第35話:背負わされた名
オーダー機関中央区本部 戦術会議室──
大型のホログラフィックモニターを囲むように、数人のオーダーたちが壁際に整列していた。
その中にはロビンとオーティスの姿もある。
会議室には静かな緊張が漂い誰もが映し出された記録映像に集中していた。
一週間前に発生した、ギュネオス誘引装置の事件──
あの時、犯人とすれ違いながらオーティスとロビンは通報者と誤認してしまった。
「こ、こちらが装置内部の断面図と、現時点の分析結果ですっ!」
逆さ船のピンを胸元に取り付けた白衣の女性。
D.R.Aでの分析結果の共有のためミレリスまで来てくれたようだ。
オーダーの視線に当てられ、緊張で石のように固まった身体を軋ませながら前に出る。
テーブルの上に置かれたホログラム装置を起動させると三次元映像を投影させた。
そこに映った構造体は有機的な曲線を描き、その中央には空洞のような部位が浮かび上がっていた。
「この空洞部についてですが──」
説明を始めるなり、さっきまでのオドオドとした態度は消え失せ研究者の顔つきになる。
「ギュネオスの喉笛──正確には咽頭鳴管に酷似しています。解析された音響共鳴と内部の分析結果は、裂け目から現れるギュネオスの個体と一致しました」
ざわ…とオーダーたちがざわめく。
クイルがずいと前へ出て、訝しげに女性に声を震わした。
「つまり、あれは本物のギュネオスの組織を利用していた、ということですか?」
「はい、間違いありません。……採取された経路までは特定できていませんが、何者かがギュネオスの『警報』の原理を理解しこの装置を作成した可能性が高いです」
ロビンは腕を組みながら、じろりと見下げた。
クイルが何か言いかけるも先に口を開く。
「その『警報』ってのはなんなの?」
「あっ!そうですよね!えっと…分かりやすく言うなら、ギュネオスは蜂に近い生態を持っています。蜂は攻撃を受けると警報フェロモンを出して仲間を呼ぶんです。ギュネオスの場合はあの特殊な咆哮ですね」
「ネクサリスの空に出現する裂け目がギュネオスにとっての蜂の巣……ってことか」
オーティスの呟きに、こくこくと何度も頷きホッとした様子で息を吐く。
オーダーたちが顔を見合わせるなか、モニターが切り替わった。
今度はドローン映像。
ロビンとオーティスがギュネオスと交戦中の時間帯、別棟の屋上の窓際にぼやけた影。
「あいつ……っ!」
あの時取り逃した駅員に扮装した犯人だった。
僅かに口元は動いて、何かを伝えている様子。
「現場近くの巡回ドローンから得られた断片的な映像です。高解像度ではありませんが、装置を起動し遠くから……オーダー達の反応を見ていたと思われます」
「……愉快犯か」
誰かが小さくつぶやく。
別のオーダーが、壁際に立つロビンたちの方をちらりと見た。
ざわめきの中でダニエルが口を開く。
「……へぇ」
映像に向けて、大袈裟に片手を広げた。
「じゃあつまり、その犯人は最初から観察してたってわけか」
クイルが頷く。
「ギュネオスの組織を利用して装置を作れる程の知識もある」
手を広げたまま振り返る。
「で、その犯人を」
間を置く。
「お前が逃がした」
「………。」
会議室が静まる。
ギチリと革の軋む音がした。
鼻を鳴らし、感情の読み取れない顔を覗き込むようにダニエルは身を少し屈める。
長い黒髪が腰元で静かに揺れるだけで、彼女は前を向いたままだ。
「やっぱりな」
周囲が少しざわつく。
「最初から妙だと思ってたんだ。新人があの場で単独判断──」
「待て、ダニエ──…」
「しかも」
遮られた。
「よりにもよって……」
視線を刺す。
「"Vorder"」
「聞かせろよ。本当に“逃げられた”のか?」
「犯人は現場の動きを把握していた。そして偶然にも」
会議室の空気がゆっくりと沈む。
誰も笑わない。
クイルが視線を落とした。
D.R.Aの女性研究員は口を閉じたまま動かない。
そして──
ダニエルの言葉だけが残った。
「お前が取り逃がした」
小さく笑う。
「出来すぎてないか?」
数秒の沈黙のあと、ロビンが口を開いた。
「あの時、チタニア駅周辺は避難中の市民で混雑してた。地上の導線は完全に詰まってた。だからアタシだけ上を使って、引力で浮上して屋根伝いに駅構内へ入った」
何人かのオーダーが小さく息を呑む。
「その時、駅員の制服を着た男に遭遇した。そいつはホームに爆発物があるって言った」
視線がほんのわずかだけ下がる。
「避難が最優先だと判断した」
短い沈黙。
「だから………そいつを行かせた」
会議室が静まり返る。
「つまり」
ダニエルがゆっくりと顔を上げる。
会議室の視線が再びロビンに集まった。
「知らない男の言葉を信じて。身分確認もせず。現場から解放したわけだ。しかもそいつが犯人だった」
モニターの映像を顎で示し、視線がロビンに戻る。
ホログラム装置の低い駆動音だけが、机の上でわずかに唸っている。
「……判断としては随分と“甘い”んじゃないか?」
「それとも…」
一歩、距離を詰めた。
「わざと"見逃した"のか?」
「違う」
静まり返った会議室で、低い声が落ちた。
数人の視線が動く。
壁に背を預けていた身体をゆっくり起こす。
「その判断をさせたのは俺だ。」
ダニエルが片眉を上げた。
「……言ってみろ」
一歩前に出た。
「現場に先行しろと言ったのは俺だ。駅周辺は避難者で埋まってた。導線は完全に塞がってたし、突っ込めば混乱が広がる」
淡々と続ける。
「だからロビンだけ先に行かせた」
その言葉に、何人かのオーダーが顔を見合わせた。
"現場を知る者"なら分かる判断だろう。
「それに……犯人とすれ違ったのはロビンだけじゃない。避難誘導の最中、最後にすれ違った人が制服を着ていたのは俺も確認してる。その状況で一人一人身分証確認をする余裕があると思うか?」
誰もすぐには答えない。
視線がロビンへ向いた。
彼女は前を向いたまま動かない。
だが――
握り締めた拳。
レザーの手袋は支給されたばかりで、ほぼ新品と変わらないはずなのに握り跡が深く刻まれていた。
その硬さに、胸の奥がわずかに沈む。
違う。
胸の中で小さく否定する。
ここ数日、何度も疑念があった。
Vorderだから。Void出身だから。
だが今、説明を聞いて。
あの拳を見て
その疑念が静かに崩れていく。
何処から来たかなんて関係ない。
こいつはただの新人だ。
まだ未熟で、オーダーになって数える程しか経っていない。
「新人が単独で判断したってのが問題なら、それは俺の責任だ」
空気がわずかに揺れた。
「だがな」
「現場を見てない奴が後から“甘い判断”って言うのは簡単だ。避難誘導の最中だった。爆発物の可能性があった。その状況で何を優先する?」
会議室を見渡す。
「市民だ」
淡々と続ける。
「ロビンは市民を優先した。それを“甘い”と言うなら…」
一瞬視線を向ける。
「その判断はオーダーとして間違ってる。それを責めるなら、オーダーの役目をもう一度思い出した方がいい」
その言葉のあと、会議室に沈黙が落ちた。
誰もすぐには口を開かない。
ダニエルは小さく舌打ちをすると、視線を逸らした。
それ以上は何も言わず、会議の空気はそこで終わった。
クイルが小さく咳払いをする。
「……本件の分析は以上だそうです。続きはD.R.Aの方で処理するみたいです」
それを合図に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
椅子が引かれる音。
靴音。
低い声でのやり取り。
オーダーたちは三々五々、会議室を後にしていった。
D.R.Aの研究員も慌ててファイル型端末を片付けると、何度も頭を下げながら退室する。
やがて。
バタン
会議室の扉が静かに閉まった。
最後に出ていったオーダーの足音が廊下の奥へ遠ざかり、やがて完全に消える。
広い室内には、ホログラム装置の低い駆動音だけが残った。
青白い光が机の縁をなぞるように揺れている。
ロビンは動かなかった。
さっきと同じ場所で、腕を下ろしたまま遠くを見ている。
長い黒髪が背中に垂れ、指先は微かに震えていた。
数秒、黙ってその背を見ていた。
会議中は気づかなかったが、肩の線が僅かに硬い。
呼吸も浅い。
「ひとつ、聞いていいか?」
「なんでお前、あんなこと言われても言い返さないんだ」
ロビンはゆっくり目を開けた。
影の中で輝く金の瞳が濁る。
「まだ許可、出してない」
苦笑するでもなく真面目な顔でロビンを見つめる。
「……じゃあ、アタシからも一つ訊いていい?」
「なんだ?」
「あんたはさ。仮に言われのない誤解を受けたとして、地上と天空の人間──、一人一人に弁解でもするの」
不意を突かれたように目を細めた。
言葉を探すように視線を彷徨わせるが、答えは見つからない。
「……それは──」
「そんな労力、かける価値あると思う?」
ロビンの声は静かだった。怒りや嘲りではない。
ただ、どこか冷めた温度で吐き出される言葉。
「Voidの人間なんて、何やっても疑われる。あの場にいたオーダー達も、街にいる奴らも──初めからVoidを“同じ土俵”にすら置いてない」
その言葉に、胸の奥が引っかかった。
「……だから、言い返さないってのか?」
指先で長い前髪を無造作に払いながら目を細める。
反応はないが、なんとなく雰囲気が違うような気がした。
「………大丈夫か?」
靴底が床を擦る音が、やけに大きく響いた。
「…まぁ……気にしなくていい。誰にでもあることだし、まだお前は…」
その瞬間だった。
「……ッ」
身体がふっと軽くなる。
床の感触が消え、足が宙に浮いた。
重力が抜けて、胃が浮く感覚。
視界がわずかに揺れる。
「……はっ…おい……っ!!?」
気づいた時にはもう、体は宙に持ち上げられていた。
反射的に声を上げる。
身体がゆっくりと持ち上がっていく。
腰、肩、腕。見えない何かに掴まれたように浮き上がり、完全に床から離れていた。
ロビンは振り返らない。
ただ低く言った。
「アタシのせいで取り逃がした」
会議室の空気がわずかに歪む。
重力が微妙に狂っている。足元の椅子が、きし、と鳴って数センチ浮きかけた。
身体を何とか宙で安定させながら声を上げる。
「………っ俺も判断を誤った。現場を先に読めなかった…あれは二人のミスだ!」
ロビンは歩き出した。
触れてもないのに、扉が音もなく開く。
引力に引かれるように、身体も廊下へ運ばれていく。
「一人で抱え込むな……!問題は一つ一つ解決すればいい」
廊下の天井灯が流れていく。
床に足はついていない。
ロビンは歩きながら、俺を浮かせたまま進んでいた。
酷く間抜けな姿だ。
ダニエル達をはじめとした同期が任務やパトロールに出払っていたのが救いだ。
「一つ一つなんて呑気なこと言ってられない」
掠れた声は低い。
廊下の突き当たり、螺旋階段の吹き抜けが見えた。
「アタシは……っ」
重力が変わる。
床を蹴るでもなく、二人の身体がそのまま吹き抜けの中心へ持ち上がった。
円形の階段の中心を、真っ直ぐ上へ。天井へ吸い込まれるようにゆっくりと上昇していく。
冷たい空気が頬を撫でた。
「…………アタシはVoidを代表してるようなもんでしょ」
ロビンの声が落ちる。
「上手くやらなきゃいけないのに……自分の力に慢心して犯人を取り逃した」
さらに高度が上がると共に、彼女の声がわずかに震えはじめる。
階段の手すりが何層も下に遠ざかっていく。
「全部。全部、アタシが招いた。」
両腕を抱くように震えて、まるで凍えているような。
「任命式でも任務でもパトロールでも何もかも……。あいつなら…もっと上手くやれたはずなのに」
あいつ……?誰の事だ。
「どこ行く気だ……!とにかく…っ降ろしてくれ!!」
「あの長官のとこ」
螺旋階段の最上階が近づいてくる。
「バディを解消する」
ちらりとも振り返らないまま続けた。
「動かないで。あんた重いから制御しづらい」
やがて二人の身体は廊下へと降りた。
足が床に触れる。
重力が戻る。
「感情的になって言ってるわけじゃない。むしろ都合がいいはず。最初からこのバディには反対してたでしょ」
「……ちがっ…あれはお前とのバディを組むことに反対してたわけじゃない!!」
「どうでもいい」
目の前には重厚な扉。
中央本部長官の執務室。
ロビンがドアノブへ手を伸ばす。
その前を遮るように。
一歩、前に出た。
「オーダーになったばかりだ」
「関係ない」
ロビンの声は平坦だった。
「全部上手くいくと思い込んでる方が慢心だ。俺も新人のときはそうだった。同じだろ?」
静かな廊下に言葉が落ちる。
「………っ…同じ?」
ドアノブへ伸びかけた手が止まる。
自嘲するような乾いた笑みがこぼれた。
長い前髪の隙間から瞳が覗く。
「同じなわけあるか。あんたに分かるわけない」
初めて目があった気がする。
ぶれた金色の瞳。
猛禽類のような、というには間違っている気がする。
怒声が弾けた。
廊下の空気が震える。
「食べ物も、寝る場所にも困らなかったあんたらに……!!」
肩が揺れる。
「…背負うもんもなしに、天空でぼさっとしてたあんたに分かるわけない」
静寂が戻る。
「……それも調べたのか?」
少しだけ眉が寄る。
「どこまで調べてるんだ」
ロビンは肺から空気を押し出すように、息を荒くしたまま答える。
「そのくらい歩き方で分かる……Novaだってオーダーのなんか少し調べたら出てくるし、当たり前の事でしょ」
視線が鋭くなる。
「ここじゃ敵ばっかだ……どんな奴らか把握しておかないと寝首を掻かれるのはこっち」
「敵?俺は敵じゃない」
小さく息を吐く。
ピンと空気が冷ややかになった気がするが、自分の言葉を信じてつづけた。
「俺のことほとんど調べたんだろ」
「ネクサリス出身。訓練校では上位の成績」
指を折るように言う。
「オーダーになってからは初めて組んだバディに恵まれて、任務実績はほぼ完璧」
小さく肩をすくめた。
「……まあ、オーダーとしての経歴だけ見れば合格点だな」
「でも、違う」
「俺はミレリスで生まれた。色々あって施設に預けられて、ばあちゃんに拾ってもらった」
癖のように首筋を摩った。
「血の繋がりはないけど、ネクサリスで礼儀とか、言葉遣いとか。背筋の伸ばし方まで叩き込まれた。でも訓練校じゃいつもビリ。Novaエネルギーもないから審査にも引っかからない。それでも、足掻いたんだ」
「ロビン。お前が思ってるより、俺は清廉潔白じゃない」
「地図を読んでもオペレーターに指示されても方向は間違うし、食堂の飯は食いすぎて何回も叱られてる。任務で失敗したこともあるし、そのたびに先輩たちにカバーしてもらってた。それに………」
「大きな間違いも犯した。」
ロビンの視線が動く。
「……なにしたの」
喉が渇く。
あの湿った匂い。
血液の落ちる音。
「だから言ってるんだ」
「新人の慢心なんて、俺も知ってる」
沈黙が落ちた。
さっきまで震えていた空気が、ゆっくりと冷めていく。
ロビンは何も言わない。
金色の瞳が、ほんのわずかに揺れてから——
視線が落ちた。
床の白いラインをじっと見つめている。
肩に入っていた力が抜ける。
どうやら、少なくともこれ以上は怒鳴り合いにはならないらしい。
だが次の瞬間、ロビンは何も言わずに体を翻した。
ドアノブに手をかける。
カチリ、と軽い音。
扉が開く。
一瞬目を瞬いた。
それから、遅れてため息を漏らす。
「……はぁ」
頭を掻く。
ここまで言っても、ダメか。
そう思いながら、彼女を見下ろすが、ロビンは立ち止まったままだった。
執務室の中に数歩入り、辺りを見回す。
「いない」
室内は静まり返っている。
壁面のスクリーンは暗く、机の上の端末も休止状態のままだ。
カルロス長官の姿はどこにもない。
「……ったく…無駄足」
ロビンはそれ以上何も言わず、背を向けた。
そのまま廊下を歩き出す。
エレベーターの方へ。
それに数歩遅れてついていきながら、肩をすくめた。
「じゃあ、解消は無しってことにするか?」
「………アタシはまだ納得してない」
それだけ言うと、再び歩き出す。
「了解」
肩をすくめる。
ロビンは振り返らないまま歩き出す。
長い黒髪が背中で揺れ、床に落ちる影がわずかに伸びた。
数歩遅れて、その後ろを歩く。
さっきまで重力に引きずられて宙を浮いていたのが嘘みたいに、廊下は静かだった。
金属の扉が廊下を切り取る。
細く残った隙間の向こうに、中央本部の廊下が静かに続いていた。




