第32話:花の街の研究棟
ホームに残された静けさは、ようやく訪れた終息の証だった。
ほどなくして、シャッターの開く音と金属製の階段を重く踏みしめる足音が鳴り響く。
歪流遮断装備に身を包んだキーパー達が到着したのだ。
地上でもギュネオスが現れることはある。
それは突発的で原因不明なこともあれば、母体裂け目の閉塞が間に合わず、地上にも裂け目が出現した場合など。
その際の対処として、オーダー機関や事後処理班であるキーパー達にもD.R.Aからのバックアップにより歪流遮断を目的とした装備が完備されている。
地上にギュネオスが現れる事自体、ここ数年なかったはずだが。
「こちら事後処理班、応答を。装置の回収と周辺の安全確認を開始する」
静かなホームの床をすべるように薄煙が這っていくと同時に冷気が辺りを包み込んだ。
「裂け目の痕跡が残ってる。歪流の流出はごく微量だが、近距離にいた君たち二人は検査を受けてくれ」
「……必要ない」
ロビンが即座に言い切った。
ホームの片隅に座る彼女は、未だ額に汗をにじませながらもその瞳に迷いはない。
「幻覚も…何も見てないし、体調も問題ない。」
「俺も同じだ。それより、あの誘引装置については後で共有してくれ。引き継ぎの報告をしなきゃならないんだ」
オーティスは裂け目の痕跡を示す微細な揺らぎに視線をやりつつ答える。
リーダー格らしい男が、頷くと背後にいた部下たちが装置の元へ向かっていく。
「検査は受けていただきます。後になって症状が出る場合もあるらしい。特にあなたはVoidから来た。Voidに裂け目は出現しない、耐性はほとんどないはず。駅は一時封鎖しますので、お2人とも一度駅の外へお願いします」
「………ここの奴らはいつも検査検査って…」
「大事なことだ、我慢しろ。すぐ終わるさ」
剥げますような無駄に明るい声のその脇で、ロビンはふと辺りを見回した。
「…はぁ、そういえば、あの駅員は?通報してきた男」
オーティスもその言葉に、記憶を呼び起こすように首をひねる。
「入口ですれ違った人か。ギュネオスは全部倒してるし問題ないだろうが…無事に避難できてればいいけどな…」
沈黙。
駅構内の音が清掃ロボットとキーパー達の足音、そして駅の外から聞こえるサイレンの音だけに変わる。
キーパーは首を傾げた。
「……駅員…ですか?通報してきたのは一般人です。今も医療班が待機中の避難所で保護してる」
ロビンの表情が一瞬で険しくなる。
「まって……じゃあ、あの男って──」
「……誘引装置を置いたやつってことだ」
オーティスの声は低く、唇の端にかすかな緊張が浮かぶ。
静寂が、一気に不穏な色を帯びた。
百花町の中央通りに面した百花総合医療センターは、陽光を受けて淡く輝いていた。
全面ガラス張りの外壁は空と花壇の色を映し込み、白を基調とした滑らかな曲線の外観には、壁面を這う蔦植物と季節の花々が柔らかさを添えている。
屋上の空中庭園では風に揺れる花弁がきらめき、入口前の広場では小さな噴水の周囲を子供たちが駆け回っていた。
病院の正面上空とロビー中央には大きなホログラムが浮かび上がり、淡い光の文字がゆっくりと巡回している。
≪Nova定期登録のご案内(9歳・15歳・20歳・25歳)――発現確認と能力再診断を受けましょう≫
という文言とともに、花やロケットのイラストが映し出され、子供向けの柔らかな音声案内が繰り返されていた。
「まてまてー!オーダーが捕まえるぞー!」
「きゃははっ!絶対捕まらないもんっ!」
無邪気な笑い声が弾ける。
保護者が困ったように追いかけ、受付付近には登録手続きを待つ家族連れの列ができている。
命と研究と日常が同時に息づく、穏やかな場所だ。
その空気の中を、オーダー機関のユニフォーム姿のオーティスはどこか場違いな気分で歩いていた。
隣には沈黙を続けるロビン。
裂け目とギュネオスへの直接対処を行った以上、歪流症状の検査は義務だとキーパーに告げられ、ここへ回されたのだ。
裂け目に防護装備なしで近づけば、幻覚や精神汚染が発症する可能性がある――それは常識だ。
わかってる。
だが、ロビンの横顔は最初から固い。
受付を抜け、一般診療エリアとは少し離れたAevum中央研究棟へ案内されると、内装は一変した。
白く無機質な廊下、わずかに香る消毒液、壁際に置かれた観葉植物だけが外の華やかさの名残を伝えている。
男女の別れた更衣室で制服を脱ぎ、青緑色の検査着に着替える。
布ではない、薄い膜のような素材が肌に吸い付く感覚に、オーティスは思わず肩をすくめた。
「慣れないな、これ」
検査室へ入った瞬間、聞き覚えのある杖の音が床を叩いた。
「ユベル…さん…?どうしてここに?」
白髪に背を曲げた老人は穏やかに目を細める。
「面白い事件があったと聞いてね。この老骨も少しは役に立ちたい」
「久しぶりだな。前に会ったのは、ヴィンセントが現れた時だから…一か月前くらいでしたっけ」
「おや、そうだったかな」
男性看護師数人が取り囲み、腕に細い針が刺さり、微細な電極がこめかみや首筋に貼られる。
Nova粒子測定装置が淡く発光し、脳波モニターに波形が流れた。
冷たい金属の感触、規則的な機械音。
ユベルは画面を覗き込み、小さく頷く。
「ふむ…歪流症状は見られないな。実に健康的と言える」
カルテから視線を動かさずに続けた。
「たしか、君のNovaは"吸収"だったかな?個性的でいい」
医療ベッドの脚が軋んだ。
のそりと起き上がりながら肩を竦める。
「そうですか?身体操作系はたくさんいる」
「身体操作系は部分的な筋力強化を得意としているNovactorが多い。その中で、君は部分的ではなくすべての強化を可能としている」
淡々とした声音。
称賛と評価、カルテをめくりながら彼は小さく呟いた。
「……体内にNovaエネルギーがない事だけが欠点だがね。」
一瞬、返す言葉を失った。
褒められているのか、そうでないのか。
判然としない声音だった。
自分のNovaを誇りに思っているわけはない。
けれど――どこか、値段をつけられたような気がして。
……まあ、博士ってのはそういうもんか。
深く考えるのはやめた。
「さて、もう一人は君のバディだったかな?次はその子をみないと…」
ユベルが杖を鳴らした、その時だった。
「………っ触んな!!!!!」
隣室から鋭い怒鳴り声が響き、金属器具らしき冷たい物が床に叩きつけられる音が続いた。
空気が一瞬で張り詰める。
ユベルは目を細めた。
「おやおや、おてんばな子なのかい?」
「…!あいつなにやってる…!?」
慌てて隣の検査室の扉を叩いた。
「おい、ロビン!どうした!開けるぞ!?こっちまで騒ぎが…」
「幻覚もなにも見てないっての!!」
後ろから杖の音が近づく。
ガラッ
扉を開けると、室内は無惨に荒れていた。
倒れた機材、絡まったコード、散乱する計測端末。
その中央に、青緑の検査着姿のロビンが立っている。
呼吸は荒いが、瞳は鋭く冷えていた。
「……こいつら胡散臭い」
短く言い捨てると、彼女は横をすり抜ける。
ロビンは背の曲がった老人に気付かず、目を合わせないまま歩き去るが、ユベルの瞳だけがその背中を静かに追った。
測るように、値踏みするように。
わずかに口元が動く。
「なるほど。威勢のいい子だね」
その小さな呟きは誰にも届かない。
廊下の向こうで、ロビンの足音が遠ざかっていった。
騒ぎを聞きつけた看護師たちが慌ただしく駆け込んでくる。白衣の裾が揺れ、倒れた機材を見て一様に息を呑んだ。
「お待ちください!!なんて野蛮な……っ」
「ユベル様……どうしましょうか」
狼狽する声とは対照的に、ユベルは杖を静かに床へ突いた。
「あれだけ元気なら問題ないだろう。ふむ……」
まるで興味の対象が別の場所へ移ったかのように、ユベルは床に落ちかけていた端末を拾い上げ、そこに表示されたロビンの電子カルテへ視線を落とす。
青白い光が皺の刻まれた横顔を照らす。
スクロールされる経歴欄。
出身地の項目で、指が止まった。
「………ほう」
低い、含みのある声。
「Void出身ということは……あの育成プログラムの」
誰に向けたでもない独り言。
看護師たちは眉を顰め、ただ顔を見合わせる。
その間にも廊下の向こうでは足音が遠ざかっていく。
検査室へ戻り、自分の制服を掴むとそのまま腕に抱えた。
「すみません!後は任せます!!」
言い残し、半ば駆けるように廊下へ飛び出す。
「ロビン!挨拶くらいしろ!!」
無機質な廊下にその声が反響する。
観葉植物の葉がわずかに揺れ、遠くでエレベーターの到着音が鳴った。
研究棟に静けさが戻る。
ユベルはなおも画面を見つめていた。
そこに並ぶ数値、適性評価、そしてVoidの文字。
「Void………」
かすれた声が空気を撫でる。
「時代が流れても、穢れは消えんな」
乾いた音を立てて、カルテ端末を医療ベッドへ放る。
軽い衝撃で画面が揺れ、青白い光が一瞬乱れた。
外では子供たちの笑い声がまだ続いている。
柔らかな音声が、何事もなかったかのように流れていた。
研究棟の窓辺から遠くへ見える宇宙エレベーターを見つめ、ユベルはゆっくりと目を細める。
その向こうにある大穴の存在を感じながら、彼の胸の内で静かに形を成していた。




