第30話:誘引の手引き
駅が視界に入るより早く、異変は音で分かった。
ざわめきと悲鳴、靴音が石畳を叩く乱れたリズム。
視界埋めんとするほど、人が波のように押し寄せていた。
駅前広場から人波が逆流してくる。
荷物を抱えたまま、あるいは落としても構わず、ただ出口へ向かって走る群衆。
「どけどけ!」
「きゃっ!押さないでよ!」
「走れ!逃げろ!!」
スーツケースが転がり、買い物袋が破れ、果物が石畳に散らばる。
大勢に踏まれ、ぐしゃりと音を立てて鮮やかな痕を残す。
子供が押されて転び、小さな泣き声が人の脚の隙間に埋もれる。
わが子の手が離れ、母親の叫び声が痛々しく響くが、混乱にすぐにかき消されてしまう。
「爆弾だって!」
「駅の中らしい!」
人波が駅前広場から溢れ出している。
混乱が混乱を呼ぶ。
人をかき分けながら進むが、完全に足止めを食らった。
「くそ……進めない!」
駅前のガラスドームが視界の向こうに見える。
だが距離が縮まらない。
「先に行ってくれ!すぐ追いつく!」
混乱する人々の隙間で目があう。
その瞬間にはもう、ロビンの身体は地面から数センチ浮いていた。
ふわりと身体が浮く。
悲鳴が上がる。
人波の上を滑るように移動し、彼女は駅のエントランスへと向かった。
「……任せるのは早かったか…?」
転んだ子供を抱き上げ、避難経路を指示し、崩れた人の流れを強引に押し戻す。
重たい声が、パニックに裂けた空気を押しとどめる。
「落ち着け!順番に出ろ!近くで泣いてる子供がいたら、自分の子供じゃなくても連れて行ってやってくれ!避難所に向かうんだ!!」
チタニア駅の白いアーチ型の入口が近づく。
自動ドアは開放されたままに人の気配は完全に消え、冷たい空気がコンクリートの柱の間を流れている。
中央区では小さな駅だが、内部は妙に広い。
吹き抜けのロビー中央には円形の案内カウンター。ドーム状の天井。
淡い白光を放つパネル照明は昼光を拡散させている。
≪――は貴方の未来を支えます。永遠の旅を共に歩みましょう≫
≪陽芽町次世代住宅区画、先行予約受付中!!――≫
柱や壁面には大型モニターが埋め込まれ、観光広告や企業プロモーションが無人の空間へ向けて流れ続けている。
機械音声だけが響く。
≪近くにいる係員の指示に従い、ただちに駅構内から避難してください。繰り返します――≫
自動アナウンスが、無機質にループしている。
足元には避難時に散らばったらしい荷物や落とし物が残されていた。
片方だけの靴。画面の割れた端末。綿の出たぬいぐるみ
避難が“急”だったことが分かる。
重いブーツの音が、広いロビーに吸い込まれていく。
入口から伸びた階段の途中。
一人の駅員が、手すりに縋るように立ち尽くしていた。
顔は蒼白。汗で制服が張りついて、顔を引きつらせている。
「あんたが通報者?」
「ひっ……Vorder……」
睨み返す。
駅員は喉を鳴らし、何度も頷いた。
「う…は、はい…!巡回中に見つけて…最初は忘れ物かと…でも、黒い球みたいなのが…」
「場所は?」
「よ、よ……4番線ホーム、端にある白いベンチの下です……!」
震える指が階段下を指す。
「逃げていいよ。後はこっちでやる」
「で、でも……!」
「早く」
駅員ははっとしたように踵を返し、転びそうになりながら階段を駆け上がっていった。
彼が逃げて行った後ろ姿を確認し、通信機に指を添える。
「現場に到着した。駅内に人はいない。全員避難できてる」
『爆発物を確認したら、画像データを送ってほしい!こっちで解析してみるよ』
「分かった」
通信を切ると同時に、手すりへ軽く腰を預け、そのまま身体を滑らせるように降下した。
重力を半分だけ無視するような動き。着地音はほとんどない。
ホームは広く、白いベンチが壁際や柱を背に規則正しく並び、その向こうに線路、さらに対面ホームが対称に続いている。
天井のアーチは高く、声を出せばよく響きそうだったが、今は静寂が支配していた。
「……あれか」
視線の先、4番線の端。
白いベンチの下、影が濃く落ちた場所に、異質な黒が沈んでいる。
階段を駆け下りる大きい靴音が遅れて届いた。
「見つけたか………っ!?」
「遅い。もう見つけた」
彼女は睨むだけで、顎をわずかにしゃくった。
「すまん…近くにいた人達を避難させてたんだ」
ロビンは小さく鼻を鳴らすだけだった。
すでに彼女は暗がりの向こうに意識を集中させている。
その立ち姿は緩みがなく、いつ飛びかかってもおかしくない野生動物のようだ。
「結晶、先に補給しておいて。……嫌な予感がする」
周囲を探る視線は止まらない。
「あ…ああ、そうだな」
Novaまで調べてるのか。
オーダーの能力は隠しきれない。戦闘映像はVoxloopで拡散され、まとめサイトまで作られている。
それは市民の安心材料にもなるが、同時に敵への教科書にもなる。
だからこそ俺たちはバディを組む。弱点を晒しても、背中を預けられる相手がいる。
だが──
彼女は、Voidから来た。
「………何考えてる」
「なに?」
「……な、なんでもない!!」
必死に首を横に振り、ポーチから結晶を取り出し、掌の中で砕いた。
乾いた破砕音が小さく響き、光の粒子が皮膚へ溶け込む。
血流に沿って熱が広がり、筋肉の奥が静かに脈打つ。
ロビンの背中越しに、頼りないと言いたげな溜め息が落ちた。
とにかく、今はあの爆弾の確認からだ。
爆弾ではないと分かれば、解析班に渡して駅はすぐに復旧できる。
身体の使い方に無駄がない。
訓練の積み重ねが、その動作の滑らかさに滲んでいる。
正面の階段を使わず、緊急停止された線路へと飛び降りた。
砂利を踏みしめ、レールを跨ぎ、対面側へ一気に駆け上がる。
一方ロビンは地面から数十センチ浮き、警戒を解かぬまま滑るように進む。
視線は常に装置だけでなく、天井、支柱、監視カメラ、死角へと散っている。
ベンチの下、薄暗い空間にぽつんと置かれていたのは直径三十センチほどの黒い球体だった。
金属的な光沢があり、表面は継ぎ目のない滑らかさを持つ。
中央部に走る細いスリットから、かすかな白光が漏れている。
その内部に、投影のように数字が浮かんでいた。
───《 0- 》
規則的な減算表示ではない。カウントダウンの緊迫感もない。ただ、意味を拒むような不完全な数字。
しゃがみ込み、観察する。
耳を澄ますが、モーター音も振動もほとんど感じられない。
「ジョシュ、例の装置を発見した。数字が表示されてる。モーター音はなし。Novaエネルギー反応も感じられない。爆発物の可能性は?」
『……うーん、画像を確認してみた。今解析班に回してる。内部エネルギーがないならNovactor絡みではないと思うけど、その数字が気になるな』
「厄介だな」
ロビンは眉間に皺を寄せ、球体を見下ろしたまま低く息を吐いた。
そのまま膝をつき、無造作に手を伸ばす。
「───爆弾じゃないなら壊せばいい」
「待て!」
鋭い声と同時に、腕が振り下ろし、彼女の前を遮る。
「何かわからないのに下手に動かせば、何が起こるか分からない」
一瞬の沈黙。ロビンは視線を逸らし、立ち上がる。
「………」
「とにかく、この丸いのをどうするか判断を仰ぐしかないな」
通信の向こうで、ジョシュが言い淀む。
『あのさ、オーティス。これは爆弾とは関係ないかもしれないけど…』
「──たぶん、俺も同じことを考えてる」
「…何の話?」
『似てる気がするんだよ』
オーティスの視線が、黒い球体の滑らかな表面をなぞる。
「“ギュネオス”に。」
その瞬間、装置が低く唸るように振動した。
スリットの光が脈動する。
無音だったホームに、微かな金属の共鳴音が走り、二人の背筋を同時に冷やした。
───キィィン
と、甲高い金属音が唐突にホーム全体へ突き刺さった。
反射的に二人は後方へ跳び、球体から距離を取る。
高架のガラス天井がその音を反響させ、白い壁面に何度も跳ね返るたびに、耳鳴りのような残響が尾を引いた。
続いて、球体の中央から腹の底を震わせる低い咆哮のような音が響く。
空気が圧縮されるような重苦しさ。
線路の砂利がかすかに震え、吊り下げられた案内板が微振動で軋んだ。
「……今の、ギュネオス……?」
ロビンの声は低い。
生き物の喉を通したような、あの特有の叫び。
だが目の前にあるのは金属の球体だ。
その不整合が、肌を粟立たせる。
空間が水面のように波打った。
球体の前方、ホーム上空、線路脇、壁際の掲示板の角。
――あらゆる座標に黒い歪みが滲み出る。
ガラス越しの景色がひしゃげ、光が曲がり、そこに縦一文字の“裂け目”が生まれる。
裂け目はゆっくりと口を開き、向こう側の闇をこちらへ押し広げる。
「なんで地上で……!?」
ロビンの呻きと同時に、球体の表示が切り替わる。
《05》という数字が、冷たく点灯した。
裂け目の奥から足音が響く。
硬質で湿った音。
カシャン……カシャン……
照明に縁取られた輪郭がにじり出る。
現れたのは黒い人型。
人に似た体躯だが、頭部は仮面のようにひび割れ、中央が空洞になっている。
そこに単眼めいた白い光が鈍く明滅し、こちらを測る。
ギュネオス。
本来なら裂け目の向こう側にのみ在るはずの異形が、何の前触れもなく、ホームのタイルを踏んだ。
「出られたらまずい……!!」
ガコン!!!
叫びと同時に彼女は両腕を振り上げた。
衝撃音が駅構内を震わせ、改札側の通路奥でホームの非常用シャッターが一斉に降下する。
ガラガラと鉄の擦過音が長く尾を引き、照明の届かない階段の奥を塞いだ。
「シャッターを下ろした!これであいつらは外に出られない。でも……」
「……俺たちも出られないってことか」
短く言い、通信機へ怒鳴る。
「ジョシュ!状況が変わった。装置は爆発物じゃない!ギュネオスを呼び寄せてる!!」
「……何体来るかも分からないのに……っ」
ロビンは歯噛みし、次の裂け目を睨む。
その奥で、さらに影がうごめいた。




