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AionioS  作者: 無日
第四章:噛み合わない歯車

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第28話:氷点

 澄み渡った空気が肺に染みる。


 鳥の羽音がかすめ、小さな鳴き声が建物の隙間を縫って届く。


 早朝の中央区本部は音が少なく、ガラス越しに反射する空はまだ淡い。

 都市の輪郭は白く溶けて、自動清掃機が床を滑る低い振動と、遠くで鳴るセキュリティの起動音だけが規則的に時間を刻んでいた。


 無意識に止まった足先。


 目の前にはセキュリティゲートが聳える。

 靴先が青い膜のようなフィールドに触れ、微かな抵抗を返されたような気がした。


 静電気にも似た刺激が皮膚を撫で、骨の奥まで薄く震えるような感覚。

 生体認証、タグ確認、権限照合。


 透明な光が体の断面を取る。


「…………オーダー…か。」


 喉の奥で転がすように小さく吐き出す。


 声が少し掠れている。


 地上へ来てしばらく経つというのに、この膜をくぐる瞬間だけは、いまだに他人の皮を借りている気分になる。


 許可されることに慣れない。


 拒絶の方が、まだ分かりやすく単純でいい。


 靴底の反響がやけに耳に劈く。


「ふぁ…朝は寒いわね…。あ、そうだ。西区のVorder(ヴォーダー)が問題起こした話って聞いた?」


「同期の鼓膜破ったってやつ?それ、意図的じゃないってことになって謹慎処分で済んだらしいぜ?」


「怖…まじか…。そういう話聞くと、俺たち中央区は安心できて良かったよな。初々しい新人ばっかだしさ」


「ちょっと、なに?あなた知らないの?昨日の夕方――……あ。」


 前方で交差する男女の声。


 抑えたはずの囁きが、整いすぎた廊下では意味をなさない。


 ロビーを横切るように歩いていた彼らと目が合うと、怯えたように肩をすぼめたと思えば小走りで離れていく。

 遠くでまた騒ぎ出す声が聞こえ始めた。


 何を言おうとしていたか、だいたい想像はつく。


「最後まで言えっての」


 喉が引っかかる。


 呟いた声が、思っていたより乾いている。


 磨かれた壁に自分の姿が淡く反射した。


 胸元には黄色いラインの入った金属タグ。

 微かに脈動しているように見えるのは、内部のリキッドが揺れてるからか。


 中央区の人間にとって、この金属は安心材料でも、こっちからすれば枷に近い。


「………まぁ、お早いこと」


 カウンターの向こうの女は視線を上げず、指先だけがパッドを滑る。

 画面の中は、見て取れる限りくだらない文字が並べられている。


「仕事は?」


 返事はない。

 こっちの存在は、入力されたデータと同程度の扱いらしい。


「アタシと話したくないならそれでいい。要件だけ答えて。その方がそっちも早く済むでしょ」


 わずかに間があってから、事務的な声が落ちる。


「……オーティスがバディのはず。彼が来るまで待機」


「どうせ破綻するし、あいつデカいだけでしょ。一人でやれるから仕事よこして」


「…勘違いしないでちょうだい。ここは中央区で、Voidじゃないの。黄色のタグのうちはまだ保護対象。そもそも、Vorderが一人で出歩くなんてどうなることか…」


 黄色いタグ。


 胸元で小さく光る識別色。

 それは“保護”であり、“制限”。


「可哀そうに。オーティスは真面目だから、あなたの“扱い”は困るでしょうね」


「へぇ」


 一歩踏み出す。


 マーサの椅子が小さく軋んで後ろへ下がり、指先のネイルがパッドに当たると、乾いた音を立てた。


「マーサ、ね。覚えておく」


「っ……な、なにをどう覚えるっていうのよ」


「さあ?好きに捉えたら?得意でしょ」


 わなわなと震え上がるのを横目にエレベーターに乗り込んだ。


 扉が閉まり、鏡面に囲まれた空間に自分が増える。

 どの顔も同じ制服を着て、同じタグを付けている。


 そこに映っているのは、中央区の制服を着た誰かで、地下で生き延びてきた本来の顔じゃない。


 オーダー。


 それは肩書きのはずなのに、首にかけられたリードみたいだ。


 視界を塞ぐように背中をガラスに預ける。

 冷たいガラスが体温を奪うのに、懐かしい気分になった。


 ここは綺麗すぎる。

 綺麗すぎて、息が詰まる。


「…………最悪」


 吐き出した声は、誰にも届かない。


 地下で吸っていた空気の匂いを、ふと思い出す。

 油と湿気と鉄錆の混じった重い匂い。


 あれは不衛生で、危険で、最悪だったはずだ。


 それでも――。


 到着音が鳴ると同時に立ち上がった。


 扉が開いた頃には、何事もなかった顔で歩き出す。


 廊下に、靴音が一つ、乾いたリズムを刻んだ。




 それから一時間後。


 中央区本部はすっかり目を覚ましていた。

 ガラス越しの空は澄み切った青に変わり、早朝の淡さは消えている。


 行き交う制服の数も増え、ブーツの音、笑い声、無線の短い応答が廊下に軽快なリズムを作っていた。


「おはよう、オーティス!いまから任務か?」


「いや、一旦作戦部に行くつもりだ」


 振り向けば、見慣れた顔がいくつもある。

 どこか張りつめながらも前向きな空気。


 昨日の騒ぎで、どうなることかと思ったが、気にする必要はなかったのかもしれない。


 ここへ来る途中、頭の中で何度かシミュレーションを繰り返していたが大丈夫そうだ。


「そっか。任務、頑張れよ!」


「お前もな」


 背中越しに手を上げて応える。


 アイザックとヤスジが新人を数名引き連れ、緊張気味の背中を押すようにしてゲートをくぐっていくのが見えた。


 朝日を受けたタグがきらりと光る。ああやって送り出す側に回れることは少し誇らしい。


 今日も悪くない一日になりそうだ――そう思いながら、作戦部の扉を押し開けた。


「おはよう皆!今日はいい天───…」


 快活な声は、途中で叩き切られた。


「お前!!!俺をバカにしてんのか!!!!?」


 怒号が室内を震わせる。空気が一瞬で重く沈んだ。


「してないって言ってる。なにキレてんの」


 低く、抑揚のない声。


「おい、ダニエル…」


「さすがにさ…落ち着けって…」


 作戦部の空気は重く沈んでいた。

 オーダー達が囲むように中心はぽっかりと穴が開いている。


 その中にはダニエルと、椅子に座ったままデスクの上の端末を操作しているロビンがいた。


「俺たち中央区市民が場所を与えてやってるって言うのに、今度はなんだ!?オーダーの名を穢した上に本部まで汚染する気か!!?」


 視線が一斉に一点へ集まる。


 椅子の上で足を組んでいたロビンが、ゆっくりと長い足を下ろし、立ち上がった。


「………あぁ?」


 その一言で、室温が下がった気がした。


 囲うように立っていたオーダーたちが息を呑む。

 もう誰も止めに入らない。

 ただ、距離を保ちながら冷や汗を浮かべている。


「……おい、なにがあったんだ」


「オーティス……!オーティス!」


 小声に呼ばれ振り向くと、ジョシュが壁際で必死に手招きしていた。

 人垣をかき分けて隅へ寄る。


「支援部もいるのか」


「ダニエルの大声が聞こえてきてさ。みんな何事かって見に来たんだ。そしたら……」


 視線の先。


「チッ…どうせお前みたいな奴、すぐ問題起こして追放だ。育成プログラムなんて考えた上層部も頭を冷やすさ!!」


「………問題、ね」


 ロビンの右手が持ち上がる。

 ゆっくりと、何かを確かめるように指先がわずかに曲がった。


 刹那。


 作戦部の床が、ぎ、と小さく軋む。


「……なんだ!?」


 オーダー達は咄嗟に身を低くして、警戒を強めた。


 机の上の端末がかたりと震え、ペンが転がり、ゆっくりとロビンの方へ引き寄せられていく。

 椅子の脚が床を擦り、窓枠は震え、金属の悲鳴をあげた。


 制服の裾が揺れ、長い髪が広がるように持ち上がる。


「あっそ。じゃあやってみる?ご期待通り」


 傍観者たちの背中にぞくり、と冷たいものが這い上がった。


「………やってやるよ」


 ダニエルのこめかみの血管が怒りで怒張する。


 机上に置いてあったグラスや紙コップの中に入っていた水が渦を巻き始めた。

 ガラスの軽い音が響いたかと思えば、それは流れる川のようにダニエルの周囲に六つの水の塊を創り出す。


 元素系Novactor。水属性。


 だが、彼は少し違う。


 空気が急速に冷え、吐息が白くなりそうなほど温度が急激に下がる。


「……なに…?」


 水は渦を巻き、細く尖り、先端から透明度を増していく。

 天井光を反射してきらめいた瞬間、それは結晶化した。


 水属性。変換Ⅱ型。


 "氷結"


 鋭い氷柱がダニエルを囲む。


「…へぇ」


 一触即発。


 氷の表面を伝った水滴がひとつ、床に落ちた。


「くたばれ!!!!」


 ダニエルが一歩踏み出した、その瞬間。


「なんの騒ぎだ」


 低く、重い声が室内に落ちた。


 氷柱は動きをとめ、空気が別の緊張感をはらむ。


 二人を囲んでいたオーダーたちが、波が割れるように左右へ引いた。


 そこに立っていたのはカルロス。


 背筋を伸ばしたまま状況を一瞥すると、ロビンとダニエルを交互に見やり、鼻を鳴らした。


 凍りついた空気の中心で、氷柱がきしりと音を立てる。


「遅かれ早かれこうなるとは思っていた。………が、二日目とはな」


 低い声は怒号でも叱責でもないが、威圧のみがあたりを掌握する。


 空間を引き絞っていた見えない圧が、ぴたりと止み、凍えそうな温度が徐々に暖かく戻ってくる。

 ダニエルを囲んでいた氷柱は寸前で静止し、氷柱の先端が空気を裂く直前のまま凍りついた。


「続けるか?」


 その一言が部屋の中心を正確に射抜いた。


 ここで感情を優先すれば終わり。


 タグは剥奪。

 追放。

 ここまで来た理由そのものが消える。


 肺の奥がひりつく。


「………」


 指先が力任せにわずかに震える。


 ロビンはゆっくりと不服そうに手をおろした。


 途端、重力の歪みが解ける。

 椅子が床に落ちる音。端末が机にぶつかる鈍い衝撃。


 ダニエルの口元が歪む。


 “ほらな”とでも言いたげな、勝ち誇った表情。

 中央区の空気は自分の味方だと信じ切っている顔。


 カルロスの視線がゆっくりとダニエルへ移った。


「お前もだ」


 一瞬、部屋が静まり返る。


 味方のはずの空気が、わずかに揺らいだ。


「………はい。」

 

 中央区の秩序を守る側のはずの男は、今は“公平”を選ぶらしい。


 カルロスは顎でしゃくるようにロビンに合図する。


「会議室へ。そのあとはダニエル。お前も待機しておくように」


 唸るように息を吐き、ロビンはカルロスの後ろにつく。


「カルロス長官が来てくれてよかったな…!このまま続いてたら部屋が崩壊するとこだった」


「あ、ああ…助かったな」


 隣で胸をなでおろすジョシュの背中を叩き、視線を戻すと、囲んでいたオーダーの隙間。


 金色の瞳と視線がぶつかった瞬間、背筋が冷える。


 睨むような視線。


「俺…、嫌われるようなことしたか…?」


 扉が閉まる音が、やけに重く響いた。

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