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AionioS  作者: 無日
第五章:水鏡の記憶

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第38話:消えたオーダー

 ここはどこだっけ。

 

 冷たくて、狭い。


 ……だめだ。


 思っただけで、身体はほとんど動かない。

 まぶたを開けようとしても、視界は暗いままだった。


 何もない。


 輪郭も距離もわからない。

 目を開けているのか、閉じているのか、それすら曖昧だった。

 

 どこか柔らかくて、喉の奥にまとわりつくような匂い。

 嗅ぎなれない花のようでもあり、薬品のようでもあり、肺の奥までゆっくり沈んでいく。

 息を吸うたびにそれが広がって、胸の奥で重たく溶けた。

 

 わずかに揺れている。


 運ばれてるのか。

 

 背中の下で、金属がかすかに軋んだ。

 一定の振動。遠くで回る機械音。低く、重い。


 状況を理解するまで、少し時間がかかった。

 

 思考が水の底に沈んでいるみたいに鈍い。

 指先に意識を向けても感覚がぼやけていて、力を入れたのかどうかも分からない。


 ――盤面を見ろ。

 

 妙に冷静な声が、心のどこかでそう言った。


 不思議と恐怖は遅れてやってくる。

 代わりに、まず浮かんだのは後悔だった。

 

 気づけたはずだ。


 あいつなら、こんな状況でも落ち着いてる。

 きっと、最初の違和感を拾う前に先回りしてたはずだ。


 段々と、また意識が遠くなっていく。

 

 寒くて眠い。


 この箱の中はVoidの曖昧な夜に似てる気がした。


 

 

 再び目が覚めた。


 硬い床の感触が背中を打ち、鼻を刺すのは金属と冷却剤が混ざった無機質な空気。

 

 外の音は遠い。

 金属の箱の中は、呼吸と鼓動だけが反響している。


 狭い空間の中で、身体の熱だけがこもっていく。

 空気はわずかに甘く、重く、時間の感覚が曖昧になっていく。

 どれくらい運ばれているのか分からない。


 数分なのか、もう何時間も経ったのか。


「……またか」


 乾いた息が漏れる。

 朦朧とする頭を揺らしながら身じろいだ。

 未だ手足が痺れていたが無理に力を入れて身体を起こす。


「っ……」


 両手首に走った違和感。

 手首に食い込む金属の感触。淡く脈打つように伝わる、Novaの巡りを阻害する不快な波。


 額を歪めながらも、状況を冷静に整理していく。

 通信機も見当たらない。

 足は自由だが、蹴りを入れた壁はまるで動かない。


 完全に閉ざされた、空間。


 ふと、隙間から光が差し込む。


 暗がりに目が慣れてくると、わずかな隙間から青い光が差し込んでいるのが見えた。

 ホログラムテープの内側──青く発光する光が、わずかに箱の中を照らしている。


「………ナメすぎ」

 

 ぼそっと呟く。

 

 手首は拘束されて動かしづらいが、耳の後ろに隠していたヘアピンを器用に外した。

 針の部分は折り曲げ、万が一のために細工を施してある。


 ピンの先端をホロテープに突き刺し、下方向に引く。

 外部からの衝撃には強いが、内部からは意外と脆い。

 抵抗する感触とともに、パリ、とテープが裂ける。


 箱の蓋を蹴破り、冷たい空気が流れ込む。

 視界が開けた瞬間、痛んで鈍い身体をゆっくりと起こした。


 「…っ……はあ、閉じ込めるなら檻にしとけば?」


 

 ✧✧✧


 

 ONXY(オニキス)運輸の中継倉庫敷地内は、落ち着きを失った群れのようにざわめいていた。

 

 貨物用の大型搬入口が並ぶ広い構内には、無数のコンテナが影を落とし、頭上を走る照明が白く冷たい光を投げている。

 その下で、作業員や警備員たちが互いに顔を寄せ合い、低い声で何かを囁き合っていた。


 結晶の発見に続き、今度はオーダーが一人行方不明になった──そんな噂が、油膜のように敷地中へ広がっている。


 だが騒ぎのわりに、誰も深刻には受け止めていない。

 肩をすくめ、冗談めかして笑う者もいる。


 失踪者は、この街では珍しい話ではないからだ。


 早とちりした家族が混乱してことが大きくなったケースも多い。


 だが、すべてがそうとは限らない。

 最近は失踪事件も増えてきている。


 まだ騒ぎの余熱を残している。

 工具箱が倒れ、散らばった金属部品が床の上で鈍く光っている。

 壁に走る傷、床に残る擦れ跡。


 人の気配はすでに薄れているが、ついさっきまでここで何かが起きていたことだけは、空気のざらつきが語っていた。


 周囲を見渡し、ゆっくり息を吐いた。


 長官の承認がなければ、敷地の出口は封鎖できない。

 だがそんな手続きは、今さら何の意味も持たない。

 時間が経ちすぎている。


 今頃、ロビンはもう移動手段に乗せられているはずだ。

 

 Void出身のオーダーが起用されたことで、市民の空気は殺伐として変わっていた。

 表も裏も関係なく、反発が燻っている。

 もし過激な連中が、見せしめのつもりでロビンを襲ったのだとしたら──悠長に構えている時間はない。

 

 ロビンは強い。

 

 新人とは思えないほど戦える。

 だが、強さには限界がある。

 多勢に無勢という言葉は、いつだって単純で残酷だ。


 足元に転がる小さな金属片を拾い上げ、無意識に指先で転がした。

 

 冷たい感触が皮膚に伝わる。

 視線は動かさないまま、首の通信機に指をあてた。

 

「……ジョシュ」

 

 短く呼び出す。

 

 数秒も経たないうちに、通信は繋がった。

 

『はぁ…まったく、連絡するのが遅いぞ!』

 

 開口一番、耳に飛び込んできた声はいつも通り軽い。

 

『もうこの通信は他の人には聞こえないようにしてあるよ。ロビンの件だろ? 俺がその情報を掴んでないと思う? で、ご要望は?』

 

 その軽口に、俺は小さく息をついた。

 少しだけ肩の力が抜ける。


 考えても仕方ない。

 今は探すのが最優先だ。


 しっかりしろ。

 

「助かる! まずは通信機の逆探知を頼みたい。ロビンはどこにいる?」

 

『えーっと……』

 

 ジョシュの声がわずかに濁る。

 

『探知できない。さっきから調べてみてるけど、どこにもいないんだ』


「どういうことだ? ここにあるのは金属タグだけだ。首の通信機はあるはずだろ」

 

『外されたか、遮断されてるかな』

 

 軽く言ったつもりなのだろうが、その声の奥には戸惑いが滲んでいる。


「情報が少なすぎるな…。顔認証の補完AI、持ってるよな? とにかく、今から送る監視カメラ映像をそっちに転送する」


『任せて! 俺にできることはこれくらいしかないからさ。お、映像受け取ったよ、7分…いや4分待ってくれ!!』


「命令違反は俺ひとりで引き受ける。責任も、俺が取る」


 少しの沈黙のあと、ジョシュが溜め息混じりに言った。


『はいはい、真面目なんだか抜けてるんだか』


「頼む」

 

 通信を切る。

 

 オペレーター室を出ると、そのまま長い通路を歩き抜けた。

 

 金属床に靴底が当たるたび、乾いた音が規則的に響く。

 倉庫内部の喧騒は壁越しに遠くなり、代わりに外気の生暖かさが流れ込んできた。


 自動扉が横に滑り、視界が開ける。

 

 駐車場には大型トラックが何台も並び、荷台の影が地面に黒く落ちている。

 天井の照明はまばらで、光の届かない場所は薄暗い。

 エンジンを切ったばかりの車体からは、まだ熱の残る鉄の匂いが漂っていた。

 

 その一角に、あの運転手がいた。


 サムは鼻歌まじりに、自販機で買ったばかりの缶コーヒーを手にし、次の配送先へ向かうトラックに乗り込もうとしていた。


 ──その瞬間。


「………おい」

 

 まっすぐ歩み寄り、何の前触れもなく男の胸ぐらを掴み、車体に押し付けた。


 ドガッ!!


 「お前の仕業か?」

 

 軽々と襟を引き上げ、視線を合わせる。

 運転手の手にしていたコーヒーが宙を舞い、地面に叩きつけられコンクリートを汚した。

 

「ぐえっ……! は!? お前、頭イカれてんのか!? オーダーがこんなことしていいと思ってんのかよ!?」


 男は目を剥き、慌てて俺の腕を掴む。

 だが力は弱い。

 

「答えてもらう。ロビンを指名しただろ。どこまで計画通り進んでるんだ」

 

 声は低く、感情を押し殺している。

 だが掴んだ指の力だけはわずかに強まっていた。

 

「しっ…知らねえよ! Voidの奴なら俺らみたいな奴でも話聞いてくれるって思っただけで……!  文句ならあの新入りに行ってくれよ……!」


「新入り?」

 

「最近来た奴だ……っ! あいつが結晶見つけたんだ! 俺はただ聞かされて、通報しただけだっての!」

 

 胸ぐらを掴んでいた手を、ゆっくり離した。

 男は咳き込みながら体勢を立て直す。

 

 まだいたのか。


 あれだけ確認したはずだった。現場の人員も、搬入記録も。


「すまん…焦りすぎた。怪我はないか?」


「あー…いや、言ってなかった俺が悪ぃから…」


 サムは気まずげに背中を摩りながらも、視線を地面に落ちたコーヒーへ落とす。

 

 ピピッ─ッ!

 

 通信機が短く震えた。

 低い電子音が、静まりかえった駐車場の空気を切り裂く。


 反射的に端末へ視線を落とした。

 表示された発信者名を見て、すぐに通信を開く。


『オーティス……映像の解析が終わったよ。やばいことが分かった』


 ジョシュの声は普段より低かった。

 困惑した様子で、軽口の裏にはっきりとした緊張が滲んでいる。


「何がわかったんだ? こっちは犯人の目星になりそうな奴はいたが──…」


 言いかけたその時だった。


『あれ!? カルロス長官!? 支援部のオペレータールームなんて面白みもない場所に、よくぞ来てくださいましたね!!』


 突然、ジョシュの声色が妙に明るく跳ね上がる。

 不自然なほどの軽さ。誰にでもわかるほど露骨な誤魔化しだった。


 通信の向こうで、重たい足音が近づく。

 床を踏むたび、硬質な反響が響き、その合間に低く太いため息が落ちる。


[Joshua:動画をアップロードしました]


 ジョシュが何か言い訳を並べようとしている気配。

 だが、通信はぷつりと途切れた。

 

 ジョシュのことだ。


 コンピューター内の残存データもすでに消去しているはずだ。

 あとは、嘘の下手なジョシュがあの長官の尋問にどこまで耐えられるか──


 それだけが気がかりと言える。


「本当に助かった…今度なんか奢ってやるか」

 

 迷わずデータを開く。

 画面が展開され、青白い光が頬を照らした。

 

 解析によって補完された映像は、先ほどよりはるかに鮮明だった。

 ぼやけていた輪郭が整い、影に沈んでいた部分まで光が補われている。


 なんでもいい。

 なにか手がかりはないか。


 白い布。

 

 その下の何か。

 

 映像を拡大する。

 解析AIが補完したフレームが、ゆっくり焦点を合わせていく。


 「───まて」


 思わず、映像を一時停止する。

 ホロ画面の中で、男の腕が中途半端な位置で止まった。


「…これ、手錠か?」

 

 手錠の中心。

 そこに刻まれていたのは天球儀のマーク。


 オーダーの紋章。


 手錠の形状、金属の加工、刻印の位置。

 すべてが一致している。


「これは模造品じゃない」


 そしてその形状は、犯罪Novactor用の拘束手錠。

 だが、よく見ると細部が違う。


 ロビンのものでも俺のものでもない。


 今はもう使われていない旧モデルの手錠。


 ……このモデルは

 

 俺たちより上の世代のものだ。


 胸の奥で、何かがゆっくりと冷たく沈んだ。

 不吉な予感が、形を持って浮かび上がる。


「犯人は、オーダーか」

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