第21話:蒼穹円殿
任命式の会場に選ばれたのは、蒼穹円殿。
淡砂街の北、百花町へ足を踏み入れた瞬間から、空気が違った。
通りはすでに歩行者専用に切り替えられ、車両進入禁止の表示板が無機質な赤光を放っている。
搬送用の公用車ですら、外縁部で足止めを食らっていた。
「かなり徹底してるな。こんな警戒ぶり見た事ないぞ」
「祝典ですから。騒ぎは許されないのでしょう。」
百花町の街路から蒼穹円殿へと続く空中トンネルは五つ。
いずれも金属製の検問ゲートが設けられ、武装警備が二重に配置されている。
オーダーは金属タグの提示。
D.R.A.所属者は逆さ船を象ったピンの提示。
市民はIDの照合と荷物検査。
去年より明らかに人が少ない。
様子を見に来た市民はいるが、取材陣の姿はない。
やはり、長官の流した“別の場所”が有力だと流れたらしい。
仮設ゲートを抜け、ガラスに包まれた空中トンネルへ入る。
都市の景色が緩やかに湾曲し、足元の透明床越しに百花町の鮮やかな街路がだんだんと遠ざかっていく。
水族館のトンネルに似た構造だが、泳いでいるのは空を飛ぶ鳥たちと流れる浮遊島だ。
壁面には、等間隔で細長い石碑が並んでいる。
淡く浮かぶ文字が、旧地球文明の名残を思わせた。
「“秩序の上に、我ら再生せり”……ですか。思っていたより新しい碑文ですね」
ヴィンセントが足を止め、指先で文字をなぞる。
蒼穹円殿が造られたのは、オーダー創立より前のことらしい。
改装で見た目は新しくなったが、骨組みは昔のままだと聞いた覚えがある。
いまでは中央区百花町のちょっとした観光スポットだ。
「碑文は旧世界の文献から…じゃなかったか?…もう覚えてないな…」
眉間をつまみ訓練校時代に学んだことを思い出そうとするが、脳というものは使わない情報を取捨選択して奥底に沈めてしまうものだ。
なにかのきっかけがあれば思い出すこともあるかもしれないが、そのほとんどは塵に消える。
「なるほど。Elysion創世譚の一節というわけですね」
意外な単語に、俺は目を丸くした。
どこかのマニアから聞きかじったのか?
こっちは驚いて立ち止まっているというのに、マイペースなあの男は口元に指の背を当てながら、石碑一つひとつへ視線を落としていく。
前方から、気の抜けた声が響いた。
「任命式まであと一時間だろ?かわいい子いるかなー」
「バカだな、お前、今はそれよりVoidの奴らだろ。…気が気じゃねぇよ」
「何人がプロジェクトに参加して、訓練生に加わったのかも分かんねぇしな。人数が多ければ、中央区にも配属される可能性だってある」
不安と緊張感の入り混じった声が反響し、ガラス壁に柔らかく跳ね返る。
式へ向かうオーダーたち。
紺衣のD.R.A所属の航宙士たち。
遠巻きに歩く市民。
祝典の前触れは、思ったよりも穏やかだった。
やがて、トンネルの先から強い光が差し込む。
「着くぞ」
外へ踏み出した瞬間、視界が一気に開けた。
蒼穹円殿。
アトリウムを思わせるガラス屋根は折りたたまれ、花弁のように外側へ展開。
雲ひとつない蒼穹がそのまま天井になっている。
白金属の外殻は陽光を受けて輝き、赤いオーダー機関旗が高所で鋭く翻っていた。
内部は巨大な円形階段構造。
段差は中心へ向けてゆるやかに下降し、最下部にステージが設けられている。
壁面にはいくつかのホログラム装置。
淡い光を放ちながら、惑星Elysionの三層構造が静かに回転している。
上層域Nexaris
中層域Mirelis
下層域Void
光の輪が三層を分かち、交わることなく浮かんでいた。
しかし、Voidの表示だけが微細なノイズを帯び、かすかに揺らめいている。
まるで存在そのものを拒まれているかのように。
階段状の段差には既に多くの人が集まり、
白と黒を基調としたユニフォームのオーダーに加え、機関職員と医師。
紺衣のD.R.A.隊員。
そして白の衣服を纏った聖譜会の執行官たちが静かに待機している。
その青の下で、すべては円の内側に収まっていた。
「よし、ヴィンセント。俺たちもい──」
「カメラ配置完了!ジュリアーノさん、スタンバイOKです!」
トンネル出入口付近には、死角なく映すための複数の高性能カメラが外縁を並ぶように設置されていた。
「イイね~!最後の仕上げが必要だネ!空撮班、旋回高度あと五メートル上げて~」
舞台役者のようによく通る声。
視線の先に立っていたのは、空の青と喧嘩するほど鮮烈なスカーフを首に巻いた壮年の男だった。
さらに、こんがりと焼けた肌に口髭を残し、ブラウンのグラデーションサングラスまで。
いかにも目立ちたがり屋な風貌で、悠然とポーズを組んでいる。
その視線の先。
上空では三機の報道ヘリがゆるやかに旋回し、影を円殿の外縁に落としていた。
ジュリアーノと呼ばれたその人物が視線を地上に戻すと、こちらとバチッと目が合う。
彼はニヤりと笑うと、サングラス越しにキラリと効果音が付きそうなウインク。
「……う…」
場違いな色合いの革ジャケットを整えながら、迷いもなくズンズンとこちらへ歩いてくる。
堂々とした歩行はどこかのモデルかのようだ。
彼の後ろには、黒髪を一分の隙もなくまとめたスーツ姿の女性が、影のように付き従っている。
「そのトールな背丈に、美しい青と金のオッドアイ!フム、中央区オーダーのオーティス君だネ?」
いきなり強引に握手を交わされる。
好奇心に満ちた目がサングラス越しでもわかる。
「僕はジュリアーノ!!TNCを立ち上げた男って言ったほうが通りがいいカナ?」
「あーー…えっと…」
「そして君が――」
ジュリアーノの視線がヴィンセントへ滑る。
「裂け目から現れたチョー美形、ヴィンセント君だネ?」
ヴィンセントの瞳が静かに細まる。
不信感を察したのか、サングラスの隙間から覗くエメラルドの瞳が笑った。
「ま、僕には適わないけどネ!さてと、今日は任命式だけど、オーダーのヒヨっ子たちはまだカナ?どんな子たちが来るのか、僕もワクワクしてるヨ~」
「私の名前まで知っているのなら、今年任命される訓練生の名前も素性も、把握しているのではありませんか?」
ジュリアーノは、一瞬目を丸くするも、口元をゆるめて笑った。
「フーン、鋭いね君。嫌いじゃないヨ」
「君の言う通り。名簿は当然持ってるヨ。」
「でもね、Voidの子たちだけは、どれだけ調べても情報が出てこなかった。オーダー機関の情報管理、あれは見事だったネ。まあ、あの雑多なリークなんかに惑わされずに、この広場を抑えるのには苦労しなかったケド」
「なら、Voidのやつらは…」
食い下がろうとしたオーティスの顔の前で「ノンノン」と指で制しながら彼は一歩身を引く。
満足げに太い眉を上げ、スカーフの皺を伸ばし、ピンと中のワイヤーを風に逆らって見せた。
「楽しみは最後までとっておかなくちゃ」
「さてと、僕は忙しいんでね。この辺で失礼するヨ。オーティス君、ヴィンセント君、君たちにはまたすぐ会える気がするナ~」
「そっちから来たくせに……」
思わず漏れた本音に、ジュリアーノは肩越しに手をひらひらと振るだけで振り返らない。
秘書の女性が静かに一礼し、二人は報道陣の塊の中へ消えた。
「どうにも、調子の狂わされる人ですね。」
「同感だ」
ジュリアーノの気ままな演説がようやく終わり、俺たちは肩の力を抜いて周囲を見渡す。
既に観客席にはそれぞれの所属に関係なくオーダーや航宙士たちが自由に整列している。
聖譜会だけは違い、揃いの礼服を着た彼らは、意思を示すように前列の一角へと寸分の乱れなく整列している。
「もうすぐ始まります。私たちも行きましょう。」
そう言って、円形の階段をゆっくりと下っていく。
蒼穹は、あまりにも青い。
蒼穹円殿は祝典の場でありながら、そこだけは“裁きの前室”のようだった。
中列あたりまで降りたところで、ふと視線が来賓席に吸い寄せられた。
段差の最下部であるステージから左右にある、赤旗の翻る背後に設けられた特別席。
その中央に、D.R.A総司令官が威圧感を隠すことなく直立している。
鋼のような背筋。微動だにしない視線。
その隣。
金髪を後ろでまとめ、凛とした佇まいで立つメル艦長の姿があった。
風に揺れる外套の端が、陽光を弾く。
「メルさんも来てるのか?」
「ええ。同じ飛空艇でこちらに。それに彼女は今回、総司令官の補佐として参席しています。」
「なるほどな」
ようやく腑に落ちた。
ネクサリスからミレリスまで、わずか一時間。
通常の移動手段では、まずあり得ない移動速度だ。
それだけ、この式典がD.R.Aでも重要視されている証でもある。
ざわめきの中、スクリーンが切り替わる。
蒼穹を背に、巨大な紋章が蒼穹円殿を囲むように浮かび上がった。
──オーダー機関の天球儀
幾重にも重なる軌道が、精密に回転している。
──D.R.Aの逆さ船
深淵へ舵を切る象徴。鋭利な輪郭。
──聖譜会の羅針盤
四方を指し示す針は、どこにも揺らがない。
三つの紋章は、決して重なり合わない配置で映し出されていた。
それぞれが、それぞれの正義を掲げている。
やがて、各組織の設立経緯を語る長い説明が始まる。
祝祭のはずなのに、どこか講義じみた空気が広場を覆う。
「はぁ、長いな」
集中力が途切れ、オーティスは無意識に後頭部を掻いた。
視線を落とした、その瞬間。
手がピタリと止まる。
「ん?……なんだ?」
足元を、黒い影が横切った。
ほんの一瞬。
恒星から降り注ぐ光を遮った影と光のコントラストに、ヴィンセントも釣られて視線を上げる。
なにもない。
雲一つない快晴だ。
「警備ドローンでしょうか。」
「いや、違うな。速度が合わない」
ドローンの巡回パターンは叩き込まれている。
今のは不規則だった。
上空のカメラ映像がスクリーンへと切り替わる。
俯瞰視点の円殿と白金属の外殻。
ぎっしりと埋まった観客席。
揺れる赤旗と蒼穹。
陽光が強く、画面の端がわずかに白飛びする。
だが。
一瞬だけ、映像の上端に白い軌跡が走った。
細く、尾を引くような線。
次の瞬間には消えている。
「……見たか?」
隣にいる彼は答えない。
ただ、空を見上げている。
壇上に現れたのは、整ったスーツ姿の若い司会者だった。
緊張で喉を鳴らして、マイクを握り込む。
スピーカー群が一斉に息を吹き返し、ざわつきが、波のように静まっていく。
『これより――オーダー機関第196期生任命式を執り行います』
声が、蒼穹の底へ吸い込まれていく。
『本日この場において、選ばれし新たな守護者が誕生します』
義務的な拍手。
混乱にも近いざわめき。
光。
青空。
だがオーティスの視線は、式典ではなく空を追っていた。
あまりにも澄みきったその青の奥で、
何かが動いている。
ここに、
人類の次なる節目が刻まれようとしていた。
『選ばれし若き力が、秩序の名を正しく受け継ぎ、この蒼穹の下に立つ。未来を守る者たちが、いまその一歩を踏み出します』
――その瞬間を、誰もが祝福しているはずだった。
だが。
その“誰もが”の中に、
本当にすべてが含まれているのかは、まだ分からない。




