第3話:拒絶か受容か
オーティスは満足げに笑いながらようやく握手を解いた。
痺れた手を軽く揉みながら、何かを問おうとしたその時、
「そうだ、メル艦長」
オーティスが声を上げた。
「D.R.A内部の通信がどうも遮断されてるみたいだ。オーダー連盟とも連絡がつかない」
首元の──リング状の通信機をコツコツと指先で叩く。
その仕草は軽快だが、眉間にはかすかな違和感が滲む。
「ええ、知ってるわ」
「悪いけど、復旧にはもう少し時間がかかるの。あと数時間で決着が着くからここで待機していてちょうだい」
「はぁ…了解」
オーティスは大げさに両手を上げてから、大きな背中を向けた。
「じゃ、しばらく休暇を満喫させてもらうか」
ロビー脇のソファに深く腰を下ろすと、肘掛けに積まれたD.R.Aのガイド冊子が彼の体重で傾き数冊が落ちる。
それをひとつひとつ拾い集め、埃を払って静かにページを捲った。
メルはほっと小さく息を吐くと、再びヴィンセントへと視線を向ける。
軽く顎で合図すると、二人は受付横のエレベーターへと歩き出した。
天井まで届く巨大なエレベーター。
透明なチューブ状の外層に、内側から金属フレームが絡みつくように張り巡らされている。
光の波紋が内壁を走り、まるで生き物のように脈打っていた。
メルが制御パネルに指を滑らせると青白い光が軌跡を描き、行き先を選択。ホログラフィックの階数表示が宙に浮かび静かに扉が開く。
エレベーターが上昇を始めると、ヴィンセントは静かにメルを見下ろした。
「……ここまでの設備を持つ組織が、非常用の装置を持たないとは考えられません。」
メルはしばらくその言葉を心の中でかみ砕いたようだが、表情を崩さずに淡々と返した。
「内部に侵入者が出た。そいつを捕らえるために通信は遮断され施設も封鎖された──それが、公式の発表。」
「では、非公式な理由は?」
メルはしばしの沈黙ののち、小さく息を吸った。
「それはこれからわかる。」
直後、エレベーターが静かに停止した。
扉が横へ滑ると、冷ややかな空気が吹き込む。
広がっていたのは緊張感で張り詰めた空間。
室内は静寂に包まれていた。
四方を包む壁面は滑らかな金属光沢を湛え、床に埋め込まれた間接光が薄暗い空間に青白い冷たさを広げている。
金属とガラスが交差する床に、中央に鎮座するのは浮かぶ円卓──
惑星の軌道を模したような光のラインが走り、その周囲には重厚な椅子が等間隔に並んでいた。
そのすべてに、同じ制服を身に纏った者たちが座している。メルと同じく、胸元に逆さ船の紋章を刻んだ濃紺を基調にした軍服。
その威圧感に一目でわかる。彼らはD.R.Aの中枢を担う者たちだ。
彼らはエレベーターからやってくる人物を待ちかねていたのだろう。
誰一人、言葉を発しない。ただ、その眼差しが突き刺すようにヴィンセントを測っていた。
威圧。沈黙。評価。
──この場は、裁きの場なのだ。
「……そういうことですか」
侵入者と正式に下されるかはこの会議で決着が着くというわけだ。ヴィンセントはわずかに顎を引き、そして、一歩前へと踏み出す。
静かに彼の足音が円卓の中心へと響いていった。
「ご苦労だったな、艦長」
円卓の正面席から低く重みある声が響いた。
その主は、D.R.A総司令官であるグラディウス。漆黒の軍服に金のラインを纏い、凛とした威圧感をまとっている。
メルがヴィンセントの斜め後ろで深く敬礼する。
「彼が、例の“遺失個体”です。記憶は不完全、名前は『ヴィンセント』と自称しています」
その単語――〈遺失個体〉は、D.R.A内部でも機密性の高い分類を意味する。
時空の歪みから回収された遺物、通常とは異なる反応や重要度があると判断された対象に付与される名前。今まで生命体に付けられたことは無かった。
「君の出自と安全性は現在進行形で審議中だ」
「しかし、君が裂け目の中で“生身のまま”発見されたという事実は、我々にとって看過できない異例だ。
加えて──生体波形に崩壊兆候が見られない。これは何を意味するか、分かるか?」
沈黙を、別の声が破った。
「彼が〈Elysion外〉から来た可能性は?裂け目の研究はまだ5%にも満たないんだ。裂け目の中が他の世界へ繋がっている可能性もあるぞ。」
問いを投げたのは、D.R.A理論班主任〈セリカ博士〉。
髪を結い上げ、レンズ越しに好奇心に満ちた眼差しでヴィンセントを見つめていた。
「もし、仮にそうであるならこの個体の内部構造、DNA、Novaとの適合度……すべてが研究対象になる」
ざわめきが再び広がり混乱が始まったところで、ヴィンセントが前へ一歩進んだ。
「………私が誰であるかを、調べることに異論はありません。」
「ですが、私は“実験体”でも”個体”でもありません。
もし私がこの世界の脅威となるなら――その時は………自ら命を断ちましょう。」
言葉の端に迷いはなかった。
重苦しい沈黙の後、円卓に再び声が落ちた。
「いい覚悟だ。だが、我々は君に判断を下すために集まったのではない。君に、“選ばせる”ためにここにいる」
「君には三つの道がある」
グラディウスは人差し指を静かに立てた。
「一つ。D.R.Aの監視下で研究対象となり、当面の間、生活と記憶回復の支援を受ける。」
二本目の指が立つ。
「二つ。準市民として地上で暮らす。ただし、…D.R.Aは君の安全を保証できない。」
そして三本目。
「三つ。自由を選ぶ代償としてこの場で“排除”される。裂け目の深部と共に、君を記録に封じ"なかったこと"にする。」
──選べ。
その瞳がそう告げていた。
ヴィンセントは一瞬だけ目を閉じ、そしてゆっくりと口を開いた。
「……私は記憶を持っていません。けれど、この世界の空気を、風を、人の言葉を知っています。私はこの世界を知りたい。自分が何者なのかを。」
夜の帳が降りる前の一瞬を映した夢幻の瞳を開く。
「D.R.Aに協力します。」
グラディウスの瞳に、かすかに笑みが浮かんだ。
「──面白い」
円卓に響いた重厚な拍手音が、決着の合図だった。
「君の受け入れをD.R.A総司令官として正式に承認する。ヴィンセント、歓迎する。我らの世界へ。」
✧✧✧
会議室に再び静寂が戻る中、メルが一歩前へ出た。
「……総司令、一つご提案があります」
その響きは、さながら戦場で指示を下すような強さを持っていた。
グラディウスが顔を上げる。
「聞こうか、メル艦長」
メルはヴィンセントに一度視線をやり、それから円卓の全員に向けて言った。
「ヴィンセントを、〈イプシロン隊〉に配属させてほしいのです。彼には現場で観察すべき特異性がある。研究室で寝かせていても意味はない」
ざわ……と、会議室が再び揺れる。
グラディウスは少し首を傾げ、眉をひそめた。
「……監視対象を任務に出す?正気か、メル」
「正気です。報告書にも記した通り、彼は〈裂け目〉内部に“装備なし”で入っていた。通常であれば、幻覚、錯乱、最悪の場合は即死。だが彼は違う。
マスクなし、歪流遮断装置もなし――なのに、彼の精神は安定している。
この事実は単なる異常値ではなく、現場でしか検証できない“特性”だと私は判断しています。」
「だからといって、現場に放つには危険すぎるよ。万が一、敵性Novaを持っていた場合どうするんだ?」
セリカ博士が科学者としての好奇心が混ざった声を挟む。
「……彼は、確かにまだ不明瞭な存在。しかしながら、あれほどの〈裂け目干渉〉に耐えうる神経構造と精神抵抗は、一見の価値がある。
監視役は私が引き受け、すべての行動に責任を持ち、必要であれば即時停止命令を実行する。加えて、彼に自由行動は許可しません。」
グラディウスは、額に手を当てて短く息を吐いた。
「…君がそこまで言うなら、任せよう」
メルの表情がわずかに和らぐ。
だが、次の瞬間には鋭い声が落ちた。
「ただし、忘れるな。この提案の全責任は君にある。
もし彼が暴走や彼がいる事でこの世界にとって不利益を被る場合、〈イプシロン隊〉が壊滅しようが、裂け目が広がろうが――すべて、君の判断として処理する。」
「……承知しています、総司令」
「それでは、ヴィンセント。君はたった今から――〈イプシロン隊〉所属、特例観察対象となる。」
彼に差し出されたのは、黒い逆さ船のピン。
それはD.R.Aにおける“一員”としての証であり、同時に“監視対象”としての烙印でもある。
ヴィンセントはそれを受け取り、しっかりと握りしめた。
空間に再び光が満ちる。
こうして、ヴィンセントの物語は次の章へと進んだ。
〈境界に立つ者〉
裂け目の狭間に現れた、名もなき来訪者。
彼が記憶を取り戻すとき、この世界の因果は静かに反転し始める。




