第36話:潜行の果て
夜明け前の高速道路を、白い貨物トラックが一定の速度で走っていた。
側面にはONYX運輸のロゴマーク。
空はまだ濃い藍色のままで、東の地平線だけがかすかに薄く滲んでいる。
道路脇の街灯が規則的に流れていき、道路に伸びる影を途切れ途切れに揺らしていた。
エンジンの低い振動とタイヤが路面を擦る音が、静まり返った車内に単調なリズムを刻んでいる。
運転席では中年の男――サムが片手でハンドルを押さえながら欠伸を噛み殺していた。
長年この仕事をしている彼にとって、夜明け前の配送は珍しいものではない。
むしろこの時間帯は道が空いていて、走りやすいくらいだった。
サムはちらりと助手席を見やる。
「眠くないか、新人」
軽い調子で言うと、隣の若い男は窓の外から視線を戻して小さく笑った。
「大丈夫ですよ。昔やってた仕事ですから」
「ああ、そうだったな。数年ぶりって言ってたか」
思い出したように頷く。
「ええ。色々あって離れてましたけどね」
曖昧な言い方だったが、深く聞く気もなかった。
運送業なんて、出たり戻ったりする人間はいくらでもいる。
ハンドルを切りながら前方を顎で示した。
「もうすぐだ。今日の積み荷、確認頼むぞ」
フロントガラスの向こうに倉庫群の影が見えてきていた。
巨大な建物がいくつも並び、まだ夜の残る空の下で黒い塊のように沈んでいる。
敷地の外灯だけが白く点き、地面を無機質に照らしていた。
トラックはゲートを通過し、指定された倉庫の前でゆっくりと速度を落とす。
エンジンの音が低く唸り、やがて完全に止まった。
サムがサイドブレーキを引くよりも早く、助手席の男はドアを開けて外へ降りていた。
「相変わらず動きが早いな」
サムが苦笑しながら後に続く。
冷たい朝の空気が肺に入り込み、眠気が少しだけ散った。
トラックの後部へ回ると、若い男はすでに荷台の扉に手をかけていた。
「番号は……これか」
独り言のように呟きながらロックを外す。
重い金属扉が軋んで開いた。
中には規格化されたモジュールコンテナやポリマー製の密閉ケースが整然と積まれていた。
配送ラベルを確認しながら彼は一つの箱に手を置き、少しだけ持ち上げる。
「サムさん」
呼ばれて、端末をいじろうとしていた手を止めた。
「なんだ?」
若い男は箱の蓋の隙間を指先で押し広げる。
そこから覗いたのは、青白く光る塊だった。
夜明け前の薄暗い倉庫の光を受けて、内側から淡く輝いている。
「これ……」
一拍、間が落ちた。
「結晶、じゃないですか」
「こりゃ……まいった」
最初、冗談だと思った。だが箱の中を覗き込んだ瞬間、背筋がぞくりと冷えた。
ニュースや検問で何度か見たことがある。
危険物質として厳重管理されているはずの結晶だ。
こんな普通の貨物に混ざっているはずがない。
「おいおい、勘弁してくれ……! なんでこんなもんが」
声が自然と小さくなる。
周囲にはまだ誰もいない。
倉庫の灯りが静かに地面を照らしているだけだった。
慌ててポケットから端末を取り出す。
通報しなければ。こんなものを運んでいたと知られたら、ただでは済まない。
だが通信を開く前に、隣の男が静かに言った。
「サム。オーダー機関に連絡した方がいいかもしれません」
「オーダー?」
若い男は結晶を見つめたまま、落ち着いた声で続ける。
「Void出身のオーダーなら、話を聞いてくれるかも。少なくとも僕たちが計画した、なんて誤解は避けないとね」
何気ない助言だった。
サムは迷う余裕もなく頷く。
「あ、ああ!あの気の強そうな女か!! 分かった……っ! すぐ通報する!!」
端末の通信画面が起動し、冷たい光が彼の顔を照らす。
その隣で、若い男は静かに荷箱の蓋を閉じた。
「これでいい。……君ならきっと来てくれるだろう?」
金属扉に手のひらが押し付けられる。
爪を立てながら、腕を振り下ろした。
中央区陽芽町 第12商業エリア内中継倉庫──
住宅区画から南へ数キロ。
いくつものゲートと警備を抜け、大規模物流が集中するこの一帯にはコンテナや倉庫が複雑に交差していた。
オーダー社用車から、現地に着いたロビンとオーティスの足元には、立ち入り禁止を示すホログラムの赤い膜が広がっている。
その上を滑る自立歩行配送ロボットは、リフトに貨物を乗せ、慌ただしく倉庫と倉庫の間を行き交う。
倉庫の巨大なシャッターは完全に閉ざされ、外部には臨時の警備ドローンが数体、空中を漂うように警戒飛行を続けている。
一帯の空気は忙しなくオーダーの到着には誰も気づいていなかった。
「物々しいな、ここの封鎖手順は」
強い日差しの下。
目の上に屋根を作りながら遠くを覗き込むように呟いた。
ロビンは配送ロボットを避けながらホログラムを一歩ずつ進み、倉庫の前へと立つ。
バイザーをつけたセキュリティスタッフが彼女に気づくと慌てた様子で梯子からおりた。
「ああ! すみませんお待たせして…っ! チッ…ゲートの警備員また仕事をサボりやがったな…」
スタッフの小言は聞かなかったことにして、長官から渡されていた首にかけたカード型の認証キーを見せる。
「オーダー機関本部所属 ロビン」
「オーティスだ」
二人が端末を提示すると、シャッターが重たい音を響かせてゆっくりと開いた。
「どうぞ、入ってください。寒いかもしれませんが、文句言わないでくださいね」
内部は冷えた空気が充満していた。
金属と消毒薬の混じった匂いが鼻をつく。
規則正しく並ぶコンテナの列。
どれも白い保護シートで封がされており、中央には目立つようにマーキングされた区画がある。
中には先に現場に到着していたキーパー達が現場の補完を行っている。
キーパー達はなにやら、緊張感のない様子だ。
「寒いな……通報のあった結晶ってどこだ?」
「オーダーさん、こっちです! 問題の荷物は…まぁ一応、厳重に保管してますが、今のところ混入経路は判明していません」
キーパーは保護フィルムをめくり、慎重に箱を開いた。
中には金属製の輸送ケース。
緩衝材の中に収められていたのは──
中純度結晶。
「……中純度…だな。たしかに、サイズは普通のより大きいが…商業用か?」
緊張感が一気に緩む。
「ダミーとか……じゃないの?」
その時だった。
シャッターの外でドローンの羽音が高まった。
その直後、ひとりの男が中へと案内されてくる。
くすんだ制服。
落ち着かない様子で、皺の伸びた帽子を握りしめた腹の出た男。
「あのー、俺が通報した…その、運転手でして…… 」
ロビンはじっとその男を見つめた。
黒髪の隙間から視線が抜ける。
「あんたがアタシを指名したの」
彼女は一歩、前に出ると男はビクリと身を強張らせた。
「指名? あ、その…深い意味はねえよ…Void出身のオーダーって聞いて興味が湧いただけで、こんな大事になるとは…」
ロビンの顔色は変わらなかった。
ただ、そのまま男を通り過ぎ、開かれたコンテナを再び見下ろす。
その背に声をかける。
「なあ、まさかとは思うが。これ、また“誰かに見られてる”ってことはないよな」
「……どうかな。これ、中純度結晶だけど。最初からこれだったわけ?」
「間違いねえよ。夜に見たもんで、ちゃんとライト当てて確認もしたんだ。ただのトラックに中純度結晶が紛れてるなんて大事だろ?」
Void出身のロビンを指名したと聞いて、本部では騒ぎになってたくらいだ。
恨みを持つ者か、面白半分か。
濡れ衣を着せるためか。
だが、蓋を開けてみれば、これだ。
肩をすくめた。
「まあ、とりあえず話を聞いてみるか」
トラック運転手には詳しく事情聴取をした。
ロビンはギュネオス誘引装置の1件のせいか、通報者を詳しく調べあげ、この件には関係が無いとわかると連絡先だけを記録し解放。
運転手は無精髭を摩りながら、酷く疲れた様子でシャッターの外へ、とぼとぼ歩いていく。
中純度結晶は再び保護ケースに収め、キーパーは手元の携帯型リーダーでその外周を保護。
ケースは数人がかりのキーパーが運び、荷台に積まれていく。
その様子を見ながら、最近の事件を振り返った。
「単なる憶測だが…闇市にでも流すつもりだったのかもな。炎属性Novactorの件の中純度結晶も誘引装置のギュネオスの部位再利用も」
「だとしたら、今回のはVoidの奴が流したわけじゃないと思う」
「どうしてそう思う?」
「隙がありすぎる。民間のトラックで見つかるなんて、そんなヘマしたらVoidじゃ笑い物。少なくとも結晶をトラックに乗せたのはその辺のチンピラが妥当ってとこ」
外では警備ドローンが再配置され、警備員たちは動きを固くする。
この倉庫は一時的に閉鎖され、搬出入ルートのすべてが一時凍結された。
中純度結晶はそのまま荷台に積まれたことを確認し、本部へ定期連絡。
その後、事案整理と聞き取りのため、ブロックとブロックを繋ぐ橋の上に設置された一時指令準備室──"モバイルブリッジ"へと案内されていた。
中は簡素でいくつかのダンボールが端の方に追いやられ、そこからは故障したロボットの残骸が顔を出している。
従業員が使うのだろう器具は壁に無数に並べられ、テーブルと搬送記録を映し出すホロモニターが並び、室内にはONYX運輸の関係者が二人、制服の肩口に薄く汗をにじませながら座っていた。
「ってことは、この積荷は第47ターミナルで積み込まれたってことか?」
「は、はい! ラベルと記録を見る限りは……」
「中純度結晶のケースだけラベルが偽装されてた。写真も撮ってあるけど、素人にも分かるくらいド下手」
場が静まり返る。
応対する中年の現場責任者は視線を泳がせながら、額の汗をぬぐった。
脇で記録をとるロビンへちらと目を向けると、彼女は黙々とモニターに記された時刻と経路を照合している。
「ただの紛れ込みじゃなく、誰かが確信的に仕組んだってことか」
そうまとめると、モバイルブリッジの出入り口がふっと開き、警備員が顔を覗かせた。
「失礼。ターミナル側の警備記録について今から現地の担当者が説明に来るとのことです。お時間よろしいでしょうか?」
「俺が行ってくる! ロビン、お前はここにいろ。この記録をもう一度見直しといてくれ。どっちにしろ報告書にまとめて提出しなきゃならないからな」
「あとで共有して」
一瞬の間の後、ため息をついてロビンはモニターへと視線を戻した。
トラック運転手はああ言ったが、特に意味が無いなんて事あるだろうか。
Voidから来た彼女の評判は正直なところ悪い。
あの任命式からまだ一か月も経たない。
彼女を狙う奴がいてもおかしくは無いはずだ。
できるだけ動かさずにいさせた方がいい。
そう、オーティスが案内を受けながらも、ONXY運輸関係者二人と警備員を引き連れ部屋を出た。
扉が閉まり部屋の中には静けさとスクロールする電子音だけが残る。
部屋の中は、小さな呼吸音一つ。
静かだった。
スクリーンに並ぶ数字が、眼に次々と反射する。
ブロックの警備システムは依然封鎖中のままだ。
ふいに──微かな香りが、空気に混じった。
手が止まる。
「……誰?」
返答はない。
背後からすっと忍び寄る影──白い布が、彼女の口元を覆うとした。
「……っ!!」
鋭い反射。
背後から伸びた腕を掴む。
そのまま体重を引き寄せ、背負い投げた。
予想外だったらしい声が漏れ、宙で回転し、男の体が床に沈む。
「……ぐ、は…ッ!」
「…はぁ…。こんなやり方で、やられると思った?」
深く帽子をかぶった男は呻きながらも体制を立て直し、ゆっくりと起き上がる。
「……まさか体術もできるとは…、はぁ…思ってなかったよ。遠距離が得意なはずだよね…?」
距離をとり、右手を軽く上げる。
壁に並べられていた器具が浮かび上がり、ホログラムテープが音を立てて引き延ばされ、ぐるりと男を囲んだ。
「アタシに何の用?」
目深にかぶられた帽子のせいで、表情が見えない。
「………そうだね。仕方ないか……大切にとっておきたかったけど、むしろ都合がいいかもしれないね」
彼はそういうと左腕の袖を一気にまくった。
見えるのは、銀色の派手な装飾のバングル。
それに対して、反動で揺れる水滴の形のチャームはどこか浮いて見えた。
「手荒なことはしたくないんだ。大人しく眠っていてくれるかい?」
次の瞬間、バングルが輝きだした。
空気が湿る。
何もない空間から水が湧き、塊と化した。
洪水のように思えるそれが、唐突に口をふさぐ。
「………ッ…!……!!」
息ができない。
指で掻いても意味がない。
引力。
「ごめんね。大人しくしててもらうよ」
カチン。
無慈悲にNova制御型拘束具が手首に取り付けられる。
器具が重たい音を立てて床に落ちた。
「…!!……!………」
ぐらりと、倒れる。
息が続かない。
扉の隙間から、警備員と話している、あの邪魔なくらい分厚い背中が見えた。
手を伸ばす。
「……、…」
都合がよすぎる。
突き放しておいて。
助けなんてこない。
冷たくて、狭い中に閉じ込められるのはもう慣れたはずなのに。
怖い。
「……大丈夫。少し眠るだけさ」
身体を抱え上げ、部屋の隅の台車に載せられたケースへ。
ゆっくりと、身体がそこに納められていく。
光が細くなる。
意識が遠のいていく中で、閉じていくケースの隙間から男の顔を見た。
見覚えがある。
どこだ。
アタシの知り合いじゃない。
「さて……君の相棒は、どれくらいで気付くかな」
思い出した。
執務室に飾ってあった、三人並んだ写真。
淡い水色の髪。
写真の中の髪は長かった。
刈り取ったみたいな短さが帽子に隠れてる。
オーダー…?
箱の内側には、出来合いの空調制御シート。
急ぎ作ったような雑な作り。
ケースの大きさも、ロビンには少し狭い。
「少しの間の辛抱さ。すぐに迎えが来るよ」
誰かがそう囁いた。
数分後。
警備記録についての説明が終わり、問題なしと判断したオーティスはモバイルブリッジへ戻ってきた。
凝った首と肩を回し、すれ違う忙し気な作業員へ挨拶も欠かさない。
「はぁ……長かったな。あとは本部に戻って記録と、報告書の作成と…あー…あとは、この前の報告書をロビンに書いてもらわなきゃな」
やることは山積みだ。
「ロビン、もう戻るぞ? さっき聞いた話は車の中で──…」
扉を開けると、中はもぬけの殻。
散らばった器具と濡れた床。
争った形跡にも見える。
「…………おい。どこに行ったか知ってるか?」
後ろから着いてきた警備員は首を横に振る。
資料は開いたまま、席も温もりを残している。だが彼女の姿だけがなかった。
嫌な予感が背中を這い上がる。
外を確認しようとしたとき足がふいに止まる。
さっきまであったはずの台車とケースがひとつ──無くなっている。
元々あったはずの場所。
窓から差し込んだ日光に当てられて鈍く光る物。
小さな金属タグ。
黄色のラインが走る、新人のタグ。
それを見た瞬間、肺から空気が抜けた。
周囲に配置された警備員たちが気づき、ざわめく。
ドローンが騒然と空を旋回し始める。
「………ロビン?」
その中で、オーティスの表情だけが、凍りついていた。




