第25話:命令
サイレンが昼前の空気を引き裂いていた。
まだ恒星は高く昇りきっていない。
だが焦げた木材と水蒸気が混ざり合い、空気は重たく、ぬるい。
ビルの一部は崩れ、地面には煤が散っている。
黒く焦げた空き缶が足元に転がってきた。
「派手にやったな……」
ホバーバイクの振動が止まると、代わりに現場のざわめきが耳に入る。
数十分前。
中央区本部、執務室。
「俺とあの新人を組ませる!?何を考えてるんですか!!」
「これは命令だ。オーティス。いつまでもこのまま単独行動を続けていれば、危険だと判断したまでだ」
“命令だ”と言われた瞬間、胸の奥に鈍い衝撃が走ったのを覚えている。
しばらく言い合いになったが、長官が聞き入れてくれるわけもない。
俺の単独申請は、机の上で静かに保留のまま積み上げられていた。
「……長官。育成プログラムに参加した三人は西区に配属されたんじゃなかったんですか?なんで、よりによって…」
「あの金髪の少女と赤髪の青年に関しては、西区配属に決定した。ただ、彼女に関しては取り調べが長引いてな」
我儘をいう子供を相手にするかのような淡々とした声。
「ノールが引き受けると言っていたが、手続き上にすこし問題を起こして、結果的に中央区本部への配属が決まったというわけだ」
問題。曖昧な言い方だ。
任命式の前、長官はお前のせいじゃない、とそう言った。
だが、俺は"二年前の出来事"を今でも鮮明に覚えている。
崩れた建物と湿った匂い。
瓦礫の上に落ちた、血。
───自分が自分じゃないかのような感覚。
焦燥と痛みと、心臓を抉る鼓動。
「俺には荷が重すぎます」
そのときだった。
背後に立っていたはずの気配が消えていたのに気づいたのは。
ほんの数秒前まで、扉の近くに立っていたはずだ。
出ていく靴音すらしなかった。
「……どこ行ったんだ…?」
長官は口元をわずかに歪める。
「だから退屈はせんと言った」
首元の通信機が震える。
『陽芽町で放火の通報あり。オーダー192A1ただちに現場へ向かってください!』
「実地だ。行け」
背を押す乾いた手。
先に向かったのか、姿を消したのか。
ロビーと地下駐車エリアも通りすがりに探しては見たが、あの新人の姿はなかった。
とにかく現場を優先し、ホバーバイクに乗ったのが少し前の出来事。
ホログラムテープが張られ、半透明の警告表示がゆらゆらと揺れる。
その周りには市民が何事かと押し寄せていた。
キーパーたちが一般人を制止し、元素制圧局が炭になった家屋へホースを向けている。
維持班とも呼ばれる元素制圧局のほとんどは元素系Novactorで構成され、今回の連続放火事件の鎮火にあたり、集められている維持班のほとんどは水属性操作Ⅰ型の人たちだ。
青空に反射して、まるでシャボン玉のように大きく膨らんだ水。
周辺から水滴を集め再利用している。
虹がかかり、ホログラムテープの外にいる子供たちは、この混乱の場所から目を逸らすことができている。
「遅かったか…現場はどうなってる?」
近場にいたキーパーにタグを見せながら、現場を囲うホログラムテープをくぐった。
まだ熱の残る空気が喉を焼く。
焼けたプラスチックの甘ったるい臭気が混ざり合い、肺の奥にこびりつく。
「オーダーさん!お疲れ様です!鎮火はほぼ完了してますよ。空き家だったので、怪我人はなしです」
怪我人なし――それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
水飛沫がここまで届き、肩に水滴が落ちる。
元素制圧局の隊員たちが、まだくすぶる柱へ向けて水を噴射している。
すると、データパッドを持っているキーパーが駆け足で向かってくる。
「オーダー。解析してみましたが、炎の燃え方からすると、やはり元素系Novactorの犯行でしょうね。まだ熱も残ってるので近くにいるかもしれません」
「そうか、助かる」
「あ、少しいいか?あとで、黒髪の…まぁ、目立つオーダーがここに来る。その時は中に入れてやってく──…」
「ちょっとちょっと!!部外者は立ち入らないでください!」
鋭い声が、ざわめきを裂いた。
オーティスの眉がぴくりと動く。
煙の残滓が揺れる向こう側。
数人のキーパーに囲まれている中で、わずらわしそうにしている人物。
あの新人だ。
どうやって先に来たんだ?
焦げ跡と水滴の散る地面の上に、場違いなほど静かに立っている。
「オーダーって見て分かんないの」
掠れて、低い声。
怒鳴りもしないが、ただ冷たい。
ユニフォームを見せるように軽く手首を上げるも、キーパーはその腕を掴もうと、テープの外へ引きずり戻そうとする。
周囲の市民がどよめく。
それはキーパーに対してではなく、視線は彼女に向けられていた。
「見て?あれよ…」
「例のVoidの…」
だが。
その腕は後ろに逸れる。
まるで見えない壁に押されたかのように。
そして、触れてもいないはずなのに、キーパーの体勢が崩れた。
靴底が煤の上で滑り、身体が不自然な角度で傾くと地面に転ぶように倒れる。
「あ……あれ……」
逸れた自分の手のひらを見て怪訝な顔をするキーパー。
驚いたまま固まる彼に、手を差し伸べたのはオーティスだった。
「大丈夫か?地面がぬかるんで滑りやすいから、気をつけてくれ」
「あ!ありがとうございます!!」
キーパーはその手を掴み、急いで起き上がる。
外で見ていた婦人たちが、ひそひそと囁いた。
あの単語だけが、妙に耳に残る。
眉を寄せ、無意識に声が大きくなってしまった。
「現場に入るときはタグを見せるんだ。訓練校で習わなかったか?」
それでも、口調には気を付けた。
ざわつく空気を、強引に日常へ引き戻すための声音。
斜めにかけたベルトにぶら下がった金属タグを見せる。
タグは光を受け、鈍く反射し、薄く刻まれた識別番号が、確かに示していた。
警戒。観察。計算。
彼女は何も答えず一瞥すると、自分の金属タグを見下ろす。
「……にしても」
オーティスは小さく息を吐く。
「俺より早いなんて。何に乗ってここまで来たんだ?新人にはバイクも車もまだ支給されてないだろ」
最後の言葉に彼女の少し太い、凛々しげな眉がわずかに寄る。
「歩き。」
素っ気ない返答。
ありえない距離だと分かっているくせに、顔色ひとつ変えない。
「ここは中央区の端だぞ」
「知ってる。歩きには慣れてる」
会話が続かない。
長いため息を吐く。
「分かった。でも帰りは歩いてでも、本部に戻る。新人のうちはバディと行動を共にするのがルールだ。いいな?」
返答はないだろう。
彼女を横切って、証拠品の回収や野次馬への対応に追われた事後処理班の群れから抜けると、足音は二つに変わり、気まずい静けさが頭を悩ませた。
被害の大きかった集合住宅の裏口。白いラインで囲まれた範囲の真ん中にはまだ煤けた痕が生々しく残っている。
「今日が初任務だろ?緊張してるか?」
表情を伺おうと振り返ったが、彼女は視線を合わせずに周囲を見回しながら突っ切って行く。
「口数の多い奴は嫌われる」
切れ味の鋭い返し。
片手で数える程度にはバディを組んだ事はある。臨時編成を組んだ事もあるが、こんなタイプは始めてだ。
最初から敵意と警戒を向けられている。
「Voidの奴は、皆こんな感じなのか?」
振り返りもしない。
目を伏せ、煙の残り香が漂う風を一度吸い込んでから、静かに続けた。
「誤解されるのは損だと思っただけだ」
彼女は何も言わず、代わりに吐き出すように短く息をついて、崩れた瓦礫をブーツの底でどかしながら先へ進んでいく。
「………これは、10日ももたないな」
言葉を漏らし、その背を追った。
が、その時。
ドォン!!!
突如、鼓膜を破るような爆裂音が空気を裂いた。
爆風が裏路地を駆け抜け、瓦礫と煤が舞い上がる。
「今の爆発か……!?」
熱風が頬を打つ。
瞬間、皮膚が焼けるような圧を感じた。
2ブロック先で、崩れた壁の向こう側から、橙色の光が揺れている。
「急ぐぞ!」
「わかってる」
走り出す。
彼女のブーツがアスファルトを踏んだ瞬間。
足元の小石が、かすかに震えた気がした。




