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AionioS  作者: 無日


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第2話:暖かい手

 ガラス張りの検査室の空気は乾いていた。

 銀色の機械が唸りをあげ、光が皮膚をなぞる。

 触れるたび彼の身体は焼けるような熱さに小さく震えた。


 だがそれは恐れからではない。

 むしろ、どこか懐かしさに近い感覚だった。

 昔、何度も経験したような──そんな、根拠のない既視感。


「反応は正常です。Nova粒子量も彼の遺伝子配列と適合しており…」


 医療班の者たちは極めて慎重に検査を進めていた。

 神経接続のスキャンをはじめとし、遺伝子配列の照合からNovaエネルギー量の計測にいたるまで、彼が目覚める前に検査したものと同じく全ての結果は正常だった。

 それ自体がすでに異常だ。


 裂け目から現れた存在である以上、精神構造や肉体組成に何らかの“外因的改変”が見られてもおかしくない。

 だが彼の身体はあまりに人間的で、まるで時の檻に閉じ込められていたかのように変化がなかった。


 医務班の視線だけが静かに動き診察室の壁にかけられたモニターへと向けられる。

 そこにはNovaエネルギーを波形とした解析データが映し出されていた。

 淡い青に揺れるそれは、周期的で、穏やかな螺旋となって動きつづけている。


 ガラスの奥の原始的な姿の男は、ただ無機質に一点を見つめて、検査が終わるのを待っていた。


「Novaエネルギー……やけに規則的で…静かすぎる」


 彼らは目を合わせ大きなため息を着くとガラス越しの男に検査終了を告げた。

 検査室のスピーカーから流れた言葉を合図に天井から伸びたアームがモーター音と共に降りてくる。

 彼の手足や首に刺さっていた管を抜き取りプログラムされた動作で消毒と止血を行った。


 血の滲む腕をさすりながら傍に用意されていた服に触れる。

 ワイシャツに袖を通し身支度を整えると彼はガラスの扉を開け診察室に戻った。

 医務班の者たちは労いの言葉をかけたが、彼は特に反応することも無く近くの椅子に腰を掛けるとテーブルに無造作に置かれた缶コーヒーを開け喉に流し込んだ。


「……口に合いませんね。」


 缶コーヒーの味への評価。それが彼がこの世界で初めてつぶやいた言葉だった。


✧✧✧


 しばらくして、医療主任と思われる人物と紺色の制服を着た金髪の女性が診察室に入ってくる。

 先程までざわついていた診察室だったが、彼らがやってくるとぴたりと静寂が訪れ、張り詰めるような緊張感がこの場所を支配した。

 男の手元には、無機質なファイル型の記録端末があり青白い光がレンズを反射させ瞳の色を隠す。


「……君、自分の名前は?」


 それだけの問いかけに、彼は飲みかけのコーヒーをテーブルに戻すとゆっくりと目を上げた。

 彼の頭の中に浮かんだ文章。それが彼に名前を与える。


「……ヴィンセント。」


 声は掠れていたが確信に満ちていた。

 その名だけが彼を彼たらしめる、闇の中で握っていた、ただ一つの糸のように。


 医療主任は眉をひそめながら、端末に入力する。

 「Vincent」──検索結果、ゼロ。

 彼の容姿に近い者、記録が存在しない。過去の戸籍、ネクサリス市民にもミレリス市民にも…Voidにも。何もヒットしない。


「〈裂け目〉から落ちてきた男…か。」


……偽名の可能性。それが主任の脳裏を過ぎった瞬間。


「もしくは……登録データが残っていない時代の可能性があります。」


 威圧的な雰囲気を纏っていた背後の女性の言葉に主任は口をつぐんだ。

 それ以上は、思考が現実味を帯びすぎていたのだ。


「彼の服を見たところ、旧世界仕様αシリーズ。現存する記録はごくわずかでしたが、恐らくは。」


「…調律官」


 誰ともなく呟いた言葉が、部屋の空気をわずかに震わせた。


 だが、彼から答えはなかった。

 彼自身でさえ、その問いに答える術を持たない。


 ただ一つ、彼が言えることと言えば──

 その役柄が、“過去”から来たものだということ。


 そして、彼の瞳の奥に宿る静かな光が、

 決して“空っぽ”ではないということだった。


「あとは私に任せてください。」


 女性はそう行って診察室の扉を開けた。


 ヴィンセントは、静かに椅子から立ち上がると、ふと、横を見る。

 ガラスの向こうの世界が自分のために設えられた檻のように感じられるのは、ただの気のせいではなかった。


「こちらへどうぞ。少し歩きますが本部はすぐ隣です。」


 背後から聞こえた女性の声に彼はゆっくりと振り返る。

 彼女は穏やかな笑みを浮かべて立っていた。


 その眼差しは、優しさを帯びながらもどこか測るような鋭さを含んでいる。

 並んで廊下を歩き出すと床下に埋め込まれた光が足元を照らし、静かな誘導灯のように道を示していた。


「…私はメル。D.R.A所属、イプシロン隊の艦長です。あなたの護衛と状況の報告を任されています。」


 D.R.A。この病院内の至る場所に明記されていた。


「次元烈界機関。〈裂け目〉の観測とその内部調査を専門とする。あなたが目覚めたこの病院もその一部です。」


 歩きながらの紹介に、ヴィンセントはしばし口を閉ざす。

 メルは足を止めると振り返り、ヒヤシンスの花弁のような神秘的な瞳をまっすぐ見つめながら、小さく笑った。


「そんなに堅苦しくしなくていいのよ。自然に話してくれて構わないわ」


 彼女の笑みは気遣いに満ちていたが、その奥の瞳には真剣な光が揺れていた。

 それでも口を閉ざすヴィンセントに、メルは困ったように笑みを向けると、一拍置いてから踵を返し先を歩いた。


 長い廊下を歩く。しばらく沈黙が続くも、彼女の方が先に口を開いた。


「さっき話していた〈裂け目〉のことだけど、あれはこの世界の空間を裂く異常空間よ。時空の歪み……とでも言えばいいのかしらね。そこから現れる存在は人ではないもの……異形よ。」


「私は、そこから?」


「飲み込みが早くて助かるわ。ええ。あなたは、〈裂け目〉の中で発見された…メカニカルマスクもなしに。人間があの中で何の装備もせずに生きていたのは…奇跡よ。」


 メルの声が淡々と続く間にも、二人は白い回廊を抜けて中庭へと出る。

 風が吹き抜け、木々の枝を揺らした。


 遠くにそびえたつドーム状の建物。

 この区域の5割を締めている無機質で巨大な幾何学的なドームに覆われた建造物がD.R.A本部らしい。


「礼をしなくては」


 立ち止まり彼女の前に立つ。

 しかしメルは首を横に振った。


「第1発見者は私でもD.R.Aでもないの。あなたを見つけたのは〈オーダー機関〉よ。」


「機関というよりか…任務中のオーダーね。彼が貴方を発見し引っ張り出し保護、その後でD.R.Aに引き渡された」


 ヴィンセントの眉が僅かに寄る。

 耳慣れない単語がまた一つ、彼の中に置かれた。


 シュウッという機械音と共に、D.R.A本部の重厚な自動扉が開くとメルは一歩前へでて彼の視線を奥へと導く。


 D.R.Aの内部。鈍色を基調とした吹き抜けの広いロビー。

 高い天井のガラス越しに差し込む自然光と、淡く灯る人工光が美しく調和し整えられた植物の花壇が静かな生命を放っている。


 引き寄せられるように足を踏み出せば、天井から吊るされた大きな逆さ船のモニュメントが彼を出迎えた。

 

「裂け目を航行し調査するのが私たちD.R.Aの仕事。このモニュメントは不安定な裂け目内部の航路を浮かぶ船を模しているの。」


 メルはそのまま進んでいく。ヴィンセントも彼女の後を追った。

 すると、話声が聞こえ始め、周囲を観察していた視線を奥の受付へと見やる。


 そこには一人の青年がいた。

 なにやら受付の職員と話をしていたようだが、彼はこちらに気がつくと軽やかな足取りで向かってくる。


 黒のボディアーマーが目立つアサルトスーツのような作りのユニフォーム。

 その胸元にははっきりと〈ORDER〉の文字。右肩には天球儀のようなマーク。

 胸を交差するベルトには目を引く金属タグが下がり、床を蹴るたびに揺れていた。


「よかった!目が覚めたのか!」


 人懐っこい笑顔。

 偶然にも大きな窓から差し込んだ光が彼を照らしまるで太陽そのもののように感じさせる。


 しかし駆け寄ってきた彼を目の前にすると、ヴィンセントは思わず目を細めた。

 遠くでは気が付かなかったが、ぬっと現れた彼の体躯は壁以上に圧迫を感じさせる。


 メルは見上げるばかりの壁2つに囲まれ首を痛そうに回したが、気を取り直すように喉を鳴らした。


「…コホン、彼があなたを見つけた第1発見者よ」とメルが紹介する。


「オーティスだ。よろしくな」


 ヴィンセントが名を名乗るよりも早く、分厚い皮膚で覆われた大きな手が差し出される。

 その勢いにわずかに戸惑いながらも、彼は手を差し出した。


「ヴィンセントです」


 躊躇いがちな握手を、オーティスはぐっと力強く掴んだ。

 そして、遠慮もなくぶんぶんと振る。


「元気そうで良かった。君を見つけた時は血だらけだったし悲惨で心臓の音も聞こえなくて焦らされたんだ。」


 オーティスの声は大きく空気を塗り替えるような明るさだった。

 ヴィンセントの唇に、目に見えるかどうかの微笑が浮かぶ。


 知らない世界。思い出せない過去。

 それでも、こうして誰かが「見つけた」と言ってくれたことが、どこか心を支えていた。


──そして彼の名「ヴィンセント」は確かに、この世界に刻まれはじめたのだった。

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