナーに行こう? 銀紗町にいいお店があってね…」
「その箱は個人デスクに持って行ってください。次に届いたら即処分する」
「つれないなあ…。ほら、そうやって怒る顔の方がよっぽど目立つよ」
彼はもう返答してくれなかったけど、片手で箱の端を押さえてくれた。
僕が手紙を全部拾い終えるのを、黙って待っている。
最後の手紙を隙間に差し込むと、溢れかけた箱を抱えた。
思っていたより重たい。
「帰ってきたら、また怒られるのかな」
「内容次第だ」
僕はそれを聞いて、もう一度だけ笑った。
それから踵を返し、エレベーターへ向かう。
行き先は──作戦部フロア。
箱を抱えたまま扉の前に立つと、金属の表面に自分の姿がぼんやり映った。
水色の髪が光を受けて揺れている。
今では、肩まであった髪は腰よりも長く伸びた。
毎日のケアを欠かさずにいるおかげで、天井灯をリング状に反射している。
「毛先が痛んできてるかな。そろそろヘアミルクも変えてみようかな」
金属の扉が静かに開いた。
数分待ち、エレベーターの扉が再び静かに開くと、作戦部フロア特有のざわめきが耳に流れ込んできた。
端末の通知音、遠くで交わされる報告、靴音が床を叩く乾いたリズム。
「うわ!」
最初に気づいたのは、デスクに腰掛けていた若いオーダー。
「また届いてるんですか!? ニコラスさん!」
一人が声を上げると、次の瞬間には後輩たちが一斉にこちらへ寄ってくる。
箱の縁から覗く封筒の山を見て、目を丸くした。
「超やばいじゃん! また届いてんのニック先輩!? 俺こんなに貰ったことないんだけど!」
興奮した声を上げたのは、後輩のアミルだった。
短く切った髪を揺らしながら、箱の中を覗き込む。
目がきらきらしている。
「これ全部ファンレター!?」
「そうみたいだね」
僕は苦笑しながら箱をデスクの上に置いた。
封筒の角がぶつかって、かさりと音を立てる。
「これクッキー? 中央区のはのぺっとしてるなあ…」
アミルが袋を1つ取り上げる。
透明な袋の中には、小さな焼き菓子がいくつか入っていた。
「僕宛のだからダメだよ?」
にこりと笑って言うと、アミルは「えーっ!」と声を上げて肩を落とした。
「いーなー! 俺も女の子からのお菓子食べたい!」
「君が食べると、誰から届いたか分からなくなるでしょ」
「それはそうだけど!」
周囲のオーダーたちが笑う。
箱の中を覗き込む者、封筒の数を数えようとする者、半ば面白がっている空気だった。
「あ、そういえば今日らしいですよ?」
「今日? 何の話?」
コツコツ
とぼけた答えに被せるように、奥の通路から足音が響いた。
ゆっくりとした、重みのある歩き方。
すぐに誰かがわかる。
ざわめきが自然と静まり、振り向くと、カルロス長官が立っていた。
背筋をまっすぐに伸ばし、いつもの厳格な表情を浮かべている。
だがその目は、どこか機嫌がよさそうだった。
「集まっているな」
低い声がフロアに響く。
「ちょうどいい。今期の任命式を終えた新人たちを紹介しよう」
歓声が上がる。
両手を上げて喜ぶ者、Novaを予想する者とさまざまに、作戦部は歓迎ムードに満ちていく。
「静かに」
カルロス長官の一言で、オーダーたちが姿勢を正す。
「これから紹介する新人たちは、本部に加え、東区、南区から指名が入り、争奪戦になった。最終的に我々が勝ち取った人材ということになる」
その言葉には誇りが滲んでいた。
カルロス長官がここまで言うなんて珍しい。
それは、またとんでもない新人が来るってことかもしれない。
「早速、今日の主役に来てもらおう。さあ、入れ」
フロアの扉が開いた。
初々しく皺ひとつない制服を着た面々がぞろぞろと入ってくる。
緊張で硬直している者もいれば、やたらとキョロキョロしている者もいる。
だが、誰もがどこか、誇らしげに真っ直ぐな目をしていた。
「本部の皆さん、これからよろしくお願いします!」
赤毛の青年を筆頭に一人ずつ前に出て、名乗り、深く礼をしていく。
──ジョシュア。
メガネをかけた優しげな顔立ちの青年が名乗る。
彼はオペレーターとして本部に配属されたという。
少し緊張した口調だが、言葉には誠実さが滲んでいた。
「同期の中では、彼が一番コンピュータ工学に強いみたいらしくてな」
「あはは……そう言われるとプレッシャーです…」
オーダー達はその説明を聞いてきょとんと首を傾げた。
オペレーターにコンピュータ…?
「なんの接点があるんだ」と言いたげな先輩オーダー達に委縮せず、ジョシュは口を開く。
この質問が飛んでくることはあらかじめ想定していたんだろう。
「俺のNovaは"雷網"で、触れると電流として回路内部を走査できるんです。簡単に言えば、ハッキング…のようなものだと考えてみてください。情報収集任務や追跡任務とか…必要な時は俺も現場に向かう…ってカルロス長官から…」
彼の説明に納得したのか、オーダー達がちらほらと拍手を上げる。
手を動かさない者はまだ理解していないようだった。
「ヤスジ」「アイザック」「ダニエル」名前を呼ばれるたび、簡潔な敬礼と自己紹介が続いた。
若さと緊張が入り混じった顔ばかりだ。
そして、最後。
カルロス長官はほんの少し間を置いた。
それから、背後の扉へ視線を向ける。
「──彼が今年の目玉だ。名前は……」
その言葉の直後、扉がゆっくりと開いた。
枠をくぐるようにして、一人の男が入ってくる。
第一印象はその背が高さ。
肩幅が広く、鍛えられた体格はボディアーマーのせいでさらに大きく見えた。
歩くだけで床がわずかに軋むような重みがある。
フロアの視線が一斉に集まった。
そして、誰かが小さく息を呑む。
男の鋭い瞳が、青と金のオッドアイだったからだ。
肌の色も、髪の色も目の色だって、どんな色でもこの惑星じゃそう珍しい事ではない。
たしかに人の目には目立つが、それにしても彼の瞳はどこか引き込まれるものがあった。
鋭い視線が部屋を横切る。
思わず肩をすくめる後輩もいれば、興味深そうにじっと見つめる者もいた。
その視線を受けながら、男は立ち止まる。
そして勢いよく頭を下げた。
「オーティスです!! よろしくお願いします!」
声が大きい。
フロアの空気がわずかに震える。
図体からすれば威圧感があってもおかしくないのに、表情は驚くほど素直だった。
それが妙に眩しく見えた。
✧✧✧
崩れた天井から月明りが差し込み、粉塵の舞う空間を白く照らしている。
床には割れたガラス片と崩れた石材が散らばり、風が吹くたびに乾いた葉が擦れる音を立てた。
ロビンは壁際に立ったまま、目の前の男を見ていた。
ニコラスは変わらず外の音に耳を澄ませながら、穏やかな笑みを浮かべている。
だがその視線の奥には、どこか冷たい光が潜んでいた。
ふと、遠くからエンジン音が響く。
耳を塞ぎたくなるような金属のぶつかる音と共に、屋敷の外で音が荒く止まった。
静まり返っていた夜気が、その音に裂かれる。
次の瞬間、外から扉を叩くような声が響いた。
「……来たみたいだね」
その直後だった。
建物の外から、低くよく通る声が響く。
「ロビン!! いたら返事をしてくれ!」
呼ばれた名に遅れて顔を上げた。
声が必要以上に大きい。
怒鳴っているわけではないのに、建物全体を揺らすような勢いがある。
その声には嫌でも聞き覚えがあった。
ニコラスはゆっくりと顔を上げ、わずかに口元が歪ませる。
「……お迎えだよ、バディ」
そう言って、彼は優雅に振り返った。
その視線は軽い。
まるで、これから始まる舞台を楽しんでいるみたいだった。
広間の奥へ歩き出す。
ニコラスは崩れた柱を横切り、重たい扉の前に立つと、何の躊躇もなく幕でも上げるように押し開けた。
思わず息を呑む。
扉の向こう側は、爆撃でも受けたように壁がえぐれている。
目の前に広がるのは、かつての豪邸の成れの果て。
瓦礫のあちこちには、巨大な爪痕のような傷が走り、過去の災禍を生々しく物語っていた。
一階から二階まで、屋敷の正面部分の多くが瓦礫と化している。
崩れた部分から衛星の光が流れ込み、外の夜が延長し、落とすように入り込んでいた。
「久しぶりだね、オーティス」
その光の中に、大きな影が立っている。
胸を大きく上下させながら、こちらを見上げる。
視線がぶつかった瞬間、ニコラスの表情から笑みが消えた。
さっきまでの柔らかな空気が、一瞬で消える。
「………先輩。ロビンはどこですか」
二人の間に沈黙が落ちる。
「本当に来たんだ…来ない方がよかったと思うけど」
言葉を漏らしながら崩れた扉をくぐった。
「言った通りでしょ。彼は必ず来るってさ」
「ならもう、アタシは用済みでしょ。そこ、どいてくれる? あとはあんた達で仲良くやってれば」
そう言って、ニコラスの横をすり抜けようとする。
その瞬間だった。
足首に何かが引っかかる。
体勢が崩れ、前へ投げ出されるようにして床へ落ちる。
目の前にはガラス片と石柱の破片。
咄嗟に拘束具のかけられた腕を上げて頭を庇ったが、膝が石床にぶつかった。
鈍い痛みが走る。
「っ……ふざけ…」
顔をしかめた耳元で、軽い笑い声が落ちた。
「ははっ……君の気持ち、すごく分かるよ」
オーティスの拳は震えていた。
血管が浮き上がり、指先が白くなる。
唇がひきつっている。
床に散らばるガラス片が月光を反射して、彼の頬に淡い光を映す。
ニコラスは嘲るような不慣れな笑みを浮かべながら、ロビンへ手を伸ばした。
「やられてばっかでたまるか……ッ」
その瞬間、ロビンの腕が動いた。
転げた拍子に掴んだガラス片を振り上げる。
鋭い破片がニコラスの頬をかすめた。
赤い線が走る。
血がにじむ。
ニコラスは一瞬だけ目を細め、それから小さく笑った。
「なるほど」
手の甲で頬の血を拭う。
「これはオーティスの手こずりそうな子だね」
次の瞬間、ロビンの腕が掴まれた。
「おいっ! やめろ!!」
体勢を崩したまま背後から腕を押さえつけられた。
思わず叫んだオーティスの声も聞かず、崩れた床の縁までたどり着くと、ニコラスはまるで戦利品のように見せつける。
冷たい感触が首の薄い皮膚を押し上げる。
「──さあ、どうする?」
ニコラスの声が、すぐ耳元で囁く。
「犯人との交渉は、僕から君に叩き込んだはずだよ、オーティス」
刃先がわずかに動く。
赤い線がロビンの首筋に浮かび上がり、そのまま襟元へ細く流れ落ちた。
衛星から降り落ちる光の中で、その色だけがやけに鮮やかだった。




