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AionioS  作者: 無日
第三章:秩序の祝典

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第20話:任命式

 空は裂け、光は沈む。

 地は呻き、闇は笑った。


 三つの層が再び交わる時、なおも世界を名乗る。


 白き制服は、正しさの象徴。

 磨かれた靴音は、未来への行進。

 掲げられる旗は、守るべき世界の輪郭を示す。


 人は秩序を愛する。

 それは不安を沈め、恐怖に名を与え、

 混沌を外へと押しやるからだ。


 祝福の拍手は波のように重なり、

 名を呼ばれた者たちは光の中へと進む。

 選ばれた証。

 認められた証。

 この都市が許した証。


 だが、光は常に影をつくる。


 祝典とは、選別でもある。

 壇上へ上がる者がいれば、

 下から見上げる者もいる。

 喝采が大きいほど、沈黙もまた深い。


 秩序は完成しない。

 完成した瞬間、それは停滞となり、

 やがて崩れる。


 だからこそ、人は祝う。

 いまこの瞬間が正しいのだと、

 何度でも確かめるために。


 その空の元、

 整えられた舞台の中央に、

 ひとつの異物が立つ。


 祝福の音に紛れ、

 微かな亀裂が走ったことに、

 まだ誰も気づいてはいなかった。


 声が轟いたとき、破られた序章が静かに暴かれる。

 1ページ目の最初の一言、それは─────、

 朝のジョギングを終え、火照った身体をシャワーの水流がなだめていく。

 湯気の立たない冷水を選んだのは、意識を引き締めたかったからか。


 汗を洗い流し、扉を押して脱衣所へ戻る。

 タオルで髪を拭いながら、しずくが額から落ち、胸板を伝って床に跳ねた。


 部屋着を探そうと隣のクローゼットを開けかけたところで、不意に振動音が耳に届く。

 洗面台の端に置いた端末が机の上で小さく振動していた。


 あのトカゲのような青年を捕まえてから二週間が経つ。


 通報は鳴り止まず、本部は常に張り詰めていた。

 一日七件以上の対応が当たり前になっていた。

 そんな忙しさの中で、長官から言われたあの件が頭から抜けた頃だった。


 「働きすぎだ。しばらく休め」


 その言葉に「ちょうど、ホバーバイクのメンテナンスが必要だったんで、助かります」と伝えると、ホバーバイクは問答無用で没収された。


 マーラに手配させると言って。


 休暇をもらってから今日で三日目になる。


 今は大きな犯罪より、任命式前で混乱している市民対応が多い。

 キーパーたちが前線に立ち、オーダーの負担を支えている。

 そのおかげで、オーティス以外にも数日の休暇を送ることができているた。


 任務は当分ないはずだ。

 何かあったのかと訝し気に画面をのぞき込むと、浮かび上がったのは1週間ぶりに見る名前。


Clara(クララ)


 名前を見た瞬間、別の緊張感が背筋を伝い、慌てて手のひらの水気をタオルで拭い、画面をタップする。


「っと……、ばあちゃん?珍しいな」


『オーティス?やっと出たね。ずっとかけていたのに』


 叱るような口調だが、その声の端々には、いつもの優しさがにじんでいる。


「すまん。ジョギングしてて、さっき帰ったとこでさ。鳴ってんの気付かなかったんだ」


『まったく。ひと月前に裂け目に呑まれたばかりでしょう? また同じような目に遭ったんじゃないかって、心配で仕方なかったの』


「平気だ、問題なくやってるよ。D.R.Aの任務は特例だったし、人員も補給されたはずだしな。しばらくない」


『そうかい?それならいいんだけど。困った孫だよ、私の寿命をこれ以上減らさないでおくれ』


 縁起でもない。けれど──その心配が嬉しくて、自然と目尻が細まった。


 クララは、俺を育ててくれた人だ。

 血の繋がりはなくとも、それ以上の時間をくれた。

 上層域ネクサリス──雲より上に築かれたあの都市で、今も一人で暮らしている。


 彼女のほうから電話をくれることは滅多にないのに。

 俺の仕事を邪魔したくないと言って、決まった曜日に俺からかけるだけ。

 だからこうして唐突に連絡をもらうのは珍しかった。


「なにかあったのか? 家具の組み立てとか重いもの運ぶとか…今は休暇中だしそっちに行くぞ。まぁ…でも、TEMISがまた不具合起こしたなら、俺に修理は無理だな」


『おや、テレビ見てないのかい? てっきり招集がかかってると思っていたわ』


「え…?」


 耳に端末を当てたまま、リビングにあるガラステーブルへ向かいリモコンを取る。

 テレビをつけると、映し出されたのはマイクを持つ興奮気味のキャスターの姿だった。


≪本日、オーダー機関196期生の任命式が執り行われるとの発表がありました!!≫


≪会場は現在も未発表とのことですが、一部の予想では上層域『ネクサリス高天祭殿』で行われる可能性が高いとされており、現場にはすでに市民や取材陣が集まっております≫


≪中央区長官のカルロス氏によると──≫


「任命式?」


 この二週間、噂になっていた。

 Void出身者を含む新人オーダーの任命式。

 地上では祝賀ムードというより、どこか緊張感と混乱が入り混じっていた。


 と、端末が再び震える。

 画面上部に、通知が浮かんだ。


[Order192A1:Otis 任命式への参席を求む]


「たった今、来たな。機関の中でも一部しか知らされてなかったみたいだ」


『あらまぁ……相当警戒しているわね』


 そう、ミレリスとネクサリス出身の訓練生に加え、Void出身者が今年初めてオーダーに加わる。

 育成過程を追えた任命式前でも反発する者は耐えない。面白がって騒ぎを起こそうとする連中だって現れるだろう。


 通知を開き、スクロールして会場情報を確認する。


「……なるほど、長官、策士だな」


 恐らく、リークしたのはオーダー機関本部だろう。別の会場をリークして注目を上層域に向けさせる。

 実際の会場は地上、警備が厚く監視しやすい場所。上手いやり口だ。


『それにしても、オーティス?』


「……あ、すまん。なんだ?」


 気づけば、テレビの情報に気を取られていた。

 慌てて耳に端末を戻す。


『ひとり暮らしに慣れてきたのは良いけれど、服も床に放りっぱなし、乾いた食器はそのまま。それに、下着一枚で部屋をうろつくのは感心しないねえ』


 一瞬、何を言っているのか意味が読み取れず、足元を見た。

 そして、改めて今の自分の恰好を再認識する。


「なっ……!ばあちゃんやめてくれ!また視たのか!?」


 顔が一気に熱くなる。思わず声を荒げた。

 電話越しなのに、まるで見られているようで堪らない。

 クッションの上に端末を投げ置き、ソファの背に掛けてあったズボンに慌てて足を通した。


 電話の向こうでは、クララのくぐもった笑い声が響いている。

 きっと、あのしわの刻まれた指で上品に口元を押さえてるんだろう。慈しみのこもったその仕草が、まぶたの裏に浮かぶ。


『ふふ、TEMIS?もう満足したし、孫の顔は見れたから切っていいわ』


『≪かしこまりました。クララ様≫』


「ちょっ…まだ話は!……って切れてるし」


 はあ、と深いため息が漏れる。


 クララは盲目だ。

 しかし、そのNovaは異常なほど精密で――

 “繋がり”さえあればどこまでも見えてしまう。


 人の心の奥さえも。


「……俺の寿命のほうが減るぞ」


 苦笑しながら、拾い上げた端末をもう一度確認する。

 任命式の開始は昼過ぎ。

 それまでにはまだ少し余裕がある。


 画面をスクロールしていくと、ある名前が目に留まった。


 あいつは来るんだろうか。

 来るとしても、地上にはまだ慣れていないはずだ。


 軽く躊躇ってから、一文字ずつ入力してメッセージを送る。

 数秒後、既読がついた。


[Vincnt:助かります。待ち合わせは淡砂(あわいさ)公園でお願いします。]


 …相変わらず堅いな。


 端末を閉じ、天井に手をぶつけないよう身体を伸ばす。

 窓の外は晴れ渡り、青空には雲一つない。


 一息吐いた。


「悩んでも仕方ないか……よし、行くか」


 オーダーのユニフォームを纏い、マンションから出ると、芽吹町の通りはいつもより人が多かった。


 芽吹町の通りは、いつもより明らかに人が多かった。

 街路樹のバス停のホログラム広告、交差点上空を横切る輸送ドローン、通りだけでなく空にも任命式の影響が出ているようだ。


 大型ビジョンには、任命式の速報が繰り返し流れている。


「Voidの奴らだってよ」

「やめてくれよな。ミレリスはもう終わりだ」

「浮遊島に逃げるか?」

「金があればな」


 不安と嘲笑が混ざった声が、風に削られながら耳をかすめていく。


 オーティスが連絡を取ったのは、1か月前に裂け目の中で発見された存在。

 あの日、空を裂いて現れた彼は、半ば壊れかけた衣服に身を包み、記憶を失いながら、ただひとつの名を口にした。


〈ヴィンセント〉


 それが本名なのかすら、本人には分からないという。


 今ではD.R.Aのイプシロン隊に配属され、“烈界”に潜っている。

 ついこの前まで何も知らなかった男が、だ。


 彼のNovaは特異であり、戦闘のポテンシャルも高く、今ではD.R.A内部からも一目置かれている存在らしい。

 この間まで何も知らずに質問ばかりだった男が、たった一か月でその場所に適応している。


 自分はいまだに地図とラウンドマーク頼りだというのに。


 淡砂街(あわいさまち)に入ると、景観は一変する。


 石畳は淡い砂色に統一され、宇宙エレベーターを中心に放射状に伸びる街路。

 祝典を控え、街灯に取り付けられた旗とリボンが通りを横断し、風に揺れていた。


 淡砂公園はすでに人で溢れている。


 観光客、リークを聞き付け上層域へ向かう乗客、式典関係者、警備ドローン。

 視線が交差し、音が混じり、空気が熱を帯びていた。


 その中心に、ひときわ静かな影が立っている。


「遅刻です、オーティスさん。」


 振り向くと、紺衣の男が立っていた。

 その姿を見た通行人が、わずかに歩幅を変える。


 整いすぎた顔立ちは感情をほとんど映さず、ヒヤシンスの花弁のような青紫の瞳だけが、柔らかな光を返す。

 垂れた目尻に浮かぶ責めるような目つきには、どこか懐かしい温度を宿していた。


「すまん。二択を間違えて3分…いや、5分か……」


 端末の表示を見て、肩を落とす。

 と、その時柔らかい声が二人の真下から聞こえてきた。


「……わあ、王子様みたい」


 ソフトクリームを傾けた少女が、ぽつりと呟く。

 手元のソフトクリームが垂れ落ちているのにも気づかずに。


 少女の無垢な言葉に、ヴィンセントは少しだけ首を傾けていると、その後ろから駆け寄った母親が、慌てて娘の手をつかむ。


「こら!もう、失礼でしょ?すみません…」


 けれど母親の頬も心なしか赤らんでいた。

 彼女の視線もまた、ヴィンセントの姿に釘付けになっていたからだ。


 その美青年は何も言わず、にこりと微笑み返す。

 ──それだけで、母娘は石のように固まった。


「クリームが手についております。こちらをどうぞ。」


 膝を折り少女と目線を合わせると、自然な所作でポケットから皺ひとつないハンカチを取り出す。


 歓声にも似た小さなどよめき。


「あ、い、いえ!大丈夫です!ほら、行くよ!手洗いに行かなくちゃ!」


 真っ赤な顔で逃げるように去っていく母娘。少女は何度も振り返って笑顔を送っていた。


「裂け目の奥は絵本に繋がってるのか」


 遅れて隣に立ったオーティスが、呆然としながらぽつりと呟いた。


「頭でも打ったんですか。」


「なんでもない」


 祝典前のざわめきが、二人の輪郭を押し出していた。


 都市は熱を帯びている。


 祝典の鐘が遠くで鳴った。





──その数時間前。


 夜の余韻を引きずる濡れた空気が、ブラインドの隙間から入り込む。


 やがて、照明の切れたバスルームにまで届いた。

 雨雲を裂いた日の光だけが鏡を照らし、その中の黒い輪郭を強く象っていく。


 濡れた髪からぽたぽたと、煤の混じったような黒く濁った水が落ち、排水溝に錆びたように広がる。

 乾いた眼は鋭さを増して、瞬きを何度か繰り返すと、鏡面の偽物は無表情に見つめ返してきた。


「…………やっとここまで来た」


 鏡の中の偽物が呟いたそれはただの吐息だったのか。

 この名を携えてようやく1歩を踏み出せる。


 慣れないドライヤーの風を手で受け止めながら、髪を乱暴に掻いて、まだ湿り気のあるまま脱衣所を身体を引きずるように出ていく姿。


 壁に埋め込まれたクローゼットから引き抜いた制服は、真新しい。


 その制服は、秩序と市民の期待を背負っている。

 誰もが憧れ、希望の象徴として見ている背中。


 カバーを取り外しライトグレーのハーフネックシャツを掲げた。


 シャツに袖を通してマットブラックのボディアーマーを胸に装着し、汚れ知らずの白のブーツを履きあげる。

 窓から差し込む光が床を横切り、届かない靴先に小さく揺れた。


 姿見に映った名残を視界の隅に捉える。


 ──ご立派な番犬。


 光から背を向け、ドアは静かに閉じられ、寂しげな背中は迷いの中で決意に塗り替えられていく。

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